今日という日に
彼女とは幼馴染である。年は彼女の方が二つ上だったが、家が近くて、小学校は同じで、中学も同じ、親同士も仲が良くて、そして、そして、そして
上げればキリがないくらい幼馴染要素を持った二人。親には将来は結婚かしらねぇ、なんて言われて、それが、本当にそうであればいいと思い始めたのはいつだっただろう。
「さとちゃん、」
「んー?」
彼女は今何故か家に居る。滅多にうちには来ない、というよりも、今まで絶対に来なかった。今日までは。寮を出て、一人暮らしを始めたのは、20も半ば、二人は立派な男と女。
それが、今日は家にいて、何か普通に寛いでいる。そして、いつものように、さとちゃんと俺のことを呼ぶ。
この年になって、「さとちゃん」と呼ばれることにはかなりの抵抗があるのだが、今更違う名で呼ばれるのも気持ちが悪いということで、結局こう呼ばれている。だが、外で会った時、特にチームメイトが居る時は聡くんって呼んでくれてもいいと思う。
というのは、余談だが。
「私って、完全に行き遅れだよね」
猫舌の彼女は、少し温めに作ったコーヒーに砂糖を一杯半入れて、ぐるぐると掻き雑ぜ、そして、恐る恐るそれを口に含んだ。
その様子をじっと見ていると、彼女は「温いよ。」と文句を言って、カップを机に置いた。
「うん…」
その返事が、彼女の言葉に対する返事だったのか、コーヒーの文句に対する答えだったのか、自分自身分からないまま、俺はそれっきり黙り込んでしまった。
いつもなら、適当なことを適当にアドバイスしてやれるのに、今はなんと言っていいのか、皆目見当もつかない。
「コーヒーは冷めると味が落ちるんだよ」
「あー、うん。今度から気をつける」
俺がしてやれるのは、きっと良い男を紹介してやることだけだ。だが、俺の紹介できる男なんて限られている。チームメイトも、元チームメイトも、気まずいことこの上ないのだから。
「それでね、私、自分の好みについて本気出して考えてみたの」
「へぇ…」
「素っ気無いよ、もっとちゃんと聞けよ」
温いと文句を言ったコーヒーをぐびぐびと飲みほして、彼女は乱暴にカップを持った手で俺を指差した。
「聞いてるよ」
そう言うと同時、彼女は再び喋りだした。
「年は自分より上で、うぅん…」
気まずいといいながらも考えているのは、現在のチームメイト達の顔。年上というと、緑川さんか、監督、ギリギリで後藤GM。
「あんまりペラペラ喋る人は好きじゃないなぁ」
それ、はあの人たちなら大丈夫だよな。あんまり喋るイメージ無い、し。
「安定した職を持ってる人」
だめだ、今ので全員が消えた。安定なんて、そもそもチームの存続も危ういのに。
「意外と、誰でも良い感じだね」
「あーそだね」
自分から言い出したのに、適当な返事をする彼女に少しだけ苛立った。これは多分嫉妬だ。何故自分がこんな恋愛相談を聞かなければならないのか。
「でもね、良く考えたら私、好きな人がいることに気付いたの」
「いや、最初に気付くべきだったと思うけど」
「うん、だよね」
彼女が好きな男は、きっと、俺が出会ったことも無いくらいハイスペックな男に違いない、俺は彼女の話を聞いていてそう思った。いや、そうであって欲しかった。彼女の幸せを願うから?違う。凄い男であったなら諦めがつくからだ。この人になら負けても仕方ないと。
「どんな人なの?」
なんで、そんなこと聞いてるんだ、そう頭の中でどこか冷静な俺が悪態をついた。でも、口は思考回路を介さずに、勝手に動く。
「俺の知ってる人?」
「格好良い?」
「何してる人なの?」
ぽんぽんと、聞いて傷つくだろう結末を予想しながらも、そんな言葉たちが口からついて出た。それをじっと聞いていた目の前の彼女は、少しの沈黙の後、口を開いた。
「それがさ、全く好みと正反対なんだよね。いやぁ、まいったまいった」
「全く?」
「そう、全く逆」
全く、逆。
年下で、
よく喋って、
不安定な職についてる人、
少しだけ期待してしまった。ほんの少しだけ。自分に凄くその項目が当てはまっているような気がした。
「へぇ…」
少し浮ついた声が、空気に霧散していった。この気持ちに彼女は気付いただろうか、気付いても、知らないフリをしてくれているのだろうか。
「その人さぁ、そろそろ仕事、辞めなきゃいけない年なのかなぁ、とかちょっと心配しちゃう」
「う、ん……」
妙な沈黙があった。いつもは沈黙しても気まずい空気にはならないのに、今日は違った。初対面の二人が二人きりの空間に居るみたいに、そわそわしたような空気が、部屋に立ち込めていた。
その空気に居た堪れなくなって、俺はすっかり冷めてしまったコーヒーをゆっくり、ゆっくりと飲み込んでいった。
「ねぇ、」
ぴたりとカップを持った手が止まった。そっと口を離して、カップを静かに机に置いた。
「なに?」
「聡くんさぁ、」
ドキリと心臓が跳ねた。聡くん、だなんて、初めて聞いた。初めて、聞いた。
「私を貰ってくれませんか?」
◎