それなら私も、
「どう言ってあるの?」
「大事な話があって、もう一人、交えて話をしたいって、……」
「そう…」
表情が硬い。当たり前だ。だって自分の顔が強張っていることに気付いていた。それを解すように両手を頬に当ててぐるぐると円を描くように撫でた。
「緊張、してる?」
本来、余り口数の多い方ではない森山が、今日は一段と静かだった。
「あ、当たり前だろ……親、に挨拶…だなんて…」
最後の方は掠れて聞き取りにくかった。森山の心音が通り過ぎていく人々より一際大きく聞こえた。どくりどくりと、の鼓膜を振るわせた。
「そりゃ、そうか…」
「……ねぇ。さん、ならさ…人の心とか変えられたりしないの?」
首を傾げて、森山はを覗き見た。期待を孕んだ目と合うと、は困ったように眉尻を下げた。
「できるよ。その力を使えば、君のご両親に、君のことを認めて貰うことは、簡単だ」
森山の顔がぱぁ、と明るくなった。
「でも、使わない」
ふっと森山の表情が固まった。まるですげ替えたように一瞬だった。
「なんで…?」
「……相手が君の両親だから、」
「………うん…」
「それに、そんな力をぽんぽん使うモノを、君は信用できる?」
森山ははっとした。
「………無理、だと思う…」
「それが正解だよ。君が私に抱く恐怖心や嫌悪感は、とても正しいよ」
「俺は…!」
ばっと顔を上げた。泣きそうな顔でを見つめている。
「分かってる。それでも私を好いてくれてるんだってことも、知ってる…」
森山は足下に視線を落とした。
**
結局家に着くまで、お互い無言だった。
両親はを見て、訝しげな表情になった。当たり前だ。大事な話に三十路の男がやってくるなんて、何事かと思うだろう。
通されたリビングは小さな吹き抜けの窓から光を取り込んで、健康的なイメージだ。そして太陽のオレンジの光の中、観葉植物の緑が映える。綺麗に手入れが行き届いており、森山の育ちの良さの理由を知った。
森山の母は高校生の息子が居るようには見えない。確か兄も居たはずだと、更に感心した。彼女は名を光紀と言った。父、義正は穏やかそうでありながら、どこか重役のような威厳を持ち合わせていた。こういう親から森山由孝という男が生まれるのか、と妙に納得した。
それなりに値の張るだろうカップに入った紅茶と高級そうなクッキー。ドラマに出てくる理想的な家。それを壊す来訪者。両親二人にはピリリとした緊張感があり、穏やかな空間には場違いな空気が流れていた。紅茶で喉を潤し、は口を開いた。
「……私は、今由孝くんとお付き合いしています」
そっと両親の顔を見た。母親は口を手で押さえて、そして父親はそのままの状態で絶句した。190cmを超えた男と自分の子供がどうにかなっているなどと知ったなら。母、光紀は声も出せず、視線を落とす。は膝の上で強く握られていた森山の手を上から優しく握りしめた。
「……由孝」
咎める風でもなく、光紀は森山の名を呼んだ。握りしめた森山の手がびくりと震えた。声を出そうとするが、呼気がほんのわずか漏れただけだった。かたかたと震える体で、なんとかこくりと頷く。その姿が痛々しく、は手に力を入れた。
「……驚く気持ちは分かります。きっと、反対されるんだって、罵倒されることも、…殴られることも、……覚悟の上で来ました」
こくりと義正の喉が鳴った。
「……私は、教師です…。止めるべきだ…。こんなのは間違ってると、諭すべきなのは、分かっています」
緊張を誤魔化すように、紅茶を一口含んだ。
「でも、それ以上に、私は彼の傍にいたい」
顔を上げて、二人を真っ直ぐに見据えた。
「………だめだ…」
「はい」
静かに頷くと、森山はを無言で見つめた。どうして言い返さないのか、と目が訴えかけていた。
「………今はまだ未成年です…。だから、あなた方が離れろと言うのなら、私は離れます。親の加護下にありますから。親が絶対です」
何も言わず、怒りを露わにすることもなく、二人はじっと聞いていた。現実味が無いのか、それとも話だけは聞こうということなのか。
「私と一緒にいることが、彼の不利益になることも、……重々考えられます。それに……彼の場合、思春期特有の勘違いかも知れない…」
「さ…」
森山の声が震えている。だがは構わず続ける。
「でも、彼が二十歳になったら、話は別です。投票権もある。自分で道を決められる年齢です。そこまでなら、待ちます」
きっぱりと言い放った。にできるのはそれくらいだ。自信を持って接すること。今だけは建前を捨てた。本音だけをまっすぐに伝えること。
「……それまでに、由孝が勘違いだって思ったら、貴方はどうするの?」
しんしんと降る雪のような声だ。しっとりとしていて頭にではなく、心の奥底に響く。
「……諦めます。いや、きっと本来その方が良いんです…由孝くんは、誰の目も気にせず生きていけます。私も、罪悪感に苛まれて、生きることはない…それでも、私は彼が望んでくれるなら傍にいたい」
「二十歳なんて、……、まだ学生よ…」
言葉に詰まった。もう言うことは決まっていた。でも何かが邪魔をした。素直に思ったことだけを告げることはなんと難しいことか。だが意を決して口を開いた。
「……待てません…。それ以上は、私が、待てません…」
始めては目を伏せた。深く深く深層に仕舞い込んだ感情だった。それをじっくりと時間を掛けて表層にまで引き上げた。どっと心臓が重くなった気がした。
「彼一人を養うくらいのお金はある。だから、私が彼の学費も払いますし、……必ず一人前にして社会に出します」
沈黙が落ちた。今日何回目の沈黙だろう。テンポ良く成される話の内容でもないが、それでもこの沈黙が酷く痛い。重く痛くのしかかる。どれほどの時間が経ったか分からない。沈黙に耐えられず、森山の息が上がる。それをは隣で聞いているしかない。
これ以上弁明することもなく、納得させようとあがくこともできなかった。
「私たちもね、駆け落ちだったわ」
ぽつりと呟かれた言葉が、最初は何か分からなかった。
「え…」
「私の両親は厳しい人だった。でもね、この人のお母様が、とても寛大な人だった。いえ、とても、お優しい方で、……認めて下さったの」
森山も初耳だったらしく、驚いているのが、握った手から伝わってくる。
「私たちがするのは、貴方を罵倒することではないわ。……私たちの可愛い子供が、一人前に人に恋することができるようになったことを、喜ぶこと、……」
息子をよろしくお願いします、そう言って頭を下げた彼女は、気高き母の姿だった。
**
「……さん、ありがとう…」
鮮やかな夕日が長い影を作る。そんななか、森山がぽつりと呟くように言った。
「ん〜?」
「なんか、不安とか吹っ飛んじゃった」
「そう…」
の心は晴れては居なかった。認められたことは素直に嬉しかったが、としては何らの解決にもなっていなかった。
「浮かない顔だな」
一瞬森山の目を見て、すぐに前を向いた。子供たちがきゃっきゃと遊んでいる。そろそろお別れの時間だ。難しいことを考えず、無邪気に振る舞えたなら、どれほど楽だろうかと、は無い物に縋り付きたくなった。
「さんは、自分はこの世界にはイレギュラーな存在だから、俺とどうにかなるのが恐いんだろ」
穏やかな声が柔らかい響きを持って、そう言った。光紀がしんしんと雪なら、森山の声は大気だ。柔らかい春の空気だ。
「さんが悪い訳じゃない…」
は何も言えずに森山の声に耳を傾けた。
「さんに惚れた俺が悪いんだ」
「…………それなら私も…」
自分の方こそ悪いのではないか、そう思った。
「うん、だから多分どっちが悪いとかじゃ、無いんんじゃないか」
と言ってを見上げた森山は晴れやかだった。未来に希望を見出したような、まだまだ子供で、キラキラしていて、汚れを知らない、少年の顔だった。眩しいなと、は思った。
彼の気質なのだ。こうやって、いつもを引き上げてくれる。
「そっか、うん…まぁ、そうか、なら、共犯か」
森山は、呆れたような顔をしてから、そしてにっこりと笑った。
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