世界には、大きな流れがあるのだ。
「変えられないことは沢山あるんだよ。たとえ知っていても、どれだけ変えようと画策しても、結局はそうなってしまうような、そんな大波がね、あるんだよ」
は言葉を続けた。
だからズルはしちゃいけない。後ろめたい裏工作なんかはしてはいけない。ただ、
『もし自分に言葉が足りなかったと思ったのなら、努力ができてなかったと悔やんだなら、それは今生では頑張っても良いんじゃないかな』
だから森山由孝は頑張ってみた。常識の範囲内で。勿論急にバスケが上手くなるわけでも、劇的に周りの状況が変わるでもない。無理をすれば、出来上がっていない体がどうなるのかは、前世で目の当たりにしたのだ。
そんな些細な努力でも、着実に力が付いていることは実感できて。森山は一度後悔しなければ、人は本気になれないのだなぁと思った。あの時勉強しておけば、サボらなければ、あともう一踏ん張り頑張っていれば。
また後悔するぞ、が森山の原動力だった。
勉学においてのアドバンテージは、教師()が傍にいることくらいだ。二度目だからといって、何が優位と言うでもなかった。
「全っっ然、覚えてない…」
「だろうね〜社会人になったら一切合切学校の勉強内容とか忘れてるよね〜」
高校入学前の春休み。教科書を受け取りに行って、森山は嘆いた。
はケラケラと笑った。余りにも森山が落ち込んでいるからだ。
「まぁ、分からないところは、放置しないことだね。教えてあげるからさ」
「お願いします…」
「森山くん頭悪くないんだから、問題ないよ」
「得手不得手はあるんだよ…」
「理数だっけ?英語とか社会とか?」
「苦手…」
「じゃあ頑張ろうね〜」
森山は悔しそうに項垂れた。
高校二年、インターハイ。
前と同様笠松はベンチスタート。森山は観客席。
学校を出るとき、森山は笠松に声を掛けた。前回はしなかったことだ。とてつもなく緊張していたようだったので、前回だって何か言ってやろうとは思った。何かいろいろなことを言い訳に、口を噤んだことだけは覚えていた。
集中を切らしてはいけないと思った、別に仲も良くなかったし、ポジションだって違う。それに、嫉妬をしていなかったといえば、嘘になる。
当時、言って変わったかも分からないのだが。だからこそ森山は今回そうした。こんな小さなことなら、声を掛けるだけなら、大して変わらないだろうと。
「思いがけず出番が来て、身体ガチガチじゃ締まらないぞ〜」
などと。
結果は変わらず。
いや、変わった。善戦をした。これで負けたなら、きっと誰がどんなことをしても勝てなかったというような。
そこで森山はふと気付いてしまった。
はこうも言った。
『逆に私たちが動いて変わる未来もある。人の努力のきっかけを潰してしまうことも、選択を変えることもある。前にその位置にいた人が、そのために蹴落とされることも、当然想定しなければならない』
森山は冷や汗をかいた。あの出来事は笠松の覚悟のきっかけではなかったか、と。キャプテンは誰がするだろうか。黄瀬は入ってくるだろうか。
海常が負けるという大きな流れは変わらなかった。それでも小さな変化が起きた。
「どうしよう」
***
「由孝くんはいつも悩んでるね」
「うるさい…」
と言う暴言すら力が無い。
それもいつものことだ。はスプーンで掬ったゼリーを口に含みながら思った。
彼の両親に挨拶に行ってから、1年が経っていた。大きなトラブルも喧嘩もすれ違いもなく、平穏に毎日が流れていくが、時折こうやって問題を持ち込んでくるのだ。そのどれもが解決策など無いような、しかし世界やら人生やらの根源に関わるような問題なので厄介である。
森山が前世の記憶を持っているがゆえに、思春期特有の悩みだと割り切れないのも更に話をややこしくする。
記憶があると言うのは本当に厄介だ。それは痛いほど分かる。特に森山は、これでとても真面目なのである。
良い子であること、それが骨の髄までしみこんでいるように思えた。両親の期待に応えたいという気持ちが彼をそうさせたのだろうことは、想像に難くない。
君と良く似たタイプだよね、とはの父の言葉である。
「気にする必要は無いと思うけど…まぁ、私が脅しすぎたのが問題なんだろうけど」
相変わらず居間のローテーブルに頬を付けて考え込んでいる。そろそろほっぺたが赤くなっていそうだ。
「君が動いたくらいで変わる未来は、あまり確定的な未来ではなかったんだろう。要は君が動かなくても変わった可能性が大きい」
私が動くということは、人智の及ばぬ力が働くということなので良ろしくない。しかし気まぐれで動く人間が数億も居れば、何かしらの変化はあるものだ。その程度と考えて良いだろう。は続けた。
「笠松さんは多分キャプテンになるし、黄瀬くんも入ってくると思うよ?あの子単純だから、青いユニフォーム着たかっただけなんじゃないの?帝光も青かったしね」
「え、そんな理由?」
森山が顔を上げた。
「いや知らんけど」
森山は適当な事を、とを睨んだ。テーブルに腕組をして、その上に顔を乗せた。頭を支える元気も無いようだ。
「聞いたわけじゃないけどさ、頭のおかしい集団の中で、割と普通だったと思うよ?黄瀬くんと緑間くんはさ。あれでも」
うーんと考え込むような仕草。森山は納得していない様子だ。後にキセキの世代と呼ばれる連中は、頭のねじが数本飛んでいる奴らだった。素直には受け入れられないだろう。
おかしな子供たちではあったが、それなりに普通の中学生だったときもあるのだ。その時を知っていればこそ、変わらぬ本質が分かる。黄瀬涼太はやはり他の子たちより周りを見ていたように思える。
帝光では、そろそろ問題が浮上してくる時期ではなかろうか。この頃にはもう彼らの元を去っていたので、詳しくは知らない。
「緑間くんは内向的だけど、黄瀬くんはモデルもしてて、大人と交じってやってたわけだし、多分ね、自分の認めた人に対しては、ちゃんと向き合うって言うか、凄く大切にする、思い入れ、というかね、」
納得はしていないが、とりあえずは聞き入れる体勢を取ったらしい。静かに聞いていた。
「一番しがみ付いてたんじゃない?」
帝光バスケにさ。
森山は顔を腕にうずめた。
「海常にだってさ、そんな感じだったでしょ?」
「そうだな、うん…そうだった、かも」
「あ…うん。ああ、」
しまった、とは思った。森山は実はあまり細部を覚えていないようなのだ。それを無理に思い起こさせてしまったようだ。
「あんまり思い出さないほうが良いよ。同じだけど同じにはならないし、同じにはならない割には同じだから。混乱する。これは、もう違う世界だよ。だから、好きに生きれば良い。でも、こちょこちょ裏工作してたら、それバレたときに、ちょっとややこしいことになるかもだから、それはやめとけよって、こと」
「ん〜…裏工作?」
「人使って、頭使って、労力使って、自分の手で世界動かすこと」
じっとを見つめた後、首を傾げた。
「してたの?」
「いや、したこと無いけど。だって、面倒くさいし…」
「……変えられるかもしれないのに?」
「人死にそうなときは助けてたよ。先回りとかして。でも間者じゃないかと疑われた。そういうことでしょ」
「確かにそれはややこしいことかも…」
「ん」
は頷いた。何でもない風に言っているが、当時は相当頭を悩ませたのだ。今でも悩む。悩んでいる。
森山よりもずっと長い時間、何度も何度も同じ問いをしてきた。時間を掛けたところで答えはない。
出せた自分なりの対処法は、「命に優先順位をつける」ことだけだ。誰の命を優先するか。それを軸にほんの少し手助けをする。
こんなものは解決策ではなく、単なる自分への言い訳なのだ。そんなことを森山には考えてほしくない。
ふとは思った。どうしても変えたい未来が、森山にはあるのだろうか。
普通に生きていた人間が、万が一にも生まれ変わって、人生をやり直せる段になって。人生70年だか80年だかの内にあった、たった一つの出来事を、思い出せるものだろうか。この出来事だけは絶対に変えたいと、願うものだろうか。
そんな思いを胸のうちに抱え、は言葉を間違えてはいけないと、戦々恐々とした。一言一言が、森山の心にどう響くのか、それが気がかりだった。
「…この身体一つしか無いのね。全く違う場所には存在できないわけだ。もっと根本的に解決しようとすれば、きっと出来るのかもしれないけど、私が作る世界ではないわけで、その世界に生きる人が頑張って生きてんのに、チートな力使って、自分の良いように動かして、それで良いのかって、話…」
そういう選択を、いつも迫られた。救いたい命は山ほどあって、それでも取りこぼす命もあった。
「だけどね、私は逃げられるんだよね。君は、どっか逃げるなんて出来ないでしょ?海でも陸でも、続いてないと行けないでしょ?私なら忽然と消えられるけどね。だから、そういうの、背負い込む必要は無いよって、こ…と、何何?何?」
森山はの頭を撫でた。
「いや、うん、頑張ったんだなって…」
そう言いながら森山はの頭を撫で続けた。
「私はいつも頑張ってますよ?」
「そうなのか?」
「そこは認めとこうよ、私が可哀相だからさ…」
「よしよし」
「誤魔化されないからね…」
***
果たして彼はどんな行動を起こすのか。追い詰めればひょいと飛び越えていきそうな危うさがある。それは生前笠松にも言われたことだ。
『なんだかんだ、よく見てんだよな。解決策は突拍子もなかったり、全然解決にならないこともあるけど。けど、なんか自分の中に抱え込んで、自分のことのように喜んでくれたり、悲しんでくれたり、してくれてるように思う』
「けど、あいつ、どこまで抱え込めるんだろうな」なんて。
確かに許容はあるのだろう。でも、それを本人がちゃんと理解しているかはわからない。そういう人間は、人知れず壊れるか、突き抜けるかのどちらかだ。天然でしているわけでもなさそうなのは、中学時代の彼を見ていれば分かる。
「さん!!」
ほら来たぞ、とは思った。このパターンだ。
***
「とりあえずお茶飲みなー」
中々話し出そうとしない森山に、はそう言って立ち上がった。キッチンの方へ歩いていく。ちらりと見た森山はソファで可哀想なくらい硬くなっていた。
ちょうど校長から貰った茶葉があった。茶菓子は何を出そうか。戸棚をがさごそと漁る。急須と皿を取り出し、ゆっくりと準備をしていく。
森山にとってはどんなお茶であろうが、どんなお菓子であろうが、今は気に留めることはないだろう。が考えているこの合間に少しでも頭が覚めれば良いのだ。
何があったのかは大体の想像がつく。
今年からは中学のバスケ部で顧問をすることになった。養護教諭ってそんなことまで仕事だっけ?と思わなくもないが、やる人間が居ないのだから、仕方がない。
だからキセキの話は少なからず入ってくるというものだ。それに高校のバスケ部顧問の中には、知り合いもいる。教師として長く生きていると、縁があるのだ。
以前の彼らと寸分違わず行き過ぎたことをしていることは知っている。そして、彼が懸念していることも、耳に入っていた。
「お待たせ」
「すみません」
森山は早速の入れた茶を飲んだ。
「おいしい…」
「それは良かった」
さらに彼は菓子に手を伸ばし、もぐもぐと食む。自分の中で整理しているのだろう。
「さんにも情報は入ってる、とは…思うんだけど、」
意を決して、森山は口を開いた。
「…黄瀬が、…バスケ辞めたって…」
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