「その子、私のツレなんです。すみません」
そう言って現れたのは、長身の女性だ。森山が困惑している間に、警官との間で話が付いたらしい。女性は森山を振り向き、にっこりと笑った。全く似てもにつかないのに、その笑みがを連想させた。
「あの…」
「こんばんは。森山由孝くん、だよね。僕、ちゃんの父です」
「………………………………………………………………え」
森山がたっぷりの思惟の後に発した疑問符に、女性は大きな目をぱちぱちと瞬かせ、にっこりと再び笑った。
「僕の名前はジン。ちゃんは神、GODの字を音読みしてジンと付けてくれたみたいだけど、一応はカタカナってことになってる。神であって神でないという意味を込めてね」
「はぁ…」
(先生が父親?いや、でも…あの人女だって…言ってたよな…)
「ちなみに、僕が父で彼女が娘だよ。まぁ、僕も女だけどね」
森山は、と目の前の女性の関係は複雑で自分には理解できないのだと自己完結し、「そうですか」と答えた。
「じゃあ、まぁ、……ああ、その格好は店に入りにくいんだっけ、えい」
と言った瞬間、森山の格好は音もなく変わった。シンプルなものではあったが、少なくとも店に入っても恥ずかしくない程度の姿になった。森山が目を白黒させていると、ジンは苦笑した。
「ちゃんは、見せてくれなかったのかな」
「はぁ…「まぁそうか。あの子は驚くほど人らしいからね。さっきだって、君を追いかけるのに真っ裸だということに気付いて、手で着替えようとしたんだからね。あれは笑ったよ」
森山の返事を待っていたのではないと、ジンは重ねて言葉を紡いだ。穏やかな声だが、どこか無機質な口調だ。
「さぁ、入ろうか」
「あ、えと…お金持ってないんですけど…」
「任せて」
「はぁ…」
森山は女性が好きだ。だが、そういう対象に見ることが出来ないのは、ジンがどことなく人を遠ざけようとする雰囲気を醸し出しているからだ。
ウェイトレスが案内してくれた席は、一番奥の席だった。ジンは、適当に注文をすませ、森山に向き合った。
「彼女とは、どう?」
ジンは唐突にそう聞いた。
「ああ、君には『彼』、かな」
「………本当にあの人女なんですね」
「そうだよ」
ジンは頬をゆるめた。
「今度見せて貰えばいい。美人だからね。まぁ、僕は人間だった頃の姿も嫌いではないけど」
「人間…」
人間だった頃、という言葉が、や目の前にいるジンが今は人でないことを表していた。森山は複雑な心境で、ぽつりとジンの言葉を反復した。
「うん、別に美人でも可愛くもなかったけど、愛嬌はあったよね。勉強は並、運動はあんまり得意じゃなくてね。特別秀でたところもなかったけど、特別劣ってるところもなくて、いや、彼女自身に言わせたら、『一週間時間が欲しい。劣ってるところをパソコンで打ち出してくるね』なんて言って、ご丁寧に箇条書きにされた一つ一つに説明文をつけてくれるよ」
ジンは苦笑した。
「いや、力を手に入れ、まるで神のように出来ないことはない、今の状況でも、彼女は未だにそうやって自分の劣ってるところを列挙してくれるはずだよ」
眉を顰めながら、口角を上げ、ジンは吐き捨てるように言った。森山は、そのどれもがを形作るものには思えずに、呆然と聞いていた。
「彼女はね、繊細なんだ。どこにでもいる、ただの女の子なんだよ。男の格好をしてるときは妙に気取りたがるけどね」
こくりと森山は唾を飲み込んだ。ジンが何を言いたいのか、森山には分かった気がして、ぞっとした。
「……………単刀直入に言うけど、あんまりちゃんを虐めないでね」
ジンは苦笑した。森山はおずおずと口を開いた。
「それは、……先生と、別れろって言ってるんですか」
ジンは意外そうに目を見開いた。
「まさか。さしずめ僕は………君たちの愛のキューピットだよ」
森山はジンを胡散臭いものをみる目で見た。しかしジンは気にすることなく、けらけらと笑った。
「うはっ。無言だし」
ジンは明るい声でそう言った。しかし、すぐに目を細めて、森山を上から下までねっとりした視線でなぞった。森山は居たたまれずに視線を逸らした。
「どうして、こう…人はこんなにも感情に名前をつけ、分類したがるのか」
森山はジンが何を言わんとしているのか分からなかった。視線だけをジンに戻した。冷や汗がたらりと背を伝った。この目の前の女こそが得体の知れないものだ、森山はそう思った。
「ちゃんが言うには、感情的に生きることを抑制されて生きてきたから、感情をそのまま感情として受け入れることが難しくなったんだ、それに、日本人は枠からはずれることを酷く畏れ、どこかに属していないと気が済まない、だそうだけど。君もそうかな?」
ジンは詰まることなくスラスラと言ってのけた。
「だから、自分の感情に名を付けて、うまく分類できないと不安?」
森山は俯いた。ジンの言うことは、全て本当のような気がした。
「………分からない…です。でも、そうなのかもしれない…」
「そう。まぁ、ちゃんは説明好きだからね。何でもかんでも説明したがるんだよ。で、何が問題なの?」
「え…」
急に優しい声になったことに驚き、森山は顔を上げた。
「いや、好きじゃないとか、代わりだとか、なんとか言って出て行っちゃったじゃん?それの何が問題なの?」
いつ、どこで、どうやって見ていたのか、森山は肝を冷やした。一呼吸置いて、森山は口を開いた。
「えっと…、先生に対する好きは、その…うーん…偽物っていうか…」
「え、好きに本物も偽物もあるの?」
必死に紡いだ言葉は、呆気なくジンの質問に打ち砕かれた。
「……………えっと…だって、多分、俺は…親に愛され、いや愛されてたのは愛されてたんだろうけど、……なんか、物足りなくて、それで、その…親への愛情と、恋愛の愛情と…。ごっちゃにしてたかも、ってか…」
「ふぅん」
と言って、ジンは最初に運ばれてきたお冷やの氷をがりがりと噛んだ。
「ふぅん、って…キューピットどうしたんだよ…」
と森山は呆れ顔で言った。
「えー?だって、理解不能ー。まぁ、想像は出来るけどね。自我ができきる前のそういった感情は必要以上に大きく、その人の心の中を占める枷となる」
だから君はそういった類の感情に敏感だ、とジンはまるで精神科の先生のような物言いをした。ジンは人差し指をくるくると宙で回した。その指先をぼんやりと見て、森山は目を伏せた。
「けどさ、君ちゃんのこと好きなんでしょ?なら、それで良いじゃないか」
「いや、そう簡単な事じゃなくて…」
ぽつりと呟いた声はあまりにもか細いものだった。
「愛って、さ、そんな明白に分類できるもんじゃないだろぉ?それって、無駄なことだと思うよ?」
ジンはアイドルよろしくウィンクをして見せた。ジンの行動はインプットされた動作をランダムに再現しているようで、森山はギャルゲの少女達の動きを思い出した。
「それを言うなら、ちゃんだって、多分そうだ。誰でも良いんじゃないかな。孤独を、寂しさを癒してくれるなら」
そこで言葉を切った。ジンは森山の反応を見てから、言葉を続けた。
「でも、彼女、いや……彼はその世界にいるときは、その人のこと、絶対に裏切らない。好きで、大好きで、愛してて、どうしようもなく愛しいって、思ってその人と一緒にいる。それじゃだめ?ちゃんに幻滅しちゃった?君の言う本物の愛じゃないかもしれないからだめ?」
こてんと首が傾げられる様子は愛らしいものだが、内容は肯定しかねた。
「……………だめっていうか…」
「僕は、君のことは分からない。でもね、君のちゃんを思う気持ちは、好きだ。僕に隠し事はできないからね!」
ジンはびしっと人差し指で森山を指した。
「僕たちは、他者の感情を感情として、そのまま、共有することが出来る。言葉とか、文字とかじゃなくね。ちゃん風に言うと、「あっ」という刹那を感じ取る、だったかな。言葉になる前の、名前を付ける前の、純粋な事物、僕たちはそれを受け取るんだ」
ジンはとんとんと机を人差し指で鳴らす。
「君の心は、ちゃんと居るとき、ふんわりと柔らかくて、温かくて、幸せだって、感じてる。不安もあって、嫌いだって思うこともあって、ちゃんが誰かと話、してるとじりじり熱くて、ちゃんが君に笑いかけたら、君の心は、切なさと愛しさで、いっぱいになる」
ジンは温かい笑みを浮かべ、優しい声で言った。
「思い出した?」
「っ…」
目頭が熱くなった。咄嗟に、手で両目を押さえた。
「君はちゃんが好きなんじゃないのかい?君は、色々と考えすぎて自分の感情を忘れてたんだよ。確かに、君は親からの愛を求めてるかも知れないし、君がそうやって悩む根元には、そういった理由があるのかも知れないけどさ、でも、それでも君はちゃんが好きだろ?」
(好きだ……)
にじみ出るように、その言葉がぽつりと浮かんだ。
の何が好きかなど、をどう好きかなど、説明できない。ただ、それでも好きだという気持ちだけは確かだった。この感情が恋かなど、もう関係なかった。
「深く考えないでよ。物事は主観的にしか捉えられない。同じ景色は誰にも見られないんだよ。なら、君がどう思うかをそのまま受け入れるしかないじゃん。だめとか、良いとか、決めるのは君だろ?君の感情は、君にしか分からないんだよ?」
ジンの言葉は妙な説得力があった。すとんと、収まるものがあって、森山は今まで生きてきた中で一番すっきりとした気分だった。
「ジンさん、だっけ?あんた変な人だな」
「んー?よく言われるよ」
森山ははにかんだ。
「なんか、先生に会いたくなった…」
「じゃあ、一緒に行こうか」
(あー…好きだなぁ…好き、好きだ、これは、本物だ…だって、こんなにも、………)
「お待たせしましたー」
「やっと来たーその前に腹ごしらえだ」
「ただ、食べたいだけじゃないの?そのメニュー…」
店で一番大きいパフェだ。スプーンで掬い、ジンは大きな口にぱくりと含んだ。その様子が妙にと重なって見えた。
BACK ◎ NEXT