「お兄さん、お兄さん分かりますか?意識ありますかー!」

砂埃が舞う。はぐったりとしているお兄さんこと轟焦凍に声を掛ける。彼の反対側には敵かと見紛うような形相の爆豪青年が数人の教師に押さえ込まれている。

体育祭、最終戦。

「ぅ…」

両目で色の違う目がゆらゆらと揺れて、をぼんやりと見た。

「ああ、良かった、自分の名前、言えますか?」
「轟、しょう、と、」
「轟くんねー。これ何本ですかー?」
「…に…ほん」
「今の自分の状況分かりますか?」
「…体育祭で、ばくごに、負けた…」
「はい、そうでーす」

よし意識ある、記憶も大丈夫。は彼を背負おうと背を向け手を掴んだ。担架は二人でしか運べない。生憎今は手が空いているのが彼女しかいない。

「あの、俺重いと、思う…」
「大人しくしててねー、君足腫れてるの見えてないでしょ。それ捻ってるよ知らんけど。よーいしょ!」

確かに重い。それに、やっぱり砂埃と汗のにおい。そして血とか色々。それを除いても、

「(やっぱりただの高校生男子のにおいじゃねぇか…先輩の嘘つき)」



 枯れ木に花を咲かせましょ



時は遡り、一月下旬。寒さはこれからが本番といった時期だ。もこもこのコートを着たかったのを我慢して、就活のときに使用していた薄手のトレンチコートを着用している。寒さでどうにかなってしまいそうだった。そんなときに限って生理になるタイミングの悪さはいつものことだ。

は大きな校門の前で立ち尽くしていた。どうしてこうなったのだろう、は心中で頭を抱えた。「何をどうして、ヒーローでない私が雄英の職員になるのだ」と。

きっとそもそも自分の父親がオールマイトとビジネスパートナーなのが悪いのだろうと、あたりは付けていた。というより恐らくはそれしかないのだ。

数ヵ月前まで一般企業で働いていた彼女は、圧倒的な場違い感に気後れしていた。正直な話、入りたくなかった。しかし一度承諾してしまったことを、覆すのは社会人としていかがなものかと。は意を決して一歩踏み出した。


うわ、と声に出しそうになるのをこらえ、はすたすたと歩いていく後ろ姿を見送った。姿が見えなくなってから、

「縁起の良いカラーリング…景気の悪い顔してたけど…」

ぽつりと呟くように言って、は逆の方に歩いていった。今日は推薦入試の日であり、ぽつぽつと生徒が見える。どの少年少女も、自信が歩き方に出ている。その中でもその男の子は一際目立っているように見えた。はっきりと紅白二色に分かれた髪色。緊張というのでない固い表情であった。絶対に友達になれないタイプ、そう即座に分類した。元より10も違う相手と友達になる予定もないのだが。
と、そこまで考えて、もしも自分が二年後もここで働いていたなら、干支の同じ新入生が入ってくることになる。そう思うとぞっとした。そりゃ年も食うわ、と。


彼女の父は、人材派遣会社を運営している。業務内容は“個性”の貸し出しだ。特殊なライセンスを申請しているため、限定的に公共の場での”個性”の使用を認められていた。そのライセンスは何やらとてつもない量の書類の提出と、資格がいるらしい。は仕事を継ぐ予定はないので、詳しくは知らない。の知っていることといえば、2つ。ヒーロー事務所にも人材を貸しているということ。その実績を認められていること。

そんなこんなでオールマイトとも仕事をしたことがあるらしいのだ。とは面識がない。高校生の時に父の会社のバイトで書類の打ち込みをしていたときに名を見かけただけだ。
それに父親は仕事時、本名を名乗ることはない。だから相手の方からを知ることもない。


紆余曲折あって勤め先を退職していたは、あれよあれよという間に父の会社に入社し、気づけばこの有名校の図書館司書として派遣されていた。彼女は流されていたわけではない。慢性的な人員不足に悩む職種で働いていたは、同情してしまった。自分が入ることでなんとか回るならば、と軽い気持ちで引き受けた。学生時代に適当に取った資格がこんなところで役立つとは、は人生分からないものだなと思った。
当初いくつか疑問はあった。のように実務経験がなく、教員免許も持たない人間で良ければ雄英で働きたい人間などいくらでもいたはずだ。それに試験が無いなんて有り得ない。
その疑問の答えは直ぐに出た。

何でも良いから自衛できる人材が欲しかったのだ。それも学校側が信頼できる人間に限られる。

そう、オールマイトが教師として赴任する。雄英は他の学校以上に敵に目を付けられるリスクを負うということだ。以外に適任がいなかった。彼本人と面識はないが、父親とは旧知の仲。そしての能力ならば、敵を退けられなくとも、身を守ることはできる。そんな人物は早々いない。


届け出は「植物」、植物全般を操れる“個性”であったが、それは一面に過ぎない。彼女自身余りにチート能力なので誰にも教えたくないものなのだ。“個性”の強力さは、ヒーローになることを除けば、人生を不利にする以外の何者でもない。皆無意識的に知っているからだ、力の向く先は破壊だと。

残念ながらはヒーローを目指すつもりが全くない。というより、なれる自信もなければ、素質もないと自分で分かっている。恐ろしい敵に立ち向かう勇気はない。努力もしたくない、他人のために自分の時間を捧げることは到底できないし、そもそも痛いのが嫌いだ。ならば敵に利用されないように隠すのが一番世界のためになる。父のコネを使って、20数年隠し通してきた。
それなのに、こんなにリスキーなところに放り込まれた。これバレるんじゃないかという心配は、就任が決まってからずっと彼女の胃を責め立てている。最近吐き気が激しいのはそのせいだ間違いないと、彼女は確信している。

は図書館の前で立ち止まり、目を閉じた。もう腹をくくるしかない。

彼女自身は矮小で、とてもこの学校の役に立てるような人間ではない。ただ彼女の“個性”は、それすらも可能にするほどのものだ。いつもは両親に言う。「私は自分のことは信じられないけど、私の友人のことは自信を持ってる」

彼女の“個性”は、人の無意識への干渉。
そして彼女の精神世界の中には、”神様”彼女のいうところの友人が住んでいる。彼らの能力はを傷付けさせない。さらに様々な力を貸してくれる。にはそれほどの価値はないし、それを本人も理解している。それでも彼女には力があった。


****


4月、春爛漫。

「あ、先生」
「はい、おはようございます。こんな感じで良かったですか?」
「わー凄いね満開だ」

校長は大層喜んでいた。表向きのの“個性”は「植物」。枯れ木に花も咲かせられる。植物を操る能力である。

「前途ある若人を迎えるときは、これくらいでなきゃね」

校長は満開の桜を見上げた。

「あははは、役に立てて何よりです」


住めば都とは、よく言ったものだ。案外勤めてみると快適だった。

が入職してから3ヶ月経っていた。入学式の教員席、隣に座るのは先輩の犬山桜だ。当初司書は三人おり、もう一人はおめでたで大きな腹を抱えて職務に当たっていたが、卒業の時期には休職となった。はその人の代わりだ。一応は。経験が無いが彼女の代わりができようもない。

「ビッ、クリするくらい何もないんですね平和ですビックリです」

そう言うと、犬山は桜という名の通り朗らかに微笑んだ。

「そうよねぇ。大体騒がしいのはヒーロー科だけど、来ないしねぇ」

構えていたのがバカらしくなる程に平穏である。普通科や、サポート科の生徒はよく利用しに来るが、ヒーロー科は全くだ。はほっとした。このまま何もないまま契約が切れるかもしれない、などという考えさえ出てきていた。

人はそれをフラグと言う。

「あ、そうだ、聞いて聞いて聞いて!」

犬山はの膝をかしかしと引っ掻く。

「ちょちょちょ!ストッキング破れますから!やめて!替えないから!」

普段からスキンシップの激しい彼女だ。は破れていないかと確認する。少し小さな解れはあったが無事そうだ。式はまだ始まっていないので、会場はざわついている。とはいえ小声で話しているのだが、犬山は今にも叫び出しそうなテンションである。

「ちょーイケメンいたのぉ!」
「へぇ…」
「なんかねぇ、」

と、の無関心は気にせず話を進める。

「髪の毛左右で色違ってぇ、赤と白でぇ、」

ああ、あの不景気そうな顔の、それ生徒やんけ。心のなかで盛大にノリツッコミをかました。は思わず声を上げそうになり、グッとこらえた。先輩は2つ年上だ。つまり彼とは一回り違うということになる。守備範囲広いなとおどけるか引いて見せるか悩んで、結局口を閉ざした。何も言わないのが吉だと判断した。

「しかもねぇ、挨拶したら、返してくれて!声も良くてね!聞いてる?落ち着いた耳障りの良い声でね!肌つやつやなのぉ聞いてる?」
「聞いてます」
「それに、なんだか良い匂いしてね!柔軟剤かな、シャンプーかな、体臭!?」
(知らんがな)

はぁはぁと息が荒い。涎を垂らしそうな勢いだ。いや溢れている。それをティッシュで拭い、彼女のポケットに捩じ込んだ。
彼女はなぜかの太ももの上でずっとのの字を書いている。

生徒に手を出したら犯罪ですと言えない自分がは情けなかった。一度見かけただけの生徒よりも自分の身が大事だ。彼女は平時は優秀な司書。学ぶことも多い。絶対に欠けない存在だ。すまない不景気顔の青年、心の中で、ぼんやりとした紅白に謝った、未だにあれが凄いこれが凄いと言い連ねているのを聞き流して、はやく式終わらないかなと一人ごちた。



何事もなく終わったのだが。

「あああああああああ、」

犬山は盛大にのけぞって雄叫びを上げたかと思えば、今度は机に突っ伏してわんわんと泣きわめく。

「先輩、ここ図書室です」
「だっで、だっでぇ…うう、あの子居なかったのぉぉぉ!」
「また会えますよ」
「そうよねぇ、会えるよねぇ」

立ち直り早いな、と心のなかでツッコミを入れた。入学式にA組はいなかったのだ。犬山はの横で驚くほど意気消沈していた。そこまでのめり込めるのがいっそ羨ましかった。いや、そうでもない。こんな風に揺さぶられるのってどうなんだと考え直す。

不景気そうな顔の子、君もヒーロー科なら乗り越えて見せろ。と無責任な事を思って、業務に取りかかった。
治安維持も彼らの職務だがヒーローにはアイドル要素も大いにある。だから不憫には思ったが、こんなファンの相手も彼らの仕事の一貫だ。

「彼の胸板に顔埋めたい」
「……そうなんですか」
「うん、」

犬山は顔は可愛いし、仕事はできる。と違い、この雄英の採用試験を受けているのだから頭も良いはずなのだ。スタイルだって悪くない、むしろある層にうける。巨乳で顔は童顔、いわゆるロリ巨乳。それでいて嫌みがない。完璧すぎる。だが変態だ。

「分かる!?フェロモン出てるよぉ絶対に!」

さりげなくティッシュの箱を彼女に寄せる。
高校生の男の子が良い匂いするわけがない、はそう反論したかった。着任してまず思ったのが、「高校生臭い」だったのである。その日から彼女はマスク着用だ。制服はそう頻繁に洗わないだろうし、思春期特有の体臭がある。そして極めつけは制汗剤の臭いだ。一つだけなら良い匂いかもしれないが、混合すると凄まじい。テロだ。

しゅごいのぉとAV女優もビックリなとろけ具合で、彼女は悶えていた。は黙々と与えられた仕事をこなすだけだ。午後に入ってからサポート科の女生徒が昔使っていた機械機構の本を探しに来ていたし、他にも世界のコスチューム特集の雑誌が見たいと訪ねてきていた子もいた。すぐに返答できそうなものはしたが、ここからが司書の力の見せ所だ。端末と向き合った。


****


5月、新緑が美しい季節になってきていた。

平和である。というのは図書室だけの事かもしれない。何やら襲撃があったそうだ、というのがの認識だ。マスコミに騒がれたり色々。一人先生が包帯ぐるぐるで学校に来ていて、思わず声を上げたくらいのもの。

「す、すみません…おはようございま、…す…ははは」

相澤の姿はかなりのインパクトで、は思わず謝ってしまった。

「おはようございます」

ぺこりと頭を下げられ、も返した。あまりにも平凡な挨拶を交わしたので、の中の警戒心やらは引っ込んでしまった。
とはいっても近くで起こった事件は恐怖心を煽っていたのだ。無関心というのではないし、危機感がないというでもない。なのに、周りが普通平凡平和いつもどおりなので、現実味が薄れてしまった。
そのことに疑問を覚えつつも、皆が変わらぬ日常を送っているのに、だけが騒ぐことも無い。

だからはすぐに通常の業務に戻った。ご意見箱を開けて、生徒の要望を一つずつ確認していく。朝一の仕事だ。
相変わらずヒーロー科の生徒は見かけない。倣うより慣れろを地で行っている。先人の知恵は必要ないらしい。はむしろそれが良いと思っている。どうにもあの自信満々の態度がいけすかないのだ。なついてくれる生徒が可愛いに決まっている。たとえば発目明という少女は熱心に通ってくれる。必死に彼女の要望に答えるのは楽しい。

先生!」
「こんにちは、今日もブレないね」

半分ほどは何を言っているのわからないし、話は聞かないし、さぁこの情報ならどうだと持っていけば、「研究室戻った」と姿を消していることもある。しかし、「先生!来たよ!」と名指しされれば可愛いものだ。頼られるのは嫌いではない。だが、ほぼ言っていることは分からない。この日も本を数冊見繕ってきたのだが、逃げられてしまったようだ。

「嵐ですね」
「本当にねぇ」

犬山がぬっとどこからともなく現れた。いつもならが困っていると、良い具合に助け船を出してくれる。しかし発目が来ているときはどこにいるのか分からない。よっぽど苦手らしい。にとってはあれくらいぶっとんでいる方がむしろ楽だ。思春期丸出しの少女なんかが一番扱いにくい。

「そういえば、体育祭は知ってるでしょお?」
「え、あ、はい。なんか毎年テレビでやってますよね」

一度もしっかり見たことはない。高校生がわちゃわちゃやっているのは微笑ましい。しかし勝ち負けが決まるものを見るのは体力を使うのだ。ハラハラするのがしんどい。見たら楽しいのだろうけれども。

「私有給使うからね」
「え」
ちゃんまだ有給ないもんね。ごめんね」
「は、ぁ、はい。え、何すれば…生徒は皆出払うんですよね?」
「ええ、えー…と、たしか…んーとねぇ、」

と、いくつかのプリントを取り出して、に見せてくれた。



戦だ。
当日、は戦場に放り込まれていた。

「はい!ケガ人運んでねー」
「はい!」
「そっち!ケガ軽い子ねー!」
「はい!」
「こっち!手当てしたげてー凍傷かも!」
「はぁい…」
「こっち消毒液足りないぞ!」
「はい!取りに行ってきます!」

会場も戦場だろうが、バックも戦場だ。

誰!?ド派手に氷付けにした奴!もっと考えて個性使えよ!と叫びたいのを我慢して、唸っている生徒に笑い掛ける。大丈夫大丈夫、大丈夫だよー。一度に大量の怪我人が運ばれてくる。軽度重症を分けて、重症ならリカバリーガール。それ以外なら手の空いている職員が手当てにあたっていた。講師は皆ヒーローだが、職員の中には同様ヒーローでない者も多い。だが全員が何らかのスペシャリストで、てきぱきと場を収めていく。入職のとき同様の疎外感がを襲う。

一度あの場所を離れたかったので、は補給を買って出たのだ。
消毒液などの医療品の備品室の場所は知らない。しかしそれも“友人”の力を借りれば分かる。因みにちゃんと人間の友人も一人二人と言わず、いる。直ぐに場所は知れて、はぱたぱたといかにも運動慣れしていないフォームで走る。

冷たい廊下、通りすぎてしまいそうな場所にあった。静脈やら虹彩やらを読み取られる。カチリと音がして扉が開く。消毒液と包帯類を取り出して、持ち出す分を記入すれば、終わりだ。室内は閑散としていて、再びあの喧騒に戻るのだと思うと憂鬱だ。しかし怪我をして不安がっている生徒の姿を思い出せば、そうも言っていられない。は駆け出した。体力に自信はない。


わああああ、と遠くで聞こえる。歓声が上がる度に怪我人が増えるので、今度は誰が無茶苦茶したのだ、と走りながら憤慨した。

生徒受け入れ部屋に入ると、すぐに誰の仕業か分かった。一目瞭然だ。
あの半分不景気野郎ぉぉぉ!と心のなかで罵倒した。氷が刺さっている。足に。殆ど溶けかかっているが、痛そうだ。

の先輩である犬山はしょーとくんの熱烈なファンである。自身はあまり詳しく知ろうと思っていないのだが、やたらと轟焦凍のことに詳しくなってしまった。聞いていないのにぺらぺらと話す上に、聞いてる?と何度も聞かれるので、聞き流せもしない。にも関わらず常にしょーとくんしょーとくんと煩いので、本名は知らない。だから半分の子、不景気の子、氷の子、といった具合である。

「あ、の…消毒液…」

がおずおずと差し出すと、引ったくられるように奪われた。

「ありがとう!」

そう言って、女は目の前の青年の怪我に液をぶちまけた。何があったというのだ。阿鼻叫喚とは正しく。立ち止まっている場合ではない。はっとして、近くの少女に駆け寄った。

「痛いよね、すぐにするからね!」
「ありがとうございますぅ…ぐす」
「な、何があったのかな…?」

少女は混乱して見えた。極力優しい声を出す。

「えっと、えっと、氷がどがーんって…なって、ロボットが…バーンって!それで氷の人がどどーんって!う、うぅ…巻き込まれました…」

殆ど氷やんけー、とは肩を落とした。もう誰も傷つけてくれるな…そう心のなかで祈りながら、目の前の少女の怪我に包帯を巻いた。

の能力なら、こんな怪我ならすぐに治せるのだ。だがバレること必至で、絶対に使えない。ごめんなー、と謝るしかない。

「残念だったけど、怪我軽くて良かったね」
「はいぃぃぃっ先生ありがとおおおぉぉぉ」

うぇぇぇと泣きながら、抱きつかれる。あ、服適当なので来て良かった…、と場違いなことを思った。氷が溶けて、皆一様にびちゃびちゃの泥だらけなのだ。本日何度目かの「あの半分野郎ぉぉぉ!」である。勿論心の中だ。



さーん、」
「は、ぁい…」
「お、疲れサマー」
「お疲れっす…」

満身創痍だ。職員の女性がの顔色を見て、心配そうに顔を歪めた。しかし新人はいつもこうなので、その職員はそれ以上のアクションは起こさない。

「そろそろ昼行こうか。今2種目目やってるから、今のうち!これ終わると食堂混むよ!」
「わぁい…お昼だぁ…」

テンションの高い女性教諭のノリに合わせて、手を握りしめて掲げるが、今にも夢の世界に旅立ちそうなくらいだ。女はえいえいおーと言わんばかりに腕を振り上げて走っていってしまった。はより一層疲れた気持ちになって、ため息を吐いた。

さん?」
「はい」

条件反射的に名に反応して振り替えると、ひょろりとした男性がいた。

「あの?…」

は咄嗟に距離を取った。

「あ、」

男はみるみるうちに、しまったというような顔になり、視線がうろつく。は察した。恐らくは相手は自分を知っていて、自分は彼を知らない、つまりはとても失礼な状態なのである。

「す、すみません…私人の顔、覚えるの、苦手で…」
「いえ!こちらこそすみません!申し訳ない!」

と、脱兎の如く走り去った。やってしまった、は立ち尽くした。

「あ、あああ、え、いや、え!?ん!?本当に誰だった、んだ?」

記憶力に自信は全く無いが、顔をすっかり忘れるなんて失礼にもほどがある。

「だ、れだったんだろぉぉ…」

誰もいない廊下では項垂れた。



流石にレクリエーションでは怪我人は出ず、ホっと胸を撫で下ろした。が、昼の出来事が尾を引いていた。絶対に一回見たら忘れない顔だったのだ。それを忘れるとは、とぐるぐると罪悪感が渦巻いて膨らんでいく。

「ぎゃぶっ」
「ん?」

炎に包まれた男、エンデヴァーが目の前に急に現れた。思わず身を縮こまらせる。ついでに悲鳴も漏れた。

か」

そう言ってエンデヴァーは炎を解いた。は格闘技はからっきしだが、思わず構えてしまった手を下ろした。

「お、久しぶり、で、す」

彼は父のビジネスパートナーだ。友人かと言われると微妙らしい。「だって家族を守れてない奴が堂々とヒーローやってるなんて、ちゃんちゃらおかしい、片腹痛いわ、」とのことである。恐らくは仲は良い方だ。一緒に食事をしたこともある。にとっては父の友人のおじさんという認識だ。ただ炎を纏っている姿は、悪いことをしていなくとも普通に怖い。それを聞いた父は彼に言ってしまったのだ。「お前娘を怖がらせて、私と仕事ができると思うなよ!」と。そこから、の前では炎をしまってくれるようになった。

「何故ここにいる」
「職員です」

と言って、「関係者」と書かれた腕章を見せた。

「お前が?…それで最近事務所にいなかったのか」
「何か文句でもあるんですか?」
「お前は相変わらずつっけんどんだな。この姿なら怖じ気づかないのは何故だ」
「…怖がるわけないですよ。だって私は一般人で貴方はヒーローじゃないですか…」

その答えで満足いかなかったのが丸分かりで、は言葉を続けた。

「………私の“個性”知ってますよねぇ?本能的に怖いんですよ…ぼーぼー炎出てたら。…絶対にそっちのがウケ良いですよ!渋いおじさまって感じで!」

ふん、と鼻で笑われるのはいつものことだ。

「で、」
「はい?」
「お前みたいなのが何故この学校にいる」
「人員補充です。でもなんか、オールマイトさんが、同じ時期に赴任するから信頼できる人が良いって」

ぴくりと眉が上がったのを見逃さなかったが、余計なことを言って機嫌を損ねると厄介なので知らないフリをした。

「…お前が?」
「少なくとも敵と通じてないですから!」

一々神経を逆撫でする言い方をする。いつものことだ。もよっぽどでない限りは、こうやって噛みつくような言い方をする。そのくらいの方が彼は話しやすいらしいのだ。その実、はそれほど怒っていない。

「そんなことより奥さんの見舞い、行ったんすか!」
「ああ。追い返された。パニックになってな」

は冗談混じりの嘲りの空気を醸し出して言ったのだが、返答が余りにもあんまりだったので、苦虫を潰したような顔になってしまった。

「今度、父の予定聞いときます…一緒に行って下さい…」

は以前から彼の家が冷えきっていると聞いており、奥さんのことも知っていた。少し前に心を壊してしまったのだと。少し前と言っても、が高校生の時だ、もうかれこれ10年程になるだろうか。すべて父から伝え聞いたことだ。
花の一本でも贈ってみろ甲斐性なし!下劣!と父と共に、会う度エンデヴァーを罵っている。最早習慣だ。二人で懇切丁寧に彼の悪行を指摘したりしたのだ。彼は悪びれる様子は無かったが、何か思うところはあったらしい。初めて会ったときと比べると、大分丸くなった。というのはあくまでもの見解だ。今更考え方など変わりようもない、いい大人だ。上手く付き合いたいのなら、この人はこんなもんとタカを括った方が良い。

「お前じゃだめなのか」
「私女ですよ」
「娘みたいな年だろう」
「そんなだから、だめなんですよ。女を分かってない!いつまでも女扱いしてほしいんです!愛されたいんですよ!」
「そういうものか」

面倒くさそうに、目が細められた。はため息を吐いた。聞くところによると、彼の妻は自身の子に熱湯を浴びせたらしい。そこまで追い詰めておいて、彼の中には罪悪感が無い。男なんてそんなものだ。自分の言うことを聞くのが当たり前だと思っている。なんの疑問も無いのだろう。
自身は嫌ならそれなりの態度を取るべきだと思っている。家族のごたごたのすべてをエンデヴァーのせいにするのは、違うとも。しかしそれを言うと冷たい奴だと言われそうなので、そのことは父にも伝えたことが無い。

「…この前、お土産有難うございます。そういう優しさを一ミリでもご家族にどうぞ。そういえば、なんでエンデヴァーさんここに?それこそ関係者以外立ち入り禁止ですよ。OBも一緒です。親族もですよ」
「知っていたのか」
「そりゃ、流石に…」
「だが、誰かは知らないんだろう」
「まぁ…」
「相変わらず疎いな」

わしわしと頭を撫でられる。大きな熱い手で撫でられるのに弱い。子供扱いなのは知っているが、甘んじて受ける。そもそも彼にとっては子供みたいなものだ。それを悔しいと思うほど、彼に特別な好意を持っているわけでも、幼くもない。

「ある程度は知ってます!何に対しても興味ないわけじゃありませんから!あー、疲れた…」

叫ぶと急に疲れがどっときた。

「何もしてないだろう」
「してますよ…怪我人の介抱です疲れましたよー、本当に。なんか氷の人?あのこう、2つに髪分かれた人が滅茶苦茶して、怪我人多かったんですよねぇ…」

頭に手を乗せたまま、エンデヴァーは吹き出した。

「息子だ」
「へ」
「私の息子だ」
「どうりで、……周り気にして“個性”使って欲しいものです…」

はぶつくさと小声で文句を言う。

「貴方に似て、ほんっと、雑把です。雑」

すると、エンデヴァーは再び吹き出した。

「…今日機嫌良いですか?」
「そんなところだ」

は首をかしげた。言うつもりはないらしい。それほど気になるでもない。

「見舞い、出来なくても花くらい看護師さんに頼めるでしょう」
「こだわるな」

この話題になると、彼は途端に億劫そうにする。恐らくは本当に分からないのだ。理解できないことで何度も責められることほど苦痛なこともあるまい。

「失礼なこと言いますよ」
「ああ」
「エンデヴァーさんは、凄いヒーローです。でも、どんなに凄いヒーローでも、家族一人、二人?これだけ傷つけたら、貴方の善行もプラマイマイナスですから。見ず知らずの人、助けてる場合じゃないです」
「そうか」
「はい、」

暖簾に腕押しだなと思った。だが、だからこそ何度でも言える。どうせ向こうが気にしないのなら、は言ってすっきりしたかった。

「ヒーローって、強くないとできないけど、強いだけじゃダメなんですって。知らんけど、誰か言ってました」
「詭弁だな」
「詭弁ですよ。でも、その詭弁を言う人ってのが一般人なんですよ。エンデヴァーさんが相手にしてるのって、そんな一般人なんですよねぇ」
「肝に命じておこう」

嘘だ。どうせの言うことなど、彼は右から左へ聞き流す。

「試合、始まっちゃいますね」
「ああ。お前は見ないのか」
「仕事ですよ。バック待機です」

そう言って、は来た道を戻った。昼間の男性への罪悪感が振り払えずぶらぶらしていただけだ。

彼女が全く見えなくなってから、エンデヴァーは振り返った。そのときには、彼の全身は炎に包まれていた。

「だそうだぞ、焦凍。盗み聞きなんて悪趣味な奴だな」

轟は無遠慮に睨み付けた。憎い男と似ているなどと言われ、言い様のない感情がチリチリと彼を苛んだ。今すぐに爆発してしまいそうな苛烈な感情だ。ふぅふぅと獣のような息が漏れる。


そして次の試合でまた一人凍らされた。






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