| 夕日が眩しい。じきに闇が世界を覆う。そんな中、黒羽丸は項垂れていた。 (私は何をしているのだ…) 黒羽丸は頭を抱えた。もう会わない、そう言ったのは黒羽丸自身だ。だが勝手に足が向かった。いや、羽が勝手にここに来た。 黒羽丸の目にはが映っていた。抗えない何か、惹き付ける何か、それはまるで妖怪の畏れのようだった。迫られたら抗えないのではないか、黒羽丸はそんな不安を抱えていた。 妖怪と人、相容れない存在。総大将と先代、彼らとは違う。下に付く者が、そんなことに現を抜かしていられない。そう黒羽丸は言い聞かせた。だが、目ではの姿を追っていた。 は優雅に、茶を点てていた。黒羽丸は作法について余り詳しくなかったが、それが美しいものだとは分かった。昨夜見た姿とは全く違い、その所作一つ一つがを実際より大人に見せた。 (帰ろう…) 黒羽丸は逃げるようにその場を後にしようとした。 「さん、」 ぴくりと体が反応した。 「さん、私、今度のお茶会に誘われたんですけど、不安なんですよね…」 「そうなんですか。まぁ、周りの方を見ていれば、大丈夫ですよ。正客と末客にならないようにだけ気をつけていれば」 は話し掛けた少女ににっこりと笑いかけた。黒羽丸の中で、ぞわりと何かが蠢いた。 「っ………!」 黒羽丸はそれを振り切るように、今度こそ飛び立った。 は名を呼ばれた気がして、茶室の外を見た。 (気のせいか…) 「さん?」 「いえ…なんでもありません。それより、もう暗いですから、今日はこれで終わりにしましょう」 「さん、今日は有難うございました。家は茶室が無いので、練習ができなくて…」 「いつでも、いらしてください」 「ありがとうございます!」 女性は笑顔で去っていった。はそれをにこやかに見送る。玄関が閉まると同時には手を下ろし、笑顔を消した。 茶室に戻り、外を見るが、やはり誰も居ない。はそのことに酷く気落ちした。は乱暴に茶碗を重ねて水場へ持っていく。 の家は昔から続く由緒正しい任侠集団である。現在の暴力団の利益主義的な部分と、昔からの男気のある礼節や恩義を重んじる集団だった。 そのこともあり、は茶道を小さい頃から習っていた。言われたからやっているだけで、特別思い入れがあるわけではない。点前が終われば、後がどれだけ荒っぽくても、関係なかった。そもそも、もてなす心など持ち合わせては居なかった。 は適当に茶碗を水ですすぐ。 (口紅なんてつけて来んなよ…) 先ほどまでのにこやかな対応が嘘のように、は悪態を吐いた。ごしごしと乱暴に茶碗についた口紅を落としていく。その行為を虚しいものに感じ、は溜息を吐いた。 冷たい水がの手を濡らし、そして排水溝に吸い込まれていく。薄暗い水場には色が無かった。自分の手が辛うじて見える、そんな闇の中で、はどうしようもない寂寞感を抱えていた。 今のには、日常の全てが色あせて見えた。 茶碗を置き、手をタオルで拭う。はシンクに手を置き、溜息を吐いた。 「はぁ…」 先日の出来事が夢だったのではないかと疑ってしまうほど、あれから何の音沙汰が無かった。の頭の中では、『もう会わない』そう言った黒羽丸の言葉が、絶え間なく繰り返されていた。 ダメだ。後ろ向きになってはいけない、そう言い聞かせた。だが、会えないと思うと余計に会いたい気持ちが募った。あの夜の幻を、は何度もリフレインした。 暖かい頬の感触、ふいに零れた上擦った声… 「っと…」 (っぶねー…) は昂った熱をぎゅっと押さえた。前屈みになった状態のまま、へたりこんだ。最低だ、と想像の中の黒羽丸の恥体を懸命に振り払った。だが、簡単には消えてくれそうにない。 (あの羽は柔らかいのだろうか) 再びどくどくと熱が集まるのを感じ、は溜め息を吐いた。 同時に情けないやら、悔しいやらで涙が溢れた。 「黒羽丸さん……っ」 「黒羽丸、おかえり。お疲れ様」 玄関に入ると、リクオが出迎えた。 この時間はいつも昼の姿だ。そして、今日もそれは変わらなかった。 「リクオ、様…只今戻りました」 「………どうかした?」 「え?」 リクオに心配そうに見つめられた黒羽丸はリクオを見つめ返した。 「顔が真っ青だよ?今鴆くんが来てるから、呼んで来ようか?」 「いえ、……大丈夫です…ちょっと疲れただけですので…これで失礼します」 「そう?」 リクオの純真な瞳が黒羽丸を射る。黒羽丸は自室に戻り、崩れ落ちた。トサカ丸とささ美は居ないようで、彼はほっと胸を撫で下ろした。 「何をやっているんだ…」 黒羽丸は自分の中にぐるぐるとした感情が渦巻いていることに気付いていた。この感情が何かも、彼は知っていた。 じわりじわりと侵蝕されるような感覚を覚え、黒羽丸は胸を押さえた。 「ちがう……違う…違う違う…違う、俺は…」 かぶり 黒羽丸は頭を振った。振り払えないことを知っていながら、違う、違うと言い続けた。 は、ダイニングのソファに腰掛けていた。改築がされ、床はフローリングになっていた。 真っ暗な部屋で、はぼんやりと遠くを見ていた。すると、突然部屋が明るくなった。 「たでぇまー。つーか、なんで電気点けないんだよ」 兄である輝春が尋ねるが、は無言だった。 「?」 輝春にはの顔は見えない。ソファに座っており、後頭部が見えているだけだ。訝しく思った輝春はの正面に回り込もうとした。だが、その前にが口を開いた。 「なぁ、兄ちゃんがこの家継ぐんだよな?」 一瞬、何を言っているのだろうと、兄の輝春は逡巡した。だが、のただならぬ気配を感じ、輝春は口を開いた。 「……おう、大学出たらな」 「俺って、後継ぎとか別に産まなくていいんだよな」 兄の答えに、更に質問を重ねる。が体を捻って振り向いた。真剣な眼差しに輝春は嘆息した。 「まぁ…そうなるな…なんでそんなこと聞くの?『俺もう女は愛さない』って?お前モテまくりだもんなー」 「そんなんじゃなくて、いや…まぁ当たらずも遠からず、かな…」 「あー…うん、皆まで言うな」 「いやぁ、俺、男好きになった」 「言わんでいいって言ったのに…」 輝春は聞きたくないものを聞いた、と嫌な顔をした。だが、それは面倒に巻き込まれたというだけで、軽蔑しているわけではなかった。 「……っていうか、…人ですらない…」 「獣姦?」 「一応人型だけど」 「アンドロイド?」 「……天使?」 「……ごめん、頭大丈夫?お前が?相手が?どっちの頭が大丈夫じゃないんだ?」 「いや、どっちも正常だけど…羽、生えててさ、すっごく綺麗で、なんか、…」 再び黒羽丸の痴態を想像してしまいそうになり、は途中で言葉を切った。何かを察した輝春は頭を掻いて、頷いた。 「……あー…うん、お兄ちゃん反対はしないぞ」 「え?そう、ありがと」 「だって、お前幸せそうだし、別に良いや」 にっこりと輝春はに笑いかけた。 「まぁ、なんだ、嘘だけど」 「え?どっから?」 お兄ちゃんビックリだよ、と輝春は笑った。 「天使じゃなくて、……妖怪?だと思う」 「…天使より説得力が若干上がった」 「うっそ、マジで、やりぃ。え、なんで?」 輝春は、真剣な顔になった。それに呼応して、も気持ちを引き締めた。 「俺的にはさ、妖怪って植物とか動物みたいに擬態ができるんじゃないかって思ってる…まぁ、つまり人には見つからないように生きられるってことなんだけど、」 輝春は、と目を合わせた。ここまではいいか、と目で語る。は静かに頷いた。 「でさ、俺らも、闇稼業な訳で、そういう闇側の人間だろ?だから、なんか見えんのかねぇ…俺も、見たことあるし」 「……そうなんだ」 「おう」 しばらく沈黙が続いた。それを破ったのはだった。 「でも、実は既にフラれたかも…」 「そっか、」 「でも、俺、諦めたくない…会って、話して、やっぱ好きだって思ったし…多分、もう、あの人、人じゃないけど、以外の人のこと愛せない、と思う」 そう、は強く思った。真剣に発せられた言葉だったが、輝春は笑い飛ばした。そして、かけるの頭をぐりぐりと撫でた。 「はは、高校生が一丁前に愛とか語ってんなよ」 「そ、うだけども…だー髪ぐしゃぐしゃになるだろ…!」 輝春はぱっと手を離して、ににやりと笑いかけた。 「けど、頑張れ」 「うん、頑張る…」 BACK or NEXT |