の“個性”自体は一つ、「人の精神に干渉できる」といったものだ。
父の「人の“個性”に干渉する能力」の影響を色濃く受けている。父譲りのものである。それを隠すのには、様々な理由があった。
一つ、は自身の“個性”が人に与える影響を知っていた。
の“個性”の発現はひどく遅かった。というより自覚するのに大層時間がかかった。既に自我が芽生えてから久しかった。父親の“個性”について言われることも多く、悪意の意味も十分に分かっていた。
一つ、その能力の強大さに対して、はあまりにも弱かった。
いや、普通すぎたと言った方が正しい。誰もがヒーローのように敵と対峙できる胆力を持っているわけではない。
一つ、その能力は悪用される。
有用な“個性”を持った年端の行かぬ子供が誘拐される事件が続いたときがあった。無理に悪事の手助けをさせられることは珍しくなかった。彼女の父は職業柄そういった特番をみることが多かった。の“個性”はおあつらえ向き。自分は怖い大人に対して対抗できるかと考えて、すぐに無理だと思った。
「私は敵になりたくない」と言ったときの両親や関係各所のお偉いさんの顔は、は一生忘れないだろう。
結局その言葉が決定打となって、の“個性”は隠されることとなった。それが小学6年の夏のことであった。
特にそれ以降、何かが変わるでもない。何しろ、彼女には全く突飛なことがなかった。この“個性”を知っている人間は皆一様に「この“個性”を持っているのが君で良かった」と言う。この言葉には、「君みたいな理性的で優しい人じゃなかったらと思うと、ぞっとする」という内容が続くのだが。はそうは思っていない。お前みたいに臆病で頭の悪い人間には使いこなせない、という皮肉だと彼女は理解している。
その通りだ。それで良いのだ。
「先生!」
「え、はい、何でしょう」
昼休み、はカウンター業務ボランティアの少女に呼び止められた。鬼気迫る様子である。何か彼女を怒らすことでもしただろうか。は心臓が締め付けられた。
「えっと、」
「あの男子生徒また来てるんですよ!」
「あ、あー…」
はほっとした。自分のせいで怒っているのではなかった、と。
あの男子生徒とは、頭にブドウが着いたような様相の青年だ。峰田実その人である。
変質者丸出し。あそこまで隠していないのも珍しかろう。
確かに図書室の業務に当たる女性はレベルが高い。生徒も教師も。はそう思っている。彼女はそこに自身を含める気はない。自他共に認める平凡女。しかしそんな彼女も流石に被害にはあっている。単にすれ違い様に「おっぱい」と呟かれただけだ。あそこまで熱烈に見つめられるのは、犬山とこの女子。自ら主張するまでもないダイナマイトボディである。寧ろ小さく見えるブラを着けていそうな。
「先生の“個性”って、なんか縛れますか!?」
その聞き方よ、とは呆れ返ってしまった。
「私の勝手でできないよ…?」
「犬山ちゃんの許可は取ってます!」
「え、えぇー…」
レファレンス業務に当たっている犬山が、の視線に気づいた。ぐっと親指を立てた。目が良いよやって!と言っている。
「ちょっとお灸据えるだけです!」
「いや、もう少し穏便に…」
「ちょっとやそっとじゃへこたれませんよ、あれは!」
とんだ偏見である。
は乗り気ではない。しかし実行に移すまでは勘弁してもらえそうになかった。
は男子生徒の後ろから忍び寄り、自身の“個性”を発動した。こんなことで使っても良いのか迷ったが、犬山がGOサインを出しているのだ。彼女は自分の行動や言葉に責任を持つ。の失敗は自分の失敗だと豪語するのだから、大丈夫だろう。
「ふぎゅ」
蔓を伸ばし、彼のからだを拘束した。ヒーロー科も案外簡単に捕まるものだ。は相澤への報告案件だろうかと、ふと思った。いや面倒事に巻き込まれるのは真っ平ごめんだ。やはりできるだけ無関係を貫こうと無責任なことを胸中に抱きながら、彼女は犯人と向き合った。
「あの、変質者ですか」
「違います」
平気で嘘をつく。彼の表情が一瞬ですっと無表情になった。何かとてつもない闇を抱えていそうな暗い目だ。
「まぁ、変質者は大抵そう言うんでね。とりあえず、警備員さんに引き渡しますね」
「え゛」
「そうですね、連行してやりましょう」
と無責任に少女は同意した。勿論そのつもりはない。
「ちょ、ちょっと!違うんだよぉぉ」
(うるせ)
は脳内で盛大に顔を顰めた。
じたばたと暴れる男を制御できなくなってきた。蔦はの手と繋がっているのだ。命令を出して、蔦を更に伸ばして吊り上げた。依然繋がったままではあったが、支点を吊り上げの頂点に変えたことで、ほぼの方に振動は伝わらなくなっていた。
「と、轟ぃぃ」
思わぬ名が出て、今まで無関心だった生徒たちがなんだなんだと騒ぎ始める。
「おいら違うよなぁ!」
峰田の視線の先には、確かに轟がいた。
轟は焦ったようにキョロキョロと周りを見渡す。いや轟はお前一人しかいないだろう、と皆一斉にツッコミを入れたはずだ。そして、
「ひ、人違いです」
轟は言い切る。そこにいた誰もが、おいおいと思った。しかし皆これが茶番だと気付いているので、面白がって様子を見ている。ヒーロー科は有名なのだ。峰田のことも、少し性癖がアレ、と知れ渡っている。
「うおおおぉぉ!とどろきぃ!裏切り者ぉぉ」
「ちょっと、ここ図書室…あの、分かっ…あの、」
余りの彼の狼狽ぶりに、少女ももたじろぐ。蔦が引きちぎられそうだ。暴れて、ぶんぶんと揺れている。彼だけは、いや彼と轟だけはこの茶番を真剣にとらえていた。
これはマズイことになったと、は蔓をほどいた。べちゃりと彼は落ちたが、怪我はなさそうだ。犬山も焦って、こちらにやってこようとしていた。轟も流石に放っておけないと思ったのか、駆けてくる。
「峰田」
「あ゛ぁ!?」
どこからともなく聞こえた声に、峰田は振り返った。みねたというのか、と今更ながらには思った。
「黙って教室戻れ」
淡々とした声が響く。峰田青年は軍隊が行進するようにしゃきしゃきと歩いていく。その様子をはじっと見つめる。はっとした。こんなことを出来る人物を彼女は知っていた。
「し、心操くん!た、すかった…」
ほっとして、へにゃりと力が抜ける。峰田の鬼気迫る様子に、実は内心相当怖がっていた。
がしゃがみ込む前に、心操は軽々と身体を支えた。彼の息が彼女の首元に当たるほど密着した。
汗くさくないだろうか、とは焦った。昼御飯に食べたものの臭いは大丈夫だったか、下着の締め付けは肉を盛り上がらせていないか、心拍数は?顔は赤くなってないか?メイクはどうだっただろう?そんなことが一瞬にして脳裏を駆け抜けた。
「大丈夫ですか?…返して良かったですよね。ほどいてたし」
「あ、はい。大丈夫…ありがとう。ちょっと態度があれだったから、注意するだけのつもりだったんだけど……あ、もう大丈夫、」
痛い目に合え、くらいには思っていただろうが、はさらりと嘘を吐いた。
彼女のパーソナルスペースは広い。あまりの近さに耐えられなくなり、はさっと身を引いた。何かの関係に発展するとは全く思っていないが、そのつもりもないのだが、それでも男性に抱き留められればドキドキもする。流石に何も感じないほど枯れていない。
「本当に助かった、ありがとう」
「ん、」
改めて礼を言うと、心操は少しはにかんだ。
はぎゅんと心打たれた。心臓が一瞬悲鳴を上げる。普段笑わない人が笑うと凄いインパクトである。見ていられなくなり、挙動不審に周りを見回す。
「あ、轟くんも、ありがと。助けてくれようとしてたんだよね」
と言うと、彼は少し気まずげに頷いた。
「あんな、ことになるとは思わなかった…」
だろうな、とは心の中で同意した。だから彼女はそれほど気にしていないのだが、轟の表情は暗い。
「そ、そうよねぇ、びっくりしたねえ!」
と、慰めようと轟の背を叩くが、ますます顔色が悪い。
「す、みませんでした。俺がちゃんと」
「えっと、大事なかったし、ほんと。うん、大丈夫大丈夫。ね、心操くん」
「そうですね。俺なんかの“個性”でなんとかなったし。大丈夫だったんじゃない?」
(なんで喧嘩売ってんだ)
は思わず心操を凝視した。
ひくりと彼の体が震えたように見えた。そんなに目つき悪かったろうか、とすぐに目力を解く。心操はいつもの表情に戻っていた。気のせいだったのかもしれない。ほんの少し気には掛かったが、それ以上に轟の表情が暗かった。そちらに意識が反れてしまった。
意外と繊細なようで、は大層驚いている。エンデヴァーの顔がちらつく。あの男の遺伝子入っていない、絶対に。とは確信した。まだ見ぬ轟の母親は心を壊してしまったというし、きっと心がガラスか何かでできているのだ。因みには自身の精神をプレパラートのカバーガラス、と認識している。つまり大層打たれ弱い。
「あとで、言っといてくれたら、良いよ!ね、そうですよね、犬山せんぱ…」
助けを求めて、振り返る。目がおかしくなったのかと、は目頭を押さえた。そういえば轟が来ているのに静かだったなと、今更ながらに気付いた。涎ヤバい。というのが率直な感想だ。目は血走っている。
「あの、先輩…大丈夫ですか?」
「え?大丈夫よぉ!轟くん!話は聞いてるわぁ!どうぞ、こちらへ!!」
犬山は轟にむしゃぶりつきそうな、勢いである。
地獄絵図か?とはぽつりと思った。
彼はというと顔を真っ青にして、しかしよく分かっていない様子だ。引き摺られて行ってしまう。他の人に聞かせたくない相談事は、専用の個室がある。完全な密室。南無阿弥陀仏と念じて、はすべてを無かったことにした。関わらないのが吉だ。
「…幻滅しましたか」
「へ?」
心操は静かに尋ねた。には何の話か分からない。未だに混乱していた。
「さっきの、俺の態度」
「ああ、……」
その程度の認識だった。驚いただけである。いつもの前では冷静な彼が、表情は変わらずとも轟に食って掛かったことに。彼も高校生だったなと、急に気持ちが萎えたのは致し方ない。随分身勝手な話だが、心中の自由は保障されて然るべきだ。
「私は…」
が話し始めたときだ。ドロロロロ、と図書館に重低音が響く。何事かと、は入り口に目を向けた。
「え、はぁ?」
「せんせい!見てもらいたくて、私のどっ可愛いベイビー連れてきました!」
(連れてきちゃダメなやつだそれ)
口を間抜けに大きく開いたまま声も出ない。地獄絵図の完成である。思わずは顔を覆った。見なかったことにしたい、なかったことにしたい、関わりあいたくない、無心になろう、そうだそれが良い、と思考がどんどん意識の外側へ旅立って行く。
でーん、とどこからか効果音が聞こえるような佇まいの大きなロボが鎮座していた。教室同様、図書室のドアも大層大きい仕様になっているのだが、扉の枠が壊れそうで不安になるような巨大なものだった。
頭は良いはずなのに、皆各々に次から次に問題を引き連れてくる。
わーきゃーと、生徒たちも傍観している場合ではないと逃げ始めた。そのテンションには着いていけませんと、は完全にフリーズした。
「どうです!?可愛いでしょおぉ!」
鼻息荒く、発目はに迫ってくる。正直恐怖だ。
「あの、えっと、…!図書室は火気厳禁で、す!更に言うなら、油と水もダメでー…す…」
恐らくは聞こえていない。ペラペラと自分の世界に入り浸り、に解説をしている。
流石に騒ぎを聞き付けて、警備の人が数人で駆けてくる。
「ど、どんな状況ですか?」
警備の一人がおずおずとに尋ねた。確かに初見だと何が何やら分からないのも当然だ。何しろ全ての事のあらましを目にしていたが一番狼狽えている。
「あ、えー、あの、すみません。多分私が以前発目さんの開発したものに興味を示したので、持ってきてくれたんだと思うんですけど、あの、…予、想外に大きくてですね、私自身戸惑ってます…本当に、すみません、」
「あー…」
警備員の男は、を大層可哀想なものを見る目で見た。大変な奴に好かれたなという同情だ。
「どうやって、止めますかね、」
「ですねぇ…」
彼女は暴れているわけではない。しかし話し合いができるような状況でもない。ひっ捕まえて、ロボットの制御が彼女から離れたとき、どうなるかも見通せない。
「発目、発目!」
心操はを自分の後ろに隠すように前に出て、声を上げた。もか細い声で彼女を呼ぶ。すると、やっと自分の世界から戻ってきた発目がたちの方を見た。
「はい!?貴方も!私、の……ドッか、わ…」
彼女は停止した。
「ゆっくり安全運転で元の場所に戻ってくれ!」
大声で心操が言うと、発目は戻っていった。どしーん、どしーん、と音を立てているのが遠くから聞こえる。あの音に気付かなかったというのだから、峰田の一件も実は相当な騒ぎだったのだ。
「君、本戦出てた子だね!わー、やっぱ、良いね。うん、その個性、良いよ!」
警備員の男が心操の肩を無遠慮に叩く。痛そうに顔を歪めたが、満更でもなさそうだ。はほっと胸を撫で下ろした。
「大活躍です。私一人では収拾絶対にできなかったですもん」
「僕もですよ。個性によって、得手不得手ありますからねぇ」
「ですよねぇ」
誉めちぎられて、心操は照れくさそうに首をかいた。
「あ、そうです、どんな状況だったか、話聞かせてもらっても良いですかね。一応ですよ。多分、あの子悪気無さそうだったしね」
「まぁ、多分そうなんですよねぇ」
だからこそ、厄介なのだが。
「私は良いですけど…心操くん授業だね。ちゃんと説明できるかな…」
「多分大丈夫。同じクラスの奴いたから、適当に先生には言ってくれると思います」
「じゃあ、ちょっとだけ、ご協力お願いします!」
と、やけに元気な声で男は言った。
そういえば轟はどうしただろうか。一応頭の片隅にはあったが、気にしても仕方がない。すぐに忘れた。
事情聴取は、殆ど相槌を打つだけだった。彼女は自他共に認める説明下手である。心操が細かく話をしてくれるのを聞いているしかなかった。できたことといえば、心操の穏やかな静かな声を楽しむか、彼の求める同意に頷くくらいのものだ。
恐らく彼はを「雄英の教員採用試験を突破した先生」と認識している。全くそんなことはなく、単に自衛能力と信頼を買われただけだ。彼女自身は普通の高校を出て、普通に進学して、普通の中小企業に就職した正に一般人。一般人である以外の何者でもない。爆豪的に言えばモブ。これぞ正にTHEモブ。
だから
(幻滅されるのは私の方じゃないか?)
と、ははっきり思うのだ。
嘘をついているつもりはない。聞かれないから答えないだけだ。そう思いながらも、罪悪感がじわじわとに襲い来る。
どっと疲れた。これから昼の眠い時間帯の仕事に入るのだと思うと気分が滅入る。思わずため息が零れた。
***
パソコンの画面がぼやけて来る時間帯だ。常備している栄養ドリンクを一気に飲み干した。机の端に空瓶を置いて、さぁ作業と思ったが横の空気が五月蝿い。
「あの、……大丈夫、…ではないと思うんですけど、どうしました…?」
酷い落ち込みようである。犬山の感情の起伏が激しいのは、よく知っていた。しかし念願の轟との会話の後でどういうことかと、は首を捻った。
「“個性”事故よぉぉ」
うええぇぇん、と机に突っ伏して泣く。
「“個性”事故…」
は反復した。
「うっ、うっ、私の“個性”犬なの」
「犬…」
「そう!わんこ!」
犬山はがばちょと起き上がり、犬の前足のように両手をふりふりした。猫のようにも見えたが、本人は犬のつもりでやっている。
「……可愛いですね」
「え、ありがとう…じゃなくて!」
一瞬犬山は頬を染めたが、ぶんぶんと首を振った。
「私、強い男性を群れのトップとして仰いじゃうのね。ちょっとそれが今日は止められなくて…」
しゅぼぼぼと顔を茹で蛸のように真っ赤にして、珍しく手遊びをしながら彼女はもじもじと説明する。
「先輩って、……女性ですよね?」
「え?そうだけど…」
思わずメスですかと聞きかけて、寸でのところで止めた。
犬山の様子は、頭の弱いオス犬がメス犬にハァハァと迫っていくような雰囲気だった。そのため“個性”「オス犬」とかではないかと思ってしまったのだ。だが単純に群れのヒエラルキートップに、どうにも止められないパッションがエクスプロージョンしたようだ。
「しょーとくん、絶対に引いたよぉぉぉ!!」
「まぁまぁ、私から然り気無く言っといてあげますよ…」
「ほんと!?本当にほんと?」
にしがみついて、犬山は上目遣いで何度も確認する。峰田もぞっこんな豊満な胸が押し付けられている。役得である。
「会ったときには必ず言いますよ」
犬山はうんうんと頷いて、業務に戻った。
面倒事を抱えてしまったと後悔した。安請け合いはしない、常々そう言い聞かせてはいるが、話の流れというのがある。
犬山が心配するほどだ。もう二度と来ない可能性もある。返却は必ずしも対面でなければならないということもないのだ。しかし一度請け負ったお願いを反古にするのは体面が悪い。
ちらりと横を向く。犬山は仏頂面だが、仕事はいつも通り行っているようだ。
“個性”を暴走させていたというには、レファレンスの内容はいつも通り冴え渡っていた。
はいつも彼女の回答を打ち込む作業をしている。勉強の一環だ。轟の名の入った用紙を見て、は流石だと尊敬した。到底このレベルには到達できまい。彼女は良い人だ。それは間違いない。だがどうしても劣等感を抉られる。
そんな良くできる人間の為に、息をして生きることで手一杯な自分なんかが何故施しをしなくてはならないのか、という思いは無い事もない。だが人間関係はギブアンドテイク。与えた分が返ってくると信じて生きるしかない。そんな打算的な思考の人間が優しくて理性的だなんてよくも言えたものだと、は幼少の頃からよく会いに来るお偉いさんの顔を思い出した。誰一人一切合切顔が思い出せなかった。ここは笑うところである。
心操の方も暫くは来ないかもしれない、そう思っていた。が、予想外にその日の放課後にやって来た。
「あの」
「わぁびっくりした」
「本当にびっくりしてますか」
「してるけど、」
びっくりにも程度がある。中くらいのびっくりだ。
本を眺め見て適当に何か借りていこうと、うろうろしていた。その後ろから話しかけられたのだから、十分に驚いた。
「さっき、話、できなかったんで…」
はて何の話だろうかと、は首をかしげる。
「……先生の、会社の見学、というか、……話を一度聞きに行きたいと思って」
確かにの話ではうまく全容は掴めないだろう。そもそもの属する部門は一般だけで、荒事を取り扱っている方は全く知らないのである。
「土日祝が休みだと、ちょっと厳しくて」
「あー、確かにね」
基本的には土日祝休みの優良企業だ。基本的にはである。派遣先の休日に合わせる為、休みはまちまちだ。も土曜日出勤の週がある。日曜日は流石に人員不足もあって、完全休館である。
「んー、とね、予定見る。確か…」
と、はスマホを開く。年中行事のデータは一応入れてある。はずだ。
「まだ、俺で大丈夫ですか」
「え、何、ちょっと待って……………え!?何事?」
「あー、」
はデータを探している手を止めた。心操は視線を反らした。癖なのか、首の後ろをかく。
「昼間のこと?」
こくりと頷いた。
「商売だから、逆にあれくらいの負けん気は無いと困るかも、よ?」
何より体育祭の映像を見てオファーを出しているのである。気にすることはないのだ。しかしが睨み付けたため、心操は酷く気にしている。彼の“個性”を知った人間が怪訝な目で見ることは多い。人の目を気にする癖が付いていた。
彼女は睨み付けたつもりはない。
「んー、まぁ、ここにいる人は強気、というか、勝気というか、そういう人ばかりだし、そういう気概がないと、ここにはいないだろうなというか。あんまり気にしなくて良いと思うけど…。それより、心操くんは常識的だから、寧ろ評価してるくらい、だし。無茶苦茶な人が多い中で、ちゃんと会話できる貴重な人、というか、」
「先生も、実はそういう人なんですか」
「え、私?私は、ない、かな、ないと思うけど、なんで?」
「ここの教師になるのって、大変って聞いたから」
心臓がぎゅっと締め付けられる。ほら来た、とは思った。今度は彼女が視線を反らす番だった。嘘を吐くつもりはない。正直にこの学校の採用試験は受けてないと言えばいい。
それが簡単でない。聞かれてないから言わなかった、という言い訳が通じれば良いのだが。は意を決して心操の目を見た。
「あの、私、ここの試験受けてなくて、ほんと、普通の高校出て、普通の大学出た、し、一般企業に就職した、全然、」
この学校には相応しくない人間です、と言おうとして、しかし舌が回らなかった。そこまで自分を卑下することを、自分で許せなかった。
「えっと、幻滅されそうなのは私かなぁなんて、あ、隠してたとか騙してたとかじゃなくて聞かれないのに自分のことぺらぺら話すのもどうかなとか思ってでも心操くんには言っといた方が良かったよねごめん、ほんと…すみません…」
「先生そんな早口で話せるんですね」
注視するのそこなの、と思った。それ以上にあまり心操が気にしていなさそうなので、ほっとする方が大きい。は一先ずは難は去った、と安堵した。は再び端末の画面に目を落とした。
「口はあんまり回らない方だけど、いつもぼそぼそ喋ってるわけでもないからね…」
「へぇ…」
心操は頭の回転が早い。試験を受けず、業務経験も無い彼女がなぜこのタイミングでこの高校にやって来たか。その疑問を既に彼は抱えていた。
スパイでもあるまい、身元はしっかりしているようだ。それに彼女は心操に自分の話をよくするのだ。世間話なのだが、今のように疑念を抱かれることを平気で晒す。だから彼女自身は知られるということに頓着がない。それは十分すぎるほど分かっている。それでもぐるぐると一度浮かんだ疑問は簡単には拭えない。
「今度の日曜日、ボーリング大会でみんな集まるって!」
「は、」
がスマホを弄るのを、心操はぼーっと見ていた。急に顔を上げて、は言った。彼女が口を開けば、これまでのもやもやした疑いの気持ちは直ぐに霧散する。
「ボーリング…」
「あ!多分思ってるのと違うよ!」
心操の目が「なに言ってんだこいつ」と言ったのを察知した。は目をぐわっと見開いて否定する。
「違くないけど、違う。…えっと、みんな他の会社での仕事だし、社員が集まることってないんだけど、その日はみんな集まるわけで、派遣会社だから!人を見てほしい!…………なぁ、って、」
「分かりました」
「分かってくれた?良かった…父に言っとく」
「あの、」
「はい?」
「まだ、全然自分の進路とか、決めかねてて、参考になればって……くらいなんだけど良い?」
心操はこてんと首を傾けた。はこの仕草に弱い。きゅんとしてしまう。
「うん、良いよ。だってまだ高1だもん。進路決めるには早いと思う。…色々ある。うん、色々。色々ね、……あるある、」
遠い目をしたの顔を見て、何があったのだろうと心操は思った。聞くかどうか迷って、結局口を閉ざした。
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