夏休みに入り、一週間程が経った頃。はどうどうと滝のような汗を掻きながら食堂に向かっていた。

「死ぬ、これは死ぬ」

ほんの少し歩いただけで、満身創痍になったは己の死の宣告を行いながら全身の力を振り絞って一歩一歩前に足を動かす。一度立ち止まれば動き出せない。そう覚悟を決め、必死に足を踏み出し続けた。

やっとのことで食堂にたどり着いたは、一息吐いた。

「うわ、さん、般若みたいな顔になってるっスよ」

と涼しげな爽やかオーラを振りまいている男は明るい声で言った。はツッコむ気力もなく、脱力した。

「君は…い、も元気そうだ……じ…はアンド、イド?」

は呂律の回らない口でそう告げた。

さん、早川先輩みたいになってる…!」

黄瀬はのただならぬ様子にわたわたと慌てた。

「えっと、大丈夫、じゃないっスよね、で、えっと、えと」

は黄瀬の足に蹴りを入れた。

「うっ」
「でか犬がわたわたすんな、……暑、苦…」
「ひどっ…!」

はぜぇぜぇと肩で息をしながら、黄瀬の腹の辺りを見つめた。上を向いて黄瀬の顔を見る気力はには無かった。

「何一人でわたわたしてんの?黄瀬暑さにやられたか?って、うっわ、ちゃん大丈夫?」

森山が出入り口付近で一人会話をしているように見えた後輩を心配して、やってきた。は黄瀬にすっぽりと隠れていたのだ。

「水飲んで。はい、扇ぐよ」

森山は自分で飲む用に汲んでいた水をに差し出し、ハーフパンツに差していた団扇でを扇いだ。

「森山先輩、は、天使です…」

クーラーの涼しい空気が団扇によってに向かっていく。

「え?ありがとう、でもあんまり嬉しくない。紳士とか言っとこうよ」
「突っ込みませんよ」

普段はノってやるが、そんな余裕は無い。は辛辣に一蹴した。

「あはは」

森山はそんなを責めることをせず、笑った。

「すみません」
「良いよ」

が恐縮層にそう言うと、森山は優しく笑った。

「ハグしてくれたら許す!」
「なんスか、それ!」

が反応するよりも先に黄瀬が声を上げた。

「もう少しして、この食堂が寒いと感じられるようになったら考えます」
さん!?そんな安請負したらだめ!」

黄瀬はに抱きついた。ぐりぐりと顔を肩に押しつけるので、黄瀬のサラサラの髪がの頬をくすぐる。暑い、とは黄瀬を引き離した。その間も、森山はを扇いでいた。

「今、ちゃんは頭回ってないと思うよ」
「人の弱味につけ込んで!」
「策士と呼んでくれ」
「最低っス!」

黄瀬はを庇うように、ずいと前へ出た。は茶番だな、と思った。なぜなら森山が悪戯に成功した子供みたいな顔をしていたからだ。

「森山さんは、その黄瀬くんの反応を見たいがために言ってる気がする…」
「なんだ、ちゃんと頭回ってるんだね、良かった良かった」

森山がの頭に手を伸ばすとは自分の頭を守るように、腕を構えた。

「だめです、汗だくだから!」

森山は、それに構わずの髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。

「あー…」

は声を上げた。

「うぅ…二人のその独特な空気よく分かんないっス…」

黄瀬は脱力した。

「ちょっとマシになりました。ありがとうございます。水はあとで持っていきますね」
「良いよ、別に。自分で取ってくるし」

そう言って、森山はからコップを取った。

「あ…」
「ん?」
「え、いや…」

(間接キスじゃね?)

は咄嗟に思ったが、森山が気にしていないのなら、言う必要もないかとは押し黙った。

「森山先輩、それ間接キスっス」

(ばか黄瀬)

は悪態を吐いた。

「ん?ああ、そういえば。ちゃん気にする?」
「いえ、別に。回しのみとか全然気にしないタイプです。いや、人によりますけど」
「そっか」

森山は、のことを妹のように思っていた。だから、優しく頭を撫でるよりは掻き回すし、格好良く微笑むよりは、悪戯っぽく笑う。黄瀬はその様子を見て、頬を膨らませた。

さん、ちょっと待ってて」
「おう、」

は首を傾げて、森山を見た。森山も不思議そうにを見返した。たたた、と黄瀬がのもとに駈けてきた。

「ん」

と黄瀬はコップを差し出した。と森山はきょとんとした顔をして、そして顔を見合わせた。

「黄瀬は、友達イベントに敏感だなぁ」

は黄瀬のコップを受け取り、口を付けた。

「はい、ありがと」
「はいっス」

満足そうに黄瀬が笑うので、二人は何も言わずに苦笑した。

ちゃん、今日は弁当?」
「はい」
「そっか、俺らの席、いつも通り一つ空きあるよ」
「ご一緒させて頂きます」

そう言って、は森山に着いていった。



**



「おじゃまします」

3人はコップに水を満たしてから席に着いた。空いているのは笠松の正面だった。会釈すると、笠松が一瞬ぴくりと固まった。

は相変わらずだなぁ、と思いながら座った。

「あ、笠松、誕生日おめでとう、俺からのプレゼント、」

そう言って森山は自分の皿の上にあった肉団子を一つだけ笠松の皿の上に置いた。

「おめでとう。俺の気持ちだ」
「お、も!」
「おめでとうっス!言ってくださいよ!何か用意したのに…」

森山のマネをして、皆が笠松の皿に一つずつおかずを置いていく。

「お前らな…まぁ、ありがとう。お前らからは何の期待もしてねぇよ」

は、出遅れたと思いながら、自分の弁当箱を見た。手を付けていないのは肉じゃがだけだ。

「おめでとうございます。……どうぞ。少しだけですが…」
「え?いや、悪いし…」

笠松は恐縮して、手を振った。は笠松のその様子にぴたりと固まった。差し出した手はあともう少しで笠松の皿の上に到達するところだった。じっと笠松を見て、受け取ってくれないんですか、という視線を送った。笠松もそれを感じ取り、困ったように笑った。

「ありがとう…」
「はい」

止めた手を再び動かし、アルミホイルに入った肉じゃがを置いた。

「良かったな、お前肉じゃが好物じゃん」
「…………まぁ、その…ありがとう…」
「いえいえ」





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