「すまん、聞こえなかった」
「だから、今回の遠征は我々だけで行くと申しております」
アレクセイは約束通り資料を取りに執務室に来た。
部屋に入ってきた途端にこれだ。
「いや、私の体のことなら心配ご無用だよ、アレクセイ」
「そうではありません」
「じゃあ何、私が居ると何かまずいのかな」
「いえ、」
だん、と机に拳を叩きつけた。流石にアレクセイも身を怯ませた。私が怒りを顕にすることは殆どない。ましてや、彼に向かうことなど初めての筈だ。
「適材適所です」
冷や汗をかいている。だが優しくしてやれそうにない。
「私では、評議会の者は御せません。貴方は内政に向いている」
向いているわけがない。化かし合いは嫌いだ。どれほどのストレスか。
納得がいかない。私が抜ければかなりの戦力ダウンだ。彼はそれを分かっていて言っている。
「アレクセイ」
咎めるように語気を強める。
「私が、嫌なのです」
「嫌?君が?」
「はい、貴方の体は一つです、…それでも貴方は、皆を守ろうとする。そして溢した命を、嘆くでしょう」
カッと頭に血が上る。
「ここに居たって同じだ。帰って来なかった者がいれば、同じことだ!」
「少なくとも、貴方のせいではなくなります!」
「私が君のせいにするって?バカにしてんのか!」
むしゃくしゃして机の上を払った。書類やペンがばらばらと落ちる。それを気にしている余裕は無い。
「してません!」
「私にはそう聞こえたぞ!」
「私のせいでなくとも、責任の所在がバラけます」
「それで有耶無耶にしろって!?」
「そうです」
私は立ち上がってアレクセイに歩み寄った。その勢いのまま横っ面に拳を叩き込んだ。
「う、」
「納得できない」
倒れ込んだアレクセイに手を差し伸べた。素直に手を出したので、起き上がらせた。それなりに思いきり殴ったので、手加減はしたが、腫れてくるだろう。
「どうせ、皆と結託してんだろう、私には覆せないんだろ」
握った手が震える。
「はい、説得が出来なければ、私が彼らに…怒られてしまいます」
アレクセイ一人で決められることではない。皆の気持ち、と聞けば蔑ろにもできない。
「…分かった。君たちの…想いを、尊重しよう」
断腸の思いとは、この事だ。思わず声が震える。情けなくて背を向ける。
「有り難う御座います」
アレクセイが深々と頭を下げたのが、気配でわかった。
「様」
「今度はなに…」
振り向き様に拳が迫る。あ、これ避けたらダメなやつ。咄嗟に動こうとした体をぎゅっとそこに留めた。そして衝撃。
「って、」
ふらとよろめき、床とご対面しそうになる。ところを腕を引かれた。
「一発は一発ですから」
「君、…不敬罪だぞ」
まだ頭が浮遊している。緻密に再現された脳みそが揺れた。絞り出すようにしか声を出せなかった。
「訴えますか、切り捨てますか」
「……しないって分かってて言ってるところがムカつくな…滅茶苦茶しやがって、……こっちは十分に手加減したってのに」
「避ければ良かったでしょう。避けることを想定して打ったのですが」
「避けられるか!」
「はい」
なんで嬉しそうなんだ。傷は治せるが。いや、湿布でも貼ってそのままにしておこう。腫れるだけ腫らしておけば良い。
「手当てはしてやる」
「有難うございます」
「ケーキ、奢れよな」
「お安いご用ですよ」
コンコンと、控えめにノックされた。
どうぞと言うと、キャナリが入ってきた。イエガーに言伝を頼んでいたのだ。
「失礼いたし!…ます…」
尻すぼみになっていく。敬礼もどこか不安げだ。
私たちの頬が腫れているのに気づいたのだろう。もしかしたら内容も聞こえたのかもしれない。静かになった所で入ってきたのだろうが。
散らばった書類やらを横目でちらり、所在なさげにポツリと立ちすくんでいる。
「持ってきてくれたの?」
「は、はい!」
背筋を伸ばして、彼女は声を張った。
「まぁ、緊張しないで。取って食ったりしないから。変なところを見せちゃったね」
「はっ、い、いえ、」
固いなぁ。
「何か始めるのですか?」
「まぁね、」
アレクセイが、きっと睨み付ける。
「遠征終わったらね」
慌てて弁明する。
「日報だよ。その日あったことを書き出してね、字の練習にもなるし。それを小隊のグループ毎に確認させるの。そこから小隊長に上げてもらって、こっちにも回してもらう。評価にもなるし、問題点も見えてくるかも、って思ってね。……手間かな」
「いえ、グループごとなら問題ないでしょう」
先程までのやりとりが嘘のように、アレクセイは淡々と述べる。切替の早い奴だ。
「この間、新しい小隊の話をしただろう」
「ええ、新人から選出するという話でしたね」
「その小隊にやってもらおうと思ってるよ」
「なるほど、」
新しい小隊、それも新人ばかりとなると、目が行き届かないこともある。そのための物だ。そのことにアレクセイも気付いたのだろう。
うちの隊は小隊を更に少人数のグループに分けている。基本は4人だ。さらに遠征などではツーマンセルが最小単位になる。
「で、君に来てもらったんだ」
「はっ!」
「…固いなぁ…まぁ、良いか。もし小隊を任せたいって言ったら、引き受けてくれるかな」
「……勿論であります!」
「そう、ありがとう。まぁ、5グループの小規模小隊だけどね」
キャナリの表情が明るくなる。頬が赤い。似たモノ同士だなと、先ほど別れたばかりのイエガーの顔を思い出した。
「……じゃあ生きて帰ってきてね」
「はい!有難うございます!」
「以上だよ。訓練頑張ってね」
入って生きた時とは違い、元気よく失礼致します!と出ていった。
「何を言おうとしたんですか」
「バレた?」
「ええ、変な間がありましたから」
「……副官は自分で決めて良いよと言おうと思って、でも止めた」
「そうですね、私もそうしたでしょう」
「うん、」
帰ってこられるか分からないのに、それを言うのは酷だろう。
「あ、そうだ」
「はい?」
「これ、訓練の中に入れておいて。今度の遠征には必須だから」
数枚の資料をアレクセイに渡す。
インクを足しておかないと。最近は減りが早い。騎士団の備品を使っても良いのだが、値が高い。発色が良く、確かに良いものなのだが、別に隊内の書類は粗悪品でも構わない。あとでマーケットに買いに行こうか。
「……これは…正気ですか」
アレクセイは息を呑んだ。
「ダメかな」
「いえ、…理に叶っていると、」
資料を捲り、手早く概要を把握する。
「貴族の間でも今人気らしい」
「……これを彼らにさせるのですか」
「まぁ、皇帝陛下に話したら良いんじゃないか、って言ってたよ」
「そうですか…それなら…」
尚も了承しがたいという雰囲気が消えない。
「うん。騎士団長に言ったら、口先だけで「苦労を掛けるな」だって。何もしてくれやしないんだけどね」
アレクセイは苦笑した。いつものことだ。気には掛けてくれるが、それだけだ。何かをしてくれた試しはない。
皇帝と騎士団長の許可が出たならと、アレクセイも納得したようだ。
「分からないところはある?」
ぺら、ぺらと更に読み込んでいく。
「いえ、これだけ丁寧な説明があれば、できそうです」
「そう、良かった」
「遠征まで時間がありませんから、直ぐに皆に周知します」
「お願いね」
遠征の準備が着々と進んでいく。もう一月無いのだ。
「馬の方の手配は、ハインデンがしてくれるそうだ」
「荷車は…」
「この前のパーティで粗方頼まれてくれたよ」
「……有難うございます」
「私の仕事だからね」
「……出来るからといって、得意でないということくらいは分かります」
「そうだね」
社交界のことだ。
能力はこのカラダになってからの経験や知識でどうにかなる。戦闘も商売も人付き合いも、トップに立って人を動かすことも。
それでも苦手なものは苦手。それは私の性格上仕方の無いことだ。
「じゃあ、まぁ、よろしく」
「はい」
今回の訓練。魔物の解体だ。
生き物を殺し、捌いて食う。人間の営みの中でずっと行われてきたことだ。
持っていける物資は限られている。それならば、現地調達できるものはしなければ。
問題は食肉関係はどの世界でも敬遠されるということ。この世界でもそうだ。
それを貴族の子息にさせるのか、ということである。うちの隊は平民が多いので分担させても良いのだが。
キャナリ辺りから苦情が出るだろう。特別扱いが嫌いな子だから。
何事も無ければ良いが。
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