大空仰いで
もうそろそろ葉が落ちきってしまうような季節だ。
私はいつも、ほうとため息を吐く。呆れでなく感嘆だ。
沖田くんの一心に刀を振るう姿は惚れ惚れするほど洗練されている。風を切る、それだけの動作であるのに。そんな姿につい見惚れてしまうのだ。
無論彼が元の世界に帰れば、その所作全てが人を殺すものとなると分かっている。それでも。
「ふっ」
と短く息を吐く。瞬く間に閃光のような突きが繰り出される。
この人は、生きるために刀を振るってるんじゃない。刀を振るうことこそ彼の生命そのものなのだ。私は唐突にそう思った。ふっと沸いて出たその考えが振り払えない。何故そう思ったのか分からない。
「どうかしましたか?」
「え?」
心配そうにこちらを見てくる沖田くんの瞳は揺れていた。今にも崩れ落ちていきそうだ。
汗がしっとりと彼の体を濡らしていた。
「早く、戻れると良いね」
彼の目を見て、私は自分でも驚くほど静かな声でそう言っていた。
「迷惑ですか?」
僕が此処に居たら。彼にしては珍しいぽつりとか細い声だった。
もう彼が来て三度目の冬だ。帰りたいとは思っていても、帰れないことを覚悟しているのかもしれない。もしかしたら、帰れないことを嘆くよりも、ここでの生活を前向きに考え始めているのかも。
私が考えても仕方の無いことだ。でも、彼が帰れないかもしれないことと、もう諦めかけていることに、焦りを感じている。私の方が。
「ううん…そういう事じゃないの」
ただ此処にいると、沖田くんは死んでしまいそうだと思った。
何が?肉体が?いや、
「心が…」
死んでしまいそうだ。現代のぬるま湯で飼い慣らされて。
「え?」
訝しげに見ている。彼を殺すのは私だろうか、そう思うと罪悪感で押しつぶされそうだ。
「鳥篭の中の、鳥みたい」
そう言って、俯いた。彼の顔を見られない。言わなくても良いのかもしれない。でも言わなければならないような気がする。きっと彼は怒る。でも言わなければならない。
「僕が?」
普段と同じ声音だった。それが余計に怖かった。
鳥篭の鳥は大空を、大海を焦がれているだろうか。彼は、元の世界のように、自由に剣を振るいたいのだろうか。
そんなの私には分からない。だって私はどんな篭にも縛られない。世界さえも飛び越えて、どこへでも飛んでいけるのだから。
だからこそ知っている。縛られないからこそ苦しいのだ。どこにだって逃げられる。だけど何処にも帰れない、帰る場所が無い。帰る場所があるならば、きっと彼は帰るべきだ。彼にとっては余計なお世話だろうが。
「うん。君が」
意を決して顔を上げた。彼は恐ろしく冷たい目をしていた。
普通ならば怖いその目が、今は心地よかった。ほら、やっぱり彼はここでは生きていけないような人間なのだ、と私自身を納得させられる。
「それは、僕が可哀相って事ですか?」
色の無い声が、空気を震わす。きっと私があの頃のように普通の人間だったなら気絶くらいしていたかもしれない。どんな鈍感だって気付くようなピリピリとした空気。
「どうだろう。でも、なんだか、心の中がもやもやする、かも…」
目を閉じた。真っ暗な視界に、彼の息遣いが聞こえた。さぁと風が通り過ぎる。
ああ、これは恐怖だ。
「ただ、なんだか、怖い、」
声が震えた。
「君を殺すのが、私かもしれないのが。怖い」
「僕は、可哀相なんかじゃない」
ゲームのなかで、役立たずじゃない、そう言った彼の声に似ていた。
「怒った、よね」
「僕は、可哀相なんかじゃない」
そう繰り返した彼が痛々しかった。
「あのね、えっと、聞いて欲しい、んだけど…」
沖田くんをちらりと見た。怖い顔をしているが、話は聞いてくれるようだ。無言だった。
「きっと君は、生きるために刀を振るってるんじゃない…刀を振るってる、そのことが君の生きてるってことなんだって、思ったの」
住む世界が違うのだと思い知らされる。
「お話してるときも、ご飯食べてるときも、ずっと沖田くんは、沖田くんだけど、でもね、なんだか、刀を振るってる君は、あんまりにもしっくり、きてしまって、」
全く疑いようも無く彼が彼らしく彼で。
「だからね、怖かったの。こんな世界で飼い慣らされた君が、死んでしまうんじゃないかって、怖かったの。怖い」
彼は始終無言だった。
私は床に落ちる自分の影を見て、ああ、なんだか全てが無駄なような気がした。全部、全部、この世界も、全て、何のために存在するんだろう、そんな虚無感が私を襲っていた。海の底に沈んでいくような気持ちだ。
彼は、すたすたと先ほどまでいた場所に戻っていく。そして再び刀を降り始めた。風を切る音、刀が振り下ろされる。薙いで、切り上げて、突いて。その全てが言いようもなく美しかった。無駄なく、極限まで削ぎ落とした、究極の剣技だった。
「さん」
「ん?」
此方を見ずに、彼は私を呼んだ。縋るような声に聞こえた。
「もし、僕が、刀、振るえなくなったら、僕は消えちゃうのかな」
「さぁ、どうだろう…」
肉体の話ならそれはNOで、心の問題ならYESかもしれなかった。だから言い切ることが出来ずに、言葉を濁した。
「もし、僕が刀、振るえなくなったら、誰も、僕に気付かないかな」
答えられなかった。私が言ったのはそういうことだ。
ひゅん、と繰り出された刃が、空気を裂く。
それ以降彼は、言葉を発することなく、刀を一心不乱に振るった。
「私は、多分君のこと、見つけられると思う」
私の声が彼に届いたかは分からない。焦りも悲しみも、すべてを振り払うように彼は刀を振るい続けた。
「…また、寒い冬が、来るね」
彼が来て、三度目の冬。
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