ヤドリギ
「」
「はいな」
「このことは、内緒にしていてくれ」
周防尊は真っ白な病室でそう言った。彼の真っ赤な髪が妙に浮いて見えた。
「…………あの女の子にも?君が本当は生きてるって、…誰にも言わずにいろって?」
「ああ」
すっきりした顔をして、周防は頷いた。私は眉を顰めて彼の名を呼んだ。
「尊くん、」
「あ?」
「最低だと思う」
「知ってる」
ハっと笑って、周防は有無を言わさぬ目で私を見た。角は取れたようだが、反論を認めない態度は相変わらずだ。
「これからどうするの?」
「………そうだな。旅にでも出るか」
と、冗談にも取れる様子で彼がそう言ったのを聞いて、私は呆れ果てて文句も言えなかった。顔を手で覆って、私は空いたドアの向こうで佇む男に声を掛けた。
「だ、そうですが」
コツ、と靴を慣らして青い衣装に身を包んだ男が入ってきた。宗像礼司だ。彼は大学時代の後輩である。彼はその大学の最も偏差値の高い学部に最も高い点数で入った学生で、私はと言うと最も低い偏差値の学部に、恐らく最も低い点で入った学生だったので、同じ大学だと言うのが憚られる。
「まったく…以前にも増して傍若無人になりましたね」
「少し丸くなったみたいだけど…」
と、あまり意味のないフォローを入れたが、宗像は先ほどの私と同じように溜息を吐いた。つまりは呆れて物を言えない、ということだ。
「………我が儘度は寧ろ増したでしょう」
「うーん…」
反論できず、私は苦笑いを浮かべた。
これが二日前の話だ。
**
私、浜谷は今年で25歳になる。四捨五入で三十路に突入するのだと思うと、月日が流れる早さに畏れを抱く。
ふと空を仰ぐと、ビルとビルの間から小さな空が見える。ダモクレスの剣が落ちてから三日経った。あの日の光景が私の目の奥に残って、幻覚を見せる。首を振って剣の記憶を振り払う。
私は今、少し特殊ではあるが公務員という職に就いている。まさか小さな町で生まれた私が東京に出てきてこんな職に就くことになるとは。幼い頃の私は思ってもみなかっただろう。
だがある事件をきっかけに私の人生は大きく変わった。そう、小学校卒業の年、私は「普通」の生活を失った。
それまでは普通の、一般家庭の生まれで勉強も運動も並の優等生でもなければ問題児でもなく目立つでも目立たないでもないごく普通の子供だったはずなのだ。
一応付け加えると、すこしばかり普通でない部分もあった。私の前世が少々特殊だったことと、母方の実家が少々特殊な家柄だったことだ。しかしながら家を出ている母には全く関わりのない話だったので、勿論私にも関係のないものだったのだが。
だからあの事件がなければ、私は今頃一般企業でせかせかと働く女だったはずだ。
溜息を吐いて私は人の流れていくのをぼんやりと見た。今日はオフだったのに、家でのんびりしたかったのに、と心の中で愚痴を散々吐露して、私を待たせる小学校の時のクラスメイトをこれまた散々罵ってやった。
「悪い、遅れた」
「時間厳守」
「………悪い…ごめん」
「良いよ。別にそんなに待ってないし」
「おう…」
「それより、話って何?美咲くん」
同級生。19歳の彼と25歳の私が。その訳は話すと長い。簡潔に述べるならば「ある事件」の所為で八田美咲という男は、五年ほど植物状態となり、意識を取り戻しはしたが軽く浦島太郎状態だったというわけだ。その間私は彼の目を覚ます世話をしていた。
戸籍上は25歳成人男性のはずなのに、まだ幼さの残る彼の顔が酷く渋いものになった。言い出しにくいのだろう、何度も口をまごつかせては、言葉を発することができずに閉口した。
「とりあえず、どっか入ろう。私さぶい」
「う、あ…持ち合わせ無い…」
恐らく盛大に嫌な顔をしたのだろう、自分の顔なので見えないが。八田美咲はも申し訳なさそうな顔をした。
「ごめ」
「いいよ、今の君に余裕が在るとも思えないし。金銭的にも心的、身体的にも。ボロボロやね」
八田美咲は傷ついた顔をした。泣きそうに歪められた顔を見て、さすがに言い過ぎたと反省した。私は彼が嫌いなわけではない。遠慮がいらない相手だと思ってすこし言い過ぎるきらいがあるだけだ。
「言い過ぎた。ごめん。お詫びに奢るからどっか入ろう」
「お詫びとか…別に、本当のことだし…」
「寒いから、どっか入ろう。お腹も空いたし」
「………ありがと」
しおらしい態度だ。これがまさかあのヤタガラスとは思うまい。私と接するときはいつもこんな感じだ。その表情がさらに当時を思い出させて、私はとてつもなく嫌な気持ちになる。
**
「話って何じゃらほい。まぁ、大体の察しはつくけど」
今の彼に考えられることなど一つだ。コーヒーにミルクだけを入れ、乱暴に掻き混ぜながら、頭の中に浮かんだ-----
先のダモクレスダウン。
私の心にも深く痛みをもたらしたアレに、彼がどれほど気を揉まれているやら、想像に難くない。ここに出てくるのも大層の労力が要っただろう。言葉で言うのは簡単だが、本当に彼はボロボロなようだ。
「俺、最低だ」
唐突な切り出し方に返す言葉がなかった。とりあえず話を聞こうと、半開きになった口を閉じた。
「自分のことしか、考えられない…」
「そういうもんだと…思うけど…」
「けど…!」
がたんとイスを倒す勢いで立ち上がった。周りの人が何事かとこちらを見た。恥ずかしい。非難の目でじっと彼を見た。八田美咲は息を吐いて、席に着いた。
「悪ぃ…」
「いや…」
頼んだコーヒーに砂糖を二杯、ミルクを一杯入れ、八田はそれを口に含んだ。コトリとカップを置いて八田は再び口を開いた。
「俺、誰かに、依存してないと生きられねぇんだ…まぁ、も知ってるよな」
「まぁ…」
八田美咲は熱くなりやすい性格の割に以外と繊細だ。それを知っているのは私と、彼の義母である八田美幸と彼の亡き母であり、先ほどから話題に出ている事件の当事者クジョウ ミコトだけだろう。
もしかしたらもっと知っている人はいるのかもしれないが、八田が自身の性格に気付かれていると思っている人はざっとこの三人くらいだろう。
八田美咲の、実の母親、
赤い炎、熱、狂気の表情、甲高い声、痛み、
事件の光景がフラッシュバックした。私の普通の生活を奪った女。気持ちを落ち着かせようと、ブラックコーヒーをごくりと飲んで、息を吐いた。
「………尊くんのはまた違うだろ…」
「………やっぱ気付いてたんだな」
「まぁ…」
苦笑い。珍しいと思われがちだが、満面の笑みより私はこちらの方が馴染み深い。
「俺、ヤバいって思った。猿…猿比古…に…」
「いい。分かってるから。言わなくて良い」
八田は伏見猿比古に依存していた。しかしその二人だけの世界に八田は危機感を感じていた。あの日の事件は彼のそんな悪癖の所為で起こったことだからだ。
「お互い、依存してた。二人でいれば、それだけで良かった。けどさ、あの人は、母さんはそれで狂っちまったんだろ?俺のせいで、ああなったんだろ…?」
この親子は依存しあっていた。そして破滅へと歩んでいく。それを寸でのところで引き離したのが私だ。引き離してしまった、というのが正しい。
「だから、また、あんなことにならないように、おれは…」
彼の唇が戦慄いた。
「だから、美咲くんは尊くんに、依存のベクトルを変えた」
それが余計に伏見猿比古という男の執着心を大きくしたのだ。しかし八田はそのことには気付いていない。彼は伏見から離れればあの時のようなことを繰り返さないと、本気で思っている。
八田美咲はこくりと頷いた。
「美咲くんは、……どうしたいの?依存しないと生きられないのは、もう今更どうしようもない、よね…なら、戻す?ベクトルを、伏見猿比古くんに…」
私は画像の中でだけ見たことのある男の子に少し同情した。
「それは…」
「私に依存したら殺すぞ」
「………でもは俺に依存したりしないじゃん」
「まぁ…」
彼の母が存命だった頃、私は何とはなしに彼に言ったことがあった。「アンタの親子関係は、おかしいと思う」と。その私の言葉に対する返答は「これでいい」だった。
互いにどこへも行けないことを知っていて、それでもその被害は二人の間だけで起こるもの。だから良いのだということらしかった。
正直誰が見てもおかしい関係だった。私は巻き込まれたのだ。ただ家が近いという理由だけで。まったく迷惑な話である。お互いに依存し合って起きた事件。
だから八田は周防尊に依存しようと思った。周防は決して八田に依存しない。仲間だとは思っていただろうが、それ以上でもそれ以下でもない。周防にとって、八田の存在などその程度だっただろう。だから良かった。
「………どうしたら良いんだろうな…」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に向けた物でもない。自分に向けて放たれた言葉のようだった。
私は甘いケーキにフォークを突き立てた。もぐもぐと咀嚼しながら、私は八田の行動を振り返った。
疑問ばかりだ。
自分から離れたくせに、いざ離れていったら「裏切り者」と糾弾し、殺し合いという名の喧嘩。訳が分からない。これは私の主観的考察だが、八田はお互い依存し合わず、でも付かず離れずずっと一緒にいようね、などと思っていたのではないだろうか。相手にしてみれば勝手な話ではあるが。
そもそもじっくりと話をいていればこんなことにはならなかったんじゃ、と思うとげんなりした。
****
ごうごうと炎が吹き上げる。
ああ、これは夢だと思った。あのときの夢だ。何度も何度も見る。
八田を背負って逃げるとき、八田の母親の顔が、はっきりとした憎しみを湛えて私を見ていた。彼女の恐ろしい目が今でも脳裏に焼き付いて離れない。そのことは誰にも言ったことがない。
彼女がなぜそんな風に私を見ていたのか、そのことを理解したのはそれから大分経ってからのことだ。
はっと目が覚めた。ずきんずきんと目の奥が痛む。二日酔いだ。
昨晩八田と会い、散々愚痴を聞いた後、飲みに行こうという話になり、普段は悪酔いしない男が精神的にやられていたこともあって強烈に酔った。力の抜けた彼の体を支えて歩くことは困難で、しかも彼の実家はタクシーが入れるような場所になかったこともあり、私の家までタクシーで帰ってきた。
私を抱きしめて眠る男の熱を感じながら、私は溜息を吐いた。
-----夢見が悪いわけだ、
とぼんやりとする頭でそう思った。
お互い成熟した男女、同じベッドで眠るのはどうかと思ったが、結局こうなった。
こうも抱きしめられていては、容易に起きあがれない。私は外の寒さも相まって、起きあがろうとせずに、もう少しもう少しとベッドの中で微睡んでいた。その微睡みの中、昨晩の出来事を私は思い出していた。
「いやいやいやいや、ベッドはダメだろ」
と、でろんでろんになった男を床に落としつつそう一人呟いた。だが、12月ももう少しで終わるような時期だ。ソファではいくら毛布を掛けたところで風邪を引いてしまうだろう。それに今日一日外にいた彼をベッドに入れるのも正直嫌だった。シャワーなど浴びさせられるはずもなく、服を着替えさせる体力も残っていない。
最悪シーツや毛布は明日洗うとしても、最後まで成人した男女が同じベッドという違和感を拭いきれなかった。小学生の頃からの付き合いではないか、八田が私なんかに何をするというのだ、と必死に言い訳を考えた。私ももう25、結婚している身ではあるが今は訳あって別居中、少し期待しなくもない。どくりどくりと理性と本能の間で揺れ動く。時計はもう0時を示している。
「ん…」
八田の呻きに私は盛大に体をびくつかせる。
「みこ、とさ…猿…」
-----------ああ、こいつなら大丈夫だ………!
「あ、いやうんこのホモ野郎に何を期待してんだバカか私…ってか、こいつとはそういうアレじゃないし、ホント、酔ってるわ。ちょっと一人が寂しかっただけやしな…」
急激に熱が冷めた。自分自身もシャワーを浴びる気力を失い、私は八田をベッドに放り込み、その横に潜り込んだ。冷たいベッドが無性に腹立たしく、私は八田の足に自分の足を絡めて暖を取った。びくりと八田の体が揺れたが、起きる様子はない。これまで寝られるような精神状態でなかったのかも知れない。
そうして私も眠りに落ちた。回想終わり。
いい加減起きなければ、と思っていると、
「うわあぁぁ」
という奇声が隣、というには余りに近いところから聞こえた。
「な、ななな、え?」
私の体をしっかりとホールドしていた腕が離れた。恐らく寝ている間に温もりを求めて、くっついてきたのだろう。
「誤解してたらあれだから言うけど、……何も無いからね」
「お、ぅ」
と、八田は分かっているのかいないのか分からない調子で応えた。ベッドの上、並んで座っていると、嫌でも互いの熱を感じる。
「泥酔した君を運ぶのが面倒だったから、…君の家アパート二階だし…それに風邪を引いたらいけないと思って…」
「だからって男をベッドに入れるなよ…」
と八田は手で顔を覆った。
「私なんかに欲情したりしないでしょ。別に…その…そういう意味での魅力とか?無いし…そういう関係でも無いし…」
「そうやって自分を悪く言うのやめろよ。は魅力的だし、それに俺、となら…良いよ」
真っ直ぐに見つめる視線を真正面から受け止めてしまった。重ねられた手から熱が伝わる。反論するタイミングを逃し、気まずい間が空く。
八田を侮っていたわけではなかった。いくら華奢に見えても、その肉体にはしっかりと筋肉がついている。腕力では敵わない、男の体だ。それでもこうやって彼をベッドに入れたのは、本当に私なんかそういった意味で眼中に無いと思っていたし、本気で抵抗すれば無理強いをするような男ではないと確信していたからだ。ふと、彼の手が意思をもって私の手を握りしめた。
「美咲く…」
ジリリリリリ、とけたたましく時計のアラームが鳴った。
どちらからともなく手を離した。
「ごめん、でも美咲くんは絶対に私の嫌がること、しないって思ってるから…それに誰にでもしてる訳じゃないし…」
「お、う…俺の方こそ、悪ぃの俺なのに責めるみてぇなこと、悪かった」
「うん。気を付ける…………私、仕事あるから…まだゆっくり寝てて良いよ」
最近ちゃんと寝ていないようだし、眠れる環境ならば寝た方が良い。八田は頷くと同時に眠りについた。
**
私は八田を残して家を出た。鍵はポストに入れるようにメモを残した。
今日はどうしても外せない会議があったのだ。しかし完全に寝不足だ。それに二日酔いで頭が痛い。最悪のコンディション。溜め息を吐いて、コツコツと目的地に続く真っ直ぐな廊下を歩く。
学園島の件で、宗像が指揮官としての責務を放棄した(らしい)ことが問題となった。しかしあのときは一刻を争う状況であり、あの場所にいなかった者がとやかく言える立場にはない。それが分かっていながら、長引くであろう会議に参加するのは気が重かった。
ノックの後、すぅと息を吸った。古めかしいドアを開け、声を上げた。
「浜谷、参上しました!」
会議室には既に全員が集まっており、異様な空気を放っていた。嫌な汗が背に滲む。時計を確認するが、まだ予定時刻にはなっていない。
「まだ時間には余裕がありますよ」
と厳めしい表情の女議長が目で着席を促した。こくりと頷き、私は席に向かった。隣の席の男はにたりと笑い、私を挑発する。へこりと会釈すると、男はわざとらしく咳払いをした。まったく憂鬱だ。
**
「浜谷くんはどう思うかね」
こくりこくりと船を漕ぎ出したところで、隣の男が私に話を振った。わざとに違いない。大切な会議で寝そうになっていた私も悪いのだが。
「……どう、ですか…そうですね」
正直、全く話を聞いてなかった。すると心の中から声が聞こえた。普通の人間である私がこんな場所にいる理由である。
〈宗像の行動がどうであったかという話だ〉
まだそこで止まっているのか。
「宗像氏が、指揮官としての責務を放棄したというのは、事実だと思います。しかし…!」
数人の顔がにやけたのに気付き、私は語気を強めた。
「王に敵うのは王だけですから、あの一刻を争う場面では致し方なかった、と考えます。それに彼の指示が無くとも、動けるような組織に仕上がっています。あの場にいた全員が臨機応変に動いていた…はずです」
「しかし、場は混乱していたのでは?」
「第七王権者の能力が憑依だったことが原因です。あの場に宗像氏がいたとしても状況は変わりません」
周りは納得半分、宗像をどうにかして陥れたいと思う気持ち半分、といった風である。もう一押しといったところか。
「それと、確かこの会議は宗像氏が指揮官としての能力が十分でないがゆえ、彼の持つ特権をいくつか剥奪すべきとの話でしたよね」
「いかにも」
しゃがれた声がどこからともなく聞こえた。
「その特権を行使する際には責任が発生しますね」
今度は無言だ。
「その責任を彼以外の誰が負いますか」
決定的だった。押し黙ったまま、誰も口を開こうとしない。
「では、現状維持ということでよろしいでしょうか、ね」
満場一致。
よし、と心の中でガッツポーズをして、私は息を吐いた。
会議が終わり、私はとにかく自分のテリトリーに戻って気を休めたいと願った。そのとき、
「浜谷さん」
抑揚のない鈴の音のような声が聞こえた。振り向くと、そこにいたのは先ほどの会議の議事録を作成していた女だ。面長の顔、白い肌に底が見えない真っ暗な目、艶やかな黒髪をバレッタでまとめ上げている。名は上条政美。
彼女は私に端末を差し出した。私も彼女の端末に自分の端末をかざし、データを転送して貰った。
「すぐに報告に行かれるのでしょう。彼に資料が渡るときには、場の状況は殆ど省かれた形になっていると思います」
「ありがとう。助かります」
データの内容は、先ほどの会議を一言一句漏らさずに記録された会議録だ。
彼女は融通が利かず、自分の意志で内容を書き換えたりしない、中立の立場の人間である。それ故この機関で最も信頼の置ける人間だと、私は思っている。上層部と実働隊の間に齟齬があるのは、どこの機関も同じだろう。つまり私や宗像と、上層部の間には大きな軋轢がある。(と言っても、私に対しておおっぴらに敵意を表すことは少ない)何かを動かす力がないと侮っているのだ。私自身はそのことを否定しない。
宗像礼司にも報告書が手渡されるが、そのときには結果のみが書かれた書類になっているはずである。誰が彼に何を言ったのかということは彼には全く分からない。しかし敵は誰か知っておいた方が良い。だから私はこういった会議の際には、彼女にこうやって全記録が正しく記録された物のコピーを依頼している。情報管理の観点からすると、グレーゾーンどころか真っ黒だ。
上条と別れてから真っ直ぐに宗像の室長室にやってきた。ノックをするが応答はない。首を傾げ、もう一度ノックするがやはり返事はない。
「留守…」
宗像は忙しい身だ。今は特に学園島の処理に追われているに違いない。青い制服を着た彼らは嫌でも目に付く。食堂でゆったりと昼休みを満喫する私の傍らで、もの凄い勢いで食事を終わらせている。顔色は皆こぞって悪い。
一応セプター4も私の部署も同じ部署扱いであるが、業務内容は少し異なる。私の能力の特性上、セプター4の業務の手助けをすることはある。が、逆はあまり無い。それほど私の部署は特別な案件を扱う。が、規模は小さい。それに、しょっちゅう事件が転がっているような部署ではない故に彼らよりゆったりとした時間を過ごせる。
「何かご用ですか」
後ろを振り返ると、光が当たると青みがかる艶やかな黒髪の青年が立っていた。やる気のない瞳が面倒くさそうな色を映す。
「あ、はい…宗像室長は、…外出中ですかね…?」
「さぁ、いないんならそうでしょ」
「………そう、ですよね…」
チッと舌打ちが聞こえ、私はびくりと体を揺らした。
「あっれー?ちゃん?」
「友達か!」
道明寺アンディが明快な音色で私の名を呼んだ。それを秋山が肘で制する。
「良いよ。時々飲みに行ったり、遊んだり、友達だもんね」
「それ、なら良いんですけど…」
と言いつつ、秋山は「道明寺、執務中だぞ」と小声でたしなめた。私は彼らの上司相当の立場である。秋山の言い分の方が正しい。が、個人的な付き合いがあるので、私はあまり気にしない。
「伏見さん、この方は、セプター4の姉妹機関、とでも言うんでしょうか、その室長なんです。立場上、宗像室長と同等の権力をお持ちです」
伏見という名を聞き、目の前の男が八田の思い人だと気付いた。写真で見た彼とは印象が異なる。髪型が違うのもそうだが、雰囲気が違う。
「どうも、浜谷と申します」
ぺこっと、頭だけをぺこりと動かし、挨拶をした。
「……伏見猿比古…です」
「猿比古…」
「何ですか」
名前に何かあるのか、伏見は顔を歪めた。「猿」という文字から散々からかわれたのかもしれない。己の名を極端に嫌う八田のことを思い出しつつ、私は弁解のために口を開いた。
「いえ、似た名の神様がいたなぁ、と思いまして。猿田彦、って言うんですけどね。導きの神と言われてます。元々は太陽神だったのではないかとも言われているそうで。だからとても格好良い名だと…」
「………そうですか」
再びあからさまに舌打ちをされた。癖なのだろう。私は気にしないことに決めた。
「室長に用だったんですか?」
「はい」
「室長なら、浜谷さんの執務室に行くと仰ってましたよ」
「え、入れ違いかぁ…」
何の用だったのかと、私は首を傾げた。先ほどの会議の内容が気になったのかもしれない。
「私たちの部屋で待ってます?戻ってこられたらすぐに分かりますよ」
「……うーん、じゃあ、お言葉に甘えて」
こくりと頷くと、伏見がまた舌打ちした。どういうことなの?
「コーヒー飲む?それとも紅茶にします?」
ドアを開けながら、道明寺はそう聞いた。私は少しだけ悩んでコーヒーと答えた。
「じゃあ…コーヒーで」
「やめといた方が良いですよ」
「え?なんで?」
「激マズです」
秋山が呆れ顔で説明した。それを聞いて、道明寺が残念そうな顔をしたので、分かっていて聞いたらしかった。
「道明寺、くん?」
咎めるように彼の名を呼ぶと、道明寺は悪びれた風もなく、あっけらかんと応えた。
「いや、あれは一回経験しておくべきですって」
**
「うーん…やっぱマズい」
「あそこで、まぁ、コーヒー飲んでみるって言っちゃう辺り、ちゃんらしいですよね」
「そうかな…」
秋山に激マズと言わせたコーヒーは確かにまずかった。冷ましてからガブ飲みしようとコップを置いたところで、ドアが開いた。
「失礼します」
すらっとした長身、姿勢の良さは相変わらず。宗像礼司だった。
「すみません、先輩」
「宗像くん。良いよ」
申し訳なさそうに彼が私の元に来た。どうせ執務室に戻っても一人である。ならば相手されなくとも人がいるところにいた方が良い。
「上条さんが先輩が私の所に行ったはずだと教えてくれましてね」
「そう…あ、宗像くんはどういった用があったの?」
「ええ、先日のお礼に、と思いまして」
「わぁ!それ…限定の……」
持ち上げて見せた袋の中、超人気店の朝と昼二回に分けて販売される限定の豆大福だ。いつも長蛇の列で、買えた試しがない。
「食べますか?」
「うん!お茶お茶」
「分かりました。点てます」
「やっほー」
手を挙げて喜ぶと宗像は苦笑した。彼の方が一つ年下だ。
「あ、でもその前に…これ、会議録データ。上条ちゃんがくれたの」
「……………ありがとうございます」
データを転送すると、伏し目がちに礼を言った。ざっと記録に目を通す。彼の目が忙しなく言ったり来たり。
「…………先輩。この辺り、全く意見出してませんが…」
「わり、そこ寝てた」
「………私には貴女しか味方がいないんですから、しっかり反対意見を出して貰わないと…」
申し訳なさそうに文句を言ってから、少し寂しそうに微笑んだ。彼も好きで敵を作っているわけではないようだ。不器用な男、それが私の彼に対する印象だ。
「ごめんって。昨日大きな犬拾ってさ。寝不足なんだわ」
「……犬、ですか」
宗像はかすかに笑みを作った。犬、というのが本来の犬を差すものではないと察したらしかった。
「最初の方で………伏見くんのこと、出てますね…」
ぽつりと呟く。無言で頷き、私は言葉を発した。
「そりゃ…攻められるところは攻めないと。そこから大分長い間意味の無いやりとりが続くんだけど…」
「ですね。それにしても、…まるで模範解答みたいな反対意見ですね。伏見くんの話のところです」
「まぁ…言われるだろうことは反論考えていったから。あながち嘘でもない…みたいだけど」
「……周防にでも聞きましたか?」
「うん、抜ける際に折角力があるのにやってることはチンピラと同じ、って不満言ったらしい…し、なら大志抱いてます!って風にしたら、みんな納得するかなって」
勿論周防から聞いたのではなく、八田から聞いた情報である。
「そうですか……」
「いやぁ、それにしても《鳴神》がいてくれて良かったよ〜」
「まったく、貴女は…」
私はすかさず話題を変えた。全く内容を聞いていなかった私に助言してくれたのはその《鳴神》である。
《鳴神》、私の中に住まう神、神と言っても絶対神ではない。自然を司る八百万の神の一部だ。彼らは私の《精神世界》に居候している。その代わりに私に力を貸してくれる。
《精神世界》、普段人が意識・無意識と言っている領域のことだ。それは夢という形であったり、ふいの行動などに滲み出るような類の物だが、私にとっては違う。
見たり聞いたり触れられる存在だ。そして《精神世界》に干渉することによって、本人すら知らないその人の過去や記憶を引き出せる。勿論それだけではない。精神世界を壊すことで、私はその人を内側から殺せる。
この力共々鳴神は八田と関わるきっかけとなった事件のときまで私の中に封印されていた。そしてあの事件の時、やむを得ず私はその封印を解き放ち、力を得た。そのことによって私は普通の生活を手放してしまった。
とは言っても、この道を選択したのは私である。誰を責めることもできない。
「っ…」
ごぉと赤い炎が私の脳裏で閃く。周防の赤とは違う色。憎しみ染まった瞳がじっと私を見ている。フラッシュバック。
「先輩?」
「あ…ううん、なんでもない…」
頭を振って、私は宗像と目を合わせた。
「先輩、」
「はい?」
「伏見くんのことですが、」
◎ NEXT