「はい、はいはい、そうです。うん、ごめんねー…え?テンション高いなぁ…嬉しくないのって?私からしたら仕事なんだけど…あー…うん、早く終わらせたいよ。じゃあ、はい。19時に」
通話を切った。相手は道明寺だ。セプター4は霊感の強い者が多いらしい。特に道明寺、秋山、日高は霊感が強い上に恐怖心が薄いので、彼らが私の下で働いてくれているときは、たいへん助かっていた。
今回は伏見が役に立たない。体が小さくなったからではない。彼は大きく関わり過ぎているので、公正な判断が下せないのだ。実際、泊まり込みの調査で、霊たちは彼にイレギュラーな反応を起こした。逆にそれが解決の糸口になったことは否めないので、文句ばかり言ってやるのも可哀相だが。
そんなこんなで午後からの仕事ゆえ、午前中は暇になった。ぶらぶらと当てもなく歩く。
家はもはや安息の場ではない。他人が二人も居座っているあのマンションに居る気になれるはずもなかった。
「あら、ちゃん」
「あ、美幸さん、お久しぶりです」
何者もを包み込む笑み。既視感。どこで見たのだろう。気持ちが落ち着いた。最近は急速もろくに取れず、無意識にピリピリしていたかもしれない。
「あ、お昼、もう食べた?」
「いえ…」
「じゃあ、家に来て。一緒に食べましょ」
「……お言葉に甘えさせてもらいます…」
そう言って、久々に彼女の営む小料理屋にやって来た。落ち着いた雰囲気だ。美幸の性格をそのまま表したような場所。席につくと、温かいおしぼりが出てきた。それを受け取り、冷たくなった手に包むとほっこりとした。快適な空調が効いたそこは余りにも心地良い。リピーターが多いのも頷ける。
一瞬の浮遊感。気付いたら知らない場所で浮いていた。完全にここは夢の中だ。
美幸が昼ご飯を用意してくれているその間に寝てしまったらしい。自分の知らないところで、よっぽど疲れていたようだ。
「様、一人で外出されては困ります」
「ごめんなさい。でも、この木のことが少し不安で…」
「…………今夜は嵐らしいですね…」
「ええ…」
大きな木。風が強い。不穏な空気。そういえば、今回は、“”に成り代わっているのではなく、俯瞰で見ているような感覚だ。
“”とウズメ。
「それならそうと、言ってくだされば、付いて参るのに…」
「………でも、夫婦水入らずを邪魔しちゃわるいかなぁと思って…」
「まだ夫婦じゃないですけどね」
「………来週ね…」
「ええ…」
やはり結婚を控えていたのだ。だがその運命が変わったというのなら、ウズメは……
「………様、」
「ん?」
「……私が嫁に行っても、私は様を一生お守りする所存でございます。たとえ、どんなことがあろうとも…」
「………ありがとう」
決意に満ちた視線を一心に受け、“”はにっこりと笑った。その笑みには見覚えがあった。
「…貴女の傍は落ち着くわ…」
ウズメの肩口に額を付け、“”は言った。
「いつも言ってますね…」
「だって、貴女の持つ世界は、…………」
笑顔がだぶって見えた。
「え、…」
景色がぶれた。覚醒する。
「ちゃん、」
「………ふぇ…」
肩が揺すられる。美味しそうな香りが近くでする。
「わっ…!ごめんなさい…!寝ちゃった…!」
急激に覚醒する。からからと笑って、美幸は自身も席に着いた。
「じゃあ、食べよっか」
「はい。わっ。高菜炒飯だ!」
「ちゃん、好きって言ってたから」
「大好きです…!」
ぱくりと口に含む。美味しい。それはどこか八田の作る料理と似ていた。
ぱくぱくと炒飯を咀嚼しながら、先ほどの夢を思い出していた。夢は暗示。最後に“”が言った言葉が気に掛かった。
「貴女の世界は、……貴女の世界の、柔らかなさざ波が、いつも私の心身を優しく撫でていく」
それはまるで伏見の精神世界と同じ。優しい世界。
**
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん、今来たとこ。仕事早く終わったからさ」
道明寺は既に待ち合わせである山内家の前に立っていた。私服はいかにも今時の男の子だ。風呂に入ってきたのだろう、シャンプーの匂いがほわりと薫る。手に持つ袋には大量の酒が入っていた。私の好きな甘いお酒ばかりだ。
「私も持ってきたんだけど…凄い量になっちゃったね…」
「ふふふ、ちゃん、今日は寝かせないぜ!」
「寝かせてください!そうしないと今回のミッションはコンプリートされないので!」
道明寺は鼻歌を歌って玄関に向かう。鼻が赤い。もしかしたらかなり待たせたのかもしれない。早く部屋を暖めてコタツにでも入ろう。
何度目になるか分からない山内家。木の匂いが安らぎを与える。懐かしさを感じさせる日本家屋、だが新築であるため古めかしくはなく、住みやすい。ここを設計した人は天才だ。
「うわぁ…凄い家…!」
と言って、道明寺は廊下を駈けていった。子供か。
「だよねえ…私も最初驚いた。お金掛かったろうね…」
「俺の給料じゃ無理だわ」
「……私のでも無理かも…」
「あれ、でもうちの室長と同じ給料だよね?」
驚いたように振り向いた。
「あ、そこリビング」
「オッケ」
道明寺はリビングに滑り込み、コタツに真っ先に入った。やはり寒かったようだ。
「……残業少ないから…危険手当もそんなに無いし…」
「そっかぁ…」
私も向かいに座り、袋から缶やらビンやらおつまみやらグラスやらを出し、落ち着いた。
とぷとぷと酒を注ぐ。注がれる色の付いた液体を見ながら、私は美幸のところで見た夢を思い出した。
夢の中のウズメという女はとても強く、そして気高い女性に見えた。もう一度そのイメージで彼女と接するべきだろう。
それに以前は女性が霊だと思っていたので、どうにか対話を試みようと思っていた。しかし彼女は思念の塊。対話などできようもない。彼女の想いを読み取る。それが今回の私のミッションだ。
「かんぱーい」
「かんぱーい」
酎ハイを呷る。夢を見る手っ取り早い方法、それがアルコールだった。悪酔いはしない(と思っている)が、眠気が襲ってくる。そういうタイプの酔い方をするのだ。
ぐびぐびと遠慮無く飲む。
「旨ぁ…」
「美味しいー。久々のアルコールゥ。ちゃんと飲むのも久々だし」
「確かに。なんとなく忙しかったしねぇ」
別に普段と変わらぬ業務のはずだが、いつもと違って自分とも大きく関わる案件なので、精神的な余裕が持てない。今までは所詮他人事として仕事をしていたかもしれない。反省点だ。
「うちも。伏見さんがいなくなった分…。まぁ、秋山が一番の被害者だけど」
「そっか、…今度何か持っていってあげよう」
伏見がいて、こちらは業務上たいへん助かっているのだ。ということは、その分セプター4は大変なことだろう。だが、そうまでして伏見を私の所に寄越したのはなぜだろう。宗像に聞いても教えてもらえないだろう。
「ちゃん?今日はペーズ早いねぇ」
「さっさと仕事終わらせて楽しく飲みたいからね!」
「あー…そっか。よし、どんどん飲め!一気、一気、一気!」
道明寺も酔っているらしい。テンションの高い声に導かれるように私はごぶごぶとがぶ飲みする。
「ふはっ…」
そのとき、がくりと一瞬落ちた。
『守らないと…!』
はっとした。
「大丈夫?」
「う、うん……」
一瞬だった。だがそれが全てだった。
「守らないと?」
どういう意味だろう…
ウズメ→守る “”とコタツの上に指で文字を描く。
守りたい、守りたい、守りたい。何から?あの人は何から“”を守りたかったのだろう。
「よし、飲もう」
「ん?おう!」
もうここでの役目は終わった。あとは飲み潰れるまで飲むのみだ。
**
「ありがとーもう、一人はさ、恐くって…あー…記憶全然無いし、また絞められたし…うぅ…」
山内家からの帰り道、首をさする。またくっきりと痕がついてしまった。
早朝故に人はいない。そもそも人通りのない静かな場所だ。山内家は小さな山の上にある。小さな、というのは、女性の足でも15分ほどで頂上に着くくらいのものである。車が通れる道路は舗装してある。そこをゆったりと歩く。
「聞くまで信じられなかったんだけど、本当にそんなことになるんだねぇ。俺は無いから全然良いよー」
「道明寺さん…」
けろっとした様子、と言っても二日酔いは相当キているようだが。午後からの勤務らしいが大丈夫だろうか。
「久々にいっぱい飲めたし。でも、もう少し廃墟感が欲しかったなぁ…」
「…………それは…」
しんみりと言うものだから私は苦笑いするしかなかった。こっちは被害を被っているのに、暢気だ。いや、これくらいじゃないと伏見の下でも宗像の下でも働けまい。
「それにしても、ここ、……」
「何?」
「……嫌な感じとかしないなぁ、って…。どちらかというと、神聖な感じがするような…」
「……神聖…」
それはウズメの『守りたい』という気持ちがそうしているのか。
ではなぜ私の首は絞められたのだろう。よくよくあの時のことを思い浮かべると(今回は泥酔のため覚えていない)、あのとき彼女の表情は決意に満ちた物だったような気がする。だから山内氏もこの家を売り払おうとは考えず、解決の道を探っている。流石に怨霊が住み着いているような家に住んでいて、悠長に相談になど来ないだろう。
「守りたい相手を傷つけるって、あると思う?」
朝の冷たい風を頬に感じながら、ぽつりと呟いた。道明寺はぴたりと立ち止まり、じっと私を見た。
「……有りだとは思うけど、どちらかというと、傷つけるのは守りたい相手を傷つける人じゃないかな…おれは、どんな犠牲を払っても、大切な人を守りたい……!」
拳を握りしめ、道明寺は叫んだ。真っ直ぐな気持ち。そんな心意気でもなければセプター4には入っていないだろう。私はぱちぱちぱちと拍手を送った。彼に守られる女性は幸せだろう。こんな性格だが誠実だ。未だ独身で、彼女も居ないのだが…。
道明寺はセプター4の宿舎に住んでいる。殆どの人間はそうだが、宗像はちゃんと実家から出勤しているようだ。その宿舎から徒歩20分の所に山内家があり、その反対側に私の家がある。反対と言っても、宿舎から5分ほどの位置だ。
《、もしかしたら、やっぱりウズメはお前たちを退けようとしたんじゃないか?》
鳴神が突然そう言った。
「……つまり?」
《日記を読む限りでは、ウズメには“”と清美、一部の子供達以外の親しい人間は居ない》
なにが、何から守りたかったのだろう、だ。答えなど分かっていたではないか。山内家、私、血縁者だ。そもそも彼女が守りたかったのは“”であって、その血縁者ではなかったはずだ。なぜ血縁者からを守ろうとしたか、様々なことが考えられる。当主という立場上、“”には敵が多かったはずだ。
「懐かしっ。この疎外感…!」
「うわ、ごめん」
道明寺が悔しそうに声を絞り出したので、私は慌てて謝った。
「良いッスよー。鳴神さんと会話中でしょー」
「う、うん」
道明寺はにっこりと笑った。
「また飲みに行こうねー」
と言って、道明寺は私に抱きついた。
「う、…うん。もちろんだよ!」
このスキンシップが多いのは何とかして欲しい。可愛い顔をしていても男だ。職業柄がっしりとした肉体。身長だって私よりはるかに大きい。抱きすくめられると、顔が彼の胸板に押しつけられる。仄かに薫る香水の匂いにどぎまぎする。狙ってやってるわけではないだろうから、私も文句が言えない。
「じゃあ、俺もう行くねー」
「うん。本当に今日は、昨日?はありがとう」
「いえいえー」
ぶんぶんと手を振って、道明寺は宿舎に戻っていった。私は門の前で彼が見えなくなるまで見送った。そして彼が宿舎のドアを入っていったので、私はくるりと方向転換して、自宅に向かって歩き出した。
「守りたい…・か、」
《まだ考えてるのか?》
「うん、だって…」
《、目の前のことしか見えなくなるもんなー。色々な条件を総合的に考えたら、すぐに分かるぞー》
「え、鳴神にはもう理由分かってんの?」
《大体はな》
「ヒント!」
そういうことか…。鳴神の話を聞いてやっと分かった。二日酔いの気怠さと頭痛を我慢しつつ、山内に報告書を送る。そして力尽きて眠ってしまった。
「おはよう。あれ、伏見くんは?」
「昼寝」
「……そっか、」
子供の姿になってから、眠気に勝てなくなったと聞いている。睡眠は大切だ。幼稚園だって昼寝の時間があるくらいなのだから。
「大丈夫か?」
と水を差し出す八田。それを受け取って一気飲みする。
「コーヒー…いや、昼ご飯…もうぺこぺこ…」
朝帰りが悪かったのか、今日は朝から調子が悪い。リビングに掛かっているカレンダーを見て納得した。生理が近い。生理に伴う不調は軽い方ではない。憂鬱だ。有休を使いたいほどである。
「…………今日、どっか出かけようか…」
「へ?」
元々、八田を外に連れ出そうと思っていたのだ。そして今、私は重要なことに気付いた。生理用品が切れている。八田に頼むのは少し気が引けた。
「お、おう、まぁ……良いけど…」
八田の表情が少し曇った。
「日光を浴びた方が良いよ!頭にキノコ生えちゃう!」
「生えねぇよ!」
ナイスツッコミだ。
「……おはようございます…」
私たちの声で目が覚めたらしい。目を擦りながら伏見が起きてきた。
「伏見くんだって、外に出たいよねぇ」
「…………まぁ…」
出たいだろう、と目で訴えると、伏見は頷いた。よくできた部下だ。
「よぉし。出かけよう」
「どこ行くんすか」
「ドラッグストア!」
「それって、お出かけっすか…?」
「うん、」
「………まぁ、なんでも良いですけど…」
伏見は溜息を吐いて、洗面所に行った。洗面所には伏見用の台がおいてある。それに乗って歯磨きをしている姿といったら、もう!たまらなく可愛い。
子供はいらないかなぁ、と思っていた私でさえ、子供欲しい、と思わせる。本当の子供は伏見のように手の掛からない子ではないのだが。
「これ食ったら行くか?」
「うん…」
小さめのオムライス。ケチャップでYESと書いて八田に見せる。
「………おう…」
その妙な間に彼が何を考えたのか。
「くしゅ…」
玄関で靴を履いていた伏見が可愛いくしゃみをした。
「寒い?ちょっと待ってて、マフラー取ってくる」
私は履きかけのブーツを脱いで、部屋に向かった。確か小さめのマフラーがあったはずなのだ。
「あったあった」
ハンガーラックに掛かっていたマフラーをぱっと取って玄関に向かう。
膝立ちになって、伏見の首にマフラーをかける。結び目をリボンにしたいところだが、長さが足りない。
「地味なマフラーだな」
「ん?普通じゃない?」
マフラーを巻いていると、八田が何気なくそう言った。確かに私の今着けているマフラーに比べて、かなり地味な物だ。
「そっちは派手じゃねぇか」
「ああ、これ就活んときに、付けてたやつなんだよね」
伏見の首に巻かれたマフラーは、黒地に臙脂とグレーのチェック模様。伏見は青みがかった髪をしているので、濃いめピンクのマフラーを着けたら似合うのではないだろうかと思うが、今はこれしか持っていない。
「就職活動とか、してたんすか…」
「うん」
「え、じゃあ普通の会社に勤めてたとか…」
セプター4は特殊部隊、そんな普通の経歴の者が居るのかと思っているらしかった。しかし皆意外な経歴を持っていたはずだ。そういう話はしないらしい。世間話など時間の無駄だと思っていそうだ。
「うん、会社員だったよ。意外だった?」
「ええ、まあ…」
という伏見の後ろで、八田の表情が少し和らいだ。まだ気にしていたらしい。
「なんで今の仕事にしたんだよ。お前戦うのとか、こういう面倒な仕事とか嫌いじゃん」
八田の疑問は至極当然と言えば当然だった。私は立ち上がってドアをくぐった。八田と伏見もそれに続く。
「………前の青の王とうちの祖母が知り合いで、…私の能力のこと知って、力貸して欲しいって、いう申し出があったんだけど、全部断ってたの。まぁ、私はまだ高校生だったし…ね。まだ京都にいたし」
破魔矢神社は昔から政府関係の人々を関わりが強かったらしい。ご意見番のようなものだった、と聞いている。
「じゃあ、なんで…」
「………迦具都クレーター……の事件、は知ってるよね…」
二人が渋い顔をした。彼らはまだ小学生だったろうが、ダモクレスダウンという点において、彼らにとっても他人事ではない事件だ。
「………あの事件の後、善条さんのお見舞いに行った、らさ…あんたがいたら、あの人は死ななかったかも知れない…って、言われた」
あのときはそんなことを言われてもと思うと同時に、酷く傷ついたものだ。
「それから十年、それでも普通に生きていくんだって、思ってた。でも、宗像くんが来て、お願いされたら、断れなかったの…。あのときのこともあって…もう、私には逃げ場がないんだなって…」
「……あんたが居れば、あれは回避できたと?」
伏見の鋭い指摘に私は俯いた。急に腹が痛くなる。
「…………もっと、被害を抑えられただろうって、……」
嫌な沈黙だ。
「……、おまえ…あのとき」
「うん、あそこにいた…」
八田の声が震えている。目を見られない。八田の足下に視線を落とす。しかし身長の低い伏見には、表情を隠せない。不安げに私の顔を見た。人は鏡。きっと私も不安な顔をしているのだろう。
「お前だったら…みこ、尊さんを……助けられた、んじゃねぇのかよ…」
戸惑った。切れ切れに、涙を堪えて言う様は痛々しい。真実を教えてやりたい。私は確かに周防尊を助けたのだと、助ることができてしまったのだと、吐き出したい。
「みさき、ダモクレスダウンを止める方法は、その所有者の息の根を止めることだけだっ…」
伏見は感情を必死に押し殺しながらそう言った。八田が周防のことでこうも取り乱すのを、どんな心境で見ているのだろう。
「悪ぃ…取り乱した…」
「……うん。流石の私も、……死者を蘇らせることはできないし…」
「そりゃ、……そうだよな…」
心苦しいのですが!ごめんごめんなさい。私のせいではないから!もう吐露したい。
尊君ご存命だからね!
横に並んで歩く八田。シンプルなボーダーのニットセーターに少しだぼついた濃い色のジーンズ、そしてミリタリージャケット。髪は伸びており、彼の中学生の時を思い出す。
ヤタガラスのイメージとは違う格好。彼は逃げたがっている。吠舞羅の自分から、ヤタガラスと言われていた自分から。それはふがいないからなのだろうか。周防を助けられなかったと、そんな傲慢なことを思っているのだろうか。一途な性格の八田なら考えられないこともない。しかし本当にそうなのだろうか。何か違う理由から、彼は前に進めないで居るのではないか。
「何か他買うもんある?」
すでに買い物篭には生理用品が入っている。それを見た八田の反応、顔を真っ赤にして、恥じらいを知れ!などと叫ばれてしまい、恥ずかしい思いをした。いや、生理現象だ。生理だけに。
「………いや、特にねぇな…」
「そう…伏見くんは?」
「目薬…」
子供らしくないー…。思わず脱力してしまった。
「あれ、浜谷さん?」
「……あ、お久しぶりです」
そこにいたのは、背の高い男性。
「だれだ?」
八田が私の顔を窺う。
「ほら、さっき言ってた就職先、ここなの。元同僚」
八田はぺこりと会釈した。
「彼氏?つーか、旦那と子供?」
茶化すように言う男に私は冷静に答えた。
「まさか。友達と、違う友達の子供」
「そっかー」
男は私が独身だと思っている。私のような女が旦那と子供を持ち、家庭を築いているなどと、そんなことはありえないのだと、きっと見下している。それほど仲良くもない男、詳しく私のことを教えてやることもない。笑顔で応えた。
「まぁ、ゆっくり見てって、いっぱい買えよ」
「はい、まぁ…」
丁度ポイント進呈の日だったらしく、買い込んだ。これで安心だ。荷物を持っているのが面倒なので、リュックを背負って来ている。荷物を詰め込んだ。
その間、私はずっと考えていた。
「どうした?」
ずっと考え込む私を不審に思った八田が私の顔を覗き込んだ。
「……いや、あの人名前何だったかなーと思って」
「元同僚?」
「伊藤、って書いてありましたけど」
すっと伏見が答えた。よく見てるなぁ、と感心してしまった。
「……………あー…そういえば、そんな名前だったかな」
「一緒に働いてたんだろ?」
意外そうな声。
「だって、興味ないもん。必要のあるときは、覚えてるけど…記憶の容量の無駄遣いじゃない?」
「……そういうもんか?」
「うん。あ、ごめん、着信…」
緊急連絡だ。何かあったのだろうか。朗報なら良いのだが。
「はい浜谷です。はい、はい…」
淡島からの連絡だった。伏見をこんな姿にした犯人の話だ。数人に絞り込んだ人物のうち、所在が確認できない人物がいるとの情報だ。悪い知らせ。
その画像が届く。どこにでもいそうな青年だ。寧ろどこかで見たような錯覚を覚えるほどに。いや、どこかで見た顔だ。
「はい、ええ、分かりました。気を付けます。はい、失礼致…」
ちらりと伏見を見た。何気ない行動だった。私は目を見開いた。画像の男がそこにいるではないか。
「………伏見!」
避けろ、
その声に、八田が真っ先に動いた。景色がスローモーションに見える。八田が一歩踏み出す。叫んだ私の声がどこか遠くに聞こえる。真っ青な空、人の喧噪がビルとビルの間から見える。まるで別世界のよう。切り離された空間。
伏見が後退る。八田の手が届いた。
どさ、という音がやけに耳に残った。
「みさ…」
伏見の時とは違い、みるみるうちに体が小さくなっていく。痛みを伴うのか、うめき声を上げる。伏見は真っ青な顔で呆然と座り込んでいる。
犯人の男が私のすぐ横を通った。ゆったりとした所作だ。頭が一瞬でクリアになる。
「あっ…」
じわりと嫌な汗。男の精神世界の扉を開ける。私には精神世界と現実世界がだぶって見えていた。
「、もう、あなたは、動けない、動く気すら、起こらない…」
言霊が世界に響く。りん、りんとどこかに反響して、世界に音が広がる。ばさり、何の受け身も取らず犯人はその場に倒れ込んだ。
目には光がない。心は動いていない。ただそこに転がるは肉の塊。これで一先ず二人の消滅の心配はなくなった。あとは引き渡すだけだ。
力が抜けた。とさりと膝をつく。
「ふぅ…」
ほっとしたのもつかの間、おかしいと思った。犯行後、すぐにでも逃げれば良いのに、男は悠長に歩いて去ろうとした。私に何もできないと思ったのだろうか。いや、それにしても行動が犯行を行った物とは思えなかった。
「みさき、大丈夫か…?」
人通りの少ない場所で良かった。ビルとビルの間からこちらが見えるはずなのに誰も気付かない。見ようとしなければ何もないのと同じなのだ。
犯人も確保できた。戻す方法を聞き、伏見と八田を元に戻し、そして彼を取り調べれば、万事解決だ。解決、だ。
「美咲っ!」
伏見の声にはっとした。
八田の体の周りが大きく揺らめいている。ごぉごぉと音がする。力が増幅しているようだ。ぞっとした。あのときの力だ。サイコキネシス、いや、念力。それも尋常じゃないほどの力量。
巻き戻しのストレイン。時計の針を巻き戻すかのように。今、彼は私が力を封印してしまう前の、私の後ろを付いてきていた少年。
鈍感な私にも分かるほどの緊迫感。殺気だ。何とかしなければ。犯人が死んでしまえば、伏見の体が一生このままということもあり得る。
「美咲くん、冷静になってっ…」
八田は止まらない。彼は確かにキレやすい性格だ。だが一番恐いのは静かに怒っているときだ。手が付けられない。
仕方ない、最終手段を遣うしかない、そう思ったときだ。
「美咲!だめだ!お願いだから止まってくれ!」
伏見が声を荒げた。動きが止まった。伏見の方を見て、八田は仕方ないとばかりに溜息を吐いた。
私はほっと息を吐いた。
「くそっったれ!」
そう悪態を吐いて、八田はずるずると服を引きずって歩き、倒れている犯人の胸ぐらを掴んで殴った。抵抗のない体はごろごろと吹っ飛んだ。ご愁傷様ですと手を合わせた。
そのとき、端末から焦った声が聞こえていることに気付いた。切るのを忘れていた。移動中なのか、がたがたという音が聞こえる。緊急時のサイレンが近づいてくるのが聞こえていた。もう大丈夫だ。空の青が清々しい。
「すみません。犯人に襲われましたが、大丈夫です。八田美咲が被害を受け、少年の姿になったくらい、ですかね…はい、はい。了解です」
「室長!」
「ん?」
伏見が叫んだ。すぐに視線を移動させる。
八田の様子がおかしい。耳を塞いで、顔を歪めている。刺激しないようにそっと八田に近づく。耳を塞ぐ手に触れると、驚くほど冷たかった。
「どう、……したの?」
「……声……?が…………聞こえ、る…」
「……こえ…?」
はっとした。宗像が王になるとき、声が聞こえたのだと言っていた気がする。声、言葉で表現するならそう。だがそんな物ではないのだという。全身に何かが蠢く。ちりちりと何かの力が体の奥底で疼く、そんな感覚なのだと。
「美咲くん、自分で決めて…。受け入れるか、拒むか、」
声のトーンを落として、八田に選択を迫る。
すると八田は手を伸ばした。どこに伸ばしているのか、それは八田にしか分からない。ただ、受け入れようとしているように見えた。何かを掴もうと、空を縋るように手がゆらゆらと。
「嫌だ……俺は、嫌だ…美咲…美咲が、王になる、なんて…」
青のクランだからか、以前周防のその力に触れていたからか、伏見には八田がどんな状況にあるのか分かったらしかった。
彼は掠れ声で訴えた。あまりにも悲痛な叫びだった。
八田の動きが止まり、ゆっくりと視線が伏見に向く。私もそれを追いかけるように視線を移動した。
次の瞬間、凄まじい圧力が私の体を襲う。寸でのところで宵姫がその力をいなした。もし宵姫が間に合わなければ、私の体は千々になっていたかもしれない。それほど圧倒的な圧力。
「っ…」
八田の力が暴走する。
「嫌だ、な、んだよこれ!」
力が溢れていく。ぐにゃりと世界が歪む。立っているのが困難になる。吐きそうだ。
手を伸ばす。力を鎮めようと心に訴えかける。しかしもう力は八田の手の内から離れている。ドレスデン石盤の力を感じる。周防が力を使ったときのよう。サンクトゥムが周りを包む。誰にも恩恵をもたらさない、ただぶわりと八田を中心に広がる。
切り離された世界、本当に外界とは隔てられてしまった。
それを拒むように八田のサイコキネシスがさらに力を増す。伏見に覆い被さった。私の中に住む神々の力を借り、神域を作り出し、八田の力から身を守る。この中ならしばらくは持ちこたえられる。宗像が来れば事態は好転するはずだ。持ちこたえてくれ、と私の中にいる神々に祈った。
だがずるずると後退させられる。昨日の飲酒が響いているのか、集中できない。元々、生理の前は体調が崩れる。タイミングが悪いと悪態を吐くが、言ったところで仕方がない。こんな集中力ではもう結界は持つまい。気を落ち着かせなければ。落ち着かせなければ!
「あ…」
その瞬間、私の力が霧散した。と同時に体が彼の出す力によって吹き飛ばされた。伏見の姿を探したが、分からない。どうなっただろうか。
「ふぐ…」
ぎゅっと目をつぶる。
あの時と同じ。あの時もこうやって八田の力によって吹き飛ばされ、生死の境を彷徨ったのだ。真っ赤な炎、八田の力、痛み、恐怖、そして、私を憎むあの目。あの事件の光景がフラッシュバックした。
衝撃。
「あ、れ…」
思ったより衝撃が弱かった。目を開けると、体が抱え込まれていた。私の体を支える腕、青い服。セプター4が駆けつけていた。
「む、むなかた、く…あり、がと…」
涙声だ。恐かった。宗像の体温に安心して体が崩れ落ちた。
「おっと…大丈夫ですか」
こくこくと頭を振るしかできなかった。と、そのとき凄まじい火柱が起こった。宗像が青い力場を展開する。それでも凄い熱量だ。一帯が焼け野原となった。
「っ…」
その威力にぞっとした。体が震える。宗像が居なかったら、私たちはただでは済んでいなかったろう。周防の力も目の当たりにしたことがある。しかしそれとは違う。ただ何かおぞましかった。
私はただへたり込んで見ているしかなかった。宗像が何か指示をしているが聞こえない。何人かがその指示を受けて、ばたばたと駈けて行った。
「ちゃん、行こう、ここは宗像室長に任せよ、ね」
道明寺がへたり込む私の腕を持って立たせようとしたが、地に結いつけられたように動かない。
「美咲……!!」
伏見の叫び声にはっとした。
「ぐぅ…うぅ!あああ!」
赤い炎が八田の体を包み込んでいる。ノッキングするように、ぼっ、ぼっ、と不規則に揺らめいている。
「拒み続ければ、どんな副作用が出るか、分かりませんっ…こんなこと…」
私の傍にいた宗像が切羽詰まった声を出した。宗像が王になったときとは様子が違うらしい。
「みさ…みさき、みさき美咲みさきみさき、嫌だ、いなくならないでくれ!美咲ぃっ!!お願いだ。お願いだからっ…」
慟哭。
伏見が八田にしがみついて悲痛な声を上げる。半狂乱だ。嗚咽混じりの叫び。断末魔。この世の終わり、そんな風に見えた。いや、事実八田を失えば伏見猿比古の世界は終わる。
伏見は離れまいと縋り付く。しかしコントロールできていない炎は容赦なく伏見の体を焼いた。このままでは伏見が死んでしまう。そんなことになれば、八田の精神はどうなるのか、ここ一帯だけでは済まない自体になることは確かだ。迦具都クレーターの二の舞にもなりかねない。
「鳴神…っ」
自分では動けない。ぽつりと呟くと、体がぎしぎしと音を立てながらも動いた。
「ちゃ…」
道明寺の止めようとする声が聞こえたが、私は八田の傍に駆け寄った。こんな仕事嫌だ。止めてしまいたい。
迦具都クレーターの後、剛毅は私に言った。
「貴女がいれば、こうはならなかった」
知るか。知るか知るか!そんなこと言われたって、もうどうしようもない。
だが、一方で言いようもない罪悪感に襲われた。まるで私が殺したみたいに。
どいつもこいつも私に責任なすりつけて。私はただの何もできない女なのに。泣きたい。泣いて、もう嫌だと投げ出してしまえばいいのに。
あんな風に罵倒されるくらいなら、いくら大変でも皆の期待に応えている方がよっぽど楽だと思ってしまった。必要とされている、それが嬉しかった。それだけなのだ。それだけのために私は普通の日常を手放した。自分で決めた。誰かのために生きられる自分になりたかった。
倒れ込むように伏見の体にしがみつく。伏見の体を無理矢理力一杯引き離した。だがなおも八田に追い縋ろうと手を伸ばす。追い縋る、縋る、縋る。それを必死に押さえ込む。炎が私の体もじわじわと焼く。
「っづ…ってぇ…いい加減にしろやっ!」
力の限り伏見の体を横薙ぎにする。小さな体は吹き飛ばされ、転がった。
涙でぐしゃぐしゃになった顔。立ち上がる気力がないのか、そのまま地に頬をつけたまま動かない。
「大丈夫、大丈夫…だよ…」
そう言い聞かせ、私は声を上げた。
「美咲くん、受け入れて、おねがいだからっ…」
祈るように声を絞り出した。力を押さえ込もうとするが、やはり跳ね返されてしまう。あんまり大きな力を使えば、八田の精神を傷つけかねない。
「伏見くん、」
どこかふらふらと彷徨っていた視線がのそりとこちらを向いた。瞳は仄暗く、生気を失っている。
「美咲くんが死ぬのと、美咲くんが王になるのと、どっちが良い?」
「………美咲が、美咲が居なくなったら、嫌だっ…ぇぐ……俺を、おれを置いて、行かないでぇっ…お願い、お願い、美咲、美咲、美咲美咲美咲美咲美咲美咲美咲 ………」
地に額を擦り付け、アスファルトに爪を立てて咽び泣く姿は痛々しい。ふと祈るような格好だと思った。一瞬目が眩んだ。ちかちかと目の前が明滅した。お願いと言われても困る。私にどうしろというのだ。
「聞こえた?聞こえたよね、八田美咲!大切な人を亡くすのがどれだけ辛いか、てめぇが一番分かってんだろうがぁぁ!!!」
私は力いっぱい叫んだ。
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