「私、今日お弁当無くて、食堂です」
「あらそうなの?気を付けてね」

気を付けて?とハテナマークを付けて首を傾げる。

「結構混むし、学生ってどんな動きするか分からないから、」

犬山はにっこりと微笑み、春の陽気のような柔らかな声でそう言った。

「はい、気を付けます…」

思わずぞっとした。


次からはお弁当を作ってもらえなくてもコンビニで買ってこよう、そうでなければ少し早く昼を取らせてもらって、この混雑は回避しよう、は決意した。
わいわいがややがやと騒がしい上に、確かに学生たちはふざけ合ったりで行動が読めない。元々人混みが得意でないにとっては、地獄のようなところだ。食堂の話である。

席の確保は一人だと難しい。雄英の生徒が盗みをするとも思わないが、それでも不安になるくらいの混雑である。兎に角買わないことには始まらないと、はふらふらとトレイ置き場に近付く。
そのとき、肩をポンと叩かれた。

「え?はい!」

突然のことに、は飛びのいた。体勢を崩し、ふらっと後ろに倒れる。何とか踏ん張ろうとする。

「わ」
「おっと」

声を掛けた青年がの手を取った。引き寄せられ、事なきを得た。

「すみません、そこまで驚かす気は無かったんですけど」
「ご、ごめんなさい。『ビックリしぃ』なんです…」

未だに心臓がどくどくと煩く鳴っている。落ち着かせようと胸に手を置いた。そして漸く鼓動が正常値に近付いたところで、顔を上げた。
件の妖精王の息子だ。近くで見ると、髪はさらさらで目も遠目で見るよりずっと神秘的な色をしている。なにより肌が白いしきめ細やかだ。
瞬きをすると、バシバシと音がしそうだ、とは感心した。と同時に神様は不公平、と思った。
すると、チクリと首を突かれるような痺れが起こる。の中に居る≪神様≫が彼女を咎めたのだった。『皆のことじゃないからね!』と弁明し、青年に向き直る。

「えっと、何か…?」
「先ほどの体育の授業の時、目が合ったと思ったんですが、」

目、合ってた!と、は驚愕した。あの距離だ。まさかたまたま合ったように見えただけかと思っていた。

「すみません…不躾に見てしまって、別に私は変質者ではないのです。ほら、これ、ちゃんと職員証も持ってますし、それで、あの、なんでしょうか…」

首に掛けた職員証を掲げ、早口で弁明すると、相手は呆気に取られたようだった。

「ああ、いえ、何ということもへぶっ!」
「ひ…」

急に青年、物間が崩れ落ちた。は思わず声を上げた。

「すみません。大丈夫ですか?」

どこかで見たことのある少女だなと思った。サイドポニーにくりくりの目。
は結局どこで見たのか思い出せず仕舞いだったが、CMで何度も見た顔であった。

「…だ、い丈夫でしょうか…」

少女に支えられている物間はぴくりともしない。男性一人を支える力にも驚きだが、一瞬で意識を落とした彼女の技量に怖気が走る。悪いことはしてはいけない。敵の末路はこうなのだ、と思わずは顔を真顔にした。

「大丈夫です。いつものことなので」
「え」
「すぐ人にちょっかい掛けてしまう、まぁ、いわば病気なんです」

そんな爽やかに宣言されても、とはたじろいだ。

「大丈夫?」

聞きなれた声が背後から聞こえる。体温が分かるくらいに近い。

「心操くん」

彼は意外とパーソナルスペースが狭い。

「ああ、うん。大丈夫。問題ないよ。ありがとう」
「そう、それなら良いんだけど」

心操は首に手をやり、照れたように俯いた。

「あ、昼休み短くなっちゃうよ。大丈夫、たぶん私が悪かったから。もう行って良いよ。ごめんね」
「すみません、ご迷惑をおかけしました」

深々とお辞儀をして少女は去っていった。嵐だ。

「何いちゃもん付けられてたんですか」

心操も今来たばかりのようで、手ぶらだ。行くところは同じで、自然と一緒に並ぶ流れになった。
友人と一緒ではないのかと周りを見回すと、心操が「いつも一緒にいるわけじゃないよ」と言った。それならご一緒させてもらおうと、大人しく前後で並ぶ。

「いちゃもんって…いや、私が体育の授業中不躾に見てたのが悪かった。それで気にして声を掛けてくれたんだよ」
「体育?」
「たまたまみんなの授業中、備品取りに行ってて、」
「ふうん?さんって、ああいうのタイプなんですか?」

唐突な変化球には何と言って良いか分からず、首を傾げて誤魔化す。

「うーん…まぁ、綺麗な顔はしてるよね。あ、心操くんも整った顔してるよね」
「は」

白い肌が一瞬で紅に染まる。すぐに不貞腐れた顔になった。

「ありがとう。助けてくれて」
「別に…」
「あ、なんかオススメある?あんまり利用しないから」

目当てがあったのだが、食堂の熱気に中てられ、食べる気が失せたのだ。辛みが好きな彼女にとっては、一度は食べてみたいものだったのだが。

「あるけど…多分食べられないかも」
「え、なんで」
「ボリュームあるから」

食べる量知ってたっけ?と考えていると、心操が笑った。

「最初に会った時、弁当食べてましたよね」
「ああ、そっか」
さん直ぐ顔出る」
「…そうかな…割と無表情って言われるんだけど…」

猫と仲の良い心操なら、少しくらい無表情でも感情が読めるのかもしれない。はなんだか微笑ましくて、マスクの下でほくそ笑んだ。

「良心的な料金設定だけど、やっぱり量の分高いから、あんまり俺も食べないんだけど」
「へぇ…」

見本に出ているおかずは、どれも学生向けで量が多い。
サラダの小皿をトレイに乗せ、うぅんと唸る。

「ハーフとかミニとかもありますよ」
「あ、ほんとだ」
「俺、先会計済ませてきます」
「うん」

約束をした方が良かっただろうか、は心操が背を向けてから気付いた。
勝手に一緒に食べるつもりでいたが、職員と食べるってどうなんだと自問自答する。
仲は悪くないが、一緒に食事をするほどの仲かと聞かれると、即答できない。上辺だけの関係と思っているかもしれない相手に尋ねるのはハードルが高く、結局呼び止められずに、悶々としながらメニューを選ぶことになった。
はこういう時にぱっと決められない質だ。うんうん唸って、無難にカレーを頼んだ。おばちゃんがキラキラした目でを見た

「ご飯は?」
「えっと、少な目…」
「少な目?」
「ルー多め…とかできます?」
「あいよ!」

快活な女性が、にかっと笑って、トレイに乗せてくれた。マスク越しでも分かる、満面の笑みだ。思わずも笑みがこぼれた。

「ありがとうございます」

先に行っていた心操のところに走る。

「なんか、走り方が見てて不安になった」
「…運動は得意ではない」
「お茶、俺が持ってますね」
「う…こぼさないよ…」

そんなに不安に駆られる走り方だっただろうか。トレイの上の物を溢したことはない。とはいえ、持っていくと言ってくれているのだから、気を付けて歩く必要がなくなるので、任せておこうと放っておいた。
それに、彼が待っていてくれたことで、相手も一緒に食べるつもりだったのだと知れて、はほっとしたのだ。

「えっと…一緒で良かったですか?」

先程までの態度とは一転、心操は気まずげに言った。
同じようなことを考えていたのだな、と更に気が楽になった。

「一人飯は寂しいんだけど…」
「…そうですよね」

心操は時折こういう時がある。距離を詰めては、離れる。近付いては遠のく。彼は見極めているのだ。どこまでが許容範囲なのか。
最初のうちはは考え過ぎかとも思った。しかし度々あると、やはりそうなのだと思わざるをえなかった。
それに気づいてから、はそういう態度を取られる度に、何とも言えない気持ちになる。彼は"個性"柄、きっとずっと人との距離を取りかねている。だって人との距離なんて分からない。でもそれ以上に気を揉んでいることは、想像に難くない。


「そんなんで足りますか?」

サラダをむしゃむしゃ食べていると、心操はそんなことを言った。

「お腹いっぱい食べても空くんだから、食べなくても良いんじゃないかと思って」
「足りてないってことですか?」
「腹八分くらい」
「八分までは行くんですね」
「まぁ…そうね。逆に男の子って、滅茶苦茶食べるよね。まぁ、脂肪より筋肉はよくエネルギーを欲するんだろうから、そういうもんなんだろうね」

あまり食べるタイプではないように見える心操だが、みるみるうちにおかずと大盛りのご飯が減っていく。見ていて清々しいというよりは、少し恐怖だ。どこに入っていくのだろうか。あまりじっと見ているのも失礼だろうと、は話題を変えた。

「心操くんって、猫好きなんだよね?」
「ええ、まぁ」
「猫グッズも好きな人?」
「好きですね。あんまり持ち歩けないですけど」
「あー…そっか」

男子高校生はそういうのが恥ずかしいお年頃なのだろうと、は納得した。

「これ、どうしてもサバトラが欲しくてさ」

スマホのカバーに付けてあるストラップを見せる。

「結構回して、ダブりがね…」
「他何があるんですか」
「黒と三毛と…茶トラ、あとー…」

指折り思い出す。

「あ、三毛欲しいです」
「ほんと?持ってくるね。三毛可愛いよね。あ、オスとメスとあるよ」
「…オスで」
「ですよね」

と、話している間も心操の皿が空いていく。

「あれ、心操くん」

ざわざわとしている中で、よく通る声が心操を呼んだ。

「緑谷…」

知り合いのようなので、は黙って進んでいない食事を再開した。少し冷えてしまったが、スパイスが美味しい。
緑谷と呼ばれた青年をちらりと見る。あまりじっと見ると物間の二の舞になりそうだから、少し自嘲したのだ。
どこかオールマイトに似ている、とは思った。詳しく何かが似ているというよりは全体の雰囲気だ。しかし妙に落ち着かない。何か沢山のものが蠢いているような。化け物じみた感覚が彼女を刺す。
少し悩んでから、は彼の精神世界を覗き見た。
普段あまりしないのだ。仕事でもない限りは。それでも腹の底にずっしりと響く妙な気配が、じくじくと頭痛を催してくるのを、放っておくのも気持ちが悪い。
緑谷の精神世界にリンクを繋げ、意識を沈み込ませるようにつながりを深めていく。
そして後悔した。
変だ。統一性がない。にも係わらず、一つの集合体になっている。直ぐにリンクを切る。どっと汗が出る。深淵を覗いていると、深淵もまたこちらを見ている。正しくそれだった。気取られただろうか、と顔を上げる。

さん?顔色が…」
「え?大丈夫ですか?」

心操の心配そうな声に、緑谷が反応した。に手を差し伸べる。しかしはそれを振り払った。ペシリと音がする。
騒がしいはずの周りが、一瞬静まり返ったような気まずさが走る。はっとした。顔を上げ、は茫然とした様子で緑谷に話しかける。

「…ごめんなさいね。大丈夫です。人に触られるの、得意じゃないの」
「あ、ごめんなさい。…えっと、…ボク、もう行くね…」

緑谷は心操の顔を見て、歓迎されていないことに気付いたようだ。そそくさと去っていった。
あの様子だと、気付いてはいないようだ、と判断し、は胸を撫で下ろした。だが、先ほどの怖気を取り払えるほどの安堵ではない。

「ごめん、良かったの?」

何の弁明もせず、追い払う形になったのが気になった。あまり仲は良くないのかもしれない、はそう思いながらも、同世代の友人知人を自分のせいで遠ざけてしまうのは、心苦しかった。

「…別に、特別仲が良いわけじゃないし…それより大丈夫?」
「ああ、うん…」

心操は気遣っている。しかしには何となく距離が離れたように思われた。居心地が悪い。
彼の顔を見ると、気遣いの色以上に怯えが見えた。普段はそれほど感じない心操の心が、今は朧気ながら見える。は、自分が何かをしたのだと思った。心操の心が離れるようなことを言ったのだと。

「…咄嗟にああ言っただけで、別に人に触れられるのが嫌いなわけじゃない、…よ?」

心操は黙り込んでいる。どうやら当たりを引き当てたらしい。

「知らない人に触られるの、あんま好きじゃないのは本当だけどね」
「結構有名人だと思いますけど」
「そうなの?体育祭で心操くんの対戦相手だった子よね?今思い出したけど」
「ん、ああ、そう…だけど……」

そうか、見てたよな、とぶつぶつと言っている。彼の試合はかなりちゃんと見た。スカウトするから真面目に見ろと珍しく父に言われたのだ。あれ位の闘志はヒーローには必要なもの、はその程度の認識だ。確かにヒールっぽくはあったが。逆に、棄権した者はもっとガツガツした方が良いのではないか、そう思ったくらいなのだ。ミッドナイトは青春ぽくて良い、と言ったが。
何が何でも、という姿勢は褒められるべきで、批難されることではない。というのも、心操の根が優しいのだと知っているから言えるのだ。賛否両論出るのは、致し方ない。
そういえば、とは心操と緑谷の試合を思い出した。あの時も、何となく恐ろしいような気がしたのだ。感覚的なもので、引掛かりは感じても、その時は気に留めなかった。思い返せば、あの奇妙な感覚は緑谷だったのではないか。そう考えると、自分の知らぬうちに何か水面下で危機が迫っているような気がして、肝が冷える。それこそ考え過ぎかと、は疑念を打ち払う。

さんは、」
「ん?」
「緑谷のこと、苦手なんですか?」
「……ん〜、」

は考えた。どこまで言ってもよいか。父は彼を信頼しているようだし、と思案する。

「私、人見知りだしね…ぐいぐい来られると、ちょっと…」

は結局当たり障りのないことを言った。
彼女の"個性"のことは、トップシークレットだ。心操には、既に彼の"個性"が効かない体質なのだとバレている。これ以上の情報を渡すリスクを考えた結果だ。の方もそうだが、心操の危機回避だ。
彼はそれで納得したようだ。思うところがあったのだろう。

「確かに、あいつはぐいぐい来ますね…」

苦笑。嫌いというわけではないようだ。はほっとした。

「ん、そろそろ戻らなきゃ。ありがとう、孤食にならなくて済んだよ」
「いや、それは俺も……俺、ぐいぐいしてますか?」
「いや、そんなことないと思うけど」
「それなら良いです」

手を振って別れる。
トレイを返却口に持っていき、食堂を後にする。
そして早足で図書室に戻る。急いでいるわけではない。時間には余裕がある。は唐突に立ち止まり、顔を手で扇いだ。
彼女は最後の質問の意味を考えていた。なぜ自分のご機嫌取りをするのかと。特別扱いではない、と言い聞かせる。彼とどうこうなろうという気がなくとも、そういう態度を取られると、嬉しくなってしまう。
には"個性"が効かないのだし、彼のことを引いたり怯えたりもしない、相談しやすいお姉さん。そうだ、それだけだ。年甲斐もなく何を期待なんてしているのだ、と自分で自分を説得し叱咤する。

「というか私自身、生徒に好かれて嬉しいだけか…」

ぽつりとつぶやいて、すっと冷静になる。乙女センサーが過剰に反応しただけ、そう結論付け、は仕事に戻った。

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