祠の報告書を読む。雷に打たれて焼けこげた木を祀ったものだと書かれていた。恐らく夢で見たあの大木だろう。そして土地神の話と合わせて考えると、命が尽きそうだった精霊を神格化し祀ったことで、生きながらえさせた。と言ったところだろう。理由は分からないが、それだけ分かれば十分だ。あくまでも我々の使命は、山内家があの家で暮らせるようにすること。
「ふわ…眠…」
体を伸ばしてあくびをする。そのとき、控えめにノックされた。
「はい?」
「コーヒー、淹れたけど飲むか?」
「ありがとー。そろそろ眠気が限界だった」
両手を上げて、わーいと喜びを体で表す。そうでもしないと、眠気に負けてしまいそうだった。
「そっか。まだやってんだな」
「うん…」
コーヒーを受け取って少し啜る。カップは温めないでくれと言ってあるので、飲み口は少し冷たい。
「あれ、その写真って…現物あったのかよ」
「…………うん、まぁね…」
机の上に出してあった写真を見て、八田は不思議そうな顔をした。わざわざ端末に取り込んだ理由が分からないからだろう。
写真は借りるだけで良かったのだが、自分が持っていても仕方ないからと譲って貰っていた。しかし伏見に見せたのは、女性二人の顔が分かる程度の範囲だけだ。写真の全容を伏見に見せなかったのには理由がある。
「…………こっちは、俺に似てんだな…」
八田はそっと写真を撫でた。
「うん。もし、美咲くんにそっくりなこの人を見せたら、伏見くんは君の戸籍を調べると思ったから…」
「…………そっか、また気ぃ、遣わせちまったな…」
「………まぁ…」
そんな気などいくらでも遣ってやるが、とにかく情緒不安定だけはどうにかして欲しいものだ。
そう、八田美咲は19歳として生きているが、戸籍上は私と同い年、25歳なのである。13年前、母を失ったショックで植物状態になっていた5年、復帰のためのリハビリで1年、計6年の間、彼は病院にいた。それから美幸の店がある東京に移って、伏見と出会った。その伏見は八田が25歳だと言うことを知らない。
恐らく八田はその事実を知られることよりも、そう至った過程を彼に説明したくないのだろう。母を溺愛し、彼女の人生を狂わせてしまった、そんな自分を知られるのが恐いのだ。
「………いつかは、話さないといけないって、思ってる…」
「うん…」
「でも、恐い…」
「ゆっくり、進んでいけばいいんじゃない?急くことはないよ」
「………おう…」
八田が仕事部屋から出て行ったのを見計らって、写真の裏に書かれていた男、「清美」の名を伏見の戸籍データベースに入力した。
伏見の先祖である黒髪の女性・ウズメと清美の婚約の際に写真を撮ったらしい。だから伏見の戸籍データベースに男の名を入れて検索すればその名が出てくるだろうと踏んでいたのだ。婚約したなら、結婚もしたはずだ。
「えっと、こっちが伏見くんの、…戸籍…清美…と」
清美と書いて「きよはる」と読ませているらしいが、字面だけ見ると女性らしい名である。妙な共通点に笑ってしまった。ちなみに、伏見の前世と思われる女性の名は「ウズメ」という名だ。猿田彦の妻、だったような気がする。いや、俗説だったかもしれない。だが、確かに縁のある者だったはずだ。ここにも共通点。
その名を打ち込んでエンターを押す。
ヒット件数0
「え、うそ…」
私は項垂れた。格好良いことを言った手前、伏見に八田の戸籍を調べて、などとは言えない。仕方ないと鞄に入っていた端末を取って、情報屋を営む旦那に電話を掛けようとした。しかしもう遅い時間だ。恐らく起きてはいるだろうが、非常識には違いない。
「それは明日しよう…とりあえず、山内さんへの報告書書かないと…」
当初の目的はそれだった。絶対に確かな事柄でも証拠を集めてから報告、鉄則だ。
私の戸籍データベースで山内の名を検索、次に私の名、そしてさらに“”の名を検索した。被害に遭うのは、やはり血縁者のみだという事実をレポートにまとめ、山内氏と共有しているサーバーに上げた。
「、」
「うおっ…!びっくりしたー…暁か…」
「、これ…」
暁が指差した先、“”の配偶者、名は“清美”。
「え!?なんで…なんでこの名前がこっちのデータベースに、ってか、……ウズメと、結婚したんじゃ…」
私は確認のため八田美咲の名を検索した。表示された画面には、八田美咲、養子に入った旨と生年月日が書かれていた。
「うそだろ…」
見事にヒットしてしまった。
私と伏見がそれぞれあの写真の人物と血縁関係があると分かったときから、恐らく八田美咲はあの写真に写る男と血縁関係にあると思っていた。だから婚約、結婚したのなら伏見の遠い遠い親戚として八田は存在すると思っていたのに。
「……………もしかして、あの人の恨みって…これ?」
“”は婚約者を寝取ってしまったのだろうか。いや、祠の神の話を聞いている限り、そんなことをするような人物には思えない。
「……………とりあえず、日記とやらを見ないとな…」
**
「あー…おはよぉ…」
昨日は気が高ぶって寝られなかった。眠い。強烈に。
「おはようございます…」
伏見も眠そうだ。くしくしと小さな手で目を擦っている。寝間着はうさぎの着ぐるみパジャマである。
「おはよう、猿くん…」
「え、あ…はい…」
「ん?どうした?…………………………私なんて言った?」
自分の過ちに気付き、急激に脳が覚醒した。
「いえ、あの…」
伏見は困惑した顔をした。
「猿くんって言った」
と八田が言った。
「うわわわわわわ…ごめんなさいごめんなさい。いや、美咲くんが猿猿煩くて、はいはい猿くんがどうしたのーみたいな会話を何度もやりとりしたからつい癖で!つい癖で!」
「ちょ…何大暴露してんだ!ばばばか野郎!」
伏見は私と八田の狼狽ぶりに、たじろいだ。
「いえ、そんなに謝らなくてもいいですから…」
「いや、だって、部下の名前を許可無く呼ぶなんて…セクハラじゃないから…!違うからぁ…!」
「……いえ、本当に良いですから…」
「……ああ、そう。じゃあいいや。今度から気を付けるね」
と言うと、伏見はがくっとした。
「………その切り替えの早さ…」
「いや、だって…良いんでしょ?」
「良いですけど…」
「それよりさ、」
「はい?」
伏見が首を傾げた。本当に可愛いな。性格には難有りだが。外見は天使のようだ。
「……………ずっとうずうずしてたんだけど、抱っこしていい?ほら、私も女なわけじゃないですか。子供が目の前にいます。どうする?」
「どうするって…アンタ子供嫌いって言ってたじゃないですか」
呆れ顔で、伏見は溜息混じりにそう言った。
「私が嫌いなのは言うことを聞かなくて何を考えてるか分からない子供!伏見くんは、ほら、聞き分けは良いし、何考えてるかは正直分からないけど、おおかた美咲くんのこと考えてると思えばほぼ大丈夫だと思ってる!」
ぐっと親指を立てると、伏見は溜息を吐いた。
「………………いいですよ」
久々に聞いたカタコト敬語だ。
「やったー」
私は胡座をかき、伏見を抱き寄せた。
「うわ、気持ちいい…やらかい…」
「アンタ、人を抱き枕か何かだと思ってるでしょう」
「うーん…違いない」
ぎゅうぎゅうとしていると、八田がこちらを見ていた。うずうずしている表情だ。羨ましい、と目が訴えている。
「……あの、匂い嗅ぐのやめてもらえません?」
肩口をすんすんしていると、咎められた。
「えー。だって、伏見くんって良い匂いするんだもん。これは柔軟剤とか、シャンプーとかじゃない!伏見くんの匂いだ!」
「名前を呼ぶくらい良いですけど!これはセクハラですよ」
衝撃を受けた。
「………ごめんなさい。調子に乗りました…ネコかなんかだと思ってました…」
実家では猫を飼っている。私は世話が出来ないと自覚しているので決して飼わない。しかし恋しいものである。
「……やっぱり猫飼おうかなぁ…」
「俺は猫と一緒ですか…!」
「うーん…うん、」
「肯定しやがった……」
伏見はがくりと肩を落とした。
「あ、猿くーん、美咲くんもしたいっていう目で見てまーす」
「い、いい言ってねぇ!」
***
「くぅ…」
寝不足だ。仕事中だというのに、もうコレで何度目のあくびだろうか。寝ても寝ても寝たり無い。原因は分かっている。眠れないのではない。眠りが浅い。そして夢を見る。
同じ記憶を有する物同士、精神世界がどこかで繋がっているのだ。八田が家で暮らすようになってからというもの、何度も何度も繰り返し同じ夢を見る。
八田美咲と、その母の夢。真っ赤な炎、全身に吹き付ける熱風、そしてあの憎しみの目。純粋に恐い。未だに体が震える。
全てが八田のせいというわけではない。それは彼にも言ったとおりだ。だがそれでも私は八田美咲が悪いと心の奥底で思っている。放っておけば良かったと、今でも後悔している。
だが八田は良い奴だ。もっと憎めるほど悪い奴だったならと思う。
あの日、炎に包まれる母親を助けに入ろうとした八田を、私は止めようとした。当たり前だ。目の前で不本意ながらも私に懐いてくれている少年を炎の中に送り出すことが、誰にできようか。
だが彼は全身でそれを拒んだ。そのおかげで、私の体は吹き飛ばされ、地面に強烈に体を打ち付けた。
ぎくりと体が硬直した。呼吸が止まっていることに気付き、意識してゆっくりと息を吐く。
地面に叩き付けられた衝撃がいまでも明確に思い出せる。そういえば私は生死の境を彷徨ったのだ。それだけは八田に文句を言っても良いのだろう。
「くわ…もう、本当に眠い…」
昼休み、一人での昼食は寂しい。
一人での業務は今までと変わらないはずなのに、どうにも大変な気がするし、寂しい。セプター4は昼食の時間がまちまちなので、会うことは少ない。道明寺でも居てくれれば、話しながら食事ができるのに。
「浜谷室長」
「淡島さん、いやだなぁ、その呼び方…宗像くんと同じみたい…」
「同じですよ」
「そうでした…」
どうにも宗像と同じ立場というのが私の中で消化できない。つい「一応」とか、「恐らく」とかを付けてしまう。
「ご一緒させていただいても、よろしいでしょうか」
「あんこ抜きなら……」
淡島は少しばかり考えた。できれば即答して欲しかった。が、結局あんこ無しで向かい合って食べることになった。
「淡島さん、その後どう?」
「…全く、ですね…動きが無いんです…。ですが、唯識システムで犯人を絞り込んでいるところです」
「そう…あれだけのことをしたんだから、もう少し動きがあるとも思ったんだけど…吠舞羅の方も被害はないみたいなんよねぇ…」
「そう、ですか…」
「何が目的だったのか…伏見くんって、付き合ってみるとそう悪い子じゃないからさ。不思議でたまらんよ」
淡島の視線が泳いだ。首を傾げる。何か変なことを言っただろうか。
「…………ふぅ…まぁ、ストレインはうちの管轄じゃないから、まかせるね。私も今、手が離せない案件があって、あんまり大っぴらに動けんのんよ」
「すみません。お手数をおかけしまして…」
「ああ、そういうつもりじゃなかったんだけど…」
「いえ、伏見を送り出した我々の責任でもあります」
「ははは、まぁ、ちゃんと仕事して貰ってるから大丈夫だよ」
真面目だ。真面目すぎる。部下の不手際も自分の責任ということらしい。
「そういえば、八田美咲を住まわせているそうですね」
「………まぁ…」
店の客の個人情報だぞ!と思わず叫びかけた。
八田が居候していることを知っているのは限られた人間だ。情報が漏れる所など、一つしか考えられない。草薙の人の良さそうな顔を思い出しながら、やはり美人には弱いのかと、少しがっかりしてしまった。勝手な話ではあるが。
「………伏見と一緒にいさせているのは、何かお考えがおありで?もう八田美咲は……その…」
「クランズマンじゃない」
「………ええ…その、襲われでもしたら、何もできないでしょう…?」
ごもっともだ。
「………言っておいた方が良いかもしれないよね…」
淡島の箸が止まった。
「美咲くんは、……特別な力を持ってる」
「特別…?ストレインですか…?」
「ううん。超能力、だよ。今はそれほどの力はない。けど、ストレインに対抗できるくらいの力は……あるだろうね…」
淡島ははっとした。
「今は、というのは…」
「………ある事件があったんだけど、その後、まぁ、紆余曲折あって、力が減退したの。減退、っていうか……うーん…封印?しちゃった、みたい」
「その封印が解かれた場合、……」
淡島が息を呑む。
「王にも匹敵すると思ってる」
「…………っ!」
「でも、私の危惧は、……もし、次の赤の王が選ばれるとしたら、美咲くんじゃないかと思ってる…彼以上の適任はいないでしょ?」
「ええ……」
淡島も納得した。草薙はそういう種の人間ではないし、草薙を除いて八田以上の力を持った者はいない。あれで八田は吠舞羅のNO.3だったのだから。
「……そのときに、能力が覚醒しないかって、……もう、そうなったら私も本格的に、というか、マジで力使わないといけないし、それはしんどいし正直嫌だ…」
精神世界に介入すれば、いくらでも止められるだろう。だがあまり取りたくない方法だ。最後の手段と言っても良い。
「これは、宗像くんの耳にも入れておいて欲しい」
「………分かりました。伝えておきます…」
淡島はいつの間にか食事を終わらせていた。私より食べ出すのは遅かったはずなのに。
「あ、それと適度に休み取ったほうが良いよー…」
という言葉がどれほど彼女の心に届いたかは分からないが、「頑張れ」などと私の口から言えるはずもなかった。少し肌が荒れていたように見えた。
「美人なのに、勿体ない…」
というと、怒られてしまいそうだ。
**
14時、祠の調査、及びそれに関わる人々の状況を知ることを目的として、破魔神社に来ていた。
破魔神社。破魔の魔は人の心の闇を表す。その魔を祓うのは特別な力などではない。気の持ちようだ。
神社といっても、元々は今で言う心療内科だったようだ。私と同じ能力、つまり精神世界に踏み込み、その人の闇を知り、対策を練る。あまりにも言い当てるものだから、神格化したらしい。
が、精神世界、魂に近づける私たちには霊を退ける力もあった。だからこそ「破魔」だ。だが、キリスト教的な悪魔払いとは異なる。霊、死んだ魂と生きている魂を隔てる、というのが私たちの行うことだ。そこに善悪の判断は含まれない。
と、話は逸れたが、その能力を持つ者が代々この神社を継ぐというのが、習わしだったようなのだ。力を持つ者はどの家族から出るか分からない。だからかつては親戚が集まって暮らしていたらしい。
戦争などの理由から今は離散し、殆ど親戚づきあいはない。私も従兄弟までしか付き合いはない。
ふう、と息を吐いた。
表札には「破魔矢」と書かれている。ちなみに本当の苗字だ。母方は破魔矢、そして父方は浜谷。何という偶然だろうか。字は違えど音は同じ。
「…………こんにちはー…」
自分の祖母の家なのだ。アポ無しで来ても良いと思う。そもそも神社なのだから、人が突然押しかけても良いと思う。しかしやはり電話してから来れば良かった。特別仲が良いわけではない。それに老人と接する機会が少なかったので、老人とどう接すれば良いか分からない。
躊躇いがちにインターフォンを押し、控えめに挨拶をする。
「はい。破魔矢です」
「………です…こんにちは…」
「正月以来ねぇ。どうしたんだい?」
「……えーっと…調べもの、したくて。えっと、祠についての日記があるって聞いて来ました」
「ああ、」
と言って、祖母は物置の鍵を出してくれた。
「ありがとう。終わったら返しに来ます」
そう言って、物置に向かった。
「思ったのと違う…」
余りにも立派なものだったので、たじろいだ。普段遣うのは違う所にある祭事に使う神器などが置かれている物置だったので、こちらに来たのは初めてだった。
「………すっご…」
昔は栄えていたようだ。ボロいが立派な家屋が目の前に建っている。雰囲気のある建物だ。
「……よ、よーし、頑張るぞー…」
暗い。臭い。広さの割に豆電球しか無い物置は薄暗いどころか夜のように暗かった。
「うへぇ…伏見くんに任せちゃえば良かったー…」
と、今日は家で休んでいるであろう男の顔を思い出した。とにかく量が多い。どれから手を付ければ良いものか。それに、個人的な書物なのか、背表紙はない。だから本棚に並んでいるだけでは全く何の書物か分からないのである。
とにかく、本棚をざっと見て回る。すると見慣れた本がまとまって所蔵されていた。
「…………あ、あれ、ああ、そっか、明治時代って洋綴じなんだ…」
和綴じのものばかりだと思っていたが、そういえば気まぐれに受講した近代文学史で扱われている本は洋綴じだったような気がする。
「字も辛うじて読めるー…」
懐中電灯で一つ一つ見ていくと、同じような薄い本が並んでいる。薄い本で一瞬思考がズレたが、いやいやいやいや、と首を振って、その本を手に取った。ビンゴだ。日付が書かれている。日記と見て間違いないだろう。
それらをごっそりと手にとって、運び出す。こんな暗闇ではすぐに投げ出してしまいそうなので、持ち帰らせて貰おう。鍵は持っていて良いと言われている。直接車に向かおう。
「よっこい…しょ、っと」
丁寧に扱わなければ。貴重書だ。車に運び込み、一息吐く。
「…………まぁ、全部持って帰っても、一気に読めるわけでもないし…」
と、今日は運び出したものだけを持って帰ることにした。
**
私は早速持ち帰った日記を読み始めた。古書だからか、鼻がむずむずする。
「ぶえっくしょい!あー…」
と盛大にくしゃみをした。これくらいしないと、スッキリしない。
「…………アンタって…」
「なに。おっさんくさいって?」
図星らしい。視線を逸らした。意外と分かりやすい性格のようだ。
「いや、もっと女としての自覚を持った方が良いですよ」
「えー…君に女アピールしても意味無いじゃんか」
「まぁ、そうですけど…」
「でしょ」
私に諭されたのが気にくわなかったのか、伏見は溜息を吐いた。
「………何か分かりました?」
「まだ。読んでる途中…」
伏見が、日記を覗き込んだ。
「読めるんですか?」
「今まで私が捲って遊んでたとでも?」
「いえ…」
「一応楷書で書かれてるから。でも、読みにくいのは確か。こんなところで適当に取ったあの授業が役に立つとは…」
「授業?」
「近代現代文学。文章読む時間もあったし、……………大学の話ね…」
沈黙。
「…………大学出てたんすね」
「…………一応…いや、だから、ホントに私一般家庭で育ってるからさ…大学進学率って、今や60%超えてるし…」
これも気まぐれに取った授業の調べ物で知ったことだ。あれから数年経っているが、恐らく状況はそれほど変わっていないだろう。
「まぁ、正直大学出ててもコレなんだけどね…」
伏見は首を傾げた。
「いや、伏見くんって、大学出て無いじゃない?でも、私なんかより仕事できるし、……私が過ごしてきた四年ってなんだったんだろ、とかたまに考えちゃうわけですよ」
「そういうもんなんすか」
日記を手にとって、伏見は文字と睨めっこをするが、途中で諦めたように元の場所に戻した。。
「うん、まぁね。まぁ、社会に出るまでに色々学べたよ。学業がっていうよりは、人との付き合い方とか。けど、高校出て働いたって、そういうのはちゃんとと身に付くだろうし」
高校を出て働きだしたという友人もいる。久々に会ったときに、社会人と学生の違いを見せつけられた気がした。あのときは焦ったものだ。
「………俺は、……美咲がいないところで、生きていける気がしません…」
ぽつりと言った。それは切実な響きを持っていた。
「正直、美咲が、クランズマンじゃなくなったとき、不安でした…美咲が赤の王の元にいれば、絶対に会える。繋がりがある…でも、それが無くなって、普通の生活に戻ったら、俺と美咲は…」
絞り出すような声は悲痛だった。本当に、ここまで想える人がいるなんて凄いことだ。こうやって悩んだり、苦しんだり、辛いかもしれないが、それでも羨ましかった。自分の人生がちっぽけなものに思えた。
「………君はできると思う。一人だって。君は生きていけるよ。ただ、君は恐いだけなんだよ…」
「……恐い…」
「うん、…、美咲くんが、君の方から積極的にアプローチしないと、君のことなんて忘れてしまうんだって、二人の関係は簡単に壊れるんだって、思ってる、んじゃないかなって…」
「それは……事実、でしょ…?」
窺うように、伏見は私を見上げた。
翌日、私は一人自分の執務室で日記を読んでいた。いい加減飽きてきている。他人の日記など読んでも全然楽しくない。そのとき、インターフォンが鳴った。これ幸いと私は来客を招き入れたのである。
「宗像くん、どうぞどうぞ〜」
「失礼致します」
綺麗な礼をして入ってきた。茶道をしているからなのか、宗像の所作は一種の芸術品だ。ソファに腰掛ける様でも、つい見とれてしまうレベルだ。私急いでコーヒーを淹れた。
「伏見くんはどうですか?」
「どう…まぁ、元気にしてますけど」
「そうですか…」
ことんとコップを置いて、私も向かいのソファに座る。
「美咲くんのことで来たの?」
「ええ」
「どこから、どこまでを話せば良いのかなぁ…」
彼について、どこまで他人に話して良いものか悩むところだ。おうらいばしーの問題だ。
「………そう……八田美咲には、凄まじい力があった。私も実際くらってるし、……死ぬかと思った…」
腹をさすった。彼の力によって吹き飛ばされたときの痛みを思い出した。
「どういった力ですか?超能力と、窺いましたが…」
「うん。サイコキネシスだよ」
「………念力、でしたっけ…」
すぐに答が返ってきた。
「うん。ぶっとばされちゃったよ」
「……封印というのは?」
話を進めろと言うことらしい。私は話を続けた。
「まず、まぁ紆余曲折あってですね、美咲くんの心が、壊れちゃったんですよ」
「深刻な話なのに、そう感じさせないあなたの話術には感服します」
「………褒めてる?」
「ええ」
にこりと笑う。絶対に褒めていない。
「そう…でね、その修復を、私がやったの」
修復というのがぴんと来なかったようだ。
「修復っていっても、まぁ、パズルのピースをはめるみたいな感覚、かなぁ…バラバラになったのを、元に戻すの」
「そんなことが可能なんですか…」
「まぁ、パズルと違って、全部完成させたからといって、心が元に戻る、とかはないんだけど…」
実際に体験しないと、分からない感覚だろう。
「あとは、呼びかけとか。…身体に異常がないのに、目が覚めないって、現実世界を拒んでたりする場合が多くて、美咲くんもそうだった。もう良いやって、現実なんて、戻っても仕方ないんだって、思ってた。それを長い時間かけて、この世界に帰っておいで、って、…呼びかけた。あなたを必要としている人がちゃんといるんだよってね」
「………それで……」
「封印、っていうと語弊がある。色々私が精神世界を弄ってたら、まぁ、あれだ。どっかいっちゃった…表面上には、なくて……平面パズルじゃなくて、立体パズルだからさ、あー…うん…。難しいよね!」
「…………軽い…軽すぎます」
「………あははは…」
照れ照れ、と頭を掻く。正直、当時は大まじめだったのだ。だがどこをどうしたのか、力が隠れてしまった。元に戻すべきかとも考えたが、あのとき受けた力に対して恐怖を抱いていた私は、元に戻そうとは思えなかった。無くても良いじゃないかと。
「まぁ、概要は分かりました。突然その力を使われるより、こうやって話を聞いておけば、対策も練れますから」
「うん。もしものときは、お願いします。多分、私は役立たずですんで…」
「………人には得手不得手がありますから」
「……そう言っていただけると有り難いです…」
深々と頭を下げた。
「うわ…」
「ん?」
八田が声を上げた。
「お前…よくそんなの読んでて眠くならねぇな…」
八田はげんなりした顔をした。
どこにいようが、私は日記を読んでいた。仕事に行って読み、家に帰って読み。げんなりしたいのは私の方だ。
「いや、眠いよ?切実に!けど、鳴神が居るから…定期的に脳に電気送ってもらってる…」
「ああ、そっか…」
納得、と八田は頷いた。
「あの、前から気になってたんすけど、鳴神ってなんすか」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「知りません」
ぶっきらぼうに伏見は言った。
「ふむ、鳴神っていうのは、名の通り雷神様なの。えっと、精神世界の話はしたよね」
「はい」
「で、鳴神の話だけど、私は何体かの神を自分の精神世界に住まわせてる」
「………神、を…」
実感が湧かないらしい。確かに「神」などを実感しろという方が無理だろう。
「うん。あ、特殊なことではあるけど、精神世界を操れればそんなに難しくないんだよ。神憑り、とか言うでしょ?」
「はい…」
「そのとき、神は人の精神世界に干渉してる。それをその人が認識してるかしていないかの違い」
「………はい」
納得はしていないが理解はしたというところだろうか。
「えと、私の説明分かる?ごめんね、説明苦手だから……」
「…………つまり、人は精神世界っていうのを持ってて、浜谷さんの精神世界に神が居るって話ですよね」
「うん」
「雷、電気で貴女の体を制御してくれてるんですね」
「そう!だから、……」
かくりと頭を傾ける。
「だから?」
「私は鳴神いないと何もできない…」
しょぼんと頭を垂れる。
「伏見くんから見て、私ってどうだろう。運動とかできそうに見える?」
「………それは…」
「うん。分かってる。私の体育の成績、中くらい。伏見くんとか、美咲くんみたいに、運動神経良くないし、本当は戦ったりできるような人間じゃないの」
胸の前で組んだ手が震えた。何かを言おうと伏見の唇が震えたのが見えた。
「大丈夫。私には鳴神が居るから、……」
本当は運動神経が良くても、戦えるような人間じゃない。争い事は苦手だ。でもそんなことを思って戦っていれば、隙が生まれる。剣を抜くときは、いつもトランス状態になっている。何も考えないようにしている。それでも、やっぱり元に戻ると恐怖でどうにかなってしまいそうだ。
はっとした。先ほどから八田が静かだ。八田の顔を見ると、申し訳なさそうに眉を顰めていた。私は八田の目を見て首を振った。
「………自分で選んだ、道だから、大丈夫…」
**
「あんたと、美咲の関係って…何なんですか…」
いい加減寝ようと思ったとき、ぽつりと呟いた声が聞こえてしまった。
「……………友達だよ。友達になるまでに、少しごたごたがあってね…私の口から、話しても、きっと美咲くんは怒らないと思うけど…」
と言うと、伏見は首を振った。
「…………美咲の、口から聞きます。なんかアンタの口から聞いたら負けたような気がする」
どういう理屈なのだ。論理的な伏見にしては珍しく、感情的な物言いだ。いや、赤の王の炎を受け入れたのだから、彼の中にはそういった要素も元々あるのだろう。
「ふ…何それ。……あのね」
「はい?」
「詳しくは、言えないけど、……美咲くんは、君が思っているよりも、ずっとずっと君のことを想ってる。恋だとか、愛だとか、私は茶化すけど…でも、きっとそんなんじゃないの。そんなんじゃないところで、……君のことを想ってる」
「………それは……信じて、良いですか」
私は驚いた。真剣な瞳。真っ直ぐな目。それに何より「信じても良いか」というのだから、信じたいと思ってくれたということだ。少しずつでも彼は私に心を開いてくれようとしている。それが少し嬉しかった。
「何ですか…」
「いや……うん、君がそう言うとは思わなくて…驚いた………うん、うん、良いよ、信じて」
「………そうですか…」
キリの良い所まで読もう、などと思い、結局今までかかってしまった。仕事部屋に置かれたコタツの中に入り、もうここで良いやと寝転がった。
「………やっぱり、寝取るような人じゃなかった…」
夫になるはずだった男を取られた恨みが原因かと思ったが、そうではなさそうだ。ただ、そういった噂が流れているという話は書かれていた。ではウズメという女性はそのことを真に受けたのだろうか。日記内にはウズメと清美の名が何度も出てくる。信頼関係にあったはずだ。そう簡単に外からの情報を信じるだろうか。
「………まぁ、そういうこともあるよねー…考えすぎ?やっぱ寝取られたと思って、恨みを持ったってこと?うわー、」
「何してんすか」
寝ころんだ私の頭の傍に立って、伏見は私を見下ろしている。
「…………考え事…」
「………俺には休めって言うくせに、……」
「心配してくれたの?ありがと。もう寝るよ…ちゃんとベッドで…」
はははと笑って、起きあがった。急に起きあがったからか、少し頭がぐわんとブレた。
「……………伏見くん、実は、……私と美咲くんって、付き合ってるんだよね…」
無反応だ。
「何もないの…?リアクションをしてもらえると有り難いのだけれど…」
「いえ、鼻で笑ってやろうか、それとも深刻な顔して貴女の頭の異常を心配すれば良いのか、怒ったフリをすればいいのか、考えてました」
「…………信じてないし…」
口を尖らせて言うと、さも当たり前というように言った。
「論外でしょ」
あまりの即答、きっぱりとした口調に対抗心が起こった。
「えぇ…?そうかな…可能性は0じゃないと思うけど…」
「100%ないですね」
「言い切るなぁ…」
「……で、何を考えてたんですか」
呆れたように伏見は言った。
「…………うん…待って、整理してる」
私は一つずつ、伏見に説明していく。
「ウズメさんがどうして、山内家を襲うのかを考えて、色々調べてたら、かくかくしかじかで、ウズメさんの婚約者を“”が寝取った、んじゃないかって結論に至ったんだけど、けど、実は、それはただの噂で、えーっと、だから、そういう事実は無かったんだけど、ウズメさんはその噂を信じるようなことってありうるかなぁ、と…」
「日本語でお願いしても良いですか」
「辛辣…っ!」
溜息。6歳児に溜息を吐かれる大人って…。
「つまり、ウズメって人が、が男を寝取ったという噂を信じるか、って話っすよね」
「はい…」
あまりにも簡単な話になった。そうか、そこだけを伝えれば良かったのか、と私は感心した。
「その三人の関係性は?」
「丁度今の私たちみたいな関係、かな。もっと、ウズメさんと“”は親密だったみたいだけど」
「…………俺はその人じゃないんで、何とも…。でも、俺は信じないでしょうね」
「そっかー…100%、ね」
「ええ」
頷いた。
「………ありがと…参考になった。じゃあ、おやすみね…」
「はい」
伏見は訝しげな瞳を隠さずに、ドアが閉まるまで私を見ていた。私はそのままコタツに埋まり、目を閉じた。明日の朝はきっと体中が痛いに違いない。
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