「先生怒ってるかな…」
「どうだろ」

ジンはそんなことは無いだろうと思いながら、はぐらかした。

「てか、多分会話聞いてただろうしなぁ…」
「え?」
「いや、こっちの話」




(あー…そういうことか…)

女性の姿を取っているはそっと目を閉じてそう思った。東京全体を覆うように広げていた感覚センサーを人が感じられる程度の範囲に戻した。には、二人の会話が十分に聞こえていた。遠く離れていても、知っている人間の声なら地球の裏側にいても聞き分けられる。
薄暗い部屋の中、電気も付けずにフローリングの床に座り込み、プリンを掬った。スプーンに付いたカラメルをペロリと舐めた。

(苦い…)

は窓の外を見た。開けっ放しの窓からは、風が入ってきた。その風がはたはたはたとレースカーテンを揺らしていた。の髪もそよそよと流れる。

「ふー…」

息を吐いた。感覚を広げていると、余計な音や他人の感情まで感じ取ってしまう。欲しい情報だけを取り出すためには、受け取った情報を全て頭で処理する必要がある。ジンならばいとも簡単にやってのけるだろうが、にとっては少し難儀な作業だった。それでも、はどうしても知りたかった。森山由孝が抱える問題を。
森山由孝という男の根底にあったのは、飢えだ。愛情に飢えていた。森山自身、自分が愛されずに育ったとは思っていない。冷たい家庭だったわけではない。だからこそ、今の今まで彼はそういった自分の抱える問題に気付かなかった。それはに会うまで、真剣に人を愛したことがなかったからだ。

森山は、自分に注がれる愛が両親の間で成される愛に劣っていると感じた。自分に向けられる愛情より、他者に向けられる愛情の方が大きいと感じる、などということは珍しくない話だ。例えば、他の兄弟に向けられる愛が自分より勝っていると感じることは往々にしてある。しかし、そんなありきたりな問題が、森山にあるかも分からない「本物の」愛情を求めさせた。幼い頃にそのような状況にある者は、恐らく多い。だが、それがその人を後々苦しめることになるかは、生まれ持った性格に起因するのだろう。

何度もの愛を確かめ、何度も自分の愛を確かめる、その行為は、恐らく森山自身を酷く傷つけていたに違いない。どうしようもない欲求だ。欲求は本人に押さえる術はない。強迫観念。追い立てられるように、森山はに助けを求めたのだ。

(まぁ…全て私の想像なんだけど…)

はかぷりと掬ったプリンを口に含んだ。甘みが口の中に広がる。

(それでも、どんなに不安で、苦しくても、あの子は、……私の愛を、そして私に向けてくれる愛を確かめようとしてくれた…)

「好きだよ、私も…好きだよ、由孝くん」

は、そっと微笑んだ。



**



というのがかれこれ一年半前の話だ。

「先生、さっきすっごい可愛い子見たんだけど…!」

と、部屋に入ってきて第一声がこれだった。森山には鍵を渡してあるので、自由に出入りできる。
「毒虫になって」よりは大分マシだ。
ソファに座ったまま、はお気に入りのケーキ屋で今朝買ってきたモンブランのクリームを掬ったままの状態で森山を上から下まで見定めるように視線を滑らせた。森山は身長が伸び、垢抜けてきた。もうが初めて森山に会った頃と寸分違わない。光が当たるとかすかに緑に発色する髪、切れ長の目、黙っていさえすればどこか気品のある雰囲気、耳障りの良い声。女性の話をするときは、少し上ずった声になる。は、その声自体は好きだった。

「…君、…だんだん森山さんに似てきたな…」

げんなりした様子でが言うと、森山はふっと笑った。

「んー…似てきた、っていうのはちょっと違うかな」

そっと胸に手を当てて、森山は慈しむような表情をした。

「先生が言ってた、明確な隔たりはないっていうの、最近分かり始めたよ。どっちも俺で、俺はあの人の延長線上に存在するって言うか、二人で一人って言うのか…」
「プリ●ュア?」

は真顔で茶々を入れる。森山は苦笑する。

「そうはっきりと区別された二人じゃないけど、俺は森山さんだし、森山さんは俺だし、まぁ、つまり森山由孝ってことなんだよな、」
「ふぅん…」

感覚的なものなのだろう、には納得できるほど実感できたわけではないが、森山がすっきりとした表情をしているので、それ以上何も言うつもりはなかった。

「だから、生まれ変わったら、って話は達成されたわけだけど。生まれ変わっても別人ってことも無かったし。一年前くらいは、俺と森山さんの間に差があったけど、正直単に俺が若かったってだけで、そもそも俺はこのくらいの年になると、こんな感じになるんだよ」
「なんか、騙された気がする…」
「まぁ、良いだろ。俺の全部……好きだよな」

するりと森山はの頬を撫でた。の座るソファにしっとりとした所作で身を沈めた。窺うように言った割には、目は確信めいた光を湛えていた。

「………好きだけれども!」
「じゃあ良いじゃん」
「可愛い由孝くんが帰ってくると尚良いです」

そう言って、は森山の旋毛に口づける。森山は、それをそっと押しのけて、の目を見つめた。

「ところでさ、」
「あからさまに話題を逸らすなよ」

森山の口が弧を描く。が不思議に思うと同時に、その口が言葉を発した。

「俺、のこと、好き」
「っ…」
「大好き。愛してる」
「な、なに、突然…」

動揺を隠すように、冷静な物言いをしようとしたが、それは失敗に終わった。

は、いつ俺のことを丸ごと奪ってくれるんだろうなぁ」

は戦慄いた。

「俺を一番に愛してくれる人になら、ほいほいくっついてっちゃうかもなー」

森山はにじりじりと近づく。はじりじりと後退した。ソファの縁まで追いやられ、追い被さるように森山がを追いつめる。

「俺はと違って、浮気もすれば、心変わりもするけど」

ね、と耳元で呟かれた艶を含んだ声に、は固まった。

「あ、あのさ、」
「ん〜?」
「なんで、服を脱いでんのかなぁ〜なんて…」

素早い動きで、森山はボタンを一つ一つ外していく。はそれを順に目で追う。

「だって、に任せてたら、俺おじいさんになっちゃうし」
「いや、不健全だよ。精神衛生上!」
「保健室でちゅっちゅいちゃいちゃしてたのは何処の誰だよ」
「私ですけど!だって、あれは……ドキドキしなかった!」

そう言うと、森山の手がぴたりと止まった。俯いてはいるが、半ば押し倒されている状態では、表情が丸見えだ。顔が赤い。森山は口を手で覆い、そっぽを向いた。視線だけをに向け、手の下でもごもごと口を動かす。

「あー…えっと、どきどき、してる?」
「してるよ」
「………俺も、俺もドキドキしてる」

ふはっ、と同時に吹き出した。




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