女は普通を絵に描いたような人間だった。多少違うところと言えば、腐女子だったということくらいだ。それ以外のところで女は自分をなんの変鉄もないどころか、どちらかというと人より劣っているとさえ考えていた。女は何もできないとは思わないが、自分はただただありふれた人間だと思っていた。

それが力を得るとこうなる、とは自嘲した。ニコニコと笑みを浮かべながらは、目の前の少女たちと対峙していた。






それなら私も共犯だ 1






「先生って何でもできるよね!?できないことってあるの!?」
「そうそう、イケメンで」
「優しくて」
「勉強できて」
「運動もできて」
「料理も」

などと捲し立てるように言われても、と溜め息を吐きそうになるのを必死に留めた。

「そんなことは無いよ。私だってできないことくらい…」

じゃあ何が出来ないのと聞かれると、ぱっとは答えられない。なぜならは自称・自称神という存在に、それと同じ存在にされ、所謂神のような力を得た為である。
今は男の体をしている。男装ではなく、男体化である。なんの努力も無しに力を得てしまったがゆえに、はいつまで経ってもその力を自分のものとして受け入れられず、よく分からない罪悪を感じているのである。そう、自分には特別優れているところは無いが、それでも必死に生きているといった人間全てに対して感じている罪悪だ。

ある人は「お前は人であることと引き換えにその力を得た。十分な対価を払っているだろう」と言った。
確かには人ではなくなり、というか男でも女でも生物ですらない′何か′になったわけで、老いも朽ちもしない彼、いや彼女は人間では捌ききれないほどの膨大な時間を得たわけだ。
しかし今のところ不老不死について想像されうる苦痛は感じていない。もちろん人との死別、とりわけ愛した人を亡くすのは相当の辛さではあった。が、それでもなんとか罪悪などを悠長に感じていられる正常な精神で生きている。

思考の海に沈み込み、適当な相槌を打っているだけだったが、それでも尚少女達の口はぱくぱくと忙しなく動く。自分もこうだったろうかとは記憶を遡るが、そこまで快活な性格ではなかったという結論に至った。もちろん物静かでいつも本を読んでいるような儚げな存在だったわけではない。しかしこうやって保健室に入り浸り、教師と会話に花を咲かせるような人間ではなかった。
群れるということに、そこまで執着するような女ではなかったのだ。ともすればはどちらかというと男性脳だったかもしれない。なるほど、男としても生きられるはずだ、とが妙に納得したところで予鈴が鳴った。少女達は慌てた様子でに別れを告げ、駈けていった。

「廊下走ると危ないよー」

はーい、という間延びした返事が返ってきたが、少女達はそのまま走っていってしまった。

振っていた手をすっと下ろし、机に向かった。溜息を吐き、は机に突っ伏した。元気だなぁと思ったことは、いつのまにか口に出ていた。誰もいない部屋にぽつりと言葉が響いた。猛烈な不安を感じた。それはこの世界でただ一人の存在になってしまうのではないかという恐怖だ。
別れの分だけ出逢いがあるからこそ、今は正常でいられる。それがたったの一人きりになってしまったなら。そう思うと、やはりとても恐かった。
何気なく、突然そのような感情が芽生える。いや、突然ではない。はカーテンで仕切られた一角に目をやった。心地良い声音で「先生」と呼ぶ声が聞こえた気がしたが、気のせいだ。
もう森山が卒業して4ヶ月も経つのだ。お互い忙しい身であるため、あまり会えない。森山がの家にやってきて、一緒にご飯を食べ、一緒に寝る。無情にも来る朝は二人を別つ。丁度良い距離なのかもしれない。とはいえほんの少しの寂しさも感じる。は再び溜息を吐いた。

「ふぅ…」



**



なんだかんだとが定時に帰れる日は少ない。よし帰ろう、というところで怪我をしただの、相談がある、だの。相談は相談室に行け、などと思うこともあったが、生徒の精神衛生の管理も養護教諭の仕事のうちだ。
それには文句を垂れてはいるが、頼られるのが嬉しいような人間(今は人外ではあるが)なので、断れもしない。ずるずるとそういうことを繰り返しているうちに、外は真っ暗だ。
街には人が溢れていても、皆他人。寂しさがを襲う。唐突に「会いたい」と、心の中に浮かんだ。誰にかなど決まっている。

「ただいまぁ」

と誰もいないマンションの一室に虚しく帰ってきただったが、部屋には気配があった。は夜目が効く。ソファですやすやと眠っているのが誰かすぐに分かった。

観葉植物などを置いてみたり、の家はモデルルームのようだ。それがどことなく生活感を失わせている。寂しい部屋だ。人だった頃は乱雑な仕様だったのだが、人でなくなったときから妙に整理整頓ができるようになった。それも一種の神的な力のうちなのだろうと、は解釈していた。
そんな部屋のソファの上、気配を発する人物はいた。

「……由孝くん、君はエスパーか…」

ぽつりと呟いた声に反応はない。
会いたいという気持ちが伝わってしまったのだろうか、などとは考えた。思わず表情が緩んだ。は森山の傍らにぺたりと座り込んだ。

月明かりに照らされて等と言うとロマンチックだが、実際森山の体を照らしているのは、外の街の煌々とまばゆい光を発する街灯たちの光だ。それでもどこか幻想的な光景。あどけなさと色気を含んだ彼の姿に、は背徳感を覚える。
と同時に優越感も湛えている。森山を大人にしているのは自分の存在なのだ、と。

が子供の頃、自分はどんな大人になるのだろう、そんなことを何度か考えたことがあった。それが成人男性として生き、一回り以上離れた(という設定の)年下の男とお付き合いをすることになっているなんて、そのころのは考えもしなかっただろう。

普通に就職し、普通に家庭を持ち、普通に死んでいくのだろう。勿論女として。そう考えていた。それがどうだ。目の前にいる森山を見た。
すぅすぅと規則正しい吐息が繰り返される。上下する毛布越しの彼の腹。そういえば、飼っていた猫の呼吸のたびに動く腹が好きだった、と思い出した。生きている、その実感があった。
にはもう無い。その場にあるのは彼の呼気だけである。には心臓も肺もない。もちろん普段は人のように心音と呼吸音を伴って生きているのだが。ここでは人らしく在る必要はない。

現実感のない体、想像すらしなかった現状、この「今」は脆く砕けてしまうのだろうという不安に襲われる。はそっと目を閉じた。手放したくないと思うのだ。と、同時にダメだとどこかで警笛が鳴っている。



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