「美咲くん、こっちー!」

手を振ってぴょんこぴょんこ飛び跳ねると、八田が手を挙げて応えた。上り坂なのに、すいすいと上ってくるのは、スケボーを動かしているのが脚力ではなく、新たな王の力だからだ。
力を得てからは、以前よりスッキリとした顔をしている。周防の死も少しずつ受け入れられるようになってきているようだ。思い出話ができるようになった。

「………お前って、整ってるとは思ってたけど、……」

と言って八田はあまりにも普通に端末を取り出し、伏見の許可を取らずに流れるように写真にその姿を納めた。

「じゃあ行くか」
「ちょっと待て、今の自然な流れ何、美咲」
「え」

八田は振り返って意外そうな顔をした。お前のそんな姿写真に収めずしてどうする、といった風だ。

「……君たちは似たもの同士だと思うよ…」
「なんで生暖かい笑みなんすか…」

伏見はそれ以上聞かなかった。懸命な判断だ。

「で、結局俺は何をすれば良いんすか」
「んー…それは君に任せる」
「…………いや、任せるって……」

全然何をすれば良いのか分からない、と伏見は眉を顰めた。

「君は、どうするのが、一番良いと思う?」
「…………それは…あれが…消えるのが、一番…良いんすよね」

ぽつりぽつりと伏見は言う。自信がなさそうに話すのは、とても新鮮だ。

「元々は、君なんだから、君の気持ちを伝えて、上書きしたら良いんだよ」
「いや俺ではないです」
「魂は同じはず!」

いまだ納得していない様子で伏見は曖昧に頷いた。

「じゃあ、美咲くんのこと、どう思う?」

伏見の口がまごついた。先日二人で話をしたらしい。いまさら口に出して言うのが恥ずかしいのだろう。

「ああ、言わなくて良いよ。頭の中で思い浮かべて。私は?どうかな。君の置かれている環境は?」
「そんなことで良いんですか」
「そうだね…。それでだめでも、別に君を責めたりしない。決まった方法は無いし、色々試していくしかないし」

それでも不安そうに伏見は私を見た。

「………俺の、気持ち…あの、恥ずいんで、待ってて貰っても…」
「良いよ」

即答する。それでも何かが引っかかっているのか、はっきりとした答えはない。

「………ありがとうございます…」
「行っておいで。もしダメなら戻っておいで」
「……はい」

とぼとぼと伏見は家の中に入っていった。お守りは持たせている。大丈夫だろう。
私は伏見が敷地内に入るのを確認してから、玄関横の塀にもたれ掛かった。手持ち無沙汰だ。ふと爪を見る。今日の朝切ったばかりなので、ほとんど白い部分は無い。

「あいつさ、」
「んー…?」

別に何があるというわけでもなく爪から目を離さずに返事をした。

「……両親と仲良くなくてさ、それで、大人ってのが嫌いなんだ」
「それは、美咲くんも同じでしょ?中学んとき、つんつんしてたもんね」

私は爪を眺めながら、そう言った。苦笑したのが気配で分かった。顔を上げる。

「……おれには母さんがいるし…全員が嫌いってわけじゃねぇよ。俺が嫌いなのは教師だし」
「はは………その話を私にするって事は、私は大人分類なの?」
「尊さんだって、俺らにとっては大人だったしよ…」

周防や宗像はもう20代前半と思えぬ貫禄がある。それに比べて、私はまだまだ甘ちゃんである。しかし大人と言っても良い年齢ではある。

「……続き聞く。で?」

八田はこくりと頷いた。

「……あいつの両親はちょっとよく分かんねぇし…吠舞羅は、まぁ…放任主義だし、みたいなタイプって初めてなんだと思う」
「うん」
「んー…上手く言えないんだけど、さ…あいつ、丸くなった気がする。それって、のおかげなんじゃないかなって」

呆気に取られた。

「…………どうかなぁ…」

はぐらかす。

って、裏表無いしさ、安心なんだよ」

八田がそう思うのならそうなのだろう。いや、私自身は勿論裏表が無いとは思っていない。だが信頼できる大人だと思ってくれているのなら、嬉しいことこの上ない。

そのとき中から、伏見が現れた。

「お、おかえり」
「………一応、終わった、と思います…」
「煮え切らねぇな」

八田が溜息混じりに言うと、

「思念が消えたかとか、書き換えられたとか、俺に分かるかよ…」

と吐き捨てた。


「………消えて、はないな…」
「失敗っすか」
「……いや、成功は、成功だ…ほら、私が入っても何もないし」

ここに囚われている霊たちが解放されていないのは引っかかったが、山内家を襲うことはもうないだろう。

「とりあえずここ寒いし、中、入ろうか」
「はい」
「片っ端から……片づけるか、いや…霊が開放されないのには理由があるんだろうしな…いつ霊たちが悪さをするものに変質するかも分からないし…」

とぶつぶつ言いながら私は中に遠慮無く入った。何度も家人の居ない状態で来ていたので、親しみのある家になった。八田はキョロキョロしている。霊たちがあからさまに彼を避けいくく。さすが八田だ。

「この家って、嫌な感じとかしないすね」
「まぁ、怨念とかじゃなかったからね。結局、『守りたい』って気持ちだったんだろうし…」
「そういうもんすか」
「霊なら変質するけど、彼女の場合、思念だからずっと同じようにそういう真っ直ぐな気持ちが残ってたんだと思う、それに集まった霊だから、かなぁ…」

へぇ、と伏見は興味なさそうに頷いた。だが本当に興味がなければ聞くことさえもなかっただろう。彼の表情と感情はそれほど一致しない、と私は理解していた。

「………何を、守りたかったんだろうな」

八田がぽつりと呟いた。表情は俯いて見えない。周防のことを思い出したのだろうか。最期、守れずに彼は外から見てるしかなかった。それが彼の心残りなのだろう。

「……………守りたい、のに、人を襲うのってどういう心理っすか」

伏見は真っ先にコタツの電源を入れ、肩まで布団をたぐり寄せた。私はその向かいに座り、八田は伏見の隣に座った。着けたばかりで寒いので、八田の足に自分の物を絡めた。目でやめろと訴えられたので、私は渋々足を離した。

「………それについては私も考えた。んで、鳴神様に色々とヒント貰って、一つの結論に至った。と言っても、…全部憶測、もう憶測に憶測を重ねて、憶測した感じ。つまり憶測」
「ものすごく不確かな情報って事だけ分かりました」
「それは良かった」

うんうんと頷いて、私は説明をすべく、頭の中で道筋をたてる。

「まず、なんでここにいるの、って話から」

二人がこくりと頷いて私に注目した。

「思念は何に宿るだろう。そもそも、霊、思念はなぜそこに留まるのかな」

伏見が八田を見た。八田はそれに気づき、伏見を見る。先に口を開いたのは八田だった。

「思い入れ、心残りがあるとこか?」

八田の答えを聞き、伏見はぽつりと答えた。

「死んだ場所…」
「どちらも正解」

私はちょんちょんと人差し指を振った。

「けど、ここって……思い入れ、が在る場所ではないですよね……?」
「うん。元々ここには祠以外何もなかったし、日記によると散歩に来るくらいって書いてあったよ」

伏見は考え込むように、俯いた。すっと顔を上げ、伏見は口を開いた。

「思念って物に宿るって言いますよね」
「あると思う。断言はできないけど」

すると、伏見はさらに考え込むように顎に手を当てた。さすが伏見だ。質問が的を射ている。

「……死んだ、場所、思念……死体…?」

思わず息が零れた。末恐ろしい。私は一応専門家だが、伏見は一般人。ここまで言い当てるなんて、頭の回転が速く、柔軟だ。凄すぎて逆に呆れ返ってしまった。

「………探しても見つからないところ…地中ですか」
「………そうじゃないかと思ってる」

全て言い当ててしまった。あれだけのヒントで。

《大丈夫、は普通だよ》

それは慰めているのか…。いや、伏見と比べようだなんて、烏滸がましい。宗像が認めた男だ。彼は私も認めてくれているが、それは仕事の話ではなく、人柄の面でのことらしい。同僚としては、認められていないかもしれない。

「猿、」
「んだよ、今話してるだろ」
「……いや、お前さっきから首、さすってるから…」

はっとしたように、伏見は手を離した。首、私も思わず首をさすった。絞められた痕はまだ残っている。

「話、続けるよ?最後に、……じゃあ、どうして、そんなところにいるの?まさか自分で地中に潜るわけないよね」
「……………っ!」

八田は勢いよく伏見を見た。眉を顰め、八田は俯いた。そうだ。伏見の前世であるウズメは、……

「………殺されたって、考えるのが自然だ…」

伏見はそうですね、と呟いた。

「……殺害、された、相手。自分を殺したその人から、守りたい、それがあの思念だと考えている」
「けど、守りたい相手って…」

ちらりと伏見は私を見た。私は“”の生まれ変わりらしい。だから私が襲われる理由が分からない、そういうことだろう。

「そう、私の血縁、あのって人だと思う。守りたかったのは。……けどね、親戚同士が集まって、生活してたみたいだから、……加害者も血縁だった、んだと思う。ただの思念が、誰を襲うかとか、考えられると思う?」
「………血縁者を片っ端から、ということですか…」
「と、思うよ」

伏見は納得し切れていないような様子だが、私はそこで話を打ち切った。伏見のことだから、血縁者である伏見が生まれ変わりという理由で襲われないのなら、私も襲われないはずだと考えているだろう。私もそう思う。だが…

「私たちの任務は、あくまでも、この家で山内さん一家が住めるように事件を解決すること。犯人の究明は管轄外だよ。それに……山内さんの先祖を冒涜することにもなりかねない。だから、これでおしまい」
「…………そうですか、」
「で、」

と言って私は立ち上がった。

「で?」

伏見も八田も首を傾げた。


「助っ人連れてきた」
「……………なんですか、それ…」
「無礼なおなごじゃ。あの頃とは随分変わってしもうたな…」

神は伏見に向かってそう言った。伏見は無言だ。八田は後ろで笑いを堪えている。神様から見ても、伏見は完全に女に見えたようだ。

「おなごだって」

笑いを堪えて伏見に言うと、伏見は不機嫌全開で私を睨んだ。

「…………殴りますよ」
「………あはは、それは勘弁…」

私はすんなりと引き下がった。

「………で、何を探す」
「………彼女がここに居続けた理由、いえ、ここに居続けなければならなかった理由、……」

分かりますよね、と私は神を見た。神は眉を顰め、頷いた。

「…………死体か…」
「………そう、だと思います…」

ここで死んだのだ。こんな何もないところで、誰もいないところで、寂しく。それを思うと、私は少し悲しい気持ちになった。だが、それ以上の感情はなかった。

「分かった。ここは儂の領域、…あの坊主が甲斐甲斐しく祠の掃除や供え物をしてくれるでな…それくらいの力は戻っておる」

坊主、とは山内さんのことだろう。
この神は元々木の神だった。木は地中深く、浅く、根を張る。つまり、この土地全てが彼女のテリトリー。死体を見つけることも可能だ。

「……………………あったぞぃ…」
「…………そう、ですか…」

私は神の後ろに続いた。私はきっと“”の生まれ変わりではない。そんな気がしていた。前世から私と共に在った鳴神も宵姫も、そして暁もこの事件に対して淡泊だ。それが引っかかっていた。それに伏見が襲われないのなら、私も襲われないはずである。だが、私は山内さんと同様に襲われた。

そして私がウズメさんのことを他人事のように見ていることがおかしいのだ。

八田がここに来てから少し伏見を心配するような仕草をするのは、伏見が首をしきりにさするのは、前世の自分に同調している証拠。だが私には何もない。何の既視感もないのだ。何らの感慨も。

ぴたりと神が止まった。玄関口、小ぶりの木が立つそこ。

「ここ?」

私が尋ねると、神はそうだと頷いた。

「神様、掘ったりはできないんですか?」
「図々しいの」
「う…すみません…」

外見が可愛らしいので、思わず馴れ馴れしくしてしまった。怒られるかと思って、ぐっと覚悟を決めるが、溜息が聞こえた。

「…………そこまでの力は…戻っておらんでな…いや、もう戻らんだろうな…ワシが神格化したのは、が特別な力を持っておったからじゃ…。いくらあの坊主がワシを崇めようが、…」

神は肩を落とした。

「…………すみません…」
「お主が謝ることではないよ。仕方のないことじゃ…」
「…………はい…」

神々の信仰が廃れるのは世の流れ。その流れを止めることはできない。

”は何故この地にやってこないのか。何度も生まれ変わり、そのたびにこの祠にやってきたという“”。そのどれもが前世の記憶を有していたという。だが私にはその記憶がない。それは私がその“”でないからだろう。
この神がを見分けるのに、その者が持っている力を基準にしているというのなら、私が“”の生まれ変わりでないということも十分に考えられる。とするならば、私以外に同じ能力を持った人物がいるということになるのだろう。自分で言うのもなんだがこんな特殊で恐ろしい能力を、私以外に持っている人物がいるなど、考えたくないことである。
しかし先の事件のこともある。明らかに人を操る能力を持った主犯がいるはずなのだ。そのことがどうにも気になった。いや、今は目の前の仕事だ。

「…と、いうわけで、お願いします」
「俺らがやるんですか」
「勿論、私と、美咲くん、君でローテーション」
「…………………分かりました…着替えてきます…」
「うん。あ、化粧落とし」

伏見は顔を歪め、無言で受け取った。

「似合ってたのに」

と八田が不満そうに呟くと、伏見は八田の頭をがっしりと掴んでにたりと笑った。

「お前も似合うぞ、きっと」

伏見の有無を言わせない雰囲気に八田は固まった。舌打ちをして、伏見はさっさと家の中に消えていった。

八田は伏見のそんな様子に驚いたのか、胸の辺りを握りしめ、呆然としていた。

「………あれね、君に見られるのが恥ずかしかったらしいの」
「え、そうなのか?」
「うん。察してあげて!」
「お、おう…」
「じゃあ、掘ろうか…」

ざく、ざく、と掘る音だけが響く。さすが男の力は違う。どんどん土が積み上がっていく。

「腰使えよー」
「……やってる…」

すでに息が上がっている。

「相変わらず体力ねぇな」
「これでも付いた方!」
「………これ、俺の力で…」
「だめ!この辺一帯焼け野原になるわ!」
「……ごめんなさい…」

八田は良い案だとおもったのになーと愚痴りながら、どんどん掘り進めていく。

「……室長、もっと腰に力入れてください」
「だからやってる!」

伏見がいつの間にか着替えてきていた。

「………変わります…」
「やたー!」

スコップを放り出す。八田が顔を上げた。

「え、ちょ!狡い!」
「狡くない!私、女の子!」
「……女の、子?」

八田が首を傾げた。酷い。

「あれ?もうおばさんだろって?そうだけど、そうですけど!」
「口じゃなくて手を動かせ!」

伏見が苛ついた様子で八田を怒鳴りつける。私にも言ったのだろうな、と察して、謝った。

「……う…ごめん…」
「………すみませんでした…」

そういって黙々と掘る。どれだけ深く埋めたのだ…。

「あ、そういえば、神様って、あの雷に打たれた木の精なんですよね。」
「ああ、そうじゃ。死にかけておった儂を、祭り、信仰してくれた。そのおかげで、儂はここにおる…。は…あのおなごを、儂に助けて欲しかったのかの…」

”は一つでも、思い出の場所を残しておきたかったのだろう。

「あ、何か当たった…」
「優しくね…!」
「おう、」

小さなスコップに持ち替え、慎重に掘り起こす。こつりと何かに当たったようだ。手で土を除けていく。

「……っ…」

小ぶりの頭蓋骨。

「美咲、変わる。お前そういう精密なこと苦手だろ」
「悪ぃ。頼むわ」

一つ一つ、骨を取り出していく。広げたブルーシートの上に、乗せていく。骨を掘り出して調査することが稀にあるので、骨については勉強した。綺麗に並べていく。

目に留まったのは、不自然に折れた骨。そっと指先で撫でる。無意識に自分の首をさすった。

「……………………それで……首か…………」

確かに神のご加護がなければ、絞め殺されていたっておかしくなかった。今更ながらにぞっとした。

さん?」
「………なんでもない…」

霊たちがふわりと霧散していったのが見えた。これで完全に解決だ。

「…………とりあえず穴埋めようか…」
「………うぃーっす…」

とやる気なげに八田が答えた。お前それバイト先でもやってんじゃねぇだろうな…。そんな応対してたら絶対にクビだ。いや、それ以前に伏見は返事すらない。


**


その後、遺骨は私の神社で埋葬祭を行った。山内さん一家、伏見と八田が参列し、私が神職として取り仕切った。

「猿、」
「ん?」
「………お前は、いなく…ならねぇよな…」
「そんなの、分かんねぇだろ。美咲の方がいなくなる可能性だってあるんだし」
「………そう、だよな…」

1月中旬、曇り。山内家を襲った事件は終わった。

「んー…」

ぐっと空に向かって伸びをした。

百年も前の事件が、この先私たちを襲う事件に関わってくるなんて、このときは全く考えてもいなかった。


***


目が覚めても、俺を必要としてくれる人はいない、
目が覚めても、あの人は居ない、

それが、九条美咲としての最後の記憶だ。


***


カランカラン、と懐かしい鈴の音が鳴る。

「いらっしゃいませ……八田ちゃん」

驚いた顔をして、すぐに穏やかな表情になった。

「心配かけました」
「いつものことやん。整理は、できたんか?」

柔らかな京都弁、京都に住んでいた八田には親しみ深いものだ。ほっと息を吐き、頷いた。

「…………はい…」

いつもの席に座った。何から話せばよいのか、沈黙が広がった。

「…………草薙さん、Go to Heaven」
「八田ちゃん未成年やろ、しかもものっそアルコール濃度高いやつやし」
「大丈夫っすよ」


そう言って八田は端末を開き、個人情報が書かれたウィンドウを開いた。

「八田ちゃん、………」

草薙は情報と八田の顔を交互に見た。

「一応と同い年っす」

苦笑い。何も聞かないで欲しい、と暗に伝えていた。

「………まぁ、詳しくは聞かんけどな…」

八田は眉尻を下げた。

「草薙さんがそうやって甘やかすから、俺、調子乗っちゃうんすよね…」


**


「草薙さん、滅茶苦茶失礼なこと言って良いっすか?」
「ん?」

グラスを空にした八田が突然そう言った。草薙は首を傾げた。

「俺、草薙さんの腕なめてました。めっちゃ旨いです」
「ふっふーん、せやろー」

草薙は得意げに胸を張った。その様子に笑みがこぼれた。彼の気遣いなのだ。

「つーか、見惚れちゃいました」
「それは、嬉しいなぁ…ー。で、酔えたんか?」

ぴくりと体を震わせた。

「………草薙さんにはお見通しっすね。俺、によくワクって言われます。この前一緒に飲みに行ったとき、久々に酔ったんすよね、……今は、だめです…」
「………さよか…」

草薙はそう言ったきり黙した。八田はグラスを傾け、氷をからころと回しては止める。言い出さなければ。意を決して、八田はグラスを置いた。

「俺、……小学校最後の年、色々あって、大切な人を亡くしたんすよね。それで、……俺、最後に思ったんすよ。もう生きてたって意味がないって、だって、あの人が居ないのに、……それで、もう良いやって思って、5年間も目ぇ、覚まさなかった」

目を閉じた。あのときの光景を思い出していた。だが、八田には何も思い出せなかった。真っ赤な炎だけが煌々と輝いていた。

「………毎日、毎日が俺の病室に来て、俺の目が覚めるように、色々してくれてたみたいで、……だからあいつには頭上がらないんすよ………」

続きを話さなければ、八田は必死に口を開こうとした。しかし唇が震え、うまく声が出せない。じわりと目の奥が痛んだ。泣き出しそうだ。息を吸おうとしたが、それも失敗した。涙が溜まり、しゃくり上げてしまう。喉がひくりと震えた。

「……………八田ちゃん、無理、せんでえんよ…」

ふるふると首を振る。

「おれ、……!尊さんが死んだってのに…普通に泣いて、普通に寝て、普通に、………朝が来た、あのときみたいに、目が覚めない、なんてことはなくて、」

朝が来たとき、八田は絶望した。どうして自分はこんなにも普通に生きているのかと。己を叱咤したところで、お腹は空いたし、眠気も来た。

「それが、どうしても許せなかった…自分がふがいなくて!………最低だ…尊さんを失った悲しみが、軽いモノに思えて、……っ」

グラスを握りしめた指が白くなっていた。力を込めすぎてカタカタと手が震えている。

「八田ちゃん」

草薙はその手を己の大きな手で包み込んだ。八田ははっとして力を抜いた。、

「すんませっ…」
「ええんよ、それで、そうやって、人は生きとる。八田ちゃんには俺らがいるやろ。尊だけとちゃうやろ。もう、一人やないんやから」

こくりと頷いた。

「俺も、大切なダチが二人も死んで…ほんま、どないしょうかと思たけど、……けど、お前らがおるやんか、へこたれてもおれんやろ。な…」
「ぅん…」

泣きそうな顔で草薙は笑った。八田ははっとした。草薙は泣かない。いつも気丈に振る舞っている。だが悲しくないわけがないのだ。ぽろりと涙がこぼれた。

「ほらほらお客さん、次は何飲むんや…」
「……しょっぱくて、かなわねぇから、……甘いのを…」
「…かしこまりました」

どこまでも優しい声が、八田の心を癒した。






〈完〉









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