「私は、バスケ部じゃありませーん」
火神が美術室の扉を開けて第一声だった。先にメールで状況を聞いていたは扉のところで仁王立ちで立っていた。
「すみません…」
「見せてみ」
「え、いいんすか」
「帰る?」
「いえ、お願いします」
椅子に座らせて、まずはアイシングだ。火神を帰らせるつもりは最初からなかった。連絡があってから、はバケツと氷を準備した。
ちょっとやそっとの無理ではないのは筋肉を触ればすぐに分かった。
デッサンの為に床に寝転がることもあるので、マットレスが常備されいる。火神はそこに寝てもらった。
「ってか、今日他の奴らいないんすね」
「今日は部活休み。俺は、あれだ、君らのことあるし、出来るときにやっとかないと、学祭に間に合わないから」
「すみません…」
しおらしい。自分が一番世話になっている自覚があるのだ。
は火神の状態を見て、どうしてこうなったのか分かっていた。物言いが厳しくなったのは、私情だ。
「いやなら断るよ」
「っす」
「相田さん、あんまり困らせちゃだめだよ。…何かあった?」
「…黒子に中学ん時の話聞いて」
「うん、かなと、思った。青峰君とやったんだろ、これ」
火神の身体がひくりと震えた。
「あの…」
「ちょっとやそっと君が、バスケしたって、こんなことにはならないでしょ。相田さんが見て気付いたくらいだ。触れば分かる」
「っす…」
は苦笑した。
「挑発に乗ったな」
ため息混じりに言う。
その言葉に、分かりやすくぶすくれた顔になった。
「アイツ、ほんっとうに腹立つ……いや、すんません」
「ん?」
「いや、あんたあいつのこと、その…」
「ああ。いや、生意気なのは昔からだから。粗暴なのも変わらない」
酷い言い様だ、火神は思った。
「いやぁ、私は早く負けて欲しいと思ってるよ。だからね、君には万全の状態で挑んで欲しいわけだ」
「は…」
「オレに勝てるのはオレだけとか、ヌカしてんの!馬鹿だよねぇ、そういうとこも好きだけどさぁ!腹立つってのには、大いに賛成だわ!!」
ダァン!と、部屋の床が震える。が拳を叩きつけたのだ。
「ああ、ごめん。つい」
「なんか、ね、ぶかい?っすね」
たどたどしく火神は言う。いつもと違うベクトルで吐きぬけているにほんの少し恐怖を煽られる。
「根深い、ね。あれ、不貞腐れてんの。バスケ以外ヘボなのに、バスケにしがみついてよ、自分は凄い、みたいになってんの。ヘソで茶沸くわ」
「おれもそう思う、ます」
「でしょ!」
はずっと興奮した様子だが、手は丁寧である。
「へぶ」
「ごめん、揉みやすそうな尻がそこにあったから!」
明らかにマッサージとは違う目的の手に、火神は弱音を吐く。
「うぅ…これが無かったら…これが無かったら…」
火神は涙目でそう繰り返す。それを聞かなかったことにして、は高らかに声を上げた。
「とっとと負けてまえぇぇ!!」
「ぅ、うす、」
簡単に言えば、はバスケットボールに嫉妬しているのである。バスケに負けたのだ、明確に。それがとてつもなく悔しい。そんな所にいないでこっちにおいでと手を伸ばしたのに、青峰は見向きもしなかった。
彼が心の底から楽しんで、これで生きていくと宣言したならば、は応援した。自分の出来ることなら、何でもやるつもりだ。この平和な世界において、それ以外にの力の使い道など無いのだから。
青峰のその中途半端が、は受け入れられなかった。大好きなバスケなら許したのだ。諦めつつあるバスケに負けているというのが享受できない。
傷ついたのだ。青峰にとって自分は全く何も特別なことはないと、そう言われているようで。
「ずび」
「う」
「ごめん、テンション上げたら、涙腺に来た」
「別に、構わねぇ…す」
「うん、」
ずびずびと情けなく鼻を啜る。涙など出ない設定にすれば良いのだ。だが敢えてそういう仕様にした。これはある種指標だった。どこかの時代で、悲しいから泣くのではない、涙が出るから悲しいのだと言った者がいた。涙が出れば、悲しくあるべきだと思える。その為の涙だ。
**
結局は試合を見に行かなかった。試合結果は黄瀬からメールで知らされた。速報だ。彼の情報は早い。
その日は居候している偏屈親父の店の手伝いをしていた。
「どうした」
「ああ、負けたって…」
「行かなくて良いのかい」
「…おっさんが良いって言ってくれれば行くけど」
「…勝手にしろ」
はいつも連絡を待つほうだった。しかし今日だけは。
「相田さん?うん、…聞いた。どうせ火神くん、無茶したんだろ」
『よく、分かるわね』
「分かる。だって、火神くんは、誠凛が、チームのことが、すごく好きだから、絶対諦めないもん…」
リコは息を詰めた。電話越しでも分かった。
「すぐ行く。バイクで行くから、火神くん病院連れて行くわ。他の子は朝一に、ね。まだ、あるもんな…」
残り2試合、その結果次第ではインターハイに出場できる。リコの様子では、無理そうな気もしたが。
「うん、ありがと」と言ったリコの声はか細かった。涙を堪えているのだろう。
監督として十分すぎるほどの仕事をこなしている。高々高校二年の女の子が。決断を迫られることは多い。その判断を責められることもある。それを背負っているのだ。あの小さな背中に。
は自分の高校時代を思い出し、情けなくなった。いつも気丈に振舞っているその姿にいつも胸打たれるのだ。自分は力を得たって、性格は昔のまま傍観者。ああ凄いなと、彼女のことが眩しく写る。
「…覚悟決めるか…」
はそう呟いて、白衣の上に上着を羽織った。
「負けてあんたを見るの、胸焼け感半端ないっす」
「え、普通に傷つくけど」
会話終了。
「…お、お疲れ様です?」
「ぅす…」
「病院、連れてったげるから、とりあえず後ろ乗って」
「す…」
空気が重い。病院に着いても暗い雰囲気は変わらなかった。
待合室には中学生か、高校生か、恐らくはスポーツをしているであろう少年少女が多くいた。待ち時間は一時間は見ておいたほうが良いだろう。ちょこんと隅の方のソファに並んで座る。
「試合中、何かあった?」
話し掛けるか迷って、しかしは口を開いた。
ただでさえ思春期。そして試合に負けたとなれば、ナイーブになるのも仕方が無い。ダブルスコアだったというのだから、尚のこと。話し掛けて、こじらせる場合もある。青峰がそうだったのだ。
は火神の素直さを信じた。
「色々、考えてること多すぎて、正直混乱してる、す」
「す」を付ければ良いと思っていそうだ。すは敬語ではない。
「…考えてるって、次のことだよね?」
話す冷静さはある。ほっとした。は横に座る火神をちらりと見た。火神は言葉には出さなかったが、見ていれば分かった。闘志が迸っている。
は視線を真っ直ぐに戻した。まだ身体の小さい少女たちが雑誌を広げて、きゃいきゃいと話している。その様子を目を細めて見た。あんな時代は自分にもあったのだろうかと、遠い過去を思い出す。
「色々考えるのは、良い事だ。立ち止まるのも、悪くないけどね」
「立ち止まる、って良いことな、んすか」
「勿論。うん。立ち止まって、振り返って。それだけだとダメかもしんないけど、でも一回止まってみて、分かることもある、と思う」
は自分で言って、うんうんと頷く。そういうことあるよね、と。間違ったこと言ってないよな、と。自分に言い聞かせる。この会話一つ一つが、彼の未来を変えるかもしれない。適当には言えない。
「口に出して見たら?私はノートに書いたりするよ?ほら、頭の中だけだとまとまんないからさ。整理するの。聞くくらいなら、私にもできるかも」
「あんた、素のときは私って言うんだな」
「は」
「気付いてなかったのか、ですか」
「え、うん?うん、うんそう、そうなんだ、よねぇー…」
顔が赤らむ。高校生で一人称私ってどうだ?と思って、は懸命に俺と言い換えていたつもりなのだ。もう少し大人設定になれば自然になるのだが。
「ん…ん〜…」
何とも言えない気持ちになった。
「…無理に言いかえる必要はないだろ、と、思う、ます」
「敬語無茶苦茶だねぇ…今度国語一緒に勉強しようねぇ…確かうち、小学校のお勉強道具あったと思…あて」
足を踏まれた。お子様に言うような言い方をしたのがまずかった、はそう思った。多分そういう問題ではない。
結局1時間と21分待たされて、湿布を貰った。湿布ならうちにいっぱいあるよとツッコむ空気ではなく、とにかく火神の家に行くことになった。もう空が暗い。の家に行くよりも手間が少ない。
「あんた…腕は良いよな…腕は」
いつもより手が滑る回数が多かったのは、ご愛嬌だ。
タオルを片付け、オイルを鞄に仕舞う。ほっと一息ついて、少し気が緩んだ。
「火神くん、私がベンチにいたら、変わること、あると、おも、…いや、やっぱなし、今のナシ、頭殴るから記憶消して」
「いや!おかしいだろ!」
足の状態を確かめるように動かしながら、火神は吼えた。
「…兼部、だめなんだろ」
「作品が疎かになるから、と思うけど…それならもう既になってるし…逆に気になって仕方ない、し…」
「…悪ぃ…」
「え、うん?なに?」
深刻そうに俯く火神を、は凝視した。
「いや、俺らが怪我とかしないで、無理なく勝てたら、あんたもそんな心配しなくて済むんだろうし」
「まぁ…いや、バスケだよ。バスケ。どんなに気を付けてても万が一は起こるって…それに、そんな試合面白くないでしょ。やってるほうも、見てるほうも」
「経験者は語る?」
「変な言葉知ってんな」
顔を上げた火神の表情は、いつもバカをしているときのような幼さがあった。身体も解れて、気持ちも和らいだのなら良かったと、はほっとした。
「あんたがいれば、って、思ったことはある。今回も、」
「そう…」
試合前、試合中、試合後、その後も、本来ならばちゃんとケアをしてやるべきなのだ。
「飯、食ってくか?」
「いや、やめとく。居候してるとこのおっさんが飯待ってると思うし」
昔ながらの親父だ。全く家事というものをしない。いつまででもご飯が出来るのを待っている。これが結構なプレッシャーだったりするのだ。
**
リコは休み時間、大抵机にかじりついている。その卓上には資料やらデータやら、恐らくは練習メニューなどが広げられている。熱心なことだ。
「相田さん、これ。学生の主張はしないけど、それで良かったら、入り、たいんだけど」
が差し出したのは、入部届け。
「兼部、なしって…」
「頼み込んできた。顧問と、部長に…土下座して…」
「土下座して!?」
「聞いてよ!土下座机の上で一時間ストップ!デッサンするから!って…!!」
「いやぁ、良い経験になりましたなぁ、隊長」
どこからともなく直がやってきてそう言った。
「あ、えっと、加藤さん…」
「隊長の言ってることは本当だよー。絶対に出品作品数減らさない、締切り守る、部長の無理を聞く、って約束してくれたのー。パン一で」
それ言わなくても良かったやつ、とは思ったが、加藤直という少女の口は大層軽いのである。桃井と違い、完全に分かっていてやっているので性質が悪い。
「相田さん、大変そうだし…見てるだけなの、結構逆にしんどいっていうか…」
「ありがとう…火神くんにも言われたわ。仕事しすぎって…」
「一応スポーツ関連の論文とか医療系とか、も、漁ってたときとかあって、役には立つと思うんだけど…」
「うん、これからよろしくね」
「隊長と相田さんは個人的によろしくしないの?」
どんな答えを期待しているのか。リコはあわあわと赤面して訳の分からない言葉を発している。
「相田さんは魅力的な人だけど、俺には、まぁ、あの、好きな人いるから」
「へえぇぇ〜」
直は面白い物見っけ、という顔をした。リコを傷つけない最善の答えだったが、に対する当たりが強くなりそうだ。
「これ、茶化さないでね。真面目な話だし」
直は目を瞬かせた。にひっと笑って、直はの胸に拳を当てた。
「おう、頑張れ!相田さんもねー、頑張ってねー」
「ええ、ありがとう…」
ぶんぶんと手を振って駆けて行った。
「悪い子じゃね、ないんだけどね、ちょっと悪戯が過ぎる所があって」
「独特な空気感ね」
「それは同意する」
山川の席に行って、ちょっかいを掛けている。そして自然に女子の輪の中へ入っていった。
「うち、…美術部は基本的には自分の作品に黙々と取り組むタイプの部活で、放課後で大体俺は自分の作品終わらせちゃうし。課外活動もほぼほぼ無いから、休みの日はフリー。事前に言っておいてもらえれば、予定空けとくから」
「悪いわね」
「いや、無理言われてやってんじゃないしね。俺のなけなしの積極性」
「それでも、ありがとう」
「ちゃんと新しい情報入れとく。研修会とかサボり気味だったし…」
技術向上の為の研修は一月に何度かの頻度で開催されている。目ぼしいものだけに絞ってもかなりの数だ。
「それなんだけど…実際どうなの」
「ん?」
「脅したって…」
そういうことになっていたのだった、は自分で言っておいて思わず不思議そうな顔をしてしまった。
「実は無免許…」
「ああ、違う違う!今度家来て!待合室に貼ってあるから!」
それでもリコの表情は胡乱げだ。ため息を吐いた。話してしまった方が早い。余りにも話を盛りすぎで、はこの話を出来れば誰にもしたくなかった。しかし事実だ。いや、事実なのだが事実ではないと言う複雑な事情がある。
彼、彼女は実は人外で異世界を旅していた、というところに立ち返る。
ぽんとこの世界へやってきて、第一発見者が今現在居候させてもらっている親父の家の前だった。名前しか分からない記憶喪失という設定。あながち嘘ではない。
保険証も免許証も無く年齢不詳であるので、高卒の証明くらいは欲しいよねということになった。余談だが、おっさんにしては肌がきれい過ぎると言う理由で、高校生くらいじゃね?みたいな適当な感じだ。
そして試験を受け高卒の資格を得るが、中学生からちょっとやり直したいと無理を言って、私立中学へ編入。顔は今より幾分か幼い設定にしていたので、受け入れられた。そもそも人外のが人外かと言いたくなるような人間も通っていたので、不思議には思われなかった。
実際には成人済みなので、「この世界ザル過ぎる」と思っていたのだが、文句は言えない。
「中学校行ってみたいなぁ」「良いよ!」のやりとりをした時は本気で心配した。
同時に夜間学校へ行き、こつこつと資格を取った。因みに、夜間学校の方が2年ほど先に行っているので、赤司に「そういえば資格持ってるんですか」の問いには「ああ、持ってる(昨日証明書貰った)」と、ギリギリ資格保有者として認識されることになった。
というのが事のあらましである。
「ということなんです。信じる?」
人外云々の話を省き、リコに語り聞かせた。
「んー…」
と、やはり渋い顔をされた。だがすべて真実である。
「正式に取ったやつ。学校行ったし、試験通ったし、実務経験有り」
ぶい、とVサインを出す。ちゃんとした正規ルートだ。今回は何の誤魔化しも無い。
「まぁ、実際腕は良いみたいだし、うん、いっか!」
このノリだよ、とは内心で顔を歪めた。警察も、法務省も文部科学省も、学校機関も。そのおかげでは能力を使わずに、今の生活を手に入れた。
他の世界では何処にとは言わず忍び込んで、勝手に戸籍を作ってしまうのだ。いざとなれば色々騙す手立てはあったのだが、今回は手を汚さずに済んだ。
金銭面は完全に親父に頼っている。とはいっても家事は全てが行っている。云わば家政婦だ。給料の代わりに学費や生活費を工面してもらっている。それもぼちぼち返す予定だ。親父、おっさん、と言っているが、実の所そこまで年が行っているわけでなく、普通に親で通じる程度の年齢だ。
これも余談だが、客のマダムに「あら、綺麗な男の子ね、あんた男の子囲ってんの?通りで嫁さん貰わないと思ったわ」と言われたのである。は思わず噴出した。勿論その後殴られた。
因みにその後来たJKには「並ぶと完全にBLの表紙ワロス」と言われて、再び噴出して殴られた。
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