年明け五日。
早いものである。正月休みはまだかと言っていたのが昨日のことのようだ。あっという間に休みはなくなり、今日から仕事始めなどと、考えたくない。それに最近の若者といった風の伏見猿比古が私は少し苦手である。八田の話を聞いていると、好きな人を虐めたくて堪らない小学生のようであるが、実際対峙してみると、私の苦手とする人種だった。正直若者恐い。

どうせ、「自分より仕事ができないくせにいばんなブス」とか思っているのだろう!と自虐的なことを思いながら、私は八田の見送りを受けるのである。

「ほい、コート」
「ありがとう」

腕を入れて、くるりと八田に背を向けると、八田がコートを着やすいように私の体に掛けてくれる。新妻を貰った旦那の気分だ。私は一度もしたことはないが。

「いってらっしゃい」
「いってきます。今日は、……多分早く帰ると思うけど、……」
「思うけど?」

八田が首を傾げる。

「いつもより疲れてると思うから、今日は甘いものが食べたいです」
「わかった。なんかデザート買ってくる」
「やったー」

両手を上げて喜ぶと、八田は苦笑い。

「お前の金だからな……」
「分かってるよ。じゃあ、行ってきます」

ドアを閉め、振り返らずにエレベータに向かう。
いつまでこんな生活が続くのか。いつになれば八田は元気に外に出られるのか。
一応買い物など必要最低限の用では外に出かける。しかし元々体を動かすのが好きな彼がそれ以外はじっと家にいるなんて、不健康極まりない。
私が外出好きなら彼を休みの度に外に連れ出すのだが、折角の休みは家でまったりしたい派の私には少し重労働だ。


**


今日は早めに来たはずだったが、すでに伏見が部屋の前で待っていた。

「あ、ごめん、待った?」
「いえ……」

急いで鍵を開ける。端末をかざし、静脈認証を行うと、鍵が開く。伏見のIDと静脈を登録しなければ。いくら明日辞める可能性があろうとも。そして、ふと私は違和感を感じた。

「あれ?舌打ち無い」
「……………給料減らされるの嫌なんで…」

そっぽを向いて、伏見はぶっきらぼうに答えた。しようとはしていたらしい。やはり待たされたことに少しご立腹らしい。

「ああ、覚えてたの」
「バカじゃないんで」
「………そう…」

気まずい。『猿比古と居ると、落ち着くんだ』などとよく言えたものだな、と八田を頭の中で散々罵倒した。

「これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」

無理だ、本当に無理。だからなんで敬語片言なの!私は敬いたくないってか!

「ここが、伏見くんのデスクです。あとー…書類はそっちの壁際のオフィスチェストの中にあります。後で全部チェックしといてください。分からないことがあれば言ってください」
「はい」
「あー…他に質問は…」
「追々聞いていきます」
「………そうですか…」
「今日の予定は…」
「今日は、予定入れてません。伏見くんの移動あるし…」
「そうですか」

本当に誰だよ、こいつが『根は優しい奴』なんて称したのは!八田だよ!


そう、それは昨日のことだ。

ーーーーー、飯ぃぃぃーーーーー」
「んー…」

祖母の家の手伝いをしていた私には正月休みなど無かった。なぜか、それは祖母の家が神社だからだ。

私は四日の昼頃までで良いと言われて、家に帰った。そしてそれから夕方まで睡眠を取った。
起きたのは、八田のやかましい呼び声によってだ。

「おはよう…」
「頭爆発してんだけど。つか、もう晩だし」

と苦笑された。寝相が悪いのは私が一番知っている。

「うーん…明日から伏見くんと仕事なんだが、気を付けることってある?」
「何だよ、気を付けることって…」

みそ汁を啜っていた八田が一瞬箸を止めてこちらを見た。

「だって、あの子ナイーブそうだし。キレたら恐そう」
「お前の方が恐ぇよ」

などと真顔で言われた。釈然としない。

「え、そう?私なんか優しい方だと思うよー?」
「うぅん…」
「………どういうことなの…」

答えを渋る八田に、私は愕然とした。八田は慌てて話題を変えた。

「……あー…あいつ、別にキレても恐くねぇよ。文句多いけど、結局いつも色々してくれるし…」
「へぇ〜…あと、神経質そう」
「そうかぁ?……別に、回し飲みとか普通にするぜ?」

そりゃあんたにだけだろ、と思ったが、そう信じているのなら、彼の株を落とす必要は無かろう。いや、寧ろ言って、彼は君のことを、君のことしか考えていないぞと、知らしめてやるべきか。

「あいつ、優しいよ」
「へぇ?」
「だから!その……あいつ根は優しい…奴だから……」

そっぽを向いて、ぽそぽそと言う八田の顔は赤い。それを見て、ついにやけてしまう。

「だからにやけんな!」
「恋する乙女だね」
「恋じゃねぇ!」
「愛か…」
「だから違う!」




いや、それは恋だ。恋は盲目、あばたもえくぼ!

荷物の移動を終え、今は乱雑になっている机をせっせと片づけしている伏見を見て、私は八田美咲の印象と私自身の印象との差異をどうしたものかと、悩んでいた。

「伏見くんって、あのヤタガラスとお友達だったんだってね」

無言で睨まれた。

「本当にアンタ仕事無いんですか」
「無いよ」

自分の机に頬杖を付いて彼の片づけを見守る私を、伏見は心底胡散臭そうな目で見た。最近、どいつもこいつも私の扱いがぞんざいだと思う。ぐれるぞ。

「伏見くんの監督。重要書類在るから、いじられたくないし。事務仕事は年末に終わらせたし」

舌打ち。癖は治らない。伏見はまずいという顔をした。

「相談者の前ではしないでね」
「………はい…」

私が19歳のとき、こんなにふてぶてしかっただろうか。父に対しては、こうだったかもしれない。でも舌打ちって…!

「普通手伝ったりしませんか」
「伏見くんって、他人に手出されるの嫌いそうだから。いや、手伝えって言うのなら私は手伝いますよ。暇だし」
「いえ、結構です」
「でしょー」

と言うと、伏見は舌打ちした。舌打ちした自分に嫌気が差したのか、伏見は眉を顰めた。

黙々と片づけるのをじっと見つめる私、あまりにも気まずい。唾を飲み込むことさえ躊躇われるほどの静けさだ。ふと八田の様子を思い出した。

『あいつ、元気にしてるか?』

自分で確かめたら?と言うと、近づくとすぐにバレるから嫌だ、と八田は言った。伏見猿比古は一体何者なのだ。美咲センサー敏感すぎてウケる。

正直、八田を甘やかすのはどうかと思う。しかし周防尊に向けていたベクトルの行き場など、伏見猿比古以外にあり得ない。元々は彼に向いていたものなのだから。とすれば今八田の支えは今目の前にいる男だけなのだ。
私は伏見猿比古の片づけ風景を端末で写真に撮った。勿論八田に送ってやるためだ。

「何ですか」
「いや、記念に」

一瞥して、彼は作業に戻った。

『伏見くん片づけ中ー』とメールを打って、手早く送信。

「伏見くんって、黙ってれば格好良いね。モテたでしょ」
「…………セクハラで訴えますよ」
「ははは。それは勘弁」

と言って時計を見ると、まだ1時間しか経っていない。

「この調子なら、午後から機材取りに行けるな…」
「機材?」
「うん。例の物件にねー…正月休みは…私も忙しいから、その代わりに高性能な温度計とか、映像記録とか撮って、それの解析」
「まず真っ先に取りに行くべきなんじゃねーのかよ…」

と伏見はぼそりと言った。敬語の抜けたそれらは、生憎私にも聞こえた。

「んー…そだねー…今気付いた」

と言うと、舌打ちで返された。


****


車を玄関先に停める。ちなみに車の免許はこの部署に入ってから取った。都会で車なんて居るのか、そもそも私は注意力が散漫だと自覚しているので、本当は取りたくなかったのだ。しかしそうも言っていられないので、渋々取った。

山内家は大きな日本家屋である。といっても特別古いわけではない。日本家屋風に作られた家だ。土台は鉄筋コンクリートというのだから、職人さんは凄い。築三年。この家を建てた山内氏の両親は、この家が完成する前に火事で亡くなったそうだ。だから彼にとってこの家は手放しがたいものだった。

「俺がここにいる意味ってあるんすか。これまで一人でやってたんでしょ。つーか、アンタも一から教えんの面倒…ですよね」

端正な顔をしているのにも関わらず、勿体ないくらいの猫背。それがまたやる気なさそうに見える。さらにしゃべり方もこれでは本当に職場を選ぶ人格だ。
その伏見は設置されている機材を無表情で眺めていた。

「まぁねー……宗像くんも、君が抜けるのは、かなりの痛手だって言ってた。道明寺くんがセプフォに戻ったのは、ストレインの事件が増えたからだし、それは今も変わらない。それでも、彼は君をこちらに寄越した。なんか考えあってのことらしい」
「考え?」

伏見が訝しげに私を見る。その視線を一瞥してから、私は答えた。

「私も知らない。でも、宗像くんはなんか私を過大評価してる節があって、……んしょ…」

と、5kgはあると思われる機材を抱える。全てを取り払うわけではない。明日は泊まり込もうと思っているので、不必要なものだけ仕舞うのだ。

「持ちますよ」
「そう、じゃあこれ、よろしく。乱暴に扱って壊れたら給料から引くから」

じと目で見ると、伏見は何かを言いたそうに口をまごつかせた。しかし不本意そうに同意した。

「…………………………………はい…」

伏見を見送ってから、私は次の部屋に入った。

「ふぅ…」

実はその部屋にある機材の方が重いのだが、伏見も言ったとおり、いつもは一人でしていることだ。

「積み終わりました………持ちます」

早い。男女で光も違うものなのか。私一人の時はとても苦労していつも運んでいるというのに。気合いを入れてぐっと持ち上げる。重い。

「大、丈夫……だ、よ!」
「いや、持ちますから。それ…前見えてないでしょ」

伏見は溜息を吐きながらも、私の手から機材を奪う。こういうところは優しいのかもしれない。

「……じゃあお言葉に甘えて…」

華奢な体格に似合わず、軽々と機材を運ぶ伏見の後ろを付いていく。実は脱いだら凄いのかもしれない。きっと腹は割れているだろう。ストレスからか、あまり食事を取らない八田ですら、しっかりとした筋肉が付いているのだ。私は自分のお腹を撫でて、腹筋しようかな、などと思った。私の裸もある意味で凄い。

「そういえば、この家って誰か住んでるんですか」
「え?なんで?」

玄関に近づいてきた頃、伏見はそんなことを聞いた。私は首を傾げた。

「…いや…さっき髪の長い女の人が二階にいたみたいで、」
「ばっか、それなら鍵なんて持って来ねぇよ」

伏見はぴしりと固まった。

「え…じゃあ…」
「……君、霊感ある方?」
「…………そうかもしれないです…」
「早く言ってよ。そういうことは…」

伏見は悔しそうにぐっと押し黙った。こいつは絶対に私を見下している。そんな私に弱味を見せたくないのか。

「はい」
「何ですか、これ」
「お守り。無いよりはマシだと思うから」

祖父母の神社のお守りだ。破魔神社という仰々しい名の神社だ。後々は私が継ぐことになっている。

「アンタは恐くないの?」

その質問には何の含みもなかった。

「普通には恐いけど…でも私の中には《鳴神》もいるし…一応神職だし」
「しんしょく……?」
「まぁ、今はこっち忙しくそれどころじゃないけど、一応うち神社なの。うちってか、…祖父母が。両親は普通の会社員だしね」

私自身は一般家庭で育っている。それに母は京都に出ていたから、あまり母方の実家に戻ると言うこともなく、疎遠だった。とはいっても仲が悪かったわけではない。

そして祖母は私の中に封印されていた能力を常々心配していた。あの日力を解放したとき、真っ先に私は祖母に電話したほどだ。

「除霊とかも祖母に学んだの。最初は本当に恐くてね。普通に生活してても、ちょっと疲れたときとか、ふと見えるときがあってね」
「除霊できるんなら…こんな面倒なことしなくてもさっさと祓えばいいんじゃないんすか」
「……基を絶たないと、何度も繰り返すから。一回ちゃんと除霊したんだよ。それでもこの有様。この家、何があるんだろうね」

伏見は不機嫌な顔で山内家を睨んでいた。だがその様はどこか不安げに見えた。

「……大丈夫。私から離れないでいれば、大丈夫」
「………どのくらいの距離で?」
「私の目の届く距離」

伏見は視線を逸らした。

「分かりました。気を付けます」
「うん」

素直に伏見は頷いた。可愛いところもあるな、と私は年下の男の子にそう思った。それにしても彼の見たという女性の霊、私の中でひどく引っかかっている。

「…………明日から泊まり込みOK?つか君一人暮らしよね」
「…………………………………………………………………そうですけど…」

長い間があった。部署移動の際に私は彼のプロフィールを一度全て見ているので、隠しても仕方がないと思ったのだろう。

「あはは。じゃあ一泊してみよう」
「…………嫌です」
「上司命令」
「……………分かり…ました…」

ふて腐れた顔をして、伏見はそれでも頷いた。


**


「はぁ〜…やっぱ運転手いると、滅茶苦茶楽だわ〜」

伏見は無言で眉を顰めた。

「………えっと、なんかごめんなさい…」
「別に…」

雑用扱いが気にくわなかったのだろうか。何が悪かったのか分からない。

「最近の若者のことって、私分かんなくて…」
「あんたも最近の若者でしょう」
「……うん、……まぁ…あ、でも宗像くんより一個上だよ!」

伏見は信じられない、という顔をした。失礼すぎる。私が子供っぽいということか、宗像が老けて見えるとうことか。いずれにせよ失礼極まりない。

「ほら、宗像くん、私のこと、『先輩』って呼ぶでしょ」
「……そうですね…」

もっとリアクションください、と私は心の中で落ち込んだ。空気が重い。車内は狭く、逃げ場がない。なぜこんなにもビクビクしなければならないのか…。

『緊急、緊急、ストレインが町中で暴れているとの報告有り、場所は…』

無線が入る。

「近いね」
「そうですね…」
「はぁ……ストレイン相手って、恐いんだよね…こちら浜谷。現場近く、2分で到着します。どうぞ」

文句を言いながらも、私は無線に応えた。伏見は無言で車をUターンさせた。

「あんた、戦えるんですか」
「………一応…」

不安げな顔をされた。確かにどこからどう見ても、戦えるような人間には見えないだろう。それは自分が一番知っている。学生時代、体育の成績はそれほど良くなかった。正直な話、戦闘はほとんど鳴神任せだし、そもそも戦闘になる前に、相手の精神世界に入り込んで、…まぁ、色々と世界を弄ったりなんかして、戦意を喪失させてしまう。

「あれですね」

静かな声音でそう呟かれた声に、顔を上げる。酷い騒ぎが起きている。相手の攻撃は見る限りだと重力を操るらしい。手が震える。大丈夫、大丈夫、と言い聞かせる。未だに慣れない。

「大丈夫ですか。なんなら車で待っててください」
「ううん、私が行く」
「けど、あんた…っ」

伏見の制止を聞かず、私はシートベルトを緩め、現場に走った。
組織のエンブレムを出し、警告する。しかし男に動じた様子はない。迫力がないのは私が一番知っている!

「青服か…いや、」
「そんなことはどうでも良いです。大人しく投降しなさい!」

声が震えてしまった。相手の男がにやりと顔を歪めた。

「あんの…」

伏見の焦り声が後ろから聞こえる。男がこちらに手を振りかざす。しかしその動きは途中で止まった。そしてどさりと体が地に着く。

精神世界に介入した。高ぶっている心から戦意を喪失させる。もうこれで男は立ち上がれない。それどころか自分がなぜこんな騒ぎを起こしたのかさえ今は分からないだろう。

「…………あなたは、もう動けない。……あなたは、もう、戦えない。そんな気も、しなくなった、ですよね…」

男は答えない。答えられないのだ。倒れ込んだまま、ぴくりとも動かない。ぎらぎらとした闘争心を持っていた男の目は、今は虚ろだ。惨い能力だと自分でも思う。勝ち目など絶対にない。
自分自身とても恐くなり、私は無意識に伏見の姿を探した。
見つけたは良いが、伏見は呆然と立ち尽くしている。その姿を見て、不安になった。やはりこの能力はずっと封印しておくべきだったのだ。

そうこうしているうちに、セプター4がなだれ込んできた。

「浜谷室長、お手を煩わせてしまい、誠に申し訳ありません!」

凛とした声で、淡島が私の前で姿勢を正す。こういった組織的なものが、私は苦手だ。

「淡島さん。いえ、これも私の仕事のうちですから…まぁ、確かに心臓バクバク言って、おしっこチビりそうでした…ははは…」
「……まったく、貴女という人は…」

と、淡島は優しい笑みを見せた。

「……ほんと、淡島さんとか見てると凄いなって、思う…」

淡島の表情が困ったような笑みになった。私の謙遜に、どう反応して良いか分からなかったようだ。ここはもう退散しよう、と私は早口で任せる旨を伝えた。

彼女は「はっ」と背筋を伸ばした。

「お願いします」

と恭しくお辞儀をして、私は車に戻った。まだ心臓が煩く波打っている。

「……ごめん、ちょっと、目瞑らせてね」
「……それは、構いませんが…」

伏見は先ほどよりゆっくりと車を発車させた。気を遣わせたのだろう。

「どうやったのか、が聞きたい?」

伏見の意識が、こちらに向いている気がしたのだ。運転中なので勿論視線は前を向いている。

「………はい…」

逡巡したが、肯定が返ってきた。

「隠してる訳じゃない。ただ、聞いて後悔するかもしれない…」
「構いません」

何の間も無く伏見が即答したので、私は逃げ場を失った。仕方ないと、私は口を開いた。

「人の精神に介入して戦意を喪失させたの」
「精神…」
「私は精神世界って言ってる」

無言だ。どう反応して良いのか迷っているのかもしてない。

「精神世界って言うのは、人の意識・無意識の領域のこと。心だっていう人もいる。だれしもがその世界を持ってる。そして、その世界はあらゆる人と繋がってる」

少し気持ちが落ち着いてきたので、目を開けて伏見の横顔を見た。ちらりとこちらに視線が向いたので、どきりとした。すぐに視線を逸らし、話を続ける。

「聞いたことあるかな。昔の人はね、夢に大切な人が出てくると、その人が自分のところにきてくれた、自分を強く思ってくれてる、って思ってたらしい。今では、願望充足じゃないかって説の方がみんな良く知ってて有力な説なのかな…」
「そう、ですね…」

伏見の肯定を聞いてから、こくりと私も頷いた。

「私はどちらもあると思う。精神世界は他者と繋がってる。だから行き来をしようと思えばできるだろうし。といった風に、普通の人が精神世界を意識するのは、寝てるときが主だけど、私は、起きた状態で人とリンクを張れるし、介入できる」

伏見はやはり無言だ。

「さっきのは、その精神世界に介入して、やる気とか、元気とか、戦意とかを全て喪失させた」
「それで、攻撃が止んだ…」
「そう…」

うん、と頷く。信号待ち。停車も発進も緩やかで、心地良い運転だ。ハンドルに手をかけたまま、伏見は口をまごつかせた。何だろうと伏見を凝視する。

「…………あの、その力を使えば、……人を思い通りに動かすことも…」
「だから後悔するって言った」

そのことを知れば、普通の人は離れていってしまう。このことを知っているのは、祖父母と宗像、周防、そして八田親子だけだ。

「…………今までにもそんなことを…」
「……まさか…犯人捕まえるときくらいだよ」
「………そうですか…」

ほっとするだろうかと思ったが、伏見は無反応だった。

「ストレイン、なんですか?」

私は少し驚いた。その空気を読み取ったのか、伏見がこちらをぶさくれた顔で見た。

「………なんすか…」
「いや、君が他人に興味を示すなんて、と思ってた。いやぁ、八田美咲以外に興味無いって聞いてたから」
「………どんな報告受けてたんですか…」

発車する。前を向いて、背もたれに体をもたれかける。

「報告っていうか…飲み会でさ、みんなに話聞いたときに」

伏見の顔が歪んだ。思わず笑ってしまった。すると伏見の眉にはさらに深い皺が刻み込まれた。

「怒ると恐いー、とか、絶対ゴミ虫って思われてるーとか、見下してるー、とか、あとなんだっけ、ああ、八田美咲以外は人だと思ってないとか、徹夜明けは悪魔だとか、色々だねー」
「………それ、本人に言っていいんすか…」

溜息混じりにそう言われ、私はまた笑ってしまった。

「えー、だって、影で言ってたら陰口やん?」
「まぁ…」
「でも、みんな君が好きなのよ。仕事はできるし、若いのに頑張ってるって、みんな褒めてたし。弟みたいで、色々と思うところがあるんだよ…」
「で、あんたの印象は?」
「反抗期の娘」

即答した。思春期で反抗期の娘、そんなイメージだ。ナイーブで繊細で扱いにくい。運転中だというのに、伏見はこちらを向いた。その顔があまりにもあんまりだったので、私は笑いを堪えることを止めた。

「その顔強烈だね。夢に出てきそう…」


****


奇妙な共同生活も慣れてしまえばどうということもない。食事も出てくるし、洗濯もしなくても良い。実家にいたときのようだ。晩ご飯は今日も旨い。塩鮭の塩加減が絶妙である。

「明日、泊まり込み勤務だから、18時に家出るからー…ご飯は食べていくけど、朝ご飯はいらない」
「おう……泊まりって猿と二人?」

八田が箸を口に銜えたまま、私を窺い見た。

「……そうだけど?」
「…………それって大丈夫なのか?」
「あれ、伏見くん信用無いー。それとも私の方の信用がないのか?ん?」

伏見なんて八田よりも安全牌だ。心配する必要はない。正直、八田美咲以外の人間が人間として認識されているかもあやしい。

「いや、……」

八田は、心ここにあらずといった風に応えた。
伏見の名を出すたびに、彼の表情は愁いを帯びたものになる。周防の名を出せば彼は未だにあの時の悲しみをもって涙するのだが。

恐らく八田にとって周防は光、伏見は空気だ。光は仰ぎ見ないといけない。手を伸ばし続ける。
空気はあって当たり前。八田にとって伏見猿比古とはそんな存在なのだろう。

「美咲くんは、ずっと酸欠状態だね」
「はぁ?」

無理にくっつける必要はない、私がそこまでしてやる義理はない、そう思っていた。だがいい加減面倒になってきたのも事実だ。

「さぁ、どうすっかなー」

八田は私の独り言に首を傾げていた。


**


その日、伏見はいつにもない爽やかな朝を迎えていた。

「…………これの、おかげ……ってこたぁねぇよな…」

と、伏見はお守りを凝視した。



今日は伏見が時間より早く来ることが分かっているので、彼には少し遅めの時間を伝えた。日が落ちると、寒さが身に滲みる。ぐるぐるに巻かれたマフラーを口元まで上げて縮こまる。ニットの帽子も被っているので、どこの雪国から来たのだ、というような出で立ちである。
しばらくすると、伏見が小ぶりのエナメルバッグを持って表れた。息は白い。

「こんばん……は…」
「どうかしました?」

すぐに異変に気付いた。

「あー…」

私は伏見のズボンのポケットに入っているらしい昨日渡したお守りを引っ張り出した。

「ちょっ…急になんですか。ポケット勝手にまさぐるなんて本当に訴えますよ」
「………君、今日顔色良いね」
「………今までにないくらいの快眠だったんですよ…」

私はお守りを開いた。中に入っているのは退魔の印が描かれた紙だ。その紙は少し破れていた。

「何ですか」
「どうして今まで平気だったんだろう…不思議だ…」

一日でこの有様。
分かりやすく言うと、彼は常に霊の存在を敏感に感じ取っている。もちろん無意識にだろうが、普通人間はそういったものには鈍感であり、だからこそ生きていられる。一日で退魔の札をここまでボロボロにするなんて、今まで体に影響が無かったのが不思議だ。

そこで八田美咲の顔を思い出した。彼はそういった類のものを寄せ付けない体質なので、その力が伏見にも少なからず流れていたのだろう。

このような体質は性格にも影響を及ぼす。私から見た八田美咲は伏見に勝るとも劣らない陰湿さだが、それは単に彼の境遇が体質以上に不遇なものだったからで、本来彼は快活な性格なはずだ。吠舞羅ではそういった気質から、ムードメーカーでもあったようだし、それは確かだろう。

昨晩は無理にくっつける必要はない等と思っていたが、お互いの精神衛生的に彼らは一緒にいた方が良い。絶対に。

「絶対に私から離れないでね。絶対にだよ」

と言うと、伏見は無言で頷いた。私の様子が茶化すようなものではなかったからだろう。

だが新たなお守りは渡してやらない。ここまで引き付ける体質なら、私以上に情報を掴んでくれるはずである。だから今日はあえて何もしない。
ごめんよと伏見に謝り、そして危ないときは絶対に助ける、と決意を新たにした。

家につくと、真っ先に暖房を付けた。コタツの電源を入れ、中に入る。用意したミカンをコタツの上に転がした。和歌山のブランドのみかんだ。甘みと酸味が絶妙で、一人では食べきれないと分かって居つつ、箱買いしてしまう。もう止められない止まらない。


「やっぱり、昼は何にもないんですか?夜にするってことは…」

コタツに入ってミカンを食べていると伏見がそんなことを聞いてきた。伏見は神経質にミカンの白い筋を取っていた。

「昼間って他のことに集中してるから気付いてないだけだと思う」
「アンタは昼間見たことあるんですか」
「………歩いてて?無い。前も言ったけど、疲れて眠りにはいるかはいらないかってときには見える…けど…私元々霊感無いもん」
「え…」

伏見が私を凝視した。

「ある事件である能力を手にしたときに付属品みたいに付いてきたものだから、見ようと思わないと見えんのんよ……………そんなに不安そうな顔しないでよ…」

と言った途端に、家が軋んだ。ラップ音だ。こんなに早く反応が表れるなんて。霊は部外者を嫌う。

「…っ」

伏見の顔が一瞬で真っ青になった。あまりに驚くので、怖がるタイミングを逃した。本当は私だって恐い。

「ホットミルク作って来たるわ」

そう言って残りのミカンを口に放り込み、コタツを出ようとしたが、それはできなかった。必死に彼が私の腕を掴む。ふるふると頭を振る。

「…………トイレは一人で行かなきゃだめなんだよ?」

伏見はぐぅ、と押し黙った。

「…………もし尿意をもよおしたら外出てしておいで…」

霊感連の苦情はこの家にのみ起こっているらしいので、外なら安全だ。

「……………外真っ暗じゃないですか…」
「わかった、付いていってあげる」

本当に恐いらしい。いや、確かに恐い。なぜなら絶対に出ることが分かっているからだ。肝試しや普通の夜勤ではない。確実に出るのだ。

「…………よくこんな仕事続けてられるな…」

と伏見がぼそりと呟いた。

「まぁ、」

得体の知れないものは恐いものだ。だが私は知識と経験がある。自分自身の体の中にも科学では証明できないモノが住み着いているのだから、私にとって霊の類のモノは訳の分からないものではない。彼よりは冷静でいられる。
とは言っても、やはり一人きりでこの任務に就いていると本当に心細い。

「もう今日は寝ようか」
「寝れません…」
「…………あー…うーん、とりあえず布団に入ろうか」

掛け布団を上げると、伏見は渋々布団にもぐった。私はそんな伏見を見下ろして、口を開く。

「そういえば、伏見くんさ、」
「はい?」
「第七王権者の能力、何だったか知ってる?」
「………いえ…」

口ごもる。あのとき、彼らには何も伝えられていなかった。それに、伏見自身がそんなことはどうでも良かっただろう。部下そっちのけで八田と戦っていたと聞いている。

「王にさえ干渉できる力。彼の見た目は管狐のようだったと聞いている。まぁ、精神体のようなものでね」
「はぁ…」
「霊も、似たようなモノだよ。セプフォとうちが明確に区別されていないのはそういったことなの。つまり、ドレスデン石盤関連のことも、怪奇現象も、大した違いはないってこと」

何が言いたいのか分からない、と言う風に伏見は私を仰ぎ見た。

「あんまりにも怖がってるからさ。本当に恐いのは、そんな得体の知れないモノじゃない。私はそんなものより、よっぽど人間の方が恐いよ」
「いや、実際実害出てるじゃないですか。人なら対処できますけど」

と言って、伏見は私の首を見た。霊に絞められた痕は既に消えた。しかしまだ違和感の残る首を、私は撫でた。これは情報収集するためにわざと振り払わずに受け入れたのである。私はあまり才能が無いらしく、情報を引き出す前に勝手に彼らが逃げてしまう。
その点、伏見はなかなか見込のある青年らしい。本人にとっては迷惑極まりないだろうが。だから彼には早々に寝て貰い、私は少し離れたところから観察したい。

だが彼は一筋縄ではいかない。プライドの強い伏見がトイレも付き合ってくれと言うのだ。起きている間は私から絶対に離れないだろう。仕方がないので、強硬手段に出ようと思う。伏見を強制的に眠りに誘う。精神世界に干渉して、夢の世界に引きずり込む。無防備な人間を相手にするのは至極簡単だ。

伏見の精神世界の扉を開く。一応布団を被っただけの伏見は、眼鏡を外さずにいる。よっぽど恐いらしい。そんな伏見を見ていると、セプフォの連中が本当に変わり者の集団だと気付く。ここまで怖がった人物は今まで居なかった。榎本は少し怖がっていたかもしれないが、道明寺のはしゃぎようといったら…霊が逃げていくような始末だった。廃墟マニア恐るべし…。

ふぅと溜息を吐いて、私は本格的に彼を眠りに誘う。瞼が重くなってきている。目を擦るが眠気に抗えない。しばらくすると眠りに落ちた。

《大丈夫か?》
「大丈夫。もしマジでヤバかったら、助けに入るし」

鳴神だ。他にも私の中にいるが、よく話しかけてくるのは彼だけだ。いつも色々私を助けてくれる。それは助言であったり、力であったり。

「それに、早く終わらせたいしね。私だってできればこんな所に居たくないんだよ」
《そりゃそうか…》

私の中に住まう鳴神は、その名の通り雷神様だ。電気信号を使って、私の体を動かしてくれる。私が普通の女でありながら戦闘に参加できるのは、彼のおかげなのである。正直、突然この力を失ったらと思うと、不安で仕方がない。吠舞羅の人々は、今どのような気持ちで居るのだろうか。以前なら歯牙にも掛けない連中が自分の驚異になる。考えたくないモノである。一度手にしたモノを手放すのは、とてもたいへんだ。

私はもう一度溜息を吐いて、伏見から離れた。伏見の近くにひいていた布団を彼から離したところに移動させ、布団に潜り込んだ。

、そういえば今回はいつもと違うんだな》

突然鳴神はそう言った。私が応え倦ねていると、鳴神が再び口を開いた。

《いつもは、調査に調査を重ねてから、……原因を掴んで、こんな無茶な、調査員を危険に晒すようなことしない》

普段はもっと周りから攻めていくような調査の仕方をするのだが、今回は少し気になることがあったので、すぐにでも現地で彼に協力して貰おうと思ったのだ。

「……うーん…山内さんの話によると、血縁者だけが被害に遭ってるらしいじゃん?」
《みたいだな》
「でも、私は被害にあったわけで、それに……あの例の髪の長い女性、………伏見くんが見たって言うから気になったの」
《確かに……山内さんによると、血縁者しかその女は見ていないって話だったからな……》
「だから彼に調査に参加して貰って、色々と探りたいところ」

今のところ分かっているのは、被害が徹底して山内氏の血縁者だということだけだ。工事に参加した工事員は勿論、彼の友人、親戚だが血の繋がっていない者、それらの人々は全く被害にあっていないというのだから、不思議だ。

「………私も少し寝ようかな…」
《何かがあったらすぐ起こす》
「うん、ありがと」





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