甘い時間なんてあっという間に去っていく。
遂にやってきてしまった。新人研修の遠征。呆気なかった。挨拶をして、エールを送って、見送ってしまえば、この件に関してすることはない。

「行ったのか」
「え、ええ」

後ろから声がした。物思いに耽っていたので気が付かなかった。
敬礼をした方が良かったろうか。いや、相手は私服だ。

「休暇中ですか?わざわざお出でにならなくとも」
「そう寂しいことを言うな」

多分違うのだ。最近彼がよく出掛けているのを見る。たまたま通りかかったのだろう。しかしこういうことにしておけば、波風は立たない。相手も相手で、わざわざ訂正しない。あたかも本当にそうなのだという体でいる。

「私は仕事がありますので、これで…」
「ああ、頼んだぞ」
「はっ、」

自分で言うのもなんだが、綺麗な敬礼をし、見送る。
茶番だ。顔を緩めようとしたとき、彼は振り返った。どきりとする。

「ルーベンスくん、」
「はい」
「陛下が君に会ったら来るように伝えてくれと」
「承知いたしました」

普通は雑談よりもそれが先だろう。勅命を蔑ろにし過ぎではないか。思わず顔を顰めそうになった。言っても詮無きことだ。だからといって、何も感じないようになるわけではない。

「では失礼します」

今度はお手本のようなお辞儀をして、踵を返す。
早足で陛下の御前に向かう。今の時間なら玉座には居ないだろう。視察は入っていないし、ならば執務室か。
ピタリと立ち止まった。周りに誰もいないのを確認して、大きくため息を吐いた。こんな心持で出向いては、心配を掛けてしまう。少し気持ちを落ち着かせよう。

私が今じたばたしても仕方がない。騎士団長も評議会の一端。そして評議会は特に皇帝を崇めているわけではない。やるせない気持ちになる。
私は皇帝陛下だから、彼を敬っているわけではない。この国の未来を憂いている彼の存在は、私にとってはある意味救いなのだ。
中枢の貴族達の中に在るのは魔窟に居るようなもので、私の神経を削る。仕事ができないとか、仕事をしないとか、そういうことではない。ただ覇権争いが厳しいだけ。それも派閥による判定なので、優秀だから上に上がれるでもないのが問題だ。
身動きが取れないのは、私も彼も同じ。意見があっても通らない。彼とはそんな同志なのだ。

「あら、どうしましたの?」
「ジゼル嬢…」

この騎士団のアイドルだ。剣を持たなければ、ただの美しく可愛い令嬢。うちの隊のクリントが彼女のことを騎士団のマドンナだと騒いでいたのが懐かしい。そんな彼も手練れの一人で、遠征に行ってしまった。

「顔色が優れませんわ」
「ああ、…この国の未来を、憂いていたところだよ」

ジゼルは目を伏せた。まるで絵画のような美しさだ。

「近頃、古い家の者たちが、また一段と好き勝手しておられるように思います…」
「……そうだね、」

ジゼルの家はまだ新参者の部類だ。商売をしている家柄で、その功績が認められたようである。
古参からすると、商売などけしからん、ということらしい。働かず優雅が貴族か、民を率いるのが貴族たる者の務めか。という二派に分かれているようだ。私としては、この厳しい世界で優雅なんて言っている能天気を殴ってやりたいところだ。

「老害ですわ」

低い声できっぱりと言い切った。「あの古狸どもめ」と憎々しげだ。
唐突な変化に肝が冷える。彼女が剣を持つと人柄が変わるというのは有名な話だが、今は何も持っていない。思わず手元を確認した。何も握っていない。
彼女の地雷を踏んだらしい。

「まぁ、否定はしないけどね…」

私自身、身をもって経験しているので、彼女の言い分はよく分かる。どれだけ法案を提出してもあの貴族共に跳ね除けられるのだ。少しずつでも実行可能なものをレポートにまとめているが、彼らは全く読むこともしない。あの手この手でこれまでの知識を総動員した最高傑作たちだったのに。という個人の恨み言はともかく、彼らは現状が良いのだ。どれだけ正論をぶつけようとも、彼らの中の正しさを崩せない以上は、何も進んでいかないのだろう。
人の世とはそういうものだ。取り返しのつかない状況にならなければ気付けない。
彼らの省みなかった、蔑ろにしてきたものたちの紡ぐ未来が、彼らの大切な人の未来にも深く繋がっているというのに。己が負債の為に自らの大切な子や孫が苦しむのだと、どうしたって気付けないのだ。

「今度私のサロンにお越しになりませんか?」
「…そうだね、是非」

彼女のサロンはきっと健全だ。
貴族の中でも真っ当な家柄。集まる者たちもそうに違いない。
彼女たちの徒党は、召し抱える平民たちにも評判が良いのだ。きっと有意義な時間になる。出来る限り多くのコネクションが欲しい。
私個人としてはそういう集まりは得意でないが、これも務めだ。アレクセイの言う得手不得手とはこれの事なのだ。任された仕事は全うせねば。

「心配ですわね…」

ジゼルは遠くを仰いで言った。騎士団の門の方角。
全員が無事に帰ってこられるなんて夢物語だ。それでも少しでも多く帰ってきてくれれば…

「貴方の育てた子たちですもの、きっと大丈夫ですよね…」
「そうだね…」

***

完っ全に忘れてた。

「いやいや、この忙しさよ?忘れるというか、オーバーワークだから…!」

皇帝陛下はやはり執務室に居た。世間話はそこそこに今回はちゃんとした用事があり、忘れていたというのはそのことだ。

【皇帝陛下誕生祭】

毎年3日間行われる催しである。前夜祭、生誕当日、後夜祭。この世界の経済状況からすると、規模はこのくらいのものだろう。経費削減。3日集約。
下町にはほぼ関係のない、せいぜい市民街までの行事だ。マリアたちと話していても話題には上がらない。
平民エリアは出店やらストリートショーなどのお祭りが開催され、当日はパレード、後夜祭は花火が打ちあがるので、かなりの盛り上がりとなる。この日ばかりは飲めや遊べや。というか、祭りのために仕事ができないという人もいて、遊ぶしかないのだが。
とはいえ私たちの隊はさほど仕事内容に変更がない。たまたま休みが被ったものは市民街に繰り出すようだが、その程度なのだ。

が、私個人はそれなりに準備がいる。なぜなら一応貴族だからだ。一応。

パーティには流石に出席しないとまずい。しかも先ほど陛下にどう?と聞かれたのだ。
まずは至急服を用意せねばならない。
アビ・ア・ラ・フランセーズ。宮廷人だけかと思えば、パーティは皆あれで出席するのだ。私はまずあのキュロットが受け付けられない。ハイソックスを同色にすると、まぁ見られなくはないが。
華美な刺繍も好みではない。早く燕尾服に変わってくれ…。もう軍人は軍服で良いということにして欲しい。いや、軍人というか騎士だが。
それだけじゃない。パーティは女性とペアが基本なので、相手も探さなくてはならない。のだが、こんな直近では見つからないかもしれない。手あたり次第に誘うのも憚られる。名前を挙げては消していく。
こんな独り身も珍しいのだ。大抵は婚約者がいるし、お節介が一人くらい親戚にいるものだ。完全に身一つで貴族にされてしまったので、私には親戚はおろか、頼れる知人も友人もいない。
アレクセイは論外だし、部下にお願いするのは少し違う気がする。貴族は身分と年功序列に厳しい。騎士団長にお願いするか、皇帝陛下に頭を下げるか。
騎士団本部の柱にもたれかかり、思案する。

「ルーベンス隊長、」

急に話しかけられ、体が跳ねた。

「お、おおう…これは…えー…モルガンくん、だったかな」
「ご存じでしたか」

面長の顔、少しこけた頬、こげ茶の短髪。いつもどこか穏やかそうに見える少し垂れた目。虹彩の色はヘーゼル。落ち着いた印象の男だ。

「御父上とは評議会で。君とは初めまして、かな」
「ええ、初めまして、イワン=モルガンです」
「これはご丁寧に。=ルーベンスです」

余り名乗らないので、未だになれないファミリーネームだ。
モルガン氏といえば、いつも評議会で権力者にご機嫌取りをしている小男だ。その息子である。次男坊だったか、小隊の副官だ。年齢は30代中頃。長男は貴族らしい貴族だと聞いていたが、この様子を見るに、長男を反面教師にできた真っ当な人間のようだ。いや、私に話しかけてくるなんて、警戒した方が良いかもしれない。

「御父上はいつも忙しそうで、挨拶をしたきりなんだ」
「…お恥ずかしい限りです」
「…彼にも守るものがあるからね。そう言ってやるな」
「…お気遣い有難うございます」

これは一応本心だ。目立たぬよう、そして埋もれぬよう、その絶妙な塩梅でモルガン氏は評議会を渡り歩く。「貴族」として立派な仕事ぶりと言える。彼の失態はそのまま家族の生活に影響する。それを何十年と続けているのだから、頭が上がらない。
私が無茶を言えるのは皇帝陛下の寵愛を受けているため、そして独り身だからだ。

「…他隊の、しかも私に、何の用だっただろう」

言いにくそうに、口ごもる。このままでは埒が明かない。

「私は自分で言うのもなんですが、それほど怖い男ではありませんよ。ほかの貴族たちと比べれば、話の分かると自負していますが」
「それは、もちろん存じております」

存じている?確かにそうでなければ、話しかけてはこないか。

「失礼は承知で…」
「はい」
「生誕祭のお相手は決まっておりますでしょうか!」

確かに失礼だ。親しい間柄でもない限り、話題にはまず上らない。とはいえ、今の私にとっては天の声だ。

「恥ずかしながら、激務にかまけて、探すのを忘れていたのですよ」
「本当ですか!?」

ぐいぐい来るな。思わずのけぞった。

「し、失礼致しました!」

顔に出ていたのか、イワンは首が飛んでいきそうな勢いで頭を下げた。

「あ、頭を上げて…大丈夫、驚いただけだから」
「はっ!」

この手のタイプは意外と強かな者が多い。一見おどおどしており世話を焼いてやりたい気持ちになるが、意外と一人でしゃんと立っている。そして施しをされることに慣れているので、見返りが少ないのもこのタイプの特徴だ。あまり関わり合いになりたくない人種、と頭の中で区分する。彼の家柄的にもさして得になることもない。こちらの手数は決まっているので、あまり手を広げたくないのだが。

「妹がいるのですが、最近ジゼル嬢のサロンに足しげく通っているようでして」

出た、ジゼル。彼女のサロンには私も世話になろうとしているので、ますます邪険にできない。仕方ない。ここは話を聞こう。
もう少し家柄が良ければ、私のパーティ衣装をおねだり出来たのに。私の場合は特注になるし、布面積も大きいので高くつく。
いや、待て。

「…恥ずかしながら、私はよく夜会に行くのですが…新参者で繋がりが少ないものですから、…」

と、言い訳をしておいて。
そう、彼の妹を一度も見かけたことがない。話題にも上がらないのは何故か。年齢的には社交界に顔を出していてもおかしくない筈だ。そして本当に恥ずかしながら、私は割と手あたり次第参加している。

「ええ、そうなんですよ。まだ一度も…」

一体いくつなのだろう。少し怖くなってきた。

「もう20を2つ越えたところにも関わらず…」
「そうでしたか」

シュヴァーンより少しいったくらいだ。と、一番に比較対象として思い浮かべてしまうのだから、困ったものだ。いつの間に彼は私の懐に潜り込んだのだったか。いや、私がずるずると引き込まれたのかもしれない。
彼の体温や匂いが既に恋しい。などと本人に言えば、にんまりと悪魔のような蠱惑的な顔で笑うのだろう。

「妹、ニーナは、「様がお相手なら、参加しますわ」などと…絶対に無理だと思って言っているのです。しかしあれももう22。我儘ばかり言わせられません」

どうかお願いします、と頭を垂れた。私が断れないのを知って言ってきているのだ。断りたいが、背に腹は代えられぬ。

「まぁ、会ってから考えよう。それに、私がパートナーでも、やはり嫌だと言うかもしれないからね」
「本当ですか!?」

少しこけた頬を赤らめ、興奮気味に言う。

「都合が合えばね」
「はい!」

現金だなぁ…しょんぼりと魂が抜けそうな面持ちで語っていたのが嘘のようだ。
多分考えずにやっている。そこが憎いのだ。妹の方はもう少しおとなしい子だと良いのだが。

BACK    NEXT