「はぁ…道場で振ってるだけじゃ、勘が鈍りそう…」
「沖田さん、一旦休憩しましょうか。もうかれこれ4時間ほど経ってますよ」

沖田総司は、朝と夜の二回の走り込みと、道場での稽古を日課としていた。
それでも実践的なことが出来ずに、こちらの世界に来てもう7ヶ月も経っている。彼の中に焦りが見え始めていた。

「はい…」

岡の声に一応返事はしたものの、刀を振っていないと不安で仕方なかった。
元の世界に居る時も、刀を振るっていない時はあったし、寧ろこの世界の活動時間の長さや、元の世界での巡察に出たり、その他の隊務によって割かれる時間のことを考えれば、今の方が刀を振るう時間は長い。
だけれども実際に人を斬るような事態に備えている時間など今は無い。その緊張感の無さが怖かった。

はぁ、はぁ、と繰り返す上がった息、ぽたぽたと流れる汗が、まるで他人事のように実感できなかった。急激に心と身体が解離していくような錯覚に陥る。

「どうかしましたか?」

岡さんがそう尋ねてくる。こんな話を彼にしたところで、どうなるというのだ。この時代のぬるま湯につかっている彼などに。しかし今は彼以外に相談できる相手もいない。

「不安なんです。実戦から離れていると、酷く気が急くんです」

口から出た音は、なんと頼りないものだっただろう。自分でも驚くほど生気がなかった。そういえば、さっきから、ふらふらする。景色が歪む。上も下も分からない。

      あれ?そういえば、汗、落ちてこない。
      さっきまで、いっぱい…汗、止まらなかったのに…

岡さんの口がパクパクと動くのが見えた。でも何も聞こえなかった。
なんで?そう疑問に思ったときには体が傾いていた。

身体が床に打ち付けられる。景色が薄れていく。岡さんが、何か言ってる。でも、もう無理、何も聞こえない。

***

「熱中症、だね。今年、多いよね、まさか身内でなる奴が居たとは…」

パタパタと団扇で扇ぐ。

「すみません、私の監督不行き届きです」

岡さんは本気で申し訳なさそうな表情をする。珍しいこともあったものだ。というか、言い方が山南さんっぽい。ちょっと似ているような気もする。いや、顔は全然似ていない。
岡さんは、初老のおじさんだ。髪には白髪が大量に混じっている。
実年齢より若く見えはするが、簡単に言えばマッドサイエンティスト風のくたびれた怪しい男。

「仕方ないよ、君も仕事あるんだから。ずっとは見張ってられないよ」
「それは、そうですけど」

工房に篭って、今日も刀を打っていたのだろう。
    ひとふり
つい先日、一口完成したと言っていたので、恐らく今は新しい刀の製作に取り掛かっているに違いない。
彼もいつ倒れるか。あんな工房にいたら普通の人なら直ぐに倒れてしまうだろう。と言うほど熱気に包まれた場所だ。

「にしても、この機器といい、あなたはなんで病院のような設備を持ってるんですか…。普通一般家庭に透析機はないですよ。」

というか、これを持ってきた貴女に感服しますよ、と呆れたような感心したような声で岡さんは私の持ち込んだ機器を見ていた。
例のように、ジンのものだろう。立派な桶やら、なんやら訳のわからないものが家には多くある。たまに役に立つので、何ともいえない。

「うん?まぁ、そういう家もあるかもしれないよ?」
「いや、ないですから。あと、点滴も無いですから」

沖田くんの腕に繋がっている点滴。いや、点滴くらいならある家庭も存在するかもしれない。
       
「いやいや、うちん家には有るじゃない」

岡さんと話していると、沖田くんの意識が戻った。意識障害って…重度熱中症だからね!

「う…ん…」

眉を寄せて、ゆっくりと目を開いた。

「あ、気付いた?熱中症ね、点滴してるから、安静にしててね。」
「ねっちゅうしょぉ?」

舌足らずな喋り方で、私の言葉を反復する。可愛い!抱きしめたい…!という気持ちは寸でのところで抑えた。
偉い、私偉い!

「うん、そうだよ。呂律回ってないけど、大丈夫かな…」

しかも冷静を装えました!花丸!なんつって。と頭の中ではどうでもいいことを考えながら、沖田くんの頬に手を沿わす。
…37度、ちょっと高いけど、許容範囲だろう。因みに私は体温計を使わずに、正確な体温が測れる。
これもジンが言うには、私たち「自称・自称神」の能力らしい。つまり、体温計である一部が私の中には存在すると言うことだ。少しシュールだ。

「で、どれくらい稽古してたの?」
「わかんない…」

そっと額に張り付く髪の毛を払ってやる。眠そうに、口を開くのも億劫そうに彼はそう言った。幼児がえりか!口調がまるで子供だ。
いや、まぁ可愛いけど。可愛いけどさ!
この、なんていうか理性保つのに、お姉さんがどれほど、どれほど苦労しているか分かるかな!
本当に私はよく頑張っていると思う。

「恐らくですが、4時間ほどでしょうか、」

岡さんが、横から口を挟む。

「4時間!この暑い中!普通の人なら1時間も持たんわ!アホか!」
                 
ぺしんと、沖田くんのでこを叩く。

「まぁ、確かに…。私でもこの時期はこまめに休憩しますから…」

あの、”あの”刀狂の岡さんが、刀の製作作業を中断して休憩をするって言ってるのに、こいつは4時間も刀を振るっていたと言うのか。どう考えても無謀としか言い様が無かった。自殺行為だ。

「はぁ…もぅ、気をつけてよ。死んじゃったら帰れないんだよ?」

折角平穏な世界に来たのに、未来ある青年の墓を拵えるなんて、なんと言う不幸か。

「はい…気を…つけ、ます…」

もう一瞬でも目を開けていられない、という風に沖田くんは眠ってしまった。最近の彼は、なにか焦っているように見えた。もう7ヶ月経つ。焦るのも当然だが、それでも少し心配になった。

何故来たのかも、どうやって来たのかも分からない。夜寝て起きたらこの世界に来ていたと言うのだ。気になる事は、あちらの世界は夏だったということ。この夏に何か起こるだろうか。

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