貴方が居ないとダメなんです





あれから、一ヶ月が経った。黒羽丸は直接会うことこそ無かったが、何度もの家に通っていた。夜は居ないようで、毎日のように夜の街を徘徊しているらしかった。
その理由を黒羽丸は知っていて、あえて何もしなかった。

「それ、ストーカーって言うんだぜ」

リクオは夜の姿になり、キセルを吹かしていた。

「……人聞きの悪いことを言わないで下さい…ただ、」
「ただ?」
「一度狙われた人間は、…再び狙われる危険があるので、見張っているだけです」
「そうかい」

呆れたような顔をして、リクオは静かに応えた。リクオは最近、黒羽丸に様々なことを報告させていた。実の所、真面目な黒羽丸が青年に振り回されているのを聞くのが楽しいのだ。

「お前ぇさんは何をそんなに悩んでいるんだ?」
「リクオ様……あやつは人です」
「俺だって、人の血が流れてるぜ?4分の3もな」

お前も知ってるだろ?とリクオはにんまりと笑った。それを見て、一瞬黒羽丸の眉が上がったが、すぐに普段の表情に戻った。

「……それに、男です」
「本当にそう思ってるのかい?」
「どういう、意味か分かりかねます…」

あくまでも黒羽丸は冷静に応えていた。だが、事情を知っているリクオには、黒羽丸が狼狽しているように見えた。

「なぁ、黒羽丸、あんたは言い訳をしてるだけなんじゃねぇのか?」
「っ…」

黒羽丸の体が跳ねた。黒羽丸は知っていた。もうのことをただの人としてみることが出来なくなっていることを。だが、理性とも本能とも違うところで、受け入れられなかった。

人は脆い。人は弱い。人は直ぐに死んでしまう。はあと60年もすれば死んでしまう。だが、黒羽丸はが死んだ後も百年、二百年と生きる。は黒羽丸より先に逝ってしまう。
それに、なによりは自由だ。きっと、どこへでも飛んでいける。女を作って、子を為して、そして…      

失うのは自分ばかりだ、と黒羽丸は漠然と感じていた。それが悔しかった。

を縛る鎖に、なれはしないのだと思い知らされる。そのたび、黒羽丸の中で暗い何かが蠢いた。







「ナイッピー!」
「はぁ……」

キャッチャーをしている同級生の声に、はほっと息をついた。ここのところ調子が悪く、コントロールがばらつきがちだったが、今日はまとまった投球ができた。

「最近調子悪かったから、心配してたんだ。けど、今日は良かったぜ!」
「そうか?」
「おう、受けてて気持ちが良かった!」

いつも受けてくれているキャッチャーが言うのだ。間違いない。

「そっか」
「おうともよ。そろそろ帰るか、お前家遠いもんな」
「ああ、悪いな。練習付き合わせて」
「良いって、良いって」

にっこりと笑ったチームメイトの顔を見ていると、は黒羽丸との隔たりを感じずにはいられなかった。

(平和な世界に住んでる…)

ぽつりと浮かんだ言葉に、は苦しくなった。





「あ、俺教室にプリント忘れたから取ってくるわ。先帰ってて」
「ん、分かった。じゃあな」

そう言って友人と別れたのが9時だった。は2時間かけて当下校していた。田舎にある学校のため、鈍行列車しか通っていなかった。1本逃がすと、30分は来ない。距離にするとさほど遠くは無いが、乗り合わせが悪く、運が悪ければ、もっとかかることもあった。

電車の中は疲れきったサラリーマンが寝ていて、どことなく気だるい雰囲気があった。がたんごとんと同じリズムで揺れる電車に、もいつの間にか眠っていた。

体がふわりふわりと浮遊して、波に揺られているような心地だった。ゆらりゆらり、沈んでいく。沈んで、沈んで、真っ暗な海の中、

、」

振り返ると、そこには黒羽丸がいた。
いつもは力強いその瞳が涙に濡れて、婀娜っぽい表情でこちらを見つめている。

黒羽丸は己の衣をぱさりと落とした。普段はほとんど隠れている肌が露になる。白磁のような真っ白な肌が、艶やかにを誘っていた。半開きの口からは吐息が零れ、甘い声がの耳をくすぐった。

…」
「くろ、う丸さ…ん」

脳が蕩ける。触れようと手を伸ばした。
だが、黒羽丸の姿は、泡となって消えてしまった。急激に熱が引いていく。
ふと体にぞろりとしたものが駆け上がった。

「…っ!?」

は目を開けて周りを見回したが、何も無かった。

(気のせいか?)

そのとき、丁度停車のアナウンスが流れた。は急いで電車から飛び降りた。

「ふぃー……危なかったな…」

(さっきの奇妙な感覚、何だったんだろう…それにしても…惜しかった…)

自分の手の平をじっと眺め、握っては開いた。

「すき」

内に秘めておくには大きくなりすぎた想いが、どこからともなく滲み出すような感覚がにはあった。染み出した想いはじわりじわりと体を包み込んで、の肌に熱を生んだ。だが、生まれた側から、夜風がその熱を消し去ってしまう。

「好き、だ………」

誰にも届かぬ声は、冷たい風が連れ去ってしまった。
それでも、その想いが次から次へと生まれて、そして消えていく、そんな刹那、は思いを口にし続けた。

そうしないと、弾け飛んでしまいそうだった。

「はぁ…」

にはこういった衝動がたまにあった。しばらくすると、勝手に引いていく。

夜風が気持ち良い。は腕を伸ばした。
だが、そろそろ梅雨の時期に入り、梅雨が過ぎれば茹だるような暑さがやってくる。それを思って、は少しげんなりした。

「カァー」

びくりと体が跳ねた。電信棒を見ると、烏が止まっていた。電車の中で見た夢を思い出し、は股間を抑えた。

(………だめ、だろ…カラスに欲情は無い…絶対に無い……!)

は狼狽して、しゃがみこんだ。そっと目を閉じて、気を落ち着かせる。

(欲求不満すぎる!)

「黒羽丸さん…すみません……」

はぽつりと呟いた。









名を呼ばれた気がして振り返ると、がしゃがみこんでいた。黒羽丸は近づいていく。


声をかけるとの肩が震えた。顔を上げたと一瞬目が合ったが、は黒羽丸から視線を外した。黒羽丸は顔を強張らせた。

「夜に出歩くなとあれほど…!…もう会わないと言っただろう」
「えっと……部活…の帰り…なんです…すみません、これからは、早く帰るようにしますね」

血が冷えるような感覚を覚え、黒羽丸は手を握り締めた。

「………そうか…」
「えっと、会えて嬉しいです」

はふわりと笑んだ。その柔らかな笑みに心がざわつく。

「……そうか…」
「黒羽丸さん?」

何を考えていたのだ、黒羽丸はそう自分を叱咤した。にはの生活がある。黒羽丸のことだけを考えて生きているわけではない、そんな当たり前のことが、黒羽丸には見えなくなっていた。

「あの、黒羽丸さ……」
「いい加減にしてくれ…」

びくりとの体が震えた。黒羽丸は苛立っていた。
の気持ちに応える気も無いのに、態度が余所余所しくなると、酷く裏切られたような気がした。そんな自分が恥ずかしくて、黒羽丸はつい声を荒げた。

「お前、は…俺のために命を捨てられるか」

はたじろいだ。黒羽丸自身、理不尽なことを聞いたと気付いていた。妖怪と交わったからといって、すぐさま危険にさらされるわけではない。実際若菜も、楽しそうに毎日を送っている。だが、黒羽丸はやり場の無い苛立ちをどうすることもできずに居た。

「黒羽…丸さん?」

黒羽丸はと出会わなければきっと恋など知らぬまま、一生リクオの傍でその翼を広げていただろう。それが不服なわけではない。

だがは黒羽丸と出会わずとも恋をして、いずれは結婚して子を為して、愛した者と老いて、そして死んでいったはずだ。黒羽丸にはそれが許せなかった。自分ばかりが、与えているような気になった。自分ばかりが変えられていくようだった。

「俺のために死ねるか」

黒羽丸はを睨みつけた。その眼光に、は立ち竦んだ。は鞄の持ち手を握り締めた。はく、と開いた口からは何も発せられなかった。の唇はぶるぶると震えていた。

を試すように発せられたその言葉は、黒羽丸自身をも追い詰めていた。自分でも知り得なかった己の女々しい部分を見せ付けられて、黒羽丸は自尊心を傷付けられていた。

「あ、黒羽丸さん!待って、行かないで!黒羽丸さん!」

伸ばされた手に体が疼いた。

(その腕に抱かれたなら…)

黒羽丸は己のその浅ましい感情を嘲笑った。



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