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私はそれほど明るいキャラではないのだ。でもきっとバカをして、チャラチャラしている方が生き易い。そんなことを思っていたら、緊張すると、そういうキャラになってしまうようになった。演じていれば本当になった。でも、それでも私は、面白味のない生き物なのだ。

「やっほー美人さん」

どこぞのナンパ男のような文句(下町に来るときは女性の姿である)で、片手を上げて一本の木の下に座っていた女の元に駆け寄った。お腹はもう大きくなく、腕には生まれたばかりの赤子が眠っていた。

「あら、久しぶりね。見て!ユーリがね、生まれたのよ!」

にっこりと幸せな顔をして微笑む。その笑顔につられて、こちらも笑顔になる。色々と引継ぎの問題や何やらと忙しくて長らく下町には顔を出さなかった。いつの間にか結構な月日が流れていたらしい。

「おめでとう。きっと貴女に似て美人になるわ」
「ほめても何も出ないわよ?」

笑う女は母親の顔だった。

「キスもなし?」

頬を指差しながらそう言うと、女はカラカラと笑った。その顔はまだどこか少女らしさを残していた。

「あなたって面白いこと言うのね」
「結構本気だけど」

にっこりと笑うと、女もにっこりと笑った。

「そういえば、名前、教えてくれるんでしょ?」

思わず無言になってしまった。本名はマズイよなぁ。偽名を教えるのもなんていうか気が引けるけど、もしもの時の保険だ。それにこの名は本名よりは短いが、それでももう何千年と付き合ってきたものだ。

「…クローディア・マクレイン…クロって呼んで」
「クローディア…クロ……うそ」

確かめるように呟いていたが、意思を持って否定した。

「ん?」
「うそ。…うそよ!!」

その言葉に、何も言えなくなった。場が凍ったように、静かになった。木々のさざめきだけが、耳に入ってくる。
そのうちに、女が抱えていた子がうわぁあぁ、と泣き出した。

「あ…ご、めんなさい。どうしてそう思ったのかしら…」

そう、たどたどしく言葉を紡いでから女は赤子をあやし始めた。

「ユーリ…ユーリ、どうしたの?」

女の気持ちが、まだ高ぶっているのが分かった。焦っているようにも見えた。

「貸して、」

いくらあやしてもユーリは泣き止まなかった。寧ろ泣き声は大きくなるばかり。極力優しい声で話し掛ける。母親の揺らぐ不安な気持ちが、この子には分かるのだ。良い子だ。母思いの、とても良い子だ。

「大丈夫だよ…大丈夫」

そう言って赤子を抱き包む。すると赤子はすうと泣き止み、静かになった。

「すごいのね」

子供というのは敏感な生き物だ。私を大地の揺りかごだとでも思ったのだろう。「しっかりと支えられている安心感」というのは稀に私に使われる言葉だ。

「…貴女より、長く生きているから…」
「そう、なんだ」

先ほどのような親密さはなく、気まずい空気が漂う。ユーリを彼女に返す。
彼女はぎゅうとユーリを抱きしめた。赤子が心配そうに彼女の顔に手を伸ばす。

「…確かに名乗った名は偽りのものだ。…訳あって本名は名乗れない。だが、名乗った名も、もう何……十年と寄り添ったものだ。勘弁してくれ」

彼女の頬を撫でた、その手に、そっと彼女の手が重ねられる。

「じゃぁ、私も名乗らない。これでお相子よね」

泣き止んだユーリを抱いて、俯いていた女は静かにそう言った。

「マリアって呼んで」
「分かった。マリア。…ありがとう」

すべらかな髪を一束手にとって、そこにキスをした。

「……あなたって女の人なのに男の人と話しているみたい。タラシっぽいし、キザだし。なんか余裕で…ムカツク」

女は拗ねたような声でそう言った。まだ母親になったといっても若い娘だ。

「君はなんていうか、お転婆娘って感じだよね」

私も昔は普通の人だったのだが、そう、何処にでも居る普通平凡一般ピーポー妄想大好きな女でしたが、人って変わるものなんです。何年も、何百年も、生きてきたので。

「ふふ…クロ、よろしくね」
「よろしく、マリア」

母の腕に抱かれ眠る赤子、さらさらと髪が揺れる。
彼女はきっと彼が成人する前に死んでしまうのだ。それを食い止めるべきかどうか、それは考えておかなければならない。

***

この国はもうだめだ、絶対だめだとそう頭の中で何度も繰り返した。だからどうというわけではなかったが。
一週間に一度の会議、隊長格と騎士団長、評議会のお偉いさん方、そして10回に1回くらい皇帝も出席する仰々しい会議。内容ははっきり言って空っぽだった。

「下町の住民にも教育が受けられるような機関を設けるべきだと思います」
「却下だ。必要性を感じない」

私が何度も出している提案だったがことごとく潰されている。皇帝は結構ノリ気なのだが、周りがそれを良しとしない。言葉だけではない。膨大な企画書を提出している。それを皆見ようともしない。
陛下はちゃんと見てくれているらしい。私と二人になると、ここが良い、ここはこうした方が良い、と言ってくれる。そして決まって、私に謝罪する。皇帝陛下の力ではどうにもならないのだ。評議会が牛耳っている状況では。そんな彼の様子を見ていると、余計にクソッタレと思う。

「じゃぁ、次…魔導器をクリティア族が放棄したのには必ず理由があると思うんです」
「それで?」

まだ喋っている途中だったのだが、一人のいやらしい(見るからに陰険な)顔をした中年の男が口を挟んだ。礼儀作法をわきまえない男だ。

「…いまだ研究が中途段階の今、魔導器を使うのには危険が伴う。即刻回収してしっかりと研究するべきだと…」

それもきっちり資料を作ってきているのに!私は暇じゃないんだぞ!と言えない自分が情けない。いや、言ったところで寝耳に水、寧ろ揚げ足を取られるに決まっているのだ。

「しかし、魔導器が無ければ生活していけん」
「何のために騎士団が居るんですか…!そういうときこそ騎士団が…」
「駄目だ駄目だ」

発言したのは、確か息子が騎士団の平隊員だったはずだ。戦う勇気が無いなら騎士団なんて辞めてまえ!と喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。

「もう少し、真剣に取り組むべきです。対価無しに便利になどなる筈ない!」
「ルーベンス、君は、何様のつもりかね?」

ぎらりと、欲深い目がじっとこちらを凝視する。

「ぐ…」

何のための会議だ、世間話なら個人でしろよ!という私の意見は勿論いえるはずも無く、結局何も進まないまま今日の会議も終わってしまった。
ほら、また陛下が私を見ている。何とも申し訳なさそうに。

「はぁ…」

ため息も出るというもの。

「お疲れ様です様」
「うん、お疲れだよ…全く…この世界はいつ滅んでもおかしくないな…」
「…そうなのかもしれません」

アレクセイは沈んだ声を出した。
私は空を仰いだ。
散々心の中で彼等を罵ってはみたものの、どうも消えない苛立ちに再び溜息を吐いた。そして、ほぅら真面目に仕事してる、と自嘲した。自然にサボれない人間もいるのだ。だから自分に今日はサボる日、この仕事をしたらちゃんと休む、と言い聞かせて気を抜く。

「今回の会議の書類をまとめますので、私はこれで」
「うん、よろしく。まとめ終わったらデスクの上に置いておいて。大した内容じゃないけどね、一応」

アレクセイは苦笑した。



「はぁ」

アレクセイと別れて、ぶらぶらと歩く。いつもなら「またサボりですか、仕事してください」と言われるのだが、今日ばかりは彼も文句を言わない。私が資料作成に何日も費やしたのを知っているからだ。それを無碍にされたのだから、ストレスで爆発しそうだ。
毎回ストレスが溜まるだけ溜まって、発散できないままフラストレーションが体内で暴走する。ひとりの人間として生きている今、私にできることなど限られている。戦争の類は私の関するところではないが、住み良い街にすることは私に出来る限られた仕事だと思う。だからこそ私は真剣に取り組みたいのだ。
下町に行く元気もなく、しかし騎士団本部に戻るのも気が乗らない。貴族街を当てもなく歩く。
貴族街の遊歩道にはこの時期バラが植えられている。そのバラに向かって「あーくそったれ」と悪態を吐いていると、後ろから妙な気配が近づいてくる。妙ではあるが、嫌な感じはしなかった。寧ろ心地のよい気配だ。

「すみません」
「はい?」

声をかけられて振り返ると、そこに立っていたのは…そうだデュークだ。そして一人のクリティア人。恐らくこれがエルシフルなのだろう。なんと優しい気配の者だろうか、それでいて威厳の有るしゃきっとした人物だ。流石「統べる者」だな、と感心していると、彼は更に近づいてきた。

「こんにちは」

きりりと精悍な顔立ちだが、笑うとふんわりと優しい。

「こんにちは。…私は=ルーベンスです。一応騎士団の隊長をしてます」
「そうですか。ご丁寧にどうも」

彼はぺこりとお辞儀をした。おやと思った。まさかそれほど深く腰を折るとは思っていなかった。彼ほどの者が。

「はじめまして。私はエルシフル、こっちはデュークです」

デュークの愛想のない会釈に苦笑しながら、私は用向きを尋ねた。すると、彼は言い淀んだ。

「ええ。ここでは、ちょっと…」

変なことをしただろうかと、先生に叱られる子どもの心境だった。いやいや、私はいたって善良な…スケベだけれども、ちょっと鼻血出すくらいで、別に世界を揺るがすようなことはしていない筈、である。



人気のないところまでやってきて、漸くエルシフルは口を開いた。

「貴方の気配が、人のものではなかったので、気になって声をかけたんです」
「はぁ、そうですか」

第六感が優れている生き物には私の存在が分かるらしい。そのたびに私が人間ではないのだと思い知らされる。ほんの少し気持ちが沈む。
気になって声を掛けてくるのは良いのだが、本当にそれだけのことだろうか。わざわざ話し掛けてくる必要性は?聞き耳を立てる者もいないだろう。このデュークという男は未だに有名らしい。最近まで騎士団に居たというのは、アレクセイに聞いた。
いかに噂好きの貴族たちも、わざわざ関わりたくないだろう。疑念が確信に変わる。厄介事を持ってきたのだ。

「…エルシフル」

静かな声だった。横にいたデュークがエルシフルの名を催促するように呼んだ。嫌な予感がする。鼓動が煩く耳の近くで聞こえる。それなのに血液はどんどん下へ下がって、熱が急激に冷めていく。
そんな機能、私には無い筈なのに。心臓は最近やけに煩いから止めていることが多いし、今だってそうだ。それでも時折こうやって人間らしい感覚が私を襲うのだ。

「ああ、分かっている」

そうデュークに返し、エルシフルは私に向き直った。

「貴方なら、今この世界の状況について分かって頂けるのではないかと思いまして」

ほぅら見たことか。私の中で誰かが言った。確信は当たった。

「…確かに、この世界の直面している問題について、知っているつもりです」

ぱぁ、と表情が明るくなる彼等の顔を見て、私はどうしようもなくやるせない気分になった。彼等は私に協力を仰いでいるのだ。

「…私は何か事を起こす気はありません」
「何故…お前の力は…」

デュークは淡々と私に問う。俯いたまま、私は何も言えなかった。
私は現状、これ以上のアクションは取れない。今だって、どうにかしようとしている。さっきだって、危険性についてレポートを出してきたばかりだ。だが。何も進まない。説得は出来ない。ならばもう後は力を振るうしかない。いっそ、壊して回るか?いや、そんなことを突然したら、混乱が起こる。
デュークの言う事は尤もだ。私には力がある。この状況を変えられるかもしれない。しかし私にはどうすることもできない。仕方ないのだ。言い訳の言葉が浮かんでは消えでいく。

「デューク、話を…、話を聞きましょう」

身を乗り出して私に食って掛かるデュークを制して、エルシフルは私に向き直った。私だってこのまま何もしないまま居るなんて辛いのだ。それでも拒む理由が、私にはある。
彼に促され、私は重い口を開いた。

「私の力は強大です。それこそ私一人の力でこの世界を滅ぼせる程度には」
「それは分かります。しかし貴方は今人として生きているのでしょう?それならばその力を…」

この世界のために使えるのではないか、だろうか。
彼の縋るような声に胸がきしりと痛んだ。そんな簡単なことではないのだ。この私のカラダ、力は。
私も何かをしたい。でも拭えない怖さがある。決断力があったなら、もっと折れない強い心があったなら。きっと私はこの力を「平和」利用できただろう。

「私はこの世界の者ではない。この世界のことはこの世界の者が解決するのが、良いでしょう…」
「ですが、」

ペラペラと口が勝手に動いていく。こんなの詭弁だ、分かっていても、もう止まらなかった。
大きすぎる私のこの能力は、いつか何かを滅ぼす力になってしまう、そんな恐怖が常に私の中にある。怖いのだ。私がいつかこの力に溺れてしまうのが。人の一生ではない。もっとずっと長い時間を過ごしていくうちに、変わってしまうのが。それは有限の命を持っている彼らに言っても理解してもらえないだろう。

「私はこの世界を動かすことができる。貴方の頼みを聞き入れてしまったなら、私は貴方側の勝利を導いてしまう」

それはこの世界の支配者になってしまうということだ、と私は思っている。

「この強大な力を持った私は、自分の力に驕りを持ってはいけない。この力によって、成功したらいけない。だから傍観者でいなければならない」

なぜならこの力を授けてくれた少年、ジンは言った。僕たちのこの身に成長は無い。変わるときは劇的に変わる、悪が正義に、聖人が破壊者になることだってあるのだと。
実際にそうなったのを見たことがある。私はジンのカラダを株分けした、その分離された一部に の精神を埋め込まれ、存在している。だから彼のカラダに刻まれた記憶を一部引き出せるのだ。そしてその記憶の中に、世界を滅ぼした記録もある。なんの感慨もなく、ただ何となく人々が死に絶える、そんな情景を、私は記憶として見た。今のジンでは有り得ない。でも当時のジンはやってのけた。
私だって、例外ではない。万が一私が唐突に破壊者になったら、そう思うと身が竦むのだ。

「エルシフル…正義とは何だと思いますか?何が、正しいか、あなたは分かりますか?私には分からない」
「それは…」
「この世界の者が、自分の正義のために力を振るうのなら、もし反する意見があったとき対等に争える。でも私はそうはいかない。私の意見は通りますよ。100%、絶対に」

力なく言った。

「私は怖いんです。選び取るということは一方を捨てると言う事。だから私は協力できません」
「それで、後悔することになってもですか?」

はっとした。エルシフルの目は、私を気遣う色があった。私は彼への返答を言葉に出来ず、俯いたままこくりと頷いた。

「私は、怖いんです。選び取ってしまうのが、その選択によって、自分が、変わってしまうんじゃないかと、」

すみません、と呟いた声は震えていて、情けないことこの上なかった。

「いえ、こちらこそすみません。貴方の強大な力をもってすれば何か変わると思っていました。でも、」
「でも?」

顔を上げると、先ほどと変わらない柔らかい優しい笑みを湛えた彼がいた。

「あなたは、ただの一人の人間に過ぎなかった」
「エルシフル…」

心配そうにエルシフルの名を呼ぶデューク、二人の間の確かな信頼が見えた。
私もいつか、彼のようになれるだろうか。歳ばかり食っていく私だけれど、無力な人間だったあの頃より、何か変わることが出来ているだろうか。

「エルシフル、ありがとう、ございます…」

きっと他の人が彼の言葉を聞いたなら、憤慨していたかもしれない。それが私にとっては救いの言葉にも聞こえた。私は人間、ただの人間なのだと、それだけの言葉が私の心を少し楽にした。誰よりも自分が人でないことを受け入れられないでいる。
思わず涙をこぼしてしまいそうになる。ぐっと堪えた。

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