「ふぅー…」
随分日が長くなったと言っても、まだ春だ。空が暗くなってきた。
緊張の糸が切れ、は息を吐いた。
「あれ、さんじゃないっスか。なんで、こんなとこに…」
「黄瀬君…」
見慣れた金髪が目の前にいた。気付いたら県をまたいで海常高校の前にいた。
「青峰っちに会ってきたんスか?」
名前呼びじゃないし…と、黄瀬は言う。もしかしてバレバレ?とは複雑な心境だ。
「ま、あ…ね」
「で、どうだったんスか?」
「うーん…保留、っつーか、返事待ちかな」
は何でもない風に言った。
「いつ別れたのか知らなかったっス」
「自然消滅だったしね」
ってかバレてたんか、とは自分の行動を思い返した。隠していたつもりもないが、バラしたつもりもなかった。そもそもは当時そこまで青峰のことを想っていたわけではなかった。
「涼太く…」
「黄瀬?と、か」
の言葉を遮り、現れたのは笠松だった。暗くなってきたので、笠松は目を凝らして達の姿を見た。には笠松の姿が昼間のようにはっきりと見えていた。は駈けていった。
「あ、笠松さん!」
「うおっ…!何してんだ!離れ……?」
ぎゅうと笠松に抱きつき、頬ずりをした。笠松は最初引きはがそうとしていたが、力を緩めた。の様子がおかしいことに気づいたからだ。
「笠松さん良い匂いします…もう、私笠松さんにしゅる…」
すんすんと笠松の首筋に顔を埋めた。
「何か知らねぇけど、まぁ、頑張れ?」
笠松はそう言って、の頭を撫でた。黄瀬はその様子をじっと見ていた。
「はい、ありがとうございます…」
「何やってんだ?」
「あ、森山さん」
笠松に抱きついていると、声がした。
「名前知ってたのか…笠松しか眼中にないのかと…」
引きつった顔で、森山はを見た。
「まさか。バスケは一人じゃできないですよ。割と森山さんの顔は好みです…!」
笠松から離れ、は拳を握って声を張った。
「この人バイだから、喰われないように気を付けてくださいね、森山先輩」
黄瀬は何でもないようにそう言った。森山は一瞬目を見開き、凄い勢いで後退った。
「……近づくな…俺に近づくな…!」
「俺、実はドSなのかなー…嫌がられると燃えます。もっと嫌がって良いですよ?」
首と手を振って必死に逃げる森山ににっこりと微笑みかけると、森山は顔を真っ青にした。
「な、なんで尻を触るんだ!てか速っ!」
一瞬で距離を縮めてがっちりと森山の腰を固定し、好き勝手に体をまさぐる。
「森山先輩があんな風に焦ってるのって、新鮮っスね」
「冷静なお前が恐ぇよ…」
笠松と黄瀬はその様子を遠目に見ていた。
「笠松!お前助けろよ!」
森山は涙目で笠松に助けを求めるが、笠松はげんなりした顔で引いた。
「え?俺を巻き込むなよ…」
「俺が、俺がバスケできなくなったらどうするんだ!」
「…それは困るな」
「クソォ!このバスケバカ!」
自分の身よりも、「バスケ」に反応した笠松に裏切り者!と森山は叫ぶ。
「高校三年までがっつりバスケ部でレギュラー取るほど練習頑張ってるって森山さんも相当なバスケバカだと思いますけど」
「…………………………そっ…」
の言葉に森山の抵抗が止んだ。
「違うんですか?」
「違わないけど!」
が首を傾げると、森山は自棄になって叫んだ。森山は自分のバスケへの姿勢について、誤解されることが少なくないことを知っていた。
だがの言葉に、本気でバスケに向き合っていることを認められたような気になった。
「私は頑張ってる男の子が好きなんです」
ふわりとは森山に微笑んだ。一瞬森山は固まった。
「俺はときめいてない俺はときめいてない」
森山はぶんぶんと首を振った。
「さんって、本命には奥手で、他には天然たらしっスよね」
黄瀬は、はははと笑いながら言った。
(割と狙ってやってるんだけどな…)
は苦笑した。人に嫌われるよりは、好かれたいに決まっている。
人に喜んでもらえることは好きだ。それはそこに居ることを認められるということであり、本能的に人間が求めているものなのだ。
「つか、なんでこんな所にいるんだ?まじで」
笠松が呆れたように、言う。声は優しい。が滅入っていて、無理をしているのは丸分かりだった。
「うーん…慰めて欲しかったのかなぁ…」
「誰に」
「………………誰にだろう…」
少し涙が出た。
三人が三者三様、の頭を撫でた。
(私女だから惚れてまうやろー…普通に好き)
**
トーナメント準決勝。は観客席でその様子を見ていた。王者との戦い。厳しい戦いになる、それだけは確かだ。だがは平然と構えていた。
そのとき、嗅ぎ慣れた匂いが近づいてくるのを感じた。
「あ、笠松さん、」
「おう、か」
観客席の階段を降りてきた笠松に、は声をかけた。立ち上がって奥の席に促す。
「遅かったですね。もう始まってますよ」
笠松はばつの悪そうな顔をした後、黄瀬を睨んだ。の奥の席に腰掛ける。そして黄瀬がそれに続こうとしたが、は笠松の横に座ってしまった。黄瀬は「いやがらせか?」と思った。しかしは笠松とは逆の席をトントンと叩いた。黄瀬はの言うとおり、その席に座った。
「ヤバい、今両手に花!」
「さんって、ブレないっスよね」
黄瀬はそう言って笠松の顔を見た。笠松は心なしかと距離を取って座っているように見える。
「…ってか、やっぱ誠凛はスロースターターっぽいな…」
笠松の呟きに、も頷いた。
「そこでいつも初っぱなアクセル踏み込むのが火神なんだが…そいつがまだこねぇからなおさら波にのれてねー」
「そうですね。てか、火神君自体、結構ムラありますしねぇ」
「ああ、」
「しかも…」
は火神を目で追う。
「血上りやすいし…」
火神が津川の挑発に乗り、ファウルを貰った。
(原作通り、か…)
は、試合を見つめながらそう思った。だが、の居るこの世界は、あくまでも漫画『黒子のバスケ』のパラレルワールド。つまり、このまま負ける可能性だって、0でない。
**
しかしそんなの心配を余所に、誠凛は勝利を収めた。は立ち上がり、足に力を入れた。黄瀬の上を飛び越えた。
「よっと…」
すとんと通路に出て、は階段を上がった。笠松が呆気に取られていると、黄瀬は笑った。
「多分マッサージっスよ。先輩が言ったとおり、3時間後には試合っスから」
「…………そうか…」
笠松はの後ろ姿を見た。の歩調は彼の性格を表したように飄々としていた。
「笠松先輩が思ってるような人じゃないっスよ」
「はぁ?」
黄瀬の突然の言葉に、笠松は声を上げた。
「あの人、普段は飄々として見えますけど、本当は真面目で、繊細な人なんスよ」
「へぇ…」
笠松は黄瀬の言葉を半信半疑で聞いていた。そもそも笠松にとっては、がどんな人物であれ、関係なかった。自分の害になりさえしなければ問題は無い。
「はぁ…」
笠松は溜息を吐いた。
**
「えっと、…控え室は………」
は、すぅと目を凝らした。誠凛の面々が歩いたであろう軌跡を辿り、廊下をすたすたと進む。
「わっ…!」
体に衝撃が走る。辿ることに集中しすぎて人にぶつかってしまった。は咄嗟にバランスを取ったおかげでひっくり返ることがなかった。しかし相手はぶつかった衝撃で後ろに倒れていく。
には、男の目が見開かれていく様子がスローモーションのように見えた。男の顔には見覚えがあった。先ほどまで見つめていたコートの中に、確かにあった。
津川智紀。
「おっと」
そう声を出し、は倒れゆく津川の手首を掴んだ。そしてぐっと自分に引きつけ、抱き留めた。津川は突然のことに奇声を上げた。
「え!?うわぁ!と…はれ?」
しばらくの腕の中で大人しかった津川がもぞもぞと動き出した。は力を緩め、解放してやる。
「大丈夫?ごめんね。ぼぉっとしてた」
そう言うと、津川はぽかんと口を開けた。
「あ、えっと、俺も前見てなかった…」
津川は心ここにあらずといった様子で呟き、俯いた。
「あ、俺すっげぇ汗…」
「ああ、大丈夫。構わないよ」
まだ混乱しているのか、津川は呆然としていた。コートの中では大したドSぶりだったが、今は形を潜めている。
「急いでるから、ごめん、行くね」
そう言って、は津川を置いて走り去った。
(負けたとはいえ、イメージ全然違うな…)
は津川の様子に疑問を抱いた。今はするべきことがあると、すぐに気を引き締めた。
「お、いたな」
「津川、お前まだユニフォームかよ。風引くぞー」
春日が廊下で呆然と立ちつくす津川に声をかけた。津川はその声に反応して振り返った。春日は首を傾げた。津川の表情があまりにも不安げで、心細そうで迷子の子供のようだったから。
「え、あ…はい」
「どかした?」
「あ、いや、何でもないっす!」
(男、男、だった!おかしい、絶対、おかしい!)
津川は心臓の辺りを握りしめた。頬は赤く、心臓は痛いくらいに脈打ち、脳が沸騰するのではないかと言うほどの熱が生まれる。津川はこの感情、反応に名をつけられぬほど純情でも鈍感でもなかった。
(ウソだろぉぉぉ…!!)
因みに、恐らく吊り橋効果である。
「ん?」
は振り返った。誰かに呼ばれた気がしたからだ。そのときは意図せず人の人生を狂わせてしまったことに気付いていなかった。
「どうしたの?くん」
「え?いや、…………気のせいかな…」
の様子に、リコが不思議そうな顔で話しかけた。は曖昧に応える。何か心に引っ掛かりを覚えたまま、しかし仕事に取りかかろうと腕まくりをした。
「じゃあ、……始めるか」
三時間しかない。は彼らの疲労を少しでも取り除くため、気合いを入れた。
「うしっ覚悟しろ!青少年どもふはははははははは」
「掛け声なんか怖い!」
**
「ふにゃー。体軽いー」
小金井の言葉に水戸部も頷いた。
「本当に助かったわ。くんがいなかったらどうなってたことか…」
「大袈裟だよ。ってか、魔法みたいに全く疲労を取り除ける訳じゃないからね!」
そう言いつつは嬉しかった。へらっと笑って、腕まくりしたシャツを下ろした。
「さん、」
「ん?」
「火神君は…」
黒子は言いにくそうに口ごもった。彼がこんな風になる理由など一つしかない。
黒子は危惧しているのだ、火神が青峰のようになってしまうのではないかと。黄瀬の言った言葉が黒子の中に渦巻いて消えないでいた。
「黒子っちと火神は…いつか…決別するっスよ」
黒子はバスケが好きだ。辛くて苦しくても皆でバスケをしたい、それが黒子の願いだった。
は少し考え込んだ。無責任に大丈夫などとは言えなかった。
「んー…二人はよく似てるけど、私からしたら大輝君とは、…全く別、っていうか、性格的にはあんまり似てないかなって思う、し、多分同じようにはならないんじゃないかな…多分。本当に多分だけど」
「…………そうですね」
「大丈夫とは断言できないけど、……もう、君がそうさせない、よね」
の言葉に黒子は顔を泣きそうに歪めながら、それでも笑った。
「勿論です」
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