齟齬
「今度の試合、見に来ません?」
黄瀬はにそう提案した。は運動はからきし駄目だったが、見るとなると、それなりにスポーツが好きだった。予定は空いている。母と約束していた買い物とかぶらなければいいが、そう思っては黄瀬に尋ねた。
「………いつ?」
「え?………あ、えって、無理に来なくてもいいんスよ」
黄瀬は焦ったように、そう言った。は訳が分からず、首をかしげた。
「で、いつ?」
「あ、今度の土曜日…」
「何時から?」
「十時から…」
はいい加減面倒になってきた。見に来るか聞くのなら、初めから日時、場所を教えても良いはずだ。だが、黄瀬の様子はどこかぎこちなかった。
「部外者でも、見られるんだね」
「部外者って…試合するチームの学校だし、全然OKだと思うけど…」
「ふぅん…」
は、自分で調べるか、詳しい友人に聞いた方が早いと判断し、それ以上は聞かなかった。
「人多い?」
「その試合の注目度によると思うけど……この前はどーん、って感じで、ざわざわって、凄い人だった」
擬音語が多い黄瀬の説明に、は呆れた。
「黄瀬君って、馬鹿だよね」
「へ?」
黄瀬の顔が、一瞬歪んだが、は気づかなかった。
**
「どうしたー黄瀬」
「笠松先輩…」
休憩中、黄瀬が落ち込んでいる様子を見て、笠松が近寄ってきた。普段は厳しいが、後輩思いだ。
「………さんを、今度の試合に誘ったんス」
「おう、」
「」という人物の顔を思い出すように、笠松は視線を動かした。
「そしたら、一瞬、嫌そうな顔されて、………で、なんか色々話してる内に、馬鹿って言われて、なんか、俺、空気読めてなかったのかな…とか思って…」
「つまんねぇ…」
「つまんなくないスよ!本人は真剣ス!」
「………その場で聞けばいいじゃねぇか」
黄瀬は固まった。その様子を見て、笠松は呆れた。
「今気づいたのか…」
笠松はげんなりとした顔をした。
「お前さ、ホント、人付き合い駄目駄目だな」
「そんなこと……今までは無かったス……」
「じゃあ、お前のこれまでの付き合いは、上辺だけだったんだろ」
「厳しい…」
黄瀬は落ち込んだ。まるで飼い主に怒られた犬だ。しゅんと、大きな図体を縮こまらせている。
「良い経験じゃねぇか」
黄瀬の様子に、笠松は親心のようなものをくすぐられた。それを隠すように笠松は黄瀬の頭を乱暴に撫でた。
「………心が砕けそうスよ〜…」
「ふぅん」
あえて、素っ気ない体で、笠松は相づちを打つ。すると、黄瀬は涙声で笠松にしがみついた。
「もっと、親身になってください!」
「お前って、面倒な奴だよな…」
笠松は付き合ってられないと、溜息を吐いた。
**
黄瀬が大きな誤解をしているとも知らずに、は結構乗り気だった。詳しそうな友人に話を聞き、準備を進めていた。スポーツ好きの子だ。中学ではバスケットボールをしていたらしいが、高校では、茶道部に所属している。
今は上級生が進路相談でいないらしく、茶室には、その友人と見知った顔の子だけしかいなかった。
「そうなんだ、へ〜…男バスのことよく知ってんね」
「ん?うん、まぁ…うち強豪校だしさ」
の友人は、黙々と茶を点てた。そしてそれをが消費する。
「そっか、私が興味無さ過ぎなんだね」
飲み口を指で清めてから茶碗を回し、再び畳の上に置いた。
「まぁ、興味無ければ無いでしょ」
「うん。一緒に行かない?一人じゃ不安で…マナーとかよく分かんないし…」
「良いよ、どうせ見たいと思ってたし」
「うん、ありがと。じゃあ、行くね。あ、お茶ごちです」
「いいよ〜こっちも練習になるし」
が茶道部の部室を出たとき、見知った顔がそこにあった。
「笠松、先輩…でしたっけ…こんにちは」
「あ…ああ…」
笠松は階段を上がった。も用があるのは上の階だ。後ろを着いて歩くような形で、は階段を上った。違う階段で上がれば良かった、と気まずい気持ちを持ちながらも、は黙々と歩を進める。
だが、笠松がぴたりと止まった。不審に思い、も立ち止まった。立ち止まってから、追い抜かせば良かったと、さらにきまずい気持ちが大きくなった。一度止まってしまったので、は次にどう行動するのが良いか、頭を悩ませた。
笠松は、先ほどの黄瀬の様子を心配していた。笠松は黄瀬が私情をコートに持ち込む男ではないと評価していた。しかし、もしかして、ということがある。女子と話すのは苦手だったが、笠松は決意を固めた。
笠松は振り返った。
「話、あるんだけど…」
「へ!?あ、はい、なんでしょう」
は一瞬期待をしたが、話は本人とは関係の無い話題だろうと考えを改めた。期待と言っても、特別笠松に何らかの好意があったわけでも、自分が好かれているという自信があったわけでもなかった。
ただ、気の迷いのような物だ。理由があるとすれば、思春期だったと言うだけの話だ。男子と女子、二人きりのシチュエーション、何も期待しない方が不健全だ。
だが、笠松とはあまりにも接点がなかったので、はすぐに一切の邪念を打ち消した。
一方笠松は呼び止めたは良いが、どうしようと混乱していた。
「黄瀬のことなんだけど、」
「なるほど、そのことか」と、思うと同時に、少し残念な気持ちがあった。それを振り払い、は続きを催促しようと口を開こうとした。開こうとした。実際にはの口から出たのは別のことだった。
「あの、その前に、なんでそんな距離が空いてるんですか、というか、なんといいますか…ガチガチなのはなんでですか…?」
笠松の体が大袈裟にびくついた。笠松は普通の高校生男子と比べると、高身長だ。それに、笠松は今はよりも上段にいる。首が痛かった。
「あの、首が痛いので、話しやすい距離に寄ってもいいですか…」
「お、おお」
は静かに階段を一段一段上がっていく。笠松と同じ段に着いた。それでも笠松の方が高いので見上げる形になる。しかし、見下ろすのもどうかと思い、同じ段にとどまった。
が笠松の方を向くと、彼は視線をそらした。
「あの………」
あまりにあからさまな反応に、さすがのも傷ついた。呼び止めたのは、そっちなのにとは落ち込んだ。第一印象で好かれるタイプでないのは知っていたが、それでもは大ダメージを負った。
「違うんだ…!」
笠松はそう叫んだ。自分の大声に驚き、笠松は口を塞いだ。
「その………女子と話すのが苦手なんだ…」
ぼそぼそと、笠松は言った。笠松の顔は真っ赤だ。予想外の反応にはどうすればいいのか分からなかった。だが、笠松が気まずそうにしているので、むしろ吹っ切れた。
「あの、後輩にそこまで気を遣わないでください…」
「後輩でも女は女だ…」
途方に暮れた様子で笠松が言うので、は再びどうすれば良いのか分からなくなった。そんなに女子という括りで特別扱いされると、気恥ずかしかった。
「わかりました。話だけ聞きます…」
そのとき、生徒が階段を下りてきた。気まずそうに二人の横を歩いていった。話をする場所ではないとお互いに思い、歩きながら話すことにした。
「なんでしたっけ、黄瀬君のことですよね」
「あ、ああ、えっと、……アンタのことで、黄瀬が落ち込んでたから気になったんだ」
「………そうなんですか?」
何をしただろうかと記憶を辿るが、には思い当たることが無かった。
「あ、ああ…なんか、……………………………」
は笠松が言葉を見つけるまでじっと待っていた。急いでいるわけでもなかった。
「……試合?に来るとか来ないとか」
「行きますけど…それで、茶道部にいたんで…」
「そうなのか?」
笠松は意外そうな顔をした。黄瀬があれほどに落ち込んでいたので、笠松は、は行く気がない、と思っていたからだ。
「はい、詳しい子が居て、私、大会とか行ったことなくて、分からないから…というか、黄瀬君が何も教えてくれなくて…」
「…………いや、それなら良いんだ」
笠松は自分から振っておいて、一人納得してしまった。はもやもやとした感情を抱えていた。
「……あの、私、話が見えないんで、すごく釈然としないって言うか…」
笠松は無言だった。があとで本人に問いただした方が良さそうだ、と思ったとき、笠松がやっと口を開いた。
「…なんか、嫌そうな顔されたって言ってたような…」
は口を開いたまま、呆けてしまった。すぐに口を閉じ、は考え込んだ。
「あの人、そういうところ、ありますよね…」
「そういうところ?」
の曖昧な物言いに笠松は眉を潜めた。
「言いたいことがあればすぐに言ってくれないと、分からないじゃないですか…でも、なんか先輩を通してそんなこと聞いちゃうし…申し訳ないです…すみません…」
はぺこりと謝罪した。笠松は手を振って、謝罪を拒絶した。
「…………勝手に俺が気になっただけだし…」
「優しいんですね。彼、面倒くさいでしょう……というか、邪魔くさい…っていうか…」
は率直な感想を述べた。笠松の頬は真っ赤だ。それを見上げ、は笠松に好感を持っていた。
黄瀬のようなタイプより、笠松のような口べたなタイプの方がのタイプだった。
「…………まぁ、そうだな…っていうか、俺は優しくないと思うぞ」
「そうなんですか?」
笠松は、すんなりと否定した。
「後輩には怖がられてそうだ」
緊張がほぐれたのか、笠松はほんの少し頬をゆるめた。その表情に、はどきりとした。
「まぁ、上に立つ人は嫌われるものですし…仕方ないんじゃ…」
「………そう言ってもらえると有り難いな…」
彼は、困ったように笑った。は、じわりと熱が生まれるのを感じた。
「私、名前覚えるの苦手なんですけど、黄瀬君が先輩の話よくしてるので、名前覚えてたんです。慕われてるんじゃないですかね。いや、知らないですけど…」
「………そうか…」
「じゃあ、私、部室そこなんで」
へら、と笑って、は笠松に別れを告げた。
「ああ、悪かったな、要領の得ない話に付き合わせて」
「いえ、そもそも私がしっかり黄瀬君と話をしなかったのが悪いんです。試合、頑張ってくださいね。あ、言伝頼んでも良いですか?」
笠松は、おそらく自分の教室に入っていった。それをは見送って、部室である暗室に入った。
「………ああいうタイプに弱いなー…私。……お兄ちゃんに欲しい…」
**
「さんって、良い子だな」
「へ?」
黄瀬は間抜けな声を出した。日誌を教室に取りに戻って、帰ってきた笠松の突然の言葉に、呆気に取られたのだ。
「さっきたまたま会ったんだけど、今度の試合来るって言ってたぞ。結構乗り気だったみたいだし」
「へぇ…」
黄瀬が、嬉しい様な気恥ずかしい様な顔をした。
「笠松、お前女の子と話できたのか」
「森山、お前な…」
森山の言葉に反感を覚えたが、事実なので、笠松は強く言えなかった。
「で、そのさんって、どんな子?」
「…………毒舌…?」
森山の質問に、笠松は先ほどの様子を思い出していた。じっくりと見る余裕など無く、曖昧な記憶しかなかったが、最後に言った言葉が印象的だった。
「それで思い出した。言伝があったんだった」
「なんスか?」
なんだろう、と黄瀬は首をかしげた。
「『嫌そうな顔は生まれつきじゃぃボケ、イケメン死ね』って」
「ぶはっ…」
「ちょ、先輩笑い事じゃない!」
「いや、本当に毒舌なんだなぁって思って…ぶくく…」
「もう…」
森山があからさまに吹き出し、他の部員も肩を振るわせていた。その様子に、黄瀬は声を荒げた。
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