3日経って、は学校に帰ってきた。いつものように保健室で書類と睨めっこしていると、がらがらと保健室の扉が開いた。昼休みに入ってすぐの時間、いつもこの時間に森山はやって来る。きっと森山だろうと、は顔を上げた。
「………っ」
は、ぎょっとした。
「………大、…丈夫…?」
は首を傾げて森山に尋ねた。
「大丈夫じゃないけど」
森山は、ぱっと見ただけで睡眠不足だと分かる出で立ちだった。あまりに酷い状態なので、はよく昼休みまでもったなと冷静に思った。顔は青白く、目の下には隈があった。
「相変わらず眠れてないんだね。ちょっと考えたんだけど、運動不足じゃないかな」
「はぁ?」
運動不足、自分とは縁の無いものだと思っていたことを突きつけられ、森山は声を上げた。
「運動部での練習が今無いでしょ?疲れてないと眠れないってこともあるんだよ。まぁ、疲れすぎて眠れないってこともあるんだけど」
「………あー…言わぇてみると…このすいみんぶそく…大会の後からかも」
森山は眠そうな顔で答えた。呂律が回っていない。相当無理をしていたようだ。
「受験のこととか、それに、季節柄そんな時期だよね。日照時間が短くなって、体内時計が狂うことによって、精神にも影響が出るんだって。睡眠は、心とも大きく関わってるの」
「へぇ…」
一応の言葉には相槌を打つが、恐らく耳に入っていない。
「話は、後で聞いてあげるよ。とりあえず、寝なさい」
「ん…」
森山は倒れるようにベッドにダイブした。すーすーと息が聞こえる。もう寝てしまったようだ。は森山の上靴を脱がせてやり、体をベッドに横たえさせた。全く抵抗がない。ネクタイを緩め、ボタンを外す。ベルトを取り、横の机に置いた。
(なんか、悪いことをしてるみたいだ…)
は、森山の状態を見て、そう思った。肌蹴させたシャツ、ベルトの抜き取られたズボン。少しばさばさな髪。半開きの口。
頭を振って否定した。
(業務だ、業務!)
**
保健室には音の出る時計は置いていない。かちかちと規則正しく奏でられる音が苦手という者は多い。頬杖をついて、は生徒の相談内容をファイリングしていた。進路調査の紙までの元にあった。生徒のことをよく知ることも養護教諭の仕事のうちだ。
ふと、はベッドの方を見た。規則正しくすぅすぅと寝息が聞こえる。よっぽど疲れていたようで、珍しくぐっすり眠っている。おそらく夢も見ていないだろう。
は、夢を見ない。そもそも睡眠すら必要ないのだ。人だった頃の習慣なので、それを実行しているに過ぎない。それは熱や冷たさ、痛み、快感にも共通する。全ては経験として蓄積される。人のようにそれを実感することはできない。衝撃に対して、人だった頃の記憶によって衝撃に応じた反応をするだけ。
ロボットがプログラミングされたことを実行するのと何ら変わらない。ロボットと違うのは、感情と自我を有しているという点だ。はであるという認識のみで成り立っているのである。酷く不安定な存在だ。
そして、はこの世界に突然現れたもの。戸籍はこっそりと増やしておく。バレたことはない。それも当たり前の話だ。居もしない100歳を越える人間が戸籍上存在するような世界、潜り込むのは簡単だ。
いつでも逃げられる。責任など無い、倫理を守る必要もない。SF小説でよくある成り代わり、異常で奇妙で恐ろしい、存在。
には世界を侵略するつもりも、滅ぼすつもりもない。ただ寄り添ってくれる誰かが欲しい。破壊する気は無くとも、がいることで、が今いる地位につけない人がいる。それは、酷く歪な状態だ。
「あんまり、安心して寝てくれるなよ…」
は眠る森山に近づき、そっと頬を撫でた。
「ん…」
かすかに零れた吐息に、どきりとした。眠っている森山は普段よりも幼く見えた。まだ、15歳の少年なのだ。森山の頭を撫でていると、ゆっくりと目が開いた。
「おはよう、よく眠れた?」
「………おはよう、って時間じゃないけど…」
そう言って、森山は体を起こした。幾分か顔色が良くなっていた。森山はぐっと伸びをして、体を解す。森山はいつも何かから身を守るように、体を縮こまらせて眠る。その寝方も睡眠不足の原因ではないかと思うが、寝ている間のことを言っても仕方ない。
「で、何か悩みでもあるの?」
がそう言うと、森山はしばらく考え込むように黙った。
「……………笑わない?」
「笑わないよ」
伺うように、森山は上目遣いにを見た。は頷いた。森山は意を決したように息を吸った。吐き出すと同時に話し始めた。
「アンタは、なんで生まれてきたのかとか、なんで生きてんのかって、考えたことある?」
「………青春だねぇ」
は、つい、まったりとしてしまった。森山は顔を真っ赤にして声を上げた。
「真面目に聞いてる!」
は苦笑いをして、森山を窘める。
「ごめんごめん」
「最低だな、…あんた」
森山は吐き捨てるように言った。子供扱いされたことが心外だったようで、バツの悪い顔をした。
「俺は気にしないけど、ちゃんと『先生』付けて呼びなよ。癖付けると、なんかふっと出ちゃったりするよ」
「そういうことあったのかよ…」
妙に実感こもってるな、と呆れ顔で森山はを見た。懐かしげに遠くを眺めるに、森山はそれ以上何も言えなくなった。
「……私は、癖でぱっと言っちゃわないように、あだ名では呼ばなかったかな。真面目にみんな名字に敬称付きで呼んでた」
「意外…ちゃん付けとかで呼んでそうなのに…」
探るような視線で森山はを凝視した。
「君の目にどういう風に映っているかは分からないけど、私は、あんまり目立つような生徒じゃなかったよ」
は、思い出すように目を瞑った。すっと目を開き、口元に笑みを湛えた。
「真面目にやってれば、誰も何も言わないし、ちょっとやそっと悪いことしても許してもらえる。まぁ、単に逆らったり反抗したりするのが面倒だっただけなんだけど……自分で言うのもなんだけど、真面目、な生徒だったと思う」
「へぇ…」
はぺらぺらと教師とは思えないことを淡々と語った。森山はそれをじっと聞いていた。
「変わらないよ、君と。だから考えるよ、私も」
「え?何?」
「なんで生まれてきたかって話でしょ」
君が聞いたのに、とはくすりと笑った。森山は、む、と少しむくれた表情をした。こういうところが中学生なんだよな、とは微笑ましい気持ちになった。
「生まれてきた理由なんて、君が考えることじゃない。それは君の親が答えを持ってる。生きてる理由は、自分で勝手に付ければいいよ」
投げやりとも取れる言い方で、は言い放った。森山は僅かに傷ついた顔をした。そんな森山を見て、は困ったような笑みを見せた。森山は、不安げにの目を見返した。おそらく無意識だ。には、森山が人に弱味を見せないように気を張っているように見えた。
「……私が一人いなくなったって、世界は廻るでしょ?意味なんて、そんな大層なもんは無いんだよ。ただ、自分が何のために生きるか、それをしっかり持っていれば、良い。理由なんてなくても生きていけるしね」
一息吐いて、は森山を見返した。
「だから、理由なんて、自分で作れば良いんだよ」
森山はきゅっと、膝を抱え込んだ。
「あんたは、……なにか、理由を作ったの?」
は意外そうな顔をして、それからふっと笑みを見せた。
「私は、辛いとき、今一緒にいる人に会うために生きてるって、言い聞かせてる」
静かに、は言った。森山は自分の心臓が大きく跳ねるのを感じた。どくどくと鼓動が早鳴きする。
「じゃ、ぁ…あんた、俺に会うために生きてきたの?」
森山は胸の高鳴りを振り払うように声を出した。少し震えた気がして、森山は気が気でなかった。
「そうだよ」
は即答した。森山はばっとを見て、目をぱちぱちと瞬かせた。次の瞬間、ばす、と森山は膝に顔を埋めた。その状態で、ちらりとを見た。頬が少し赤い。
「言ってて恥ずかしくないの?」
「べつに」
はけろっとした様子で答えた。森山はがしがしと頭を掻いて、の目をじっと見た。森山は大人びた笑みを口元に浮かべる。まるで情事の後の気怠さを思わせるような笑みで、はどきっとした。
「……じゃあ、俺も、あんたに会うために生きてきたのかな、なん、て…」
へらりと笑う森山の表情が笑みのまま固まった。
「なんでそんな顔してんの…?」
「えー、どんな顔してる?恥ずかしいなぁ」
「俺が恥ずかしいわ!」
は顔を赤くして、のほほんと答えた。森山はそんなの様子を見て、顔をりんごのように真っ赤にして、枕を投げつけた。はそれを顔面で受け止めることとなった。
「へぶ……」
森山は、机に置いてあったベルトを手荒に締めて、ベッドから降りた。一目散に保健室を後にした。
取り残されたはばふんと上半身をベッドに沈めた。体を丸めて、シーツに顔を埋めた。
なぜ生きているか、なんてのの永遠の課題だ。この世界にとってイレギュラーな存在で、。だからこそここに居て良いのか、いることによって人を不幸にすることはないか、あらゆる可能性を潰すことになりはしないか、そればかり考える。
事実、今この椅子に座っていることによって、この席に座れない誰かが存在する。森山の時間を奪っているのも、事実として横たわっている。そういった犠牲のもとにはここにいた。
それでも、この世界からいなくなる選択をすることはない。
お前さ、寂しいんだろ
耳の奥で、声が聞こえた気がした。それは酷く優しい声だ。もう随分と過去の話だ。でも遠い話ではない。
(そうだよ、寂しいんだ。誰かと繋がってないと、怖いんだよ…)
は投げやりに心の中で吐き捨てた。
寂しさに気付いてくれた人、それが森山由孝という男だった。かつていたこの世界に似た世界での話だ。 にとっては一つ年上の先輩。という設定。勿論 の方が実際にはかなり年上なのだ。 その関係に甘えていた。
「森山さん」と「森山くん」は全くの別物だが、本質は同じなのだと、今日この日に実感してしまった。
『……じゃあ、俺も、あんたに会うために生きてきたのかな…』
だなんて、森山は欲しい言葉をいつもくれる。
「ちくしょー…」
とっくに落ちていた。抗いようも無い。はほんの15年生きただけの子供に胸をかき乱されている。
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