は、自分の出来ることは、たいていの人はこなしてしまうことだ、と認識している。自分が何か特別出来ることなど無いと思っている。

劣等感にまみれて生きていた。それだけなら良かった。劣等感は、自尊心が生み出す物だ。自尊心が傷つけられることによって、劣等感は生まれる。劣等感に僅かな自尊心。それがやっかいだった。

普通であれば、悪いところも良いところも自分の一部だと認められる様になっている。だが、その自尊心が、出来ない自分を否定する。そうすることで、二重人格とまではいかないが、出来ると思う自分が、出来ない自分を突き放す。

だから、虚勢を張る。そうして自分を守る。自分はできるのだと、凄いのだと、そうして、さらに自分を追いつめる。

は劣等感の塊だった。とか言ってみる(笑)





 キラキラお日様





バスケ部はその日、スタビライゼーション、つまり体幹のトレーニングをすることになっていた。そして、黄瀬を含め、数人の一年生が、マットを借りるために、体操部の使用している体育館にいた。

そこで、黄瀬は似つかわしくない人物を見つけた。

「あれ?」
「どうした、黄瀬」

黄瀬の上げた声に、チームメイトが反応した。黄瀬は何でもないと言った。

「あれ、黄瀬君だ」
「あ、若田さん、そっか、体操部」
「そうだよ」

同じクラスの若田だった。とも仲が良い。

?」
「え?」
「あ、いや、見てたから」

黄瀬の視線の先にはの姿があった。

「うん、何でいるのかな〜って思ったんスよ」
「練習だよ。マット恐いんだって。でもせめて逆立ちくらい出来ないと、成績に響くって、話を先輩にしたら、練習見てあげるよ、ってことになって、あんな感じ」
「へぇ…」
「あれでもマシになったのよ。前はもっと酷かったんだから」

黄瀬は、逆立ちって練習するものなんだ、と思った。見れば大体のことができた黄瀬には、ができない理由が分からなかった。

「黄瀬君には、理解できないでしょうけど」
「………そうっスね。でも、もうちょいでできそうっスね」
「あー…まだかかるかもね。頭が逆さに鳴るのが耐えられないって言ってたし…」

黄瀬はのもとに向かった。

「黄瀬?」
「ちょっと、挨拶っス。すぐにマット持っていきます」
「おー、分かった」

チームメイトに断りを入れ、黄瀬はに近づいた。
もう少し勢いをつければ、すぐにでも成功しそうだった。は、ぶつぶつと何かを呟きながら、マットに手をついた。イメージトレーニングだろうか、と黄瀬はを見た。は黄瀬の存在に気づかない。

手をついて、しばらく動かなかった。頭が逆さになるのがダメ、マットが恐い、その言葉が理解できた。の息は、震えていた。時折、マットから手を離し、汗を拭った。躊躇する様に、は飛び上がろうとするところで、その動きを繰り返す。

黄瀬には、理解できなかった。たかが逆立ちだ。今すぐ逆立ちをして、この体育館をそのまま歩き回っても良い。それくらいたやすかった。

深呼吸が聞こえ、足が上がった。空中で足がばたついた。だが、もう少しだ。

「もう少し」

その思いが行動に出てしまった。中途半端に上がったの足を黄瀬は壁に向かって押した。

「あ」

小さな声と同時に、の体がブレた。咄嗟のことに、体重が支えられず、の体は崩れ落ちた。逆立ちの姿勢のまま、下にずり下がったため、には世界が反転して見えていた。肩胛骨の辺りで体を支えている状態だ。

黄瀬は唖然とした。あまりのことに一瞬息が止まった。そして、どっと汗が出た。

の目が黄瀬を捕らえた。その目からぶわりと涙が溢れた。それを見て、さらに黄瀬は慌てた。

「あっ…」

黄瀬はパニックになり、きょろきょろと周りを見た。異変に、先ほどまで黄瀬と話していたの友人が気づいた。

「だ、大丈夫!?」
「…だ、じょ…」

はしゃくり上げる。普段は流暢に話すが、たどたどしく言葉を紡ぐ。
女の涙を見るのはこれが初めてではない。だが、今までで一番狼狽している。

「ごめ、…びっく…り……し…へ…」

しゃくり上げながら話すので、聞き取りにくい。の友人はの頭を撫でる。涙はどんどん溢れる。黄瀬は呆然と立ちつくすしかなかった。

「部、か……つ、戻って…」

は黄瀬にそう言った。

「そ、そんなこと…」
「べ、つに……黄瀬、…くんが…悪い……とちゃう…」
「でも…」

黄瀬は自分のせいで、が泣いたと思っている。だが、今日のは、すこし精神的に滅入っていた。特別何があったということはない。なんとなく、気持ちが乗らないのだ。

「かお、洗ってくる…」

はぽつりとそう言って、ふらふらと体育館を出た。

「俺、どうしよう…」
「………とりあえず、謝ってきたら?」
「あ、はいっス…」



**



嫌なところを見られた。はそう思った。ひくりと横隔膜が震える。鏡を見ると、ぶさいくな顔があった。

「……ダサ…」

顔をタオルで拭くと、じわりと涙がにじんだ。再び、顔を洗う。拭くとまた溢れる。それの繰り返しだ。

「あ、の…さん」
「えと、ごめん、ビックリした」

そう言ったそばから、また涙が溢れた。黄瀬の体がぴんと立った。

「ごめ…ちょっと、今日情緒不安定、っていうか、別に黄瀬君のせいとかじゃないから」
「でも…きっかけを作ったのは俺っスよ。落ち着くまで一緒にいる…先輩にも言ってきたから」

なんと言ったのだろう、は心配になった。名前を出されていたと思うと、はますます情けなくなった。



**



人通りの少ない部室棟の階段。相変わらず涙は止まらなかった。止まっては、また溢れた。黄瀬は無言で傍にいた。

少し肌寒い。ジャージは体育館に置いてきてしまった。がぶるりと震えると、黄瀬は上に羽織っていた部活用のジャージをにかぶせた。

「黄瀬君が…風邪…」
「鍛えてるっスから」

黄瀬の声は優しい。なおさら泣きたくなった。今日は駄目な日だ。何もかもが、自分を責め立てる気がした。

「黄瀬くんのこと、時々嫌いになる…」
「ひどっ!俺だって傷付くんだけど…」

八つ当たりだ。
には心底黄瀬が凄いと感じる時があった。だが、同時にチリチリと、胸が熱くなった。素直に凄いと思えなくなるときがあった。

黄瀬は努力していて、一朝一夕で今の彼になったのではないと、は思っていた。事実、遅くまで必死に練習しているのを、何度も見かけた。
それでも、は、黄瀬がどうしようもなく、憎らしいときがあった。

「情けない…」

は呟いた。

「逆立ちできなくて?俺体育ができるできないで友達選ばないっスよ」

は応えなかった。黄瀬も黙り込んだ。

「黄瀬くんは凄いと思う…凄いキラキラして見えて、なんか、もう、ほんと凄い」

の言葉に呆気に取られていた。は普段人を褒めない。いや、黄瀬を褒めない。だが、はストレートな言葉で黄瀬を賞賛した。

「でも、素直に凄いって思えんくて、黄瀬くんといると、自分の不甲斐なさが、浮き彫りになって、辛くて、それが情けない……!」

友達なのに。いつも真剣に向き合ってくれているのに、どうして自分はこんなにも自分勝手なのだろう、は懺悔をしている気分だった。

(私は劣等感の塊だ…)

は途方に暮れた。
黄瀬と一緒にいるのは、楽しかった。だが、同時にとてつもない彼の才能に押しつぶされそうだった。黄瀬はのことをよく褒めた。はそれに素直にありがとうと言う。
ありがとうと言いながら、はいつも心の中で思っていた。

『別に凄くない』のだと。

自慢できるほど、出来るわけではなかった。上を見れば、下よりも多くの人がいた。
才能などなく、努力する勇気もなく、ただ虚勢を張っている。そんな自分をはよく知っていた。黄瀬の好意が、を責め立てた。常に凄くなくてはならない気になった。
そして、常に思っていた。自分はこの劣等感とずっと付き合っていかなければならないと。

「俺、馬鹿だから、何て言って良いか分かんない…ス…とりあえず、俺のこと、嫌い、だけど、嫌いじゃないんスよね?」

はこくりと頷いた。涙が止まらない。
嫌いではない。むしろ、誇りだ。黄瀬の友達であること。黄瀬はいつも言う。こんなにも仲良くなった友達は居ないのだと。そのことが誇りであると同時に、驚くほど重かった。




部活にも行かず、黄瀬はじっとの話を聞いていた。そのことがをさらに責めた。

(気を遣わせて、情けない)

黄瀬はの頭をぽんぽんと撫でた。先程、クラスメイトがにしていたのを真似た。

は顔を上げた。ブサイクな顔をしていることは承知だった。涙で潤んだ目には、黄瀬の鮮やかな髪が、お日様の様にキラキラと輝いて見えた。

「ごめん!嫌だった!?」

泣き止ませようと思っていた黄瀬は、のその様子に驚いた。

(この人と一緒にいるのなら、私はずっとこんな想いを背負わなければならない。もう嫌だな…でも、今は情緒が不安定なだけだ。明日になれば、また、普通の友達に戻る…)

は黄瀬の大きな手が髪を撫でるのをじっと感じていた。

(期待に応えたいのに、そんな実力が私にはない…)




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