「あ、あー…そうだ、思い出した…。そっか、うん、新撰組、かぁ〜…」
私、は青年の眠る顔を見て、失礼ながら項垂れてしまった。平穏の日々が危ぶまれている。まさかこんなに平和な世界に、逆トリップしてくるなんて思わない。絶対にこの世界では平和平凡平穏に暮らすのだと思っていた。
思っていた。
***
平穏というのは良いものだ。
多くの人は勿論そう思って居るだろう。しかし私は通常の人よりも更に強く強く思っている。と自負している。具体的に言うならば、「自称・自称神」に殺され転生してから、より一層だ。
というのも、脱人間をしてからの私の生活は波乱万丈七転八倒、どうにもこうにも平穏とは全く程遠いものとなってしまっていた。だからこそ強く願っているのだ。
日本人女性として平凡な生を終え、人外として生まれ変わってしまってから、いくつかの世界で生活をした。前述の通り、正に生きるために戦う日々であった。しかしながら今はぼちぼち平和で住み慣れた所謂現代日本に来ている。(無論、人間の頃に住んでいた世界とは違うパラレルワールドだ)もっと厳密に言うと京都の端の方。
平和万歳。多少のいざこざは致し方なし。
などと悠長に構えていたのが悪かったのかもしれない。
巡る、冬
紅茶を飲もうと、やかんにお湯を沸かす。こだわりなどはなく、お徳用のティーバッグだ。どちらかというとコーヒー派なのだが、今日は何となく紅茶の気分だった。ちなみに私の父、ジンはオレンジジュースが好きだ。冬でも冷蔵庫に常備されている。鮮やかな色のパッケージはこの時期少し寒々しい。
「ジン」とは私を人外にした張本人である。神様、みたいな存在。神と断言できないらしいので、詳しい説明は割愛するが、自称・自称神、などと称することにしている。
カーテンを開け、まだ裏の山頂から日が漏れる程度に登った日光を部屋の中に取り入れた。
ひゅーひゅーとやかんが鳴る。お湯をカップに入れ、ティーバッグを落とす。タイマーをセットすれば、後は待つだけ。
そこまでして、室温が低いことに気付く。今は12月。それもあと3日もすれば正月だ。ヒーターのボタンを押すと、感情のこもらない女性の声で「点火します」と言うのが聞こえた。それからガチャリと玄関から音がした。ジンが帰ってきたようだった。
「あ、ジン暑いかも…いや…」
パン屋に朝ごはんを買って来るように頼んであったのだが、この家は山を切り崩してできている住宅街の一画であり、ほぼてっぺんだと言っても過言ではない。店から坂を登って帰って来たジンは暑かろう。
とは、人間の頃の名残だ。
この身体は暑さも寒さも早々感じない。痛みも無い。経験として知っているだけ。私は人間だった頃の感覚が未だに濃いので、冬は寒いし夏は暑いような気がしているのだが。ジンに至っては、そういう感覚があるのかも怪しい。
だが、別に暑くても寒くても良いのなら、今は人に混じって生きているのだから、そちらに合わせた感覚で良いのだろう。
ぴぴぴ、とタイマーが鳴った。「ナイスタイミング」と一人呟いて、ミルクだけを入れた。ジンには冷たいオレンジジュースを。
「ただいまぁ」
といつもと同じ間延びした声で部屋に入ってきた。
「ちゃん、怒らないでね」
ジンは羽織ったコートを脱いで座椅子にかける。
「私が怒るような事したの?」
ジンが買ってきたパンを私に手渡して、「うん、まぁ」と曖昧に答えた。頭の上にハテナマークを浮かべる私に、ジンはにへらと愛嬌のある笑みを見せて、
「うん、人を拾ってきた」
うえぇぇぇぇぇぇぇぇ……
思わず心の中で叫んでしまった。
怒るという発想はなかった。ただ脱力した。
「人、拾ってきたの?」
確かめるようにできるだけ優しい声でそう問い掛けると、「うん、落ちてたよ」と元気よく答えられてしまった。父と言えど、自由に姿を変えられる身体では、年齢も性別もあってないような物。少女か少年か区別の付かない容姿をしているジンは愛らしく、無邪気な仕草がよく似合う。
「あぁ、そっか、落ちてたんだ……」
ジンにとっては、人も犬猫もあまり大差ないらしかった。というか人間は普通落ちてません!ここは京都市内じゃないんだぞ……、近くに飲み屋もないし、酔って倒れているおじさんなど居ない、はず。この住宅街はおじいさんやおばあさんが多い。そんじょそこらに人が落ちてたら大騒動である。
「………うぅん…面倒くさいことになったな……」
私は平穏を求めてこの世界にやってきたはずである。頭を掻きながら廊下に適当に放り出してあった人間の顔を確認する。
余りにもぞんざいな対応である。拾われてきた青年を哀れにも思ったが、何を言っても無駄であろう。
それにしても凄い美形である。しゃがみこんで頬をふにふにと突付くが起きる様子は無かった。触れた肌は冷たく、手や足は真っ赤だった。
それもそのはずだ。この寒空の下、落ちていたというのに着ているものは薄手の長襦袢一枚。それもはだけている。
患部にそっと触れ、症状を確かめる。凍傷にはなっていないようだった。ほっと息を吐いて、私はジンを振り返った。相変わらずの笑顔でジンはこちらを見ていた。
「しもやけ、かな…?ねぇ、ジン」
「ん?」
パン食ってる…………!!
振り返ってジンの顔を見るともぐもぐとパンを頬張っていた。
「え、ちょっと一人で何食ってんの」
「いや、このクリームパン絶品だよ」
知ってるけれども!!
そう言ってジンは私の口にクリームパンを放り込んだ。
「おいひぃ」
うん、これは確かに美味しい。いつもの美味しいクリームパンだ。もぐもぐと、パンを噛み締めた。
顎を動かすのが良かったのか、少し冷静になれた。
まずは布団引いて、それからお湯とタオルだ。このままでは死んでしまいかねない。そうなれば、もうこの土地で生きていく事は不可能だろう。よし、と立ち上がると、ジンがパンを口にくわえながら既にせっせと準備をしていた。
「こういう時はホントに頼りになるんだけどなぁ」
そう一人ごちて、私はすやすやと眠る顔色の悪い青年を見た。どこかで見たことのある顔だ。何処で見たのかは全く思い出せない。ということは、人だった頃に見た顔に違いない。人だった頃の記憶は少し曖昧だ。こんな美形の知り合いがいたはずもないので、恐らくアニメマンガ小説ゲームの類だろう。何のキャラだったか。
それにしても、
「寒々しい!…しかも、かなり肌蹴てるし、わぁ…良い筋肉じゅるり、じゃなかった!とりあえず、布団に寝かせてあげよう!!」
膝と背に腕を差し込み、ぐっと持ち上げる。お姫様抱っこで寝室まで運ぶ。
「はぁぁ…肌綺麗ぃ…はっ涎出た、じゃなくて……!」
と、一人で悶絶していると、後ろからジンの声がした。
「ちゃぁん〜取って喰っちゃ駄目だからね」
「めっ」と人差し指を立ててウィンク付きで注意してきたジンの顔をちらりと見て、私は苦笑いをした。
「いや、しないよ。そんな節操無しじゃありません」
最悪の事態になっても、ジンがいるのだ。何とかなるだろう。
私は平々凡々なただの女だった。それが脱人間をして、面倒を引き寄せる体質になってしまったらしい。
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