本作のヒロインであるは、高校一年生だ。全てが平凡だった。平凡を絵に描くとこんな人、という程平凡だった。
彼女はそれを嘆くこともあったが、その実、それほど気にしていなかった。
上を見れば大勢の人間が居た、下を見ても大勢の人間が居た。だから、どうということはなかった。
落とし物から
彼女は選択美術を取っている。なぜか今年は書道と音楽を選択した人が多いらしく、美術を選んだ人は少数だった。あぶれた、という感がある人ばかりだ。
朝一の授業、皆が一人、また一人と教室を去り、選択授業の教室に向かう。も例外ではない。荷物を抱え、廊下を歩いていた。すると、前方でぽとりと音がした。
絵筆が落ちている。男だった。その男は他の男子よりも頭一つ分ほど大きい。彼の頭は金色だった。地毛というが、それでも柄が悪く見える。
甘いマスクだが、時々驚くほど冷えた目をするのを、は知っていた。
偶然、体育館の前を通ったとき、冷めた目が見えた。特に怯えると言うこともなかったが、あんな顔もするのか、と納得した。
納得というのは、そりゃ笑顔ばっかりの人間なんていないよな、という納得である。
だが、は黄瀬涼太という男が苦手だった。苦手と言っても、食わず嫌いの類だ。
彼のことは何も知らない、ただのクラスメイト。プロフィールは女子が騒ぐので知っていた、その程度だった。
にとっては、その程度の男だった。
「私だって面食いだけどさ…」
ぽつりと呟いた声は誰にも聞かれることがなかった。はゆっくりと自分の荷物を落とさぬように、彼の落とした絵筆を拾った。
「あの…!」
拾いながらの姿勢で、つまり中腰で黄瀬に話しかけたつもりだった。だが、目の前に男は居なかった。
「………歩幅…!」
早歩きというわけではなかったが、黄瀬はかなり前方に居た。
は、彼に小柄な彼女がいたら、一緒に歩くのが大変そうだなと想像した。そして、はその考えを自ら打ち消した。きっと、彼は彼女と一緒に歩いているときは歩幅を考えて歩くはずだ、と。
平凡な人生を送ってきたには、黄瀬は器用な生き方をする人だ、という思いこみがあった。モデルをして、バスケでも活躍して、人に笑顔を振りまける、それがとても器用な生き方だと思った。
教室にたどり着き、は目立つ男を探した。黄瀬は一人で席に座っていた。数人のクラスメイトがいるにもかかわらず、誰とも話していなかった。人当たりは良いように見えたが、実は気難しい性格なのだろうか、とは考察した。
「黄瀬君、さっき落としたよ」
「え?」
絵筆を差し出すと、彼は私と筆を交互に見て、手を伸ばした。
「すぐに声かければよかったんだけど、気づいたら、凄い前方にいて、びっくりした。歩くの速いね」
「ああ、どうも、ありがとう」
「いえいえ」
そう言って、私は彼の斜め前の席に座った。他の席は、グループごとに分かれているようだったので、座る場所がそこしかなかった。
大きな机に、椅子が向かい合って3つずつ並べてある。
横の机に座る六人に見覚えがあった。
「、おはよう。のクラス女の子一人?凄いね」
「ああ、うん………なんか書道人気過ぎてワロタ」
「………まぁ、美術と音楽は人選ぶよね…」
「そうそう」
小学校からの友達だった。
「黄瀬君、美術得意なの?」
何気なく聞いた。一人でつまらなさそうにしていたので、つい声をかけてしまった。
「え?………あぶれちゃったんスよね。俺も書道希望だったんスよ」
一瞬、驚いたような顔をした。しかし、すぐに笑顔になった。先ほどの達の会話を聞いていたようで、黄瀬はそう答えた。
「そうなの?美術はコピーとかできないの?」
「へ?」
「いや、なんか、黄瀬君のファンが、一度見たら何でもコピーできるって、言ってたから、」
意外そうな顔をしたので、は弁解した。
「、写輪眼じゃないんだから…」
「そっか、なるほど」
友人が横から、あきれ顔でに言った。
そのとき、チャイムが鳴った。先生がチャイムと共に入ってきて、授業が始まった。
ガイダンスが終わった。
自分の手をスケッチブックに描く、というのがその日の課題だった。
「写輪眼って、なんスか?」
「ん?」
黄瀬から話しかけてきた。は、一端手を止めて、黄瀬を見た。黄瀬の描く手は少し歪だった。綺麗な手をしているのに勿体ない、とは思ったが、口には出さなかった。
「漫画のキャラの技なの。というか、眼。見た物をコピーできるんだよ」
「へ〜」
「漫画読まんのん?」
はつい話を振ってしまった。集中したいと思いつつも、会話を途切れさすのも申し訳ない気がした。
「………読まないスね」
「ふぅん、忙しそうだもんね」
は作業に戻り、紙と自分の手とを交互に見ながら、線をがさがさと描いていく。しかし、返答が無いのを不審に思い、再び黄瀬を見た。どういうことだろう、というような表情をしていたので、は言葉を続けた。
「バスケと仕事と、学生の本分」
「あ〜、まぁ、意外とできる、かも…」
「……そうなん」
黄瀬は鉛筆で頭を掻きながら、曖昧な返事をした。あまり触れて欲しくないところだったのかと、は心配になった。慣れない相手は、どこまで踏み込んで良いのか分からない。は黄瀬との距離感をつかめずにいた。
「さん、だっけ、」
「うん」
黄瀬は自分の話をしたくないのか、話をに向けた。
「さんって、どこの人?」
「京都に住んでたけど、ああ、訛り?」
「うん」
黄瀬の手は完全に止まっている。は、鉛筆でとんとんと黄瀬の手を軽く叩き、「作業」、と言った。黄瀬はあせあせと、作業に戻った。
「京都のどこ…」
「あのさ、」
「はい?」
は黄瀬の言葉を遮り、話しかけた。黄瀬は眼をまん丸にした。
「集中させてくれ」
「あ、ごめん」
はそう切り出し、黄瀬は黙り込んだ。
その後、黄瀬は黙々と作業をし出した。も、先ほどより、描くペースを上げて、手を完成させた。
**
授業が終わり、教室へ戻りだした。次も授業だ。皆急いでいる。も片づけを終わらせ、美術室を後にした。すると、黄瀬が後ろから駈けてきた。結構のんびり屋なのかもしれないと、は黄瀬の認識を修正した。
「さんって、」
「ん?」
「真面目な人スね」
黄瀬はにっこりと、商業用か本来の笑みか分からない笑顔でに笑いかけた。
「…………普通だと思うけど…」
「あと、絵、巧い」
間髪入れずに、黄瀬は言葉を続けた。
「………中学、美術部だった」
「へぇ!」
黄瀬の表情が明るくなった。黄瀬は、の歩調に合わせて歩いていた。そのことに、自分の認識は間違ってなかったな、とはぼんやりと思った。
「黄瀬君はバスケ部だ」
「そうスね、中二から」
天才死ねばいいのに、と思ったが、は口に出さなかった。きっと努力もしてきたはずだ。先ほど「意外とできる」、と言っていたが、負担は大きいはず。
きっと頑張っているのだ。頑張ってることを頑張っていると言わない人なのだ、何も知らない自分が勝手に妬んでどうする、と言い聞かせた。
「そういえば、さんって」
「……………会話無いと気まずい?」
「え?」
ぺらぺらと話す黄瀬に、違和感を感じた。女の子と話すのに慣れている、そんな印象があった。だが、私は彼を好きな女子でない。気の利いた返答をするわけではない。会話が無かったら無かったで構わなかった。彼に気を遣わせているのでは、と心配になった。
「いや、なんか無理に話そうとしてないかなって、思っただけ。別に嫌とかじゃなくて、ちょっと思っただけだから、別に良いんだけど」
「あー……はい、」
それきり、彼は黙り込んでしまった。気まずいのはの方だった。
「黄瀬君って、同い年の友達いないでしょ」
「へ?」
◎