あの大きな体躯で抱きしめられたことがあったなら、奥さんも何か変わったのではないか、はそう常々思っているのだ。勿論性交渉の場以外でだ。一言労いの言葉とか、頭を撫でてみるとか、笑いかけてみるとか。だが皆そのほんの少しが出来ないから、離婚率が下がらない。
がそんなことを考えるのは、本当に愛情が全く無い相手にそう何度も身体を明け渡せるものかと思うからだ。女として。だからきっとほんの僅かにでも、愛情はあったはずなのだ。と思いたい、というの願望だ。そうでなければ、本当に救いが無い。

先生」
「は、い…」

今日はよく呼び止められる日だ。は前からゆったりと、しかし急ぎ目に向かってくる人物の姿を認めた。人ではなく、ねずみだった。

「校長先生…」
「ああ、良かった、捕まって」

と言うので、きっと良からぬお願い事か何かだ。すぐに検討はついた。貧乏くじを引くのは慣れっこ。彼女は責任感が強そうだとか、真面目そうだとか、体の良い言葉で物事を押し付けられるタイプの人間である。プライベートならば断固拒否することもあるが、何せサラリーマンなので断りにくい。

「午後からは試合形式なので、沢山の人が怪我をすることはないですが、重傷者が増える。貴女にはリカバリーガールのお手伝いをお願いしたいんです」

ビンゴ、ほらみたことか。

「非戦闘系や救護向きでない職員や、体力なさそうな方は、もう観客席に行ってもらってるので」

校長先生、私も非戦闘員です。勿論体力もありません。とは言えず頷いた。
校長には彼女の能力について教えてあった。としては一切黙っているつもりだったのだ。しかし一人で隠し通せないこともあるだろうと、仲間は増やしておくに越したことはないと。両親に説得されれば、突っぱねるわけにもいかなかった。これまで彼らの言うことで間違っていたことは無い。後々、ああこういうことだったのかと納得することが多いので、今回も取り敢えずはそのようにしておこうと思ったのだった。

「お願いしましたよ!」

の言葉にyes,sir.と答えたくなるも、やはり普通に「分かりました。あの出張所?に行けば良いんですよね?」と当たり障りのない返答をした。好き勝手言えないのも、大人の嗜みである。


バックのスタッフとはいえ、開会式は全員参加。選手宣誓は見ていた。あれくらい好きにものが言えたら、生きやすいだろうかと羨望の目で見ていた。わけでもなく、彼女は何言ってんだと思っていた。彼の身勝手の後ろにはどんな苦労をしている人がいるのかと思うと、憐れにも思った。ただ、はしょーとくんこと轟よりもどちらかというとあのツンツン頭、爆豪の方が好みだった。だから頑張って一位取れよー、と心のなかで応援している。


前言撤回である。

凄い形相である。

「え、私あそこに突っ込んでいく感じですか…?」

グッとリカバリーガールが親指を立てる。「それヒーローに任せましょう、私一般人!」というのは言いたくとも言えないことだ。日本人奥ゆかしい、と脳内で一人茶化す。
最終戦は対戦カードが激烈なので、出張保健室は更に近くに出張していた。つまり入場口で待機していた。凄まじい爆風やらを、さりげなくは友人の力を借りて凌いだ。成る程、非戦闘系や身を守る術の無いも者はここには居られない。最悪、両者の間に入って止める能力も求められていたわけだ。

のいうあそことは、爆豪が勝ったにも関わらず大暴れしている事の中心である。担架を持つ人員は皆彼、爆豪を押さえつけるのに走っていってしまった。完全に落ちてしまっている轟を回収せねばならない。
ぐいぐいと尻を押される。

「彼、名前何でしたっけ…」
「とどろきだよ」
「とどろき、とどろき」

と数回頭に教え込むように呟いた。漢字どんなだっけか、などと思っている時点で大分記憶力があやしかった。
南無三は駆けていく。轟に近づく。爆発がひっきりなしだ。心臓が口から出てくるのではないかというほどに五月蝿く鳴っている。威嚇だと分かっていても、音と衝撃に身体が震える。

気の失い方もイケメンだなと、は場違いなことを思った。

「お兄さん、お兄さん分かりますか?意識ありますかー!」

砂埃が舞う。怒号と爆発音。はぐったりとしているお兄さんこと轟焦凍に叫び声を掛ける。このときは爆豪の爆発と声と顔の影響で名前の記憶がすっ飛んでしまっていた。ここは笑うところである。

は必死に肩を叩いてお兄さんお兄さんと言う。彼の反対側には敵かと見紛う爆豪青年が数人の教師に押さえ込まれている。絶対に手を離すなよ、とエールを送る。

「おいそこのおばはん!そいつここに連れてこいやぁ!」

のことだ。彼女は麦わら帽子をかぶり、軍手をしている。首にはタオルをかけてTシャツの襟首に突っ込んでいる。完全に農家のお婆ちゃんスタイルだ。さらにマスク着用。決して日に焼けたくない決意の表れだ。

「おい!聞いてんのか!!」
(勘弁してくれ)

おばさんと呼ばれたことは特に気にしない。自分からおばさんはねと言ってしまう彼女だ。だが名指しされてしまったことは頂けない。絶対に顔を見せてなるものかと、帽子を彼側に引っ張った。

「ぅ…」

両目で色の違う目がゆらゆらと揺れて、をぼんやりと見た。彼は一瞬眉を潜めた。確かに農家のお婆さんスタイルの人が目の前にいたら、ちょっとよく分からない状況である。

「ああ、良かった、自分の名前、言えますか?」
「轟、しょう、と、」
「とどろきくんねー。これ何本ですかー?」

然り気無く名前を確認する。エンデヴァーと面識はあるが、個人的に仲が良いわけではない。ヒーローオタクでもないのでヒーロー名と本名は結び付いていない。

「…に…ほん」
「今の自分の状況分かりますか?」

キョロキョロと周りを見回し、頷いた。

「…体育祭で、ばくごに、負けた…」
「はい、そうでーす」

即答しなかったのは、の格好が自分の現状の認識とかけ離れていたから自信が無くなった為だ。そんなことを思われているなど、は思ってもみない。彼を安全なところに連れていくことのみを考え動いている。

よし意識ある、記憶も大丈夫。そう呟いて、彼を背負おうと背を向け手を掴む。担架は二人でしか運べない。生憎今は手が空いているのがだけなので担ぐしかない。

「あの、俺重いと、思う…」
「自分の持てる重量くらい分かりますよ、心配しないでください」
「でも、…」
「大人しくしててもらえれば、落としません」
「…いや、」
「君、足腫れてるの見えてないでしょ。それ捻ってるよ知らんけど。よーいしょ!」
「わ」

驚いて轟は咄嗟にの首に腕を回した。成人女性の平均的な身長のの背中は、彼には心許なかった。だがよろめくことはなく、しっかりと歩いているので不思議な感覚だ。落ちるかもしれない可能性が拭いきれず、轟はぎゅっとにしがみついた。持ち上がってしまった以上は、もう落ちないようにするしかなく。そして冷静になるにつれて、足がずきずきと痛んだ。

は彼が身を任せてくれたことに安堵した。こわばった体は支えにくいのだ。も緊張していた筋肉を緩めて、着実に歩く。瓦礫が散乱しており、慎重にならざるをえなかった。

密着した体からは、勿論自分とは違う匂いがした。砂埃と汗のにおい。そして血とか色々。それを除いても、やはりただの高校生だ。いや汗臭い。臭い!マスクをしていても臭い!とは顔を思い切り顰めた。殆ど顔が見えていないので、誰にも見られる心配はない。盛大に顔を歪めても文句は言われない。吐くほどではないが、元より他人の体臭は苦手なのだ。我慢我慢である、これが終わったら甘いパフェを食べに行く、今日は甘やかす!と奮い立たせる。

当たり前だが、本人には彼を抱えあげる力はない。友人、風神の力を借りて持ち上げているので、殆どには体重はかかっていない。それでも体力は奪われるし、密着しているので熱い。

「すみません…、疲れてるとこ悪いんだけ、ど…冷やしてもらって良いですか…暑くって…」

こくりと彼が頷くのを背に感じる。そして直ぐにひんやりとする。はこれでもう少し頑張れそうだと、ほっとした。

「ありがと、もうすぐ着くからね」


****


閉会式は出席しなかった。疲れていると伝えると、校長もお疲れさまと言って快くを解放した。がとんでもない顔をしていたからだ。
昼休みは呼び止めてきた男性のことが気になって、あまりしっかりと取れなかったのだ。先ほどの肉体労働のせいでおなかがくぅと鳴った。
食堂に行くと、閑散としている。

「すみません、まだやってますか?」

はーいと奥から返事があり、はほっとした。

「ざるそば一つお願いします」
「あいよー」

これでもう仕事は終わりだと力を抜いたとき、端末が震えた。誰だろうとメッセージを開くと、

「焦凍くん背負ってたでしょ!お願い、着てた服と手袋私にちょうだい!」という内容のメールが届いていた。ゾッとした。服と軍手?恐らくは彼の触れたもの、汗が染み込んだ、とそこまで考えて思考を放棄した。

「新しい服買ってあげるから、ね!」

「それなら良いですよ。私の汗も大分吸ってますけど、良いですか」と打ち込んで、送信した。人身御供だ。これで彼女との関係が良好になるのなら。と、は恐らく会場の方だと思われる方に手を合わせた。


***


興奮冷めやらぬ。
体育祭が終わって数日、校内はまだお祭りのようだった。そんな中でも我が道を行く者もいる。

先生!」
「はい…」

発目だ。改善の余地あり!と朝から押しかけてきた。自分で調べた方が速いだろうに、こうやって相談に来る。仕事なので文句は言うまい。

「だって、先生に言っておけば、私がベイビーたちに構っている間も情報探しておいてくれるんですよね!」
「なるほど」

理に適っている。確かに忙しい身なれば、人に頼むのが良いこともあるだろう。こうやって仕事を他に振るというのも、必要なスキルだ。

「頑張ってご期待に沿えるように頑張ります」

は聞き取った情報を元に、端末を操作する。すると唐突に手を握られた。まん丸な目をさらに見開いて発目はわぁわぁと言葉を紡いでいく。相変わらず訳の分からないことを言っているが、どうやら感謝されているということだけは、理解できた。

「発目さん、予鈴鳴ってる、よー…」
「はい!また来ます!」

そう言って嵐のように去って行った。

「懐かれてんねぇ」
「あははは、そうなんですかねぇ」
「あの子、あんなだけど最終まで行ったのだものねぇ。相変わらず滅茶苦茶だったけど」
「まぁ、技術者って変わり者多い…イメージありますから、結構ウケたんじゃないですか?」

犬山は体育祭の日、有給を使って観客席で轟を見ていた。双眼鏡を持ち込んでいたというのだから、その熱意には頭が下がる。轟に触れた服とタオル、軍手はできるだけ匂いを逃がさないほうが良いと思い、ファスナーつきのポリ袋に入れて今朝一番に渡した。犬山は愛らしい顔を綻ばせて、ぎゅっと袋を抱きしめた。やっていることは犯罪すれすれだが、その姿にはきゅんとしてしまった。

はあのとき、轟に近づく際本来の“個性”を使って極力人の意識に入らないようにしていた。それにも関わらず犬山はが轟を介抱している姿を見逃さなかった。それだけ注視していたということになる。末恐ろしい洞察眼と執念。ここまでくるといっそ感服する。

「そういえば、ちゃん、」
「はい」
「今日バッグ違ったねぇ。大きかった」

大きかった、が犬山が言うとアレな言葉に聞こえるのだから恐ろしい。

「ええ、まぁ。ちょっと必要な書類とかあって、折りたくないものだったんで」

いつもは小ぶりのボディバッグで通勤している。制服はないので通勤のときからラフな仕事着だし、持ち歩く仕事道具はない。荷物はスマホとサイフくらいだ。しかし今日に限っては、父から重要な書類を預かっていた。

「ふぅん?」
「もしかしたら、今日は私のとこに生徒さん訪ねてくるかもしれなくて、」
「今日はというか、毎日来てるじゃない」
「いや、発目さんじゃなくて…私用なんで、控え室使わせてもらっても良いですか?」
「全然おっけぃ」
「ありがとうです」

昨日の体育祭を見て今は様々な企業や事務所が学校側に問い合わせているはずだ。の父の会社、今はもその一員だ、もスカウトしたい生徒が居たらしい。だが残念ながら今回の職場体験およびオファーはヒーロー科とサポート科に限られている。普通科は将来目指すものが他の科と比べて多種多様の為、また別の様式で行われる。
だから今回公には指名できなかったらしいのだが、目立つ生徒だったようで早く接触しておきたかったのだそうだ。ちゃんと校長には許可を取っている。

はどんな子かは知らない。名前くらいは聞いてきたが、昨日の体育祭はずっと裏方だったので全く見ていない。は、あ、と思った。

「先輩」
「はぁい?」
「あの…昨日の体育祭、ビデオ撮ってたりします?」
「うん?してるよ」
「……えっと、ダビング、お願いしても良いですか?ディスク持ってきます」

犬山は目を瞬かせた。

「目当ての子でも?同担オッケィよ」
「えっと……」

犬山はキラキラしたまん丸な目でを見つめる。まるで飼い主に構ってコールをする犬のようだ。
はヒーローに興味が無いわけではない。ヒーローの卵に無関心なわけでもない。周りが勝手にそう解釈するのだ。は好きなものを不特定多数に公表して回る必要はないと思っている。そして感情が即座に直接行動に出ない性質だ。さらに興味の範囲が狭いので、人の目に付かないというだけのこと。

「ミ、ッドナイト先生が好きで…司会進行、あの人だって知ってれば、録画したんですけど…!」
「あらまぁ!」

良きこと良きこと、と犬山はうんうんと頷く。彼女が教師として雄英に居ると知って、そわそわしたものだ。誕生日プレゼントを渡して良いものか悩みに悩んで、結局渡せず終いなことを思い出し、少し複雑な気持ちになった。

「フィギュアとか、気に入ったのあれば買うくらいには…、いえ、世のファンからしたら、大したあれじゃないんですけど…申し訳ないくらいのファンさなんですけど…」

と、言い訳のような言い方をする。「好きだというなら、これくらいのことをしろ!」というようなガチ勢対策である。

「好きの形なんて人それぞれよぉ。何をしたらどれだけ凄いか、って話じゃないの!」
「はぁ…まぁ、そうですね」
「そういえば、これ、ミッドナイト先生のグッズでしょぉ?」
「え、あ、分かります?流石に写真とかイラストのキーホルダーつけるのは恥ずかしくて」

筆箱に付いている小ぶりのピンバッチだ。

「あるよねぇ。私もさり気なく着けられるの探すもん」
「へえ」

意外すぎる、即座に思った。にとって犬山と言う女性は、好きなものには一直線、他の追随を許さない!といった風だ。
実は彼女は以外の人間にそういった姿は見せていない。少し天然だが仕事ができる女、寧ろ天然がアクセントになって魅力を引き上げている、というのが雄英での彼女の評価だ。は基本的に自部門以外の人間と話すことがないので知らない。

「そういえば先輩の推しの子、グッズ作りやすそうな見た目ですよね」
「そうねぇ、私紅白の小物増えたもの」

そんなことを言われると、今度から買い物に行った時に紅白が目に付きそうだ。


***


「え、俺にですか」

心操人使は思わず担任に聞き返した。
ホームルームが終わり、さぁ移動教室だと立ち上がった時だ。担任に呼び止められた。普通科は今の時期に個人の職場体験はないのだが、指名が入ったとのことだ。
体育祭の自分の行動の何が良かったのか分からない。というのが正直な感想で、もしかして敵の組織ではあるまいかなどと思う始末である。担任も校長から話を持ちかけられ、困惑しているという。こんなことは例年ないのだそうだ。
近くで聞いていたクラスメイトに「凄いじゃん!」と囃し立てられるが、彼自身はそこまで楽観的になれない。戸惑いのほうが大きい。



「訪ねてくる子って、どんな子?」

犬山は凄い勢いでキーボードを打ちながらに聞いた。彼女は本当に敏腕なのだ。

図書館の仕事は実はいろいろとある。選書・図書の受け入れ、それに伴う資料組織など、配架や整理、レファレンス業務、他の図書館との連携、特設コーナーを作ったり、利用者に飽きられない展示をしたり、などなど。
書籍の配架・整理などはロボットが担っているし、資料組織は外注だ。
そうでなければ、この規模の図書室が二人で回っているなど、有り得ない。パートさんは数人いるが、あまり不特定多数の出入りを認めると危機管理的に問題が出るので厳正な審査が行われるため、常に人手不足だ。

「えっと、ですねぇ、んー…だれだっけ、…」
ちゃんって、人の名前覚えるの苦手よねぇ」
「…生徒、多いんで。発目さんは覚えてますよ」

レファレンス業務とは、簡単に言えば、利用者の求める情報の聞き取り、資料探し、資料または情報の提供をする一連の流れだ。単純な作業に見えて、最も重要で最も大変な業務だ。とは思っている。
大概利用者の質問など曖昧なもので、まずは明確化をしなければならない。その際図書館員は誘導してはいけないし、情報も「確かなもの」を提供しなければならない。気をつけることは多いのだ。

「あの子、油の匂いが駄目なのよぉ」
「それでどっか行っちゃうんですか?先輩消えちゃうとめっちゃ不安なんですけど…」
「大丈夫、大丈夫ぅ、ちゃんは出来る子よぉ」
「まった、適当に…」

犬山は質問に対する答えに不備が無いか今返せる最善だったかをチェックしている。脳みそをフル回転させながら、との会話を楽しむ余裕もある。流石だ。

はというと、雄英図書室で行われたレファレンスの回答、回答プロセスなどの情報をデータベースに上げる打ち込みを行っている。特殊な要求が多いので、他の図書館からはたいへん重宝されているらしい。
新人の主な業務は細々とした雑務、極々一部に過ぎない。犬山の役に立てているかと問われれば、NOと答えるだろう。だが以前それを本人に訴えると、「居ると居ないじゃ全然違う」と言われてしまったので、それで良しということにしている。邪魔に思われて居ないというだけで十分だ。

「えっと、さっきの話ですけど、しんそうって子です」
「ああ、あの子ねぇ、割と見た目タイプだけどねぇ…」
「何か問題ある子です?」

ピタリと動きを止め、を見た。

「“個性”が「洗脳」なのよぉ。凄いよねぇレアよねぇ」

犬山はそれだけ言ってすぐに仕事に戻った。

「あ、そうなんですね。道理で…」
「んんぅ?」

画面から目を離さずに、それでも返事をしてくれる。というより、話をしていないと逆に話してくるので、結局はお話をしたいようだ。

「ああ、うちの父親もそっち系の個性なんで。多分自分の仕事任せたいんじゃないかなぁ…と」
「スカウトかぁ。ちゃんもその会社からの派遣なんだよねぇ」
「はい、まぁ。…すみません、資格持ってるの私だけで…」
ちゃん面白いから好きよぉ。大丈夫大丈夫ぅ自信持って!」
「はぁ…」



大層不信感を持ちながらも、心操は図書室にやってきていた。

「あらぁ、君、心操くんよねぇ」
「え、あ、はい…」

彼は思わず彼女の主張の甚だしい胸を凝視してしまった。すぐに視線を逸らし、頷く。

ちゃん、いま休憩中なの。それでも良いかな」
「…話が聞ければ、何でも良いです…」
「そぉ。じゃあどうぞ。ちょっと席外すねぇ」

と、カウンターにいる少女に声を掛けて、犬山は心操を案内する。
心操は奥の控え室に通された。彼が図書室に来たのは二度目だ。入学後のガイダンスでやってきてから、一度も利用していない。それでも単なる一生徒が通される場所でないことは分かった。
その部屋は、パソコンの置いてある机が数台、衝立で仕切ってある応接室のようなソファの空間があり、そして奥には更衣室と書かれた部屋があった。

ちゃん、来ちゃったよぉ」
「ふいまへん、ありがとうございます」

急いで、口の中のものを咀嚼し、お茶で流し込んだ。が頭を下げると、犬山はにっこりと笑って、部屋を後にした。司書不在は問題だ。個人情報などの端末はロックしてきているだろうし、図書の貸し出しは学生ボランティアが昼休みはやっているので、数分ならば許されるのだろうけれど。

「どうぞ、座って」

は弁当を机の隅に避けて、近くに置いてあった丸いすを引き寄せた。

「失礼します」

礼儀正しい子、というのが第一印象だった。学生らしからぬ隈が気になるくらいだ。最近の子は発育が良いなぁとおばさんくさいことを思った。轟といい、爆豪といい、心操といい。ひょろりと長いというのでない。しっかりと筋肉も付いているのが、制服の上からでも分かる。

「あの、」
「はい、あ、えっと、…はい、これ資料、です。私…です」
「はい、知ってます。ガイダンスで」
「で、すよねぇ…」

緊張している。は話がしやすいようにと椅子を近くに置いた。それが思ったよりも自分との距離が無くて、どぎまぎしてしまう。のパーソナルスペースはもう少し広い。しかし今更もう少し離れてくれと言うのは失礼だろう。ほんの少し気持ち程度に後ろに下がった。

「…資料、ありがとうございます」

は首を傾げた。心操が不愉快そうに眉を顰めたからだ。やはり近すぎただろうかと心配になる。渡した封筒をすぐに開けて、彼は中身をチェックし始めた。

「…私なにか、気に障ること、しました…?」
「え、」
「あ、なんか、…いや、気のせいです。すみません…」

二人の間に気まずい空気が漂う。どう切り出すべきか悩んでいると、心操の方が口を開いた。

「あの、…俺の“個性”、聞いてますか」
「ああ、えー…洗脳、でした?」

呼び出しておいて、どうも何も事情を知らないように見えて、さらに心操の中の不信感が大きくなる。それがなんとなく気配で分かり、は居住まいを正した。

「すみません。私はですね、…えっと、しんそうくんをスカウトしたいって言っている会社の一社員なんです。社長から話をしてほしいと頼まれまして」

ちらちらと心操の顔を窺がいながら、言葉を発する。思春期の男の子は難しいお年頃なのだ。

「君に言っておくことを、メモしてきました。これを見ながら、話させてもらいます。…私の認識としては、その、あんまり君の事を知らなくてですね、でも、社長が君の事を昨日の体育祭で気に入って、どうしても話をしてきてほしい、って言っていて、ですね」
「…あの、」
「はい、」
「色々、よく分からないんですけど」
「え、はい。何でしょう。答えられるかな…」
「会社の社員かなにかなんですか?図書室の先生?が?」
「あー、えっと、うち派遣会社なんで…いえ!えっと、君がヒーロー科への編入を希望しているのは聞いて、ます」

ノートをめくり、確認しながら話す。ヒーローになりたいと言っている生徒にヒーロー事務所外からのオファーは不躾だろうと途中で気づき、付け加える。話す順番が前後して、段々と自分が何を言いたいのか分からなくなってきていた。

「私たちは、あー…君がヒーローになれないからうち来てくださいって言ってるんじゃなくてですね、んー…結論から言うか…君を、次期社長として迎えたい、らしいんです」
「は」
「…唐突ですみません。あ、質問の答えとしては、派遣されて来てます。便宜上皆さん先生って言ってくれますが、教師でも講師でもありません」
「はぁ…あの、先に謝ります。すみません、俺“個性”使いました」

ぺこりと心操は頭を下げた。

「質問の二つ目です。洗脳、かからないですか?」

心操は探るようにを見た。しまったと思った。彼女の個性は本来ならばこちらなのだ。精神世界への干渉、もっと広義にそういった精神系のことなら大抵出来るのである。精神汚染や攻撃への防御もお手の物だ。

「ち、父の個性が他者の個性のコントロールとか、そっち系の能力なので、…個性、というほどのものではないんですけど、掛かりにくいんですよね!そういう体質、と言いますか、はい。私自身の個性はまた全然違うんですが、ええ、」

思わず早口になった。冷や汗が背を伝う。

「…へぇ…」

(あ、機嫌悪そう)

ポーカーフェイスに見えるが、明らかに彼の空気が変わった。いや、元はといえば、彼が無遠慮に“個性”を使ったことの方が問題だ。不機嫌になって然るべきはの方である。

「あー…えっと、その“個性”を見込んで、ですね、跡継いで欲しいなぁ…みたいな…ははは」

高校生相手に怖がっていて情けない、とは思った。しかしどうも心操の持つ独特の雰囲気が怖い。それに恐らく全然話が伝わっていない。これではまずいと、はノートをめくる。

「と、りあえず、最初から、順を追って、話、します…」

心操に渡した資料と同じものを机の上に開いた。

「えっと、これが社長です。私の父なんですけどね、」
「え、」
「え?あ、ああ、父です。コントロールする人。もっと厳密に言うと、他者の個性に干渉して、制御したり、操ったりできるんですね。しんそうくんのもそうだけど、激レア個性です!」
「……そうですね…」

何かを見極めようとしているのか、彼はじっとの話を聞いていた。今回のオファーはイレギュラーなことであり、将来の大切な話だ。彼の姿勢は正しい。しかしにとっては気まずいことこの上ない。

「…簡単に言うと、個性をレンタルしてるんですよ。個性を公共の場で使うのは、原則禁止なんですけど、それを可能にしてるライセンスがあって、。まぁ、そんな感じの業務なんですけど、えっと、ここからが本題で、」

資料を数ページ捲る。

「自分の個性を制御できない人とか、意図せず暴走させちゃった人とかを従業員として受け入れていたりして。そういう人たちは、人を傷つけた言って思ってるわけじゃなくて、自分自身、自分の“個性”が嫌いだったりするんです。そういう人たちの為に、父は“個性”を使っていて、えっと、言いたいことは分かってくれてると思うけど、君の“個性”なら、そういう人を助けることができるんじゃないかって、思ってます」

ほの暗い目に、少し光が灯って見えた。

「俺の個性は、人の役に立ちますか」

は固まってしまった。あまりにも意外な言葉だったからだ。

「すみません忘れてください」
「あ、えっと、すみません。意外、というか、ん、と、そのつもりで話してました。貴方の“個性”を見込んで、父は貴方に会社を託したいと、言ってます」

心操は考え込むように黙り込んだ。はじっと待つ。

「…俺は、ずっと敵向きの“個性”だと、言われて来ました」
「ああ、私もお前の父ちゃん敵の親玉ーってよく言われました」
「いや、そこまでは、」
「あれ!?そ、そっか、うん、ごめん。…まぁ、子供ながらに…こいつら何言ってんだ、って思ってましたけどね」

心操はくすりと笑った。彼も緊張していたようだ。訳の分からぬままここへ来て、説明下手の話でさらに混乱して。

「すみません。…先生は傷ついたりはしなかったんですね」
「まぁ、違うのは私が一番知ってますし…」
「俺は、…その頃から絶対にヒーローになるんだって、思ってました。そうすればそんなこと言われることはないって、根底にはずっとこの“個性”に対してのコンプレックスがありました」

こくりと頷く。話の腰を折らないように、何かを言うことは避けた。

「体育祭で緑谷と話して、見に来てる人たちに認めて貰えて、もっと明確にヒーローを目指そうって、決意して、でもどこかでまだ、敵向きの“個性”だって、頭の中から消えない。そんな中で、スカウトの話貰って、整理できなかった…」
「…私がもう少しうまく説明できればよかったんだけれども…」
「いや、俺も聞く態度じゃなかった」

敬語が抜けてるぞ青年、とは思ったが、あえて注意はしなかった。少し打ち解けてくれたように思えたので、ここで水をさす必要は無い。

「…私は、父の仕事を引き継げる素質は無いんです。“個性”だけではなくて、一応営利目的でやってます、けど、それでも誰かの為に頑張れる人じゃないと、できない仕事です。その“個性”だけでない素質を、貴方に、見出したんだと思います」

心操は照れくさそうに、はにかんだ。

「勿論、すぐに答えを求めることは、ありません。そもそも今回のオファーは、普通科対象ではないので、でも、早めに…変な話、唾を付けときたかったそうで…」
「考えてみます」

心操ははっきりと答えた。

「お願いします、あ、それとね、」
「はい」
「君がヒーローになったら、なったで、ヒーロー事務所開設の手続きするから心配ないよ!って言ってました。あれ、うちの父親単に君と一緒に仕事したかっただけなんじゃ…」






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