7
早朝、空が白んできた。本当に皆一晩中騒いでいた。
皆が帰路に着き始めると、街の入り口付近は閑散とし出した。木に凭れ掛かり、目を閉じる。
「母さん」
疲れた顔をしたフレンが立っていた。
「お疲れ様」
マントから飲み物を取り出し差し出すと、フレンはそれを受け取り、呷った。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
沈黙。やけにフレンが私を見てくる。
「…えっと、どったの?」
「いえ…あの、キュモールが目を覚ましたのですが…」
「何?どうした」
言いにくそうに口ごもる。一大事か、私の声も自然と低くなった。彼は、なおも煮え切らない言い方を続ける。
「はっきり言って」
「記憶がかなり飛んでいて、自分の名も分からない状況です」
「はあ?」
フレンの目は窺うように私を見た。疑心、不安、それでも信じたいという気持ち。いろいろな感情が混ざった目。
「ああ、…疑ってたの。…多く見積もっても、半日も消えない術式だ。いや、下手をすれば数時間なんてものじゃない陳腐なものだよ。とてもじゃないけど、そこまでの効力は…ない。うん、絶対ない」
考えて、考えて、はっきりと言い切った。
彼は力を抜いた。信じてもらえて良かった。流石にその辺りの信頼は勝ち得ていたようだ。
そもそもちょっとしたショック療法のようなものなのだ。催眠術の域を出ないような代物である。そこに少し私自身の暗示を掛けて、数時間の記憶を混濁させる、というもの。
「そう、忘れたの…」
「失礼な話ですが、良かったかもしれないと、…いえ、失言です」
「良いよ。誰もいないでしょ」
「はい」
「…でも、なんだかやるせないね」
フレンは顔を上げた。
「だって、被害に遭った人は、ずっと覚えてるでしょ?ユーリだって…。キュモールはもしかしたら大した罪に問われないかもしれない、それでも覚えてるかいないかは、随分違うと思うの」
「そうですね…」
「あ、でも、そうね。もう苦しむ人は出ないかも。フレンの言う通り、良かった、って思っとこうかな…」
あんな男のために心を痛める必要はない。
流石に死んでも良いとまでは言わないけど、そんなに親しくもない他人だ。
人の、他人に割ける心の容量は決まっている。ただでさえ今は多くを見なければならないのだから。
「これから戻るの?」
「はい」
「申し訳なかったね」
「いえ、今日はちゃんと誰かを助けられた。…僕の目指しているのはこういう騎士ですから」
「うん、」
それがとても難しいのだ。
変えたくても変えられない、寧ろこちらの信念ばかりを変えさせられる。だけれどもそうしてでも這い上がらなければならない。
それなのに、もがいても進む方向すら見失う、フレンの居るところはそんな場所だ。
私もそうだったから分かる。
***
宿に戻ると、屍が何体か転がっていた。笑う所である。
「…疲れて寝ちゃったの?」
こんなになるまではしゃぐって、どんな気分なのだろう。レイヴンは結構ぐっすり寝ている。カロルも眠そうだ。目をくしくしと擦っている。小動物みたいだ。
「はい。そうなんです。もうすぐにぱたっと」
「ふうん」
つんつんと眉間を突くが起きる様子はない。ガチ寝のようだ。わしわしと頭を両手で撫でくり回すと、昔と変わらない髪質が手に馴染む。
「何してんの?」
今の今まで騒いでいたのだろうか。リタは宿に入ってくるなり、そう尋ねた。彼女も眠そうだ。
「…悪戯?」
私は首を傾げて答える。何を思っての行動かは私にも分からない。眠りこけているなんて珍しいので、つい手が出た。
リタは「馬鹿っぽい」と呟いて、ロビーの椅子にどかりと腰を落ち着けた。
街が騒がしくて、私も寝れなかった。
出発までゆっくりしようと、レイヴンの傍に体育座りのように両膝を立てて座る。すると、がくりと倒れてきた。ゆらんと私の体は揺れたが、倒れることはなく彼の体を支えた。
「珍しいわね」
「ん?」
「おじさま、そんな風に無防備に寝たりしないのよ」
レイヴンを見ると、尚も意識が夢の中にあるらしい。寝たふりではない。
「重くないかの?」
「全然大丈夫だよ」
パティが覗き込んでくる。
「あ、でも結構鍛えてそうね。大丈夫だけど、軽くはない」
レイヴンとしての戦い方だと、この筋肉量は動かしにくそうだ。いかにも剣を握っています、という体格である。この服は体格隠しなのだろう。シルエットでバレるの防止。
「そういやカロル先生を軽々持ち上げるよな」
「どういう状況なん、それ」
「戦士の殿堂で肩車してもらったんだ」
「ああ、成程」
いくら大人と子供でも、他人同士だ。どんなことが起これば子供を持ち上げることになるのかと、驚いてしまった。
「そういえばクロはベリウスと会ったことあるの?」
「あるよ。友達」
「え」
皆が私を見た。ジュディスだけは予想していたようだ。驚いた様子はない。
「私、昔小遣い稼ぎに戦士の殿堂で戦ってたのよね。殿堂入りしちゃったから、もう行けないけど、たまに挑戦者と戦ったりしてね」
「殿堂入り!?」
から始まって、「友達なの?」「どんな人?」と次から次に質問が投げかけられる。
「もうすぐ会うんでしょ?その時まで取っときなよ」
目敏いというか、耳敏いというか、戦士の殿堂の話題が出ると、レイヴンは起きたようだ。
「そろそろ行こうか?レイヴンも起きたみたいだし」
と言うと、ぱちりと目が開いた。
「おりょ、気付いてた?」
「密着してたら分かるよ」
ユーリが何とも言えない感情を私に飛ばしてきた。言葉にするならば息子の前でいちゃつくな、だろうか。だがユーリは余裕がないのか、口にすることはなかった。自分の中の感情の整理で忙しいのだろう。
***
旅の支度もほどほどに、カドスの喉笛までやってきたのは良いが、騎士団が占拠している。
途中出会った幸福の市場のギルド員の証言通りだ。
彼は私を見て、駆け寄ってきてくれた。彼から聞いた情報で分かっていたことだが、それにしても不可解だ。
「どうだった?」
偵察から戻った私にユーリが尋ねた。
「もう入り口からかなり厳重ね。飼い慣らした魔物かな?もいたし、気付かれそう。どうしても行くの?」
捕まるわけにはいかない。今でも騎士団には知った顔が居るのだ。
だからといって私だけ一目散に逃げるわけにもいかないし。
「行かなきゃどうにもなんねぇよ。新月までに戻らねぇと」
「過ぎたらどうにかしてくれる?」
レイヴンは上目遣いに私に尋ねる。だから何でそんな可愛い声音で聞いてくるのだ。何でも叶えてあげたくなる。
「ん〜…確約できないかな」
「じゃあ行くしかねぇな」
ユーリは何の戸惑いもない。やると決めたら一直線。だが、もう少し回り道を覚えた方が良い。ような気もする。
「しょうがないなぁ」
「なにか手でもあるのかしら」
「手っていうか、単純なものよ?」
と言って取り出したのは煙玉。
「入り口はこれで行けると思う。道中、は、まぁ入口出口を封鎖してるんだろうし、そんなに警戒することないと思うけど、追いかけられたら、挟み撃ちよね。やぁよ?私騎士団に捕まるの。これでも綺麗な身なのよねぇ、ユーリみたいに数か月のうちに何回も捕まったりしてないの。できればそうなりたくはないのよね。フレンがそのせいで降格しちゃったりしたら、申し訳が立たないもの」
これで一目散に逃げても言い訳出来るだろうか。
「う……なら母さんはここで待っててくれ。それだけ貰っていく」
ユーリが手を差し出すので、私はペチリと軽く叩き落とした。
「…寂しいこと言わないでよ。行くわよ。その代わり捕まりそうになったら、カロルとパティだけ連れて逃げるわよ」
「え、なんで僕?」
「なんか、子供が捕まるの、見てられないのよね」
「姫様は良いのかよ」
「姫は姫じゃない。大丈夫よ。牢屋のくさい飯を食わされるわけじゃないでしょ?」
エステルは申し訳なさそうな顔をした。
「それで良いんでない?」
「そうね。決まったなら早く行きましょ」
レイヴンは適当だし、リタは早くエアルクレーネの調査をしたいのだろう。
「よろしくなのじゃ」
「僕は一人で逃げられるよ」
パティはびしっと手を上げ、元気よく返事をしてくれる。
一方でカロルは一丁前に男なのだ。
さらにカドスの喉笛の入り口に近づく。
「じゃあ確認だ。まずはおっさんが魔物に向かって煙玉を撃ち込む。走り抜ける、だ」
「進路を見失わないかしら」
「投げつけたところから爆発的に煙は広がるけど、結構メインの道から離れて集まってたから、すぐに走り抜けたら道を見失うことはないと思う。煙足りなかったら、後ろから足すよ」
メンバーを見回す。
「エステルが心配だけど、身軽な子ばっかだから大丈夫でしょ。私は一番後ろから追いかけるから、道外した子は回収していく。これで良いかな」
「すみません…よろしくお願いします」
「はい、頼まれました」
腰を折るエステルに、軽い調子で了承する。
「よし、おっさん頼むぜ。ヘマすんなよ」
「それこそ大丈夫でしょ」
今度は皆が一斉に私を見た。
「…だって、一人でいつも旅してるんだよね?身のこなしとか後ろから見てると群抜いてるもん」
「よく見てんな」
「的確に回復するの、結構大変なのよー…?」
てんでばらばら合わせる気のないパーティ。それを後ろから観察し、過不足なくフォローを入れる。結構面倒で大変な作業だ。だからこそ皆の動きがよく分かる。
「そりゃどうも。これからも頼むぜ」
「はいはい、任されましたぁ」
「よし、じゃあレイヴン頼む」
「おいよ〜」
BACK ◎ NEXT