すぅ、と意識が浮上する。目を開くと、そこには真っ青な空が広がっていた。
「はぁ!?」
あり得ない。こんなのは。だとすればこれは夢だ。だが私にとって、夢は特別な意味合いを持つ。現実の私は調査のために伏見とある民家に寝ているはずである。とすれば、今回の案件に深く関わるに違いない。
地面に降り立ち、私は辺りを見回す。辛うじて小さな道のようなものはあるが、鬱蒼と生い茂る木々や草木で、たいへん歩きにくい。
「うわっ!」
盛大に何かに躓いた。
「何?」
振り返ると、そこにあったのは大きな根。そこに佇むは巨大な木。ぱっと見ただけで分かる。明らかに周りとは違う格を持ったもの。私は思わず手を合わせた。すると、ぶわりと神聖な風が吹いた。神風。
「様」
女性の声。女にしては少し低めだが、それが色っぽい。声のした方を見ると、青みがかった長い髪を風になびかせた女性が立っていた。
「え、」
「どうかされましたか。様」
「ふ…伏見くん?」
ぐらりと風景がブレた。そのまま急激な覚醒を感じた。
《、もの凄い…!》
真剣な声で鳴神はそう言った。だがその物言いに力が抜けた。目を凝らすと、伏見の周りに確かにもの凄い数の霊。伏見の姿が見えないほどの人数の霊に覆い被さられている。助けを求めるように上に伸ばされている腕がかろうじて見えているだけだ。私は飛び起きた。
弓を打つようなフォームで力を放つ。実際に弓を持ったことはない。祖母にいつか神職を継ぐだろうと話をしたときに教えて貰った。勿論この力も、あの事件の時に目覚めたものだ。
退魔の矢を放つと、霊たちが霧散した。
今まで見えなかった伏見の姿がやっと見えた。そばに寄ろうと立ち上がると、ぎぎぎと固い動きで伏見はこちらを見た。
「伏見く…」
やはり先ほどの夢に見た女性に似ている。そういえば私の首を絞めた女性の霊も青みがかった綺麗な髪をしていたかもしれない。
「…………たす…」
「え」
「助けてくれるって…」
と言うのがやっとだったようで、すぐに黙り込み、彼は涙をぼたぼたと落とした。ぎょっとしたが、私は冷静に端末を構えてしまった。
「何、してんだバカ野郎…さっさと助けろよ…」
「はいはい、恐かったね、よく頑張った」
「もう、しない…」
「うん、そうだね」
よしよしと彼を抱き留め、ぽんぽんと落ち着かせるように背を叩く。
そういえば八田から彼が大層オカルト関係に弱い話を聞いていた。ここまでとは思わなかった。弱味を見せるのは八田にだけ、そう確信していたからだ。
「大丈夫、大丈夫。もう大丈夫だよー」
後に聞いた話だが、一度大層追いかけられたらしく、それがトラウマになったそうだ。
「取り乱してすみませんでした…」
とそっぽを向いて言うもんだから、私は笑ってしまった。
「いや、普通ああなんだよね。他の子があまりにも狼狽えないから忘れてた」
伏見は眉を顰めた。
「で、なんか分かった?」
「…………こんなこと、本当はしたくない、って……言ってました。でも、この家から出られないんだって…助けてって、言ってた…」
ぽつりぽつりと伏見はそう言った。
「…………君が見たって言う、髪の長い女の人は?」
「…………いえ…何も…」
伏見の顔色が少し変わったような気がしたが、そのときは気にもとめなかった。
「…………そう…今日はこれで解散です。明日はこの辺の伝承と、あとは、ここの工事請け負った会社に詳しく聞き込みして、報告書をお願いします」
「今日します。仕事残して休むの気持ち悪いし」
「君がそうしたいのならそうしてください。その後、二日休んでね。休むことも仕事」
「はい」
「送ってく。どうせ帰り道だから」
「………ありがとうございます」
やはり相変わらずの棒読みだったが、先ほどの姿を見たあとだと、何があっても可愛く見えるから不思議だ。
伏見猿比古、19歳、八田美咲と仲が良かったが、今は少し修復が難しいくらいに拗れた関係。
ふと彼に興味が湧いた。普段は他人の心をのぞき見ることはしないが、車に乗り込む彼の後ろ姿をじっと凝視する。一瞬の浮遊感。目を開けると、そこは綺麗好きそうな彼からは信じられないくらい様々なものに溢れた世界だった。これが伏見猿比古の精神世界。
《あれ、これって、美咲くんの…》
見覚えのあるスケボーが立てかけられていた。はっとした。周りを見回すと見知った物がたくさんあった。八田の服、私が八田に買ってあげた食器類、八田の布団、八田の持っているゲーム、寧ろ、この空間こそが、八田の一人暮らししている家だ。
《だれ?》
突然の声に、息を呑んだ。きょろきょろと見回すと、そこには八田の姿があった。ここまではっきりと個人の姿があるなんて、稀だ。そう思った瞬間、声が聞こえた。伏見自身の物だ。八田美咲に関する言葉たち。聞いていられないほどのたくさんの言葉。罵倒、糾弾、愛の言葉、縋るような声、とにかく色々だ。
唯一聞き取れた言葉があった。
《美咲、俺のことを見て…》
耳を塞いだ。ここには居られない。まるで異物である私を吐き出そうとしているようだ。そう、そこは八田と伏見、二人だけの世界、これが伏見の望む世界。私はぞっとした。
《ぐぅ……》
あまりの轟音に私は耳を塞ぐ手に力を入れた。涙が出る。ここまで強烈な世界は初めてだ。八田を睨むように見ると、八田は無言で指を差した。目を凝らすと、物に隠れてはいるが、扉があった。走る、走る、走る。ドアを開けて、勢いよく外に飛び出す。どこに続いているかなど分からない。ただ、あの部屋から出られるのなら、何でも良かった。
《………はぁ…》
息を吐く。先ほどの世界が嘘のように穏やかだ。ざざ、と波の音、裸足の私の足に何かが触れる。余り深くなさそうだ。水面が揺れている。きっと周りからの刺激がこの世界に影響を及ぼしているのだろう。ひっきりなしに波紋が広がっていく。外界を敏感に感じ取っているのか、ここまで反応が良いということは、さぞかし敏感な精神をお持ちのようだ。見るからに神経質そうだもんな、と納得した。しかしこの波、驚くほど心地良い。ミルクたっぷりの紅茶、そんなイメージだ。余りにも、優しい感触。八田が彼を優しいというのも、分かる気がした。
「あの…どうかしました?」
「ううん、何でもない。行こうか…」
伏見が私を覗き込んだ。私は頭を振って、車に向かった。
**
「お腹空いたねー」
「はい、まぁ…」
「なんか奢るわ。適当に買ってくるけど、良い?」
こくりと頷いた伏見はかなり疲れた様子だった。
「仮眠取ってて良いよ。私買ってくるから。嫌いなモノは野菜だけ?」
「………はい。ありがとうございます…」
余り音を立てないように車のドアを閉め、コンビニに向かった。気のないいらっしゃいませを通り過ぎ、おにぎりやサンドウィッチを物色する。しかしこうも寒いと、温かいものが恋しくなる。スープ類を買うか、肉まんを買うか、うーん、と唸る様はとても奇妙だろう。店員が訝しげに見ている、ような気がした。
《鳴神、夢を見たの》
《ああ、分かってる。を通して俺も見た》
《あれ、伏見くんだったよね…》
《ああ》
私の名を呼んだ彼女は、まるっきり伏見猿比古女版だった。
「どうしたもんかね、お、新商品。ピリ辛かぁ…惹かれるなぁ…」
どうしても目移りしてしまう。しかし今は人を待たせている。さっさと選んで、車に戻った。その間、5分も無かった。はずだ。だが車に伏見の姿はなかった。車に駆け寄り、周りを見回す。すると、
「伏見くん!?」
「ぐぅ…あ…ぅうう…ひぎ…」
車の傍で彼がうずくまっている。苦しげな声をひっきりなしに出している。話せる状態ではないようだ。私は彼の記憶に干渉した。
外の空気を吸うために車外に出た。後ろから話しかけられ、彼が振り返る前にやられたらしい。顔は見ていない。相手がどんな能力かも分からない。素早い犯行だ。まるで綿密に計画されたかのような手際だ。しかしここに寄ったのは偶然なのに、なぜ?
(いや、今はそんなことより…)
犯人を捕まえるべく、私は感知の範囲を広めた。私の干渉する精神世界は個々人ごとに単一で存在するのではなく、全人類全ての人の世界が繋がって存在している。それは人との関わりの中で生きている人間ならどんな者でもそうだ。
蜘蛛の巣を辿るように、半径1kmまで捜索するが、それらしい人物は見つからない。犯行に及んだ場合、人の精神状態は通常ではなくなる。だからすぐに分かるはずだ。しかしそれが全くない。私は舌打ちし、犯人の捜索を打ち切った。とにかく伏見を安全なところに移す必要がある。
端末を取り出した。1コールで相手が出た。
「伏見くんが……恐らくストレインにやられた。病院に連れて行くから受け入れの準備を。相手の能力不明、周りにそれらしき人物無し。伏見くんを狙ったものと思われるので、セプター4は警戒を」
手短に用件を述べ、私は伏見を車に乗せた。重い。
「どっせーい……ぜぃ…」
息が上がる。こちらも熟睡したわけではないので、完全に寝不足である。エンジンを掛け、発進する。
伏見を狙ったということは、セプター4関連か、もしくは吠舞羅時代の恨みか、はたまた誰にも関係なく彼自身が原因か、いずれにせよ吠舞羅にも知らせた方が良いだろう。彼らに弱味を見せるのは伏見の望むところではないだろうが、そうも言ってられない。吠舞羅は現在誰一人ストレインに対抗する術を持っていないのだから。
「もしもし、草薙さん?私浜谷です。……ええ、はい…実は、」
****
「調査の帰りだったの」
「そうですか」
隣に座る男、宗像礼司は朝早いにもかかわらず、普段と変わらぬ涼しい顔をしていた。薄暗い病院の待合室、朝が早いため人はあまりいない。
はぁと溜息を吐いた。たった5分の犯行、とはいえ私にも責任はある。監督不行届だ。帰るまでが遠足、帰るまでが仕事。気を抜いた私も悪かった。一応棲み分けはされているが、セプター4とうちの部署は同じ部署と言っても過言ではない。狙われる可能性だって0じゃない。それに伏見は元吠舞羅の一員であり、セプター4のNO.3。
「はぁ…」
再び溜息を吐いた。
まだ早朝の四時だった。バーHOMRAは五時までの営業時間なのでかろうじて電話する許容範囲内だったが、
「ごめんね。こんな朝早くから」
「仕事ですから」
宗像にこんな早くに出勤願わねばならないなんて。それに今日はこの男、非番だったはずなのだ。申し訳なくて、顔を見られない。
「それより……あなたの探索に引っかからないなんて…」
「うん、殺気の類も無かったみたいだし…もし伏見くんを傷つけよう、って意志が在れば、伏見くんは攻撃を避けられたはずだし。全くの通りすがりでやったってイメージ」
宗像はしばらく考え込んでから、口を開いた。
「…私は職務上どうしても人を傷つけてしまうことがあります。昔に比べると慣れてしまいました。しかし、……それでも、やはり平時とは違います。気負ったり、焦ったり、何の感情も無しにだなんて、……」
伏し目がちにそう言った。周防の心臓を貫いたときの感触を思い出したのかもしれない。私もあまり思い出したくない記憶だ。
「一個だけ、可能性がある」
私の言葉に宗像は息を呑んだ。
「私なら、できる…」
「………誰かに操られていたと?」
「…………うん…私なら、全く無関係な人に、ある条件のときにだけある物事を遂行するように相手を操ることができる、と思う…あとは、発動後、何事もなかったように、記憶を消すこともできるし…やったことが無いから、分かんないけど、多分、可能…」
言いにくいことだ。私はこの力を得たときに、なんて恐い能力かと思った。人を何の証拠も残さず殺せる。この能力を使えば、それこそ天下でも取れるだろう。誰にも気付かれず、何でもできる能力。
その能力を持った人間が私以外に存在するという可能性を示唆することは、私に言いようもない恐怖を与えた。
無意識に私は自分の体を抱きしめた。
「その痕跡は…貴方には分かりますか?」
「…………相手と対峙すれば…集中すればできるけど、…難しい。通りすがりで見つけるのは……不可能だ、と思う……」
「そうですか…」
どんどん声音が暗くなる。これで伏見も目を覚まさないなんてことになったなら、私はどうすれば良いのだろう。すぐに八田の顔が浮かんだ。彼も失ったら、八田はどうなってしまうだろう。考えたくもなかった。八田は今度こそ私を責めるだろうか。
「浜谷さん、伏見さんが目を覚ましました…」
私は顔を上げた。安堵した。ふっと体の力が抜けた。体がふらついた。すぐに宗像が私の体を支えてくれた。
「しかし…えっと、どう言えば良いのでしょうか…」
看護士が言いよどんだ。何だろうと私と宗像はお互い顔を見合わせた。
「失礼しまー……」
出入り口で再び宗像と顔を見合わせ、そして伏見を見た。
「これは……また可愛らしい姿に…」
「ふはっ…かぁわいーい…!」
ぶすっとした表情をしたのは、6歳くらいと思われる少年。勿論ここは伏見猿比古の病室なので、ベッドに居るのは伏見猿比古のはずだ。
「そっか、幼児化、いや巻き戻す力、かな」
「そうですね」
鬱陶しそうな前髪を指で左右に分ける。擽ったそうに、伏見は体をすくめた。
「これ、どうしようか」
「そうですね」
宗像は必死に笑いを堪えているようだ。肩が震えている。
「仕事途中だったのにー」
「すみませんでした」
私は思わず口を開いて固まってしまった。
「……間抜け面ですけど、どうしました?」
「……ちょ…聞いた?聞きました?」
「ええ。まさか伏見くんが、ちゃんと謝罪できただなんて…」
宗像はツボに嵌ったらしく、俯いている。勿論笑いを隠すためだ。
「あんたらね…もっと危機感とか持ったらどうなんだよ…」
「お前が言うなよ」
「ぐ…」
伏見はぐっと言いよどんだ。
「我々は…こんな小さな男の子を相手するスキル皆無ですから」
「待て、私だって子供いたことないから!」
なにやら雲行きが怪しい。これは押しつけられるフラグではないだろうか。
「大丈夫ですよ、」
「なにが!私子供嫌いなんだってー」
「嫌いって言いながらあなた世話焼きじゃないですかお願いしますね」
「待っ…」
言うが早い。宗像はさっさと逃げるように病室から去ってしまった。宗像に伸ばした手を、所在なげに下ろし、溜息を吐いた。
「一息で言って逃げやがった」
「俺、一人でも大丈夫なんで」
伏見が凛とした声でそう言う。自分の失態を悔やんでいるようだ。しかしあんな不意打ちに誰が対応できようか。
「いや、大丈夫じゃないから。力使えんの?」
「………使えない…ですけど…」
「ほらー」
伏見は押し黙ってしまった。
「………まぁ、過ぎたことを言っても仕方ないから」
「はい…………」
とりあえずは、服を確保しなければ。病院服を着たまま帰るわけにもいかない。
「知り合いに子供居る人がいるから、とりあえず服借りてくるわ。精密検査は、夕方には終わるらしいから、そのくらいに迎えに来る」
「………はい」
一瞬心細そうな顔をしたように見えたのは気のせいだろうか。
**
彼があんなことになろうと、私の仕事が減るわけではない。近場の幽霊スポットの調査、相談者の対応、折角伏見が入ったというのに、これでは依然と同じだ。
やっと終わったのは、定時を少し過ぎた頃だった。
「あ、ヤベ。伏見くんの服…」
もう帰ってしまったかもしれない。仕方ない、電話を掛けようと端末を手に取ったときだった。インターフォンが鳴った。
「浜谷さん」
「上条ちゃん…!丁度良かったー…」
と言うと、上条は無言で首を傾げた。上条政美、彼女が子持ちの知り合いだった。
「子供服ってあるかなぁ、何着か譲ってもらえない?」
「ええ、丁度捨てようと思っていたのが何枚かあるのでそれは結構ですが…」
無表情が少し動いた。きっと子供服など何に使うのかと思ったのだ。
「そう、ありがとう。今度子供預かることになっちゃってさー。服とかもこっち持ちで…困ってたんだわ」
「そうですか。では、仕事のあとに家に寄ってください」
「ありがとー。あ、で、何か用だった?」
わざわざ仕事が終わってから、(というかもう帰り支度をした状態で)なぜ私の所に来たのか。先ほどから気になっている大きな箱、私宛てではないはずだ。こんな大きいものを頼んだ覚えはない。
「お荷物です」
無機質に答えた。
「………全部?私宛て?」
「ええ、全部です」
「……………ありがとう…これ、見てから家寄るね…」
「はい。お疲れ様です」
上条を見送ってから、ダンボールをカッターナイフで開くと、
「お!限定品…!」
それは某我らが聖地の地域限定キャラクターのグッズだった。周防には九州に行ったら絶対に買ってきて!と言っていたのだが、恐らくどれが良いのか分からず、店員に「全部、」と言ったのだろう。凄い量である。それよりもどんな顔であそこに入ったのだろうかと考えると少しおかしい。
そして違う箱を開けると、いつものようにお土産がこれまた大量に入っていた。それを一つ一つ小分け袋に入れていく。宗像に送られるお土産は他の物と違い、少し高級そうだ。どれも茶に合いそうな物ばかり。きっと、「茶に合うやつ」とか何とか店員に言っているのだろう。ほとんどの和菓子は茶に合うだろうよ、と思わなくもない。いや、全部私の想像だ。
全てを分け終わり、私は再び箱に入れた。
端末を取り出し、もう手慣れてしまった宛名を選択する。
「おぅ…」
眠そうな声が聞こえた。
「私、」
「か…荷物、届いたんだな…わざわざ毎回電話してこなくても良いぞ」
私、で分かったのか。と感心した。以前はやったという俺俺詐欺に引っかかりそうだな、と少し心配になった。
「あ、迷惑だった?」
一応こちらの報告も兼ねて定期的に連絡と思っていたので、少し頻繁すぎたかもしれない。
「いや、忙しいんじゃないかと思ってな」
「ん、私は大丈夫」
「そうか…ふ…」
あくびが聞こえた。
「寝てた?」
「ああ…いや、もう起きる。もう飯だ」
「どこに泊まってんの?ご飯早いね」
夕方五時にご飯を食べたら、お腹が空きすぎて目が覚めそうだ。
「民家、……農家?朝早い…」
「田舎に泊まろう!?」
本当にアポ無しでいけるのだろうか。いや周防なら可能だろう。カリスマ性を持った彼は独特の雰囲気を醸し出している。田舎のおばちゃんなんてメロメロだろうし、おじちゃんは、これまた違う意味でメロメロに違いない。
「元気そうで何よりだよ…」
「ああ…………………………………………そっちはどうだ?」
長い沈黙の後、彼はそう尋ねた。
「あー…うん」
「それじゃ分かんねぇだろ。……八田は…」
ピンポイントで来た。確かに一番心配だ。
「美咲くんなりに、君の死を受け入れようと必死みたい…。アンナちゃんの方がよっぽど落ち着いてる」
アンナは感情を表に出すのが苦手なのかと思ったが、心の中もしっかりと落ち着いていた。時折涙を流すときもあるらしいが、それでも話を聞いてる限りでは八田ほどではないようだ。
「アンナも女だな」
「そういうところは強いって?」
「ああ。あれは良い女になるぞ」
「ロリコンかよ」
「そんなつもりはねぇよ」
「ふぅん…」
ぽんぽんと間髪入れずのやりとり。周防とは宗像経由で宗像より後に知り合ったのだが、宗像は後輩、周防は友人といった風である。周防が年上にも物怖じしない、というよりは我が道を行ってるので、年下という感じがしないのだ。
「ねぇ、君が消えたのってさ、……自分の死を乗り越えて欲しいから?」
「…………そんな大それたもんじゃねぇよ」
即答しなかった。やはりそういうことも考えていたらしい。
「考えてなかったわけでもないってことだね」
「まぁ…」
「宗像くんがさ、あいつがそんなこと考える玉か!って言うもんだから…」
私もそれで納得してしまったのではあるが。
「あいつは俺のことが嫌いだからな…」
「それは肯定しかねるなぁ…」
周防は溜息混じりに言う。宗像は一応周防のことを認めている。宗像が周防に強く当たるのは、彼の気ままな性格に憧れているからだと、私は思っている。認めた上で、劣等感を抱いているように見えるのだ。いや、全ては私の主観である。
「……まぁ、君ももう王を経て、あの頃のようなやんちゃ坊主じゃないもんね」
と言うと、なんだそりゃと笑われた。
「………もうしばらく帰れそうにねぇな…」
「草薙さんのことは聞かんのね」
「………あいつなら大丈夫だろ」
きっぱりと言い切った。どれだけ信頼しているのか。草薙さんのことを思うと、とても申し訳ない気持ちになった。
「そういう思いこみ良くないー」
「……あいつ、いっちょ前に落ち込んでんのか」
「表面上は見えないけどね」
周防は黙り込んだ。電話越しでは、彼が何を考えているのか分からない。
「……お前が言うなら間違いないんだろうな…」
声に覇気がない。何か思うところがあったのだろうか。
「………ずっと連んでた二人が、どっちも居なくなっちゃったしね」
「そうだ、な…」
歯切れが悪い。
「表に出せない分、美咲くんより厄介かもよ?」
「………本当にヤバそうなら、お前に頼む」
「もう、みんなして私を頼るんだから…そんな……まぁ、できることはするけどさ、」
そんな力量なんて無いのだから期待などしないでほしい。などとは言えずに、私は結局請け負ってしまった。
「ああ。お前は世話好きだからな」
「また、そんなこと言って…」
宗像にも同じ事を言われた。
八田の義母、八田美幸も同じ事を思っていたのだろうか。
あの事件の後、八田美幸は甥を養子に迎えるため、東京から遙々病院にやってきた。小料理屋を営む彼女は週一でしか様子を見に来られない。だからそのとき「あなたになら任せられるわ」と言ったのだ。彼女と関係が親密になってから、私は彼女に聞いた。
「私が彼を見捨てるとは思わなかったんですか」
「あら、あなたが?あり得ないわ。そうでしょ?」
詳しくは聞いていない。だが、あまりにもはっきりと言うものだから、そうなのかと納得してしまったのだが。こういうことだったのだろうか。
「ん…呼ばれてるから切るぞ」
「うん。まぁ、元気でね」
「ああ」
寧ろ君の方が忙しかったんじゃないか、と思った。
****
「それ、着替えて」
「………なんでこのチョイスだったんですか」
「………可愛くない?」
「……………俺、一応もう19歳なんですけど…」
兎の耳が付いたフードが可愛らしい。天使か。
「なんだよー。文句あんのかよー」
「いえ……」
「じゃあ、まぁ…行こうかね」
「…………はい…」
**
「良いとこ住んでんすね…」
「一応給料良いからねー」
マンションのエントランスで静脈認証を終え、エレベータに向かった。きょろきょろと周りを見回す様は、本当の子供のようだ。
エレベータの階が上がるごとに気が重くなっていく。喧嘩してくれるなよ、と願うばかりだ。
目的の階についても、一歩一歩が重かった。
鍵を回し、中に入るとお出迎えだ。良くできた妻だ。等というと、また旦那に浮気と言われてしまう。
「、おかえり」
いつものように、にこやかに迎えてくれる八田。隣で手を繋いでいた伏見が狼狽したのが、手から伝わってくる。
「……み、さき?」
「え?…………さ、る?」
姿が変わってもすぐに分かってしまうらしい。愛?愛なのか。そうなんだな、と心の中で八田に詰め寄るが、現実で私は蚊帳の外だ。
「みさきぃ…!!なんでお前ここにいんだよ」
幼児とは思えぬねちっこい物言いだ。思わず手を離してしまった。
「なんでって…」
「童貞かとおもってたが、実はヤリチンだったってか!?あぁ!?」
ちらりともこちらを見ない。
「ちげぇよ!こいつとは……そういうんじゃ…」
八田が私を不安げに、そして問いつめるように見る。それが気にくわなかったのか、伏見はさらに声を荒げた。
「じゃあなんだって?成人近い男と!成人した女が!?何もありませんって?本気で言ってんのかぁ?みぃさぁきぃぃ!!」
「ちげぇって、言ってんだろ…さぁるぅぅ!」
「みさきぃぃ!!」
テンションたっけー…
ローテンションの伏見のあまりの変わりように思わず吹き出したが、とにかく煩いしウザい。近所の目も気になるので、私は拳を振り上げた。遠慮なんていらないよねと思いつつも、少し気が引けたので手加減した。
「教育的指導!」
「ぐふ…ってーな、何すんだ……ぐぅ!」
ハイテンションで叫ぶ伏見を一瞥し、再び思い切り持っていた鞄(パソコンが入っていたので、大分重い)を思い切り遠心力を使って伏見の横っ面にぶつけた。軽い体は思ったより吹っ飛んでいって、マンションの壁に打ち付けられた。そして首根っこを掴んで八田の方に放り投げた。
「うっせぇ黙れやごらぁ!!それ、連れて中入ってこい、クソが!」
鬱憤を振り払うように叫ぶと、八田が怯んだ。
「…………はい…」
八田はおずおずと返事した。
「猿、あいつキレたら鈍器で殴ってくるから気を付けろよ…」
「言、うの……遅ぇ…」
ぐわんぐわんと揺れる頭を抑えて、伏見は息切れ切れに言った。
中に入ると、暖房が効いていて、コートを着ているままだと暑い。私は乱暴に脱いで八田に投げた。八田が受け損ねて彼の頭に引っかかった。両手で伏見を抱えているからだ。片手でコートを掴み、しかしもう一方の腕は未だに伏見を抱いたままだ。
「………、俺いんのに、なんで連れて帰っていたんだよ…」
と弱々しい声だが、非難の色を湛えて八田は言った。
「…………押しつけられたんだよ…ってか、言ってることとやってること、一致させたら…?」
八田は連れてきたことを咎めつつも、ぎゅうと伏見を抱きしめて離さない。私は思わず何度も二人の顔を行ったり来たり。八田に視線を合わせると、八田は唸った。
「欠乏症か…いや、恋か」
しみじみと言うと、八田が迫ってきた。ずるずると引きずられた伏見くんが少し哀れだ。
「違う!」
「じゃあ、愛だ!」
「だからちげぇ!」
と至近距離でコートを投げ返された。そのコートを翻しながら、私は演技がかった物言いで声を張る。
「俺は伏見猿比古を愛してる!って言えばいいじゃんか美咲ぃ」
と伏見のマネをすると、流石に八田が顔を真っ赤にしてキレそうな雰囲気である。やりすぎた。
「お、前は!なんでそうやって…!」
振りかぶった八田の拳を鳴神の電気信号のおかげで避け(本気だった。力を有していたら拳には赤い炎が灯っていたはずだ)、私はテンションを落として八田を見た。その間も八田は伏見を離していない。
伏見はぽかんとした表情で、私と八田を交互に見上げている。八田が本気で女の私を殴ろうとしたこと、自分を離そうとしないこと、恋だの愛だのと言う単語が行き交っていること、それら全てが伏見には不可思議な光景だ。
「じゃあ、とりあえず、伏見くん離せよ…面倒くさいな。ほんと面倒くさい!」
びしっと指を突き出すと、八田は唇を尖らせた。
「…………むぅ…」
「かわいこぶってもだめでーす」
人差し指でバッテンを作る。八田は唇を尖らせたまま視線を逸らした。
「………可愛くないし」
「ダメデース」
「で、どういう関係?」
八田の腕の中にいる伏見がそう尋ねた。
伏見は八田のことになると周りが見えなくなるが、周りがごたごたし出すと、途端に冷静になるタイプらしい。子供の声で呆れたような話し方をされると自分が駄目な大人に見えて、なかなかに衝撃的だった。それは八田も同じだったらしく、気まずげに私を見た。なので、私が彼の質問に答えることになった。
「…………友達?」
友達という表現が正しいのかどうか。私が首を傾げて言うと、八田が傷ついた顔をした。
「なんで疑問系なんだよ…泣いても良い?泣くからな」
と目頭を押さえるので、面白くなって追い打ちを掛ける。最近涙腺が緩んでいるので、本当に泣き出しそうだ。
「別に良いけど。ああ、伏見くんに慰めてもらえよ」
「………にやけんなキモい」
涙目で下から覗き込むように私を見つめながら言う。
「こっちが泣くわ。もっと労れっての。クソったれ」
吐き捨てるように言う。キレているのではない。面倒くさいのだ。なぜかって?愚問である。それは毎日毎日猿猿猿猿、いい加減こちらも疲れた。それなのに、この扱い。あんまりだ。しかも、
「……………女って恐い…」
と伏見がぽつりと呟いたのが聞こえてしまった。わざとらしく泣き真似までするもんだから。
「よしよし、恐いなぁ」
と八田がしゃがみ込んで伏見を抱えて頭を撫で撫でする。おい、伏見幸せそうな顔するな、可愛いな、バカ、顔は好みじゃボケ。
「精神年齢は19歳だからな」
じと目で八田を見ると、八田は視線を逸らした。
「分かってらぁ……」
と小さい声で呟いた。てか、関係が修復できないくらい喧嘩してたんじゃないのか。なに、このぽんぽんと成されるやりとり。
「………伏見くんさ、美咲くんって、君のこと好きすぎて、ってか、君がそばにいないとダメなんだって」
「っ…」
咎めるように八田は私の名を呼んだ。それを手で制する。
私はなんで早くこうしなかったのか。こうすれば、煩わされることも、つい「猿くん」などと呼んでしまいそうになるほど八田から伏見のことを聞かされることもなかったのに。伏見猿比古博士になれそうな勢いだ。
「……美咲が?」
半信半疑、と言った風に伏見は私を見た。伏見の視線に合わせて膝をつく。
「うん。君はね、多分美咲くんにとっては、空気みたいな存在なの。傍にいて当たり前、だからね、つい蔑ろにしちゃう。でも、空気だからね、傍に居ないとだめなんだよ。本当、不器用でしょ」
伏見はじっと私の話を聞いていた。あの事件のことは言わない。伏見に依存したくないから会わない、というのと、それでも伏見が傍にいないと嫌だという二つの気持ちが八田の心の中では鬩ぎ合っている。今は後者だけを知っていて貰おう。前者はいずれ八田本人が覚悟を決めて言えばいい。
「そういえば、君も不器用だったね。」
「それは……」
「君も、美咲くんに伝えようか。どうして君が彼のもとを離れたのか、どんな気持ちだったのか……。できる?」
伏見はこくりと頷いた。
「美咲…」
「猿…」
これで仲直りできそうだ。そのとき、盛大に腹が鳴った。誰の?私のだ。膝立ちになっていた体をぺたんと地べたに付けた。
「ごめん、ほんっとごめん…」
地面につきそうなくらい、頭を下ろして謝る。もう少しで仲直りできそうだったのに、私のお腹のバカ。そういえば、昼食を取れなかったのだ。
「まぁ……飯にするか…」
「ごめんよぉ」
「良いって。まだ猿比古ここにいるんだろ」
「うん。でも、もしかしたらご飯用意してる間に隕石落ちてきて、帰らぬ人に…なっちゃったらどうしよう…!」
思わず感極まって涙声になってしまった。呆れ顔で八田は私を見た。
「いや、ならねぇよ…」
ぽんぽんと八田は私の頭を撫でた。
「それよりさ、その………ありがとな…」
「うん。もう、慣れた。君の尻ぬぐいとか」
「………それは……悪かった…」
「うん」
こくりと頷くと、八田はまた困った笑みを見せて、キッチンに入っていった。よっこいしょと立ち上がり、着替えようと部屋に向かう。
「あの、」
「ん?」
「………ありがとうございます…」
「まぁ、珍しい!」
口に手を当てて、大袈裟に驚いてみせると、幼子の顔が汚らわしい物を見るような顔になった。
「………あんた、その二重人格、ってかころころテンション変えるのやめ…てください…どきどきする」
「恋?」
「違います」
即答だ。しかもきっぱりと否定された。
「正直、私って両方の気持ちを知ってたわけじゃない?本当にもだもだしちゃった。もう、お互い気持ち伝えれば両思いなのに!って…」
「………それは…」
伏見は目を伏せた。
「男の子って、本当にややこしいよね。宗像くんと尊くんもそうなんだけど…」
「子供っぽいって、思いますか?」
「え?何が?」
私が質問し返すと、言いにくそうに口ごもった。
「………俺、美咲と二人だけだったあの頃に、戻りたいって、ずっと思ってた…その気持ちは、俺自身どうにもできなくて、でも冷静に考えたら、凄く子供っぽい、理由じゃないですか…」
唇を尖らせて、伏見は視線を合わせずにぽそりぽそりと語る。
「そだねー。つまり友達取られて嫉妬したんでしょ?拗らせすぎだから!」
からからと笑うと、伏見の眉間に皺が寄った。見た目6歳が皺寄せる光景は少し不思議だった。
「………それだけ好きな相手がいるって凄いことだと思うけどね。私には、いないなー。あんまり執着とか、無いかも」
「………まぁ、俺からすれば、付き合いやすいですけど…女ってみんなねちっこいから」
「よく親に、『生む性別間違えた』って言われてたしね。お前は男脳だ!って」
伏見が少し微笑んだ。
「……どうかしました?」
「いや……うーん…伏見くんが素直なのって、すごい不思議ぃー」
と言うと、押し黙った。
「クランズマンとしての力もその体になって使えなくなったみたいだし、肉体的に完全に昔に戻ってるみたいだしさ、多分精神的にも子供になってるのかもね。記憶だけは19歳でも。まぁ、良かったんじゃない?こうやって、仲直りできるきっかけになったんなら。まぁ、始末書ものだけど」
伏見は嫌そうな顔をした。
「できたぞー」
マトンをはめた手でグラタン皿を持って、八田が声を上げた。
「おー…!ドリア?ドリアだ!毎度の事ながらサラダもおいしそう!」
ぱたぱたと食卓に向かう。
「食べたいって言ってたし、この前のハヤシライスで」
「さっすがー。………野菜食べなよ?」
伏見が卓上を見て顔を歪めたので、私は窺うように伏見の顔を見た。
「………嫌です…」
ぼそりと、しかしはっきりとした口調で言った。
「残したら、お尻ペンペンの刑」
「………訴えますよ…」
「上司命令!」
「職権乱用だ…」
文句を言いながら、箸でサラダをつんつんと弄る。
「ほら、その前に『いただきます』でしょ」
「…………いただきます…」
「いただきます」
二人きりの世界になど、伏見自身だってもう帰れはしない。伏見には伏見の世界がもうすでにあるのだから。それに彼は気付いているのだろうか。
(君の精神世界は、ちゃんと他の人とも繋がってるよ…)
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