***



端話

***


 9


あーーおいしかったぁ!そして久々に下町の皆と会ってバカ騒ぎをした。小さなユーリも可愛いったら!
まだまだ幼いのに、剣術を教えてほしいというユーリに木剣を作ってやれば、楽し気に振っていた。仕事でも剣術指南、息抜きでも稽古は少しつらいのだが、あの可愛い顔に請われ、優しいマリアの声でお願いされれば断れない。
結局夜まで離してもらえなかった。

塀を飛び越え中へ入り、こそこそと自室へ戻る。

「ファイアーボール!」
「わ」

びっくりした。声に驚いたのではない。魔術の術式が展開されると、空気がざわつくのだ。理論は分かるのだから、こちらの魔術を使えば良いのに、使わないのはこういう訳だ。これが色々と引き金になったのを覚えていた。まだ魔物たちの動きも活発でないし、そこまで鬼気迫る感じではないようなので、放置している。とはいえ、エルシフルが動いているのだから、それほど良い状態でもないのだろう。初めて会った私に協力要請をしてくるくらいなのだから。

「くっそ…」

悪態が聞こえる。こっそりと近付いて木の陰から様子を窺う。
シュヴァーンだ。もうすっかり名前が定着した。元々そちらの方が馴染み深いのだ。
彼は手を伸ばすが、炎は出ない。ゲームでは魔術をよく使っていたので、苦手そうなイメージはなかったのだが。いや、使える種類は多くなかったが。
こんなことなら、あの時教えてやれば良かった。かなり切羽詰まったお願いだったのかもしれない。
とぼとぼと木に歩み寄り、どかりと座り込んだ。頭を抱えている。そのまま立ち去るのが良いのか、顔を出すか。もしいつもこの時間にこそ練をしているのなら、いつか見つかって咎められるだろう。貴族どもに付け入る隙を作りたくない。

「シュヴァーン、何してるの?」

大きく彼の体が跳ねる。

さま!す、すみません!!あの、…寝付けないので、散歩を…!!」

大きな声で彼がそう言うので、口元に人差し指を持っていき、シーとしてみせる。彼はむぐ、と口を自分の手で塞いだ。

「言い付けたりしないから。私も常習犯だしね。見ての通り」

にっこりと笑いかけると、ほっと彼は胸を撫で下ろしたようだった。

「術、練習してたみたいだけど…」

隣に座り、居住まいを正してからそう問い掛けると、彼は焦ったような顔をして俯いてしまった。

「…はい。全然できなくて…その」
「出来ない奴は、皆辞めていったよ。でも君は辞めてない。大丈夫、きっと出来るようになるよ」

そう言うしかなかった。辞めろということは私には出来なかった。一番悩んでいるのは彼だろう。そう思ってのことだったのが、彼は逆上したようにこちらを睨みつけてきた。

「でも出来なかったらいつか、辞めなければならなくなる…!」

そう言い切ると、彼ははっとしたように目を見開き、顔が青ざめていく。何かを言おうと口をまご付かせるが、上手く言葉が出て来ないようだった。落ち着かせるために、頭を撫でようとして、しかし手を下ろして肩を叩く。頭撫でるのってセクハラだろうか。この前撫でたけど。
彼は「生意気言ってすみません」と言ってきた。

「私は気にしない方だから。シュヴァーンも気にしないで良いよ。それに、なんか分かるよ。君の気持ち」

アンタに何がわかる、なんて言葉は出てこなかった。彼はじっと聞いていた。多分心の中では思っている。

「出来ないことがあるとさ、なんていうか、できない自分が不甲斐なくてイライラして周りに当たっちゃったりするよね。なんで出来ないんだろうって、大丈夫だって言ってくれるけど、どうせお前は出来るからそういうこと言うんだって、皆が成功者みたいに見えちゃってさ、焦るよね」

俯いているため彼の表情は見えないが、雰囲気で泣きそうになっているのが分かった。「すみません」と小さな声で言うので、今度は頭を優しく撫でてやった。悔しくてたまらないのだろう。
しばらくそうやっていると落ち着いてきたらしく、彼は顔を赤く染めた。

「あの…」

シュヴァーンはこちらを覗うようにちらちらと見る。躊躇いがちな視線に私がしっかりと目を合わせると、彼は恥ずかしそうに目を逸らした。

「頭…」

とシュヴァーンは呟いた。

「あ、ごめん、つい…」
「あ、いえ…お陰で落ち着きました」
「それなら良かったけど…ああ、練習戻っても良いよ」
「はい!」
「あ、これ使って。髪、鬱陶しいでしょ?」

と言うと、シュヴァーンは首を傾げた。しかし私の手の中にある物を見て、納得したようだ。
少し考えるそぶりを見せたが、すぐに私の手から差し出した髪紐を受け取った。

「有難うございます」
「いえいえ、お古で悪いけどね」

曖昧にほほ笑んで、シュヴァーンは髪を結んだ。下目で結ばれ、普段見えない頬や耳の形が見え、少しどぎまぎする。綺麗な首筋だ。
何を考えているのだ。確かに推しの普段に無い姿を見ればテンションも上がるというものだが、彼は真剣に取り組んでいるのだ。それに彼はゲームのキャラクターではない。実際に存在する生身の人間だ。そして部下だ。贔屓をするつもりはない。
邪念を頭の隅に追いやり、私は木に凭れ掛かった。
どうせ人ほど睡眠を必要としない体だ。しばらく付き合ってやろうと、彼の練習を見ていた。

「魔術の何が難しいの?」

そう尋ねると、シュヴァーンの目が半目になった。慌てて言い直した。立ち上がって、彼に近づく。

「いや、責めてるんじゃなくて…どういうところが難しいと思ってるのか分からなかったら解決できないかなぁ…なんて…」

どこが難しいところかな?と聞くと、しばらく考えてから彼はぽつりと「構築式を組むのが難しい」と答えた。

「どう難しい?理解できないってこと?それとも、覚えられないとか…あとは、なんだろ」

うぅん、と二人で頭を捻って考えていると、シュヴァーンは小さな声で「あ」、と言った。どうした?と聞いたら、シュヴァーンは術式が複雑すぎると言った。

「多分ちゃんと覚えられてなくて、咄嗟に出ないんだと思います」
「そか。じゃあさ、まずは書いて覚えてみる、とかどうだろ」
「書いて?」

人差し指を立ててそう提示すると、首を傾げて此方を覗き込んでくる。可愛いなぁ、と思わずほっこりしてしまう。

「そうそう。覚えるコツは、「書く」「読む」「聞く」だからね。とりあえずやってみて、それで無理だったらまた考えよう。それに詠唱のほうは適当でも良いよ。別に言葉に連動してるわけじゃないし。究極、えーい!でも発動するから」
「はい!やってみます!ありがとうございます」

***

昨日サボったせいで、今日はアレクセイの監視が厳しい。
シュヴァーンはあれからどうしたのだろうか。もう少し頑張ってみます、と言う彼を残して、私は途中で抜けたのだ。

様、新人育成の現段階の報告書です」
「お疲れ様〜。ありがとう。こっちの山に乗せといて」

もう夕方だ。空が真っ赤に染まる時間。感覚的に烏が鳴いたら帰ろうという時間だが、仕事が山積みの為そうも言っていられない。積み上げられている書類を手に取って読んでいく。大体はしょうもない報告だ。読み終わればこれに判子を押していかなければならない。読みつつ押しても良いのだが、流れ作業のほうが効率が良い。直ぐに判を押せるもの、時間がいるもの、却下案件。山を崩し、新たな山を作っていく。

アレクセイも報告書を持ってきたようだが、それを渡しても彼は部屋を出て行かない。そして話し掛けても来ない。これはどういう事だろうと顔を上げると、なんとも微妙な顔をしたアレクセイがじっとこちらを見ていた。
なんか粗相でもしたかな、と冷や汗をかいたがどうも違うらしい。彼は私から視線を外して溜息をこぼした。それは何と言うか、失礼じゃないだろうか。怒りの沸点は高い方だが、それにしてもうちの隊員は無礼講過ぎるような気がする。畏まられても困るのだが。

「どうかした?」
「いえ、あの、シュヴァーンが今日…」
「出来た?魔術発動しないって、昨日夜に独りで練習してたみたいなんだけど」

アレクセイの持ってきた書類に目を通す。順調に新人たちは力をつけているらしかった。私も演習に顔を出したいのだが、最近は会議が多いのでそんな暇がない。魔物たちの動きが活発化しているため、対策をと会議漬けだ。あまり身の無い会議なのだが。

様が何かしたんですか?」
「うん?ちょっとアドバイスを…って、もしかしてなんかヘマした?」

何も知らない私がアドバイスなんてしたから、もしかして何かあったのだろうかと不安になった。一度書類から目を離してアレクセイの顔を見ると、怒った様子はないので大丈夫だったのだろうとは思うが。アレクセイは本気で怒った時こそ表情が読みにくい男だ。

「いえ、ちゃんと術が発動したんですよ。私が教えても全然駄目だったのに」

なるほど、そう言うことかと納得した。どう声をかけてやるべきか、書類をめくりながら考える。
部屋には、ぱらぱらと紙がめくれる音だけがする。

「アレクセイ君ってさ、大体のことは何でも出来るでしょ。勿論努力をしていないわけでもないんだろうけど、理解が早いというか、道筋が見えるというか、」
「そんなことは…」

恐縮したように言うが、満更でもないようだ。優等生で先生から好かれる委員長タイプ、というのがアレクセイの印象だ。普通・一般・並、の三拍子が揃った私からしたら実は妬みの対象だったりする。付き合ってみれば、どうといったことはない傍にいて疲れない良い友人なのだが。

「できる奴にはできない奴の気持ちは分からない。貴族と違って教育機関が発達していない平民にとったら、文字を読むだけでも一苦労」

シュヴァーンはもしかしたら違うかもしれないが。それを今アレクセイに言う必要はないだろう。
文明は発達してるのに、教育機関は寺子屋レベル。勿論普通に生活するには問題ないくらいの知識は下町の連中も有している。看板の文字は読めるし、計算だって出来る。だが魔術はそういう類のものではない。
論理は習わなければ分からないし、もっと世界の情勢について学ぶべきだろう。因みにこのことも評議会に何度も持ちかけているが、全くの無視。この国の行く末が心配だ。この世界が破滅してしまったら私は潔く違う世界にトリップするつもりだ。

とそこまで考えて、深く思考にのめり込んでしまい、書類と睨めっこしながらアレクセイを放っておいてしまったことに気付いた。慌てて彼を見るが、彼もまた黙って何か考えているようだった。こういう所は私と彼と似ているところなのか、私がどれだけ思考の渦に揉まれていても彼との会話に支障が出たことはない。
他の隊長と話していると、必ず聞いているのかと怒られる。騎士団長だけはちゃんと私の考えがまとまるまで待っていてくれる。声は嫌いだが、結構いい人だ。

そういえば、人間だった時はこんなに思考にのめり込むことは無かった、気がする。ちゃんと人間生活送れていた筈だ。聞いてるのかと言われることは…無かったとは言わないが、それは聞く気がなかっただけで、話の流れにちゃんと乗れていた。
確かに、私がこんなに考え込むようになったのは自称、自称神に勝手に転生させられてからだった。それだけ情報量が多いのだろう。

「彼に何と言ったのですか?」

アレクセイをじっと見ていると、彼はふと口を開いた。

「ん?術式を紙に書いて覚えろって言っただけ」
「それだけですか?」
「あとは詠唱は適当でも良いよって言ったかな」

そしてまた彼は考え込む。彼がまた話し出すまで書類と睨めっこしていようと、書類を取っては置き、取っては置き、そして判子を押していくことにした。結局アレクセイは何も言わずに部屋を出て行ってしまった。彼は研究者タイプなのだろう。暇があれば、思いついたことを紙にまとめているようだ。それを見たことがあったが、複雑な術式が紙いっぱいに書き込んであった。
ふと、先ほどの彼の行動がとても無礼だということに気が付いた。

「挨拶、も無しかよ。いや、良いけどさ、別に良いけどね!」



アレクセイが出て行って直ぐに、ドアがノックされる。この気配はシュヴァーンだな。

「どうぞ」

そう言うと、ドアがゆっくり、というよりもおずおずと開かれた。

「失礼いたします!アレクセイ様より預かりました書類をお届けに参りました」
「いらっしゃい。おめでとう、魔術成功したって…え」

書類から顔を上げて歓迎するが、彼の顔を見た瞬間に何もかもが吹っ飛んだ。そういえば、いつもより覇気のない声だった。

「す…凄い顔だけど、どうしたの?」

目の下の隈が酷い。

「もしかして昨日の晩ずっと術式覚えてた…のかな?」
「はい。早く成功させたくて…」

負けず嫌いか!いや、うん、負けず嫌いなのだろう。
シュヴァーンの肌は少し浅黒いのだが、それでもはっきりと目の下には隈があり、元々纏まらない髪は更にはねており、そして、なによりげっそりしていた。シュヴァーンが魔術を成功させたことよりも、もっと気付くところはあっただろう、アレクセイ。なんだ、天然なのか、あいつ…。

「とりあえず今日の夜勤誰かに代わってもらおう。早く寝た方がいいよ。マジで死相出てるから…!!」
「え、でも任務を放棄するわけには…それに大丈夫です。顔に出やすいだけで、徹夜は慣れてますから」

      慣れてても駄目だ!

と、ツッコミをいれたかった。彼の持っている提出書類をひったくり、小声で、しかし強い口調で彼に言う。

「これは命令です。休みなさい!」

そう言った瞬間、シュヴァーンの体は傾いていった。床と仲良しになる前に彼の体を支え、私の部屋のベッドに寝かせる。
私の方は一週間くらい寝なくとも、人間のようにこんな風にはならない。それに今日は元々書類を一気に片付けてしまおうと思っていたところだ。ベッドを占領されても問題は無い。
それよりもシュヴァーン自身の部屋に背負って連れて行くほうが面倒くさい。大勢にじろじろ見られるに決まっている。貴族に何を言われるかも分からないので、これが最善の策だと思われる。

ベッドで寝ているシュヴァーンは全く目が覚める気配が無い。よっぽど疲れていたのか。頬を撫でると、彼の体温が普段より、2度6分ほど高いことが分かった。
彼の平熱は少し人より高く、36度8分程だ。39度も出ればふらふらだろうに、誰も気付かなかったのか、気付いて進言しても適当にあしらわれたか。恐らくは後者だろう。イエガーがこんな状態のシュヴァーンを放っておくはずが無い。イエガーは変なところ、押しに弱い部分があるので、簡単に押し切られたに違いない。

ドアに架けてあるプレートを「外出中」にしてからイエガーの部屋のある塔に急ぐ。渡り廊下を歩いていると見慣れた顔があった。

「イエガー、ちょうど良かった」

イエガーを呼ぶと、彼は走ってやって来た。ふわりと良い匂いが漂ってくる。髪が少し濡れている。風呂に行ってたのだと用意に推測できた。宿舎にも簡易のシャワー室があるのだが、大浴場の方へ来ていたようだ。

「…もしかして倒れました?」

うんと頷くと、イエガーは物凄く申し訳なさそうに項垂れた。

「あいつ頑固だから止められなかったんだろう。執務室で倒れたもんだから、運ぶの面倒で私の部屋に寝かせてる」
「はい…申し訳ありません」
「気にするな。騎士たる者、自分の健康管理くらい自分でしないと。っていうか、もう10代も後半だ。それくらい自分でできるだろうに…一つだけ頼まれてくれないかな。折角風呂に入ったのに、悪いんだけど」
「いえ、大丈夫です。夜勤代わりますね」
「いや、それは流石に…」

彼は今日日勤だ。つまり夜勤をさせると、…考えたくない連続勤務時間になる。そして夜勤が二日続くことになる。

「確かヘラルドが休みだから、彼にお願いしてきて貰えるかな。彼は明日休みを取らせるよう、そっちは私が小隊長に伝えておくよ。あと、着替え頼むね」
「はい、承りました」
「お願いね」

同期で、元同室の彼なら、シュヴァーンも後々対応しやすいだろう。イエガーも隊服に着替えなおして頼みに行くこともない。これで良しとしておこう。余り私が動いても恐縮するだろうし。



自室に戻ると、部屋を出たときと同じ体制で彼は寝ていた。汗でびしょびしょになった服を脱がし、先ほどイエガーに持ってきて貰った軽装を着せる。額に玉のような汗が噴出しているので濡れタオルでそっと拭き取り、水洗いしてから再び額にタオルを乗せた。

「はぁ…なんか、私ってよく誰かの看病してる気がする。気のせいかな」

私の体は滅多に不調にならない。というか本来ならばなる筈がないのだ。だから割合的に私が人の看病をする確率は高いのだから、当然といえば当然なのだろう。
ここは環境も整っているし、風邪で死ぬことはないと分かっていても、人が倒れたりすると心配になる。薬だってある、衛生的な寝る部屋も、食事も水も問題ない。だから大丈夫なのだと言い聞かせる。

彼をひとり部屋に残してデスクのある執務室に戻り、書類に手をつける。サボりがちとはいえ、本当に仕事をしなければ只の穀潰しだ。手は抜けない。
パラ、パラ、と紙の捲れる音が静かな部屋の唯一の音だった。外は既に真っ暗で、大きな月が部屋を照らしていた。
そろそろタオルを変えたほうがいいかもしれない、そう思い立ち上がった。ぐっと体を伸ばしてから自室に入った。
タオルはもう温まってしまい、意味を成していない。汗で張り付いた髪を掻き分け、絞りなおしたタオルを額に乗せた。どうせこれも直ぐに温くなるのだろう。氷枕でも作ろうと、少し彼から離れた。
氷は貴重品なので、一般に氷枕は存在しない。私の一つの能力として、「これまで巡ってきた世界の物品を収納している籠」なるものがある。そこに入れてしまえば、時間が一切進まないという優れものだ。別にその場で作ってしまえるのだが、そこはイキというやつだ。そこから枕を取り出し、氷は作り出して入れる。

眠っているシュヴァーンを見る。眉間にしわが寄っている。汗を拭いて、枕を敷くと、少しだけだが、表情が柔らかくなったような気がする。
彼は自分のことに無頓着なのだと思う。死んでも構わないと思っていそうだ。死にたい訳ではなさそうだが。
彼を大事に思う人間の心配も、気付いているのかいないのか。兎に角自分の生すらも面倒に思っている。その割には、騎士団に残ることに執念すら感じる。こんなキャラだったろうか。他者を信頼していないような気質はあったが、もっと自分勝手な青年だったように思う。曖昧な記憶だ。

「もっと人に頼ってもいいのにな…」

その言葉は部屋に寂しく響いた。




BACK    NEXT