にとって黄瀬は、馬鹿な友達だ。だが、試合を見れば彼は優れたプレイヤーで、雑誌で見ると彼は人気モデルだった。
刹那的
秋。少し肌寒くなり、衣替えで再びブレザーを着る季節が来た。流石、私立の高校のブレザーは着心地が良かった。
そんな日、は学校にカメラを持ってきていた。モノクロのフィルムが入った一眼レフだ。普段は学校にカメラを持って来ることはない。学校では現像するだけだった。だが、今日は何となく写真が撮りたい気分だった。
そのカメラを提げて、は校舎を歩き回った。そうして、気になった物を収めていった。
屋上より低い位置、しかし屋上のように開けた場所があった。天文部が、観察をするための場所だ。そこは屋上と違い、鍵がかかっていない。そこで景色を撮ろうと、は向かった。だが、ふとフィルムの枚数を確かめると、もう少しで切れそうな気がした。
フィルムを替えるため、は日陰になっている場所に向かった。フィルムは市販のものでなく、手巻きだったので、完全に遮光されているかというと、不安だった。だから、少しでも日の光を避けられるところが良かった。
(あれ?)
は思わず隠れた。そこにいたのは、見慣れた金髪の男。部活はどうしたのだろうと、は思いながらも、そこから動けずにいた。
「撮りたい」
と思った。衝動がこみ上げる。声をかけてしまえば、彼の表情は崩れる。今、この瞬間の彼を撮りたかった。
風がそよぐ。綺麗な金糸がキラキラと光って、風に流れる。時折鬱陶しそうに髪を手で押さえる。それが妙に様になっていた。は夢中でシャッターを切った。
(結構大きい音するんだけど…)
シャッター音に気づいていないのか、気づいていて無視をしているのか、彼は振り返らなかった。
レンズを手早く替え、また撮る。
(本当に気づいてないのかな…っていうかこれ、盗撮か?)
と心配しつつも、どうせ巧く撮れているかどうか分からないのだから、成功したときに言えばいいかと、は言い聞かせた。
は撮りたい物を撮る。にとって、黄瀬は今この瞬間「人」ではない。ただの被写体だ。
は一心不乱に写真を撮った。
丸々一本フィルムを使い切ってしまった。
は一つの物を何枚も撮るようにしていた。部員は一人なので、どうせ備品は全部の物だ。
の持っているカメラは自動フォーカスではない。手動でピントを会わせるので、若干ボケることがあった。
それに、露出の問題もある。露出とは、絞り、シャッタースピードによって決定される。それら二つを調整し、適正な光をフィルムに照射しないと、良い写真は撮れない。
だから、それらを微妙に調整しながら、何枚も撮る。その内の一枚くらいは良い物が写っているだろうということだ。
写真を撮るのには集中力がいる。は息を吐いてカメラを下ろした。そして、再び手早くフィルムを替えた。流石に二本目も黄瀬で覆い尽くすわけにもいかない。今日の持ち合わせは今入れたフィルムで最後だ。家に帰って撮りたい物もあったので、はその場を去ろうとした。そのとき、おもむろに黄瀬がこちらを見た。
「あれ、さん」
はまずい、と思った。本当に気づいていなかったらしい。
「あ、カメラ持ってる!」
「え、ああ…うん」
黄瀬は緩やかな笑みを浮かべながらの方に歩いてくる。
「フィルム入ってる?」
「うん、入ってるけど」
「じゃあ、俺撮ってよ!」
「……………………いや、だって黄瀬君モデル顔すんもん」
は咄嗟にそう言った。
「えー…良いじゃん、モデル顔でも!だって、モデルだし!」
黄瀬は頬を膨らませた。
「私、もう帰るし」
「そんなぁ…」
(やっぱり声かけたら、こうなるわな…)
「じゃあね、」
とは黄瀬を置いて帰った。
はやっぱり声をかけなくて良かったと思った。プロの写真家ならば、意識がカメラにあっても、あの表情を作り出せるかもしれない。だが、には無理だ。
モデルの黄瀬なら、写真集を見ればいい。が撮りたかったのは、気取った彼ではなかった。
正直な話、撮りたかったのは黄瀬ですらなかった。そこにいた青年、ただそれだけだ。
**
は突っ伏した。
「よ…………予想外にうまくいってしまった…」
は次の日に黄瀬の写ったフィルムを現像し、さらにその次の日、現像した。
あまり学校の設備がちゃんとしたものでないことと、が初心者であること、その二つの要素でフィルム現像の成功率はまちまちだった。はずなのだが、それが今回はうまくいった。
「いや、明るいところで見たらそうでもないかもしれない…」
黄瀬に何と言おうかと、は頭を悩ませた。罪悪感を抱えながら、は印画紙を定着液に漬けた。そのとき、ばん、と音がして扉が開いた。はしまった、と思った。鍵の閉め忘れだ。
液に浸けられた写真がじんわりと黒く染まっていく。かすかに何が写っているのか見える程度に黒くなった。
「さん、」
聞き慣れた声音。穏やかで甘い声だ。頼み事をするときの声。つまりは猫なで声のようなものだ。女のそれとは違い、甘く耳を犯す。
黄瀬がこの声をに使うことは稀だ。に黄瀬の甘えは通じない。だが、その希少さには耳を傾けてしまった。
「かくまって」
「閉めて」
黄瀬はそそくさと扉を閉めた。
「鍵、」
「あ、はい…」
閉ざされた狭い二畳も無い部屋。赤いセーフライトで、室内は照らされている。目が慣れないと、少し暗い。
「あ、れ、」
黄瀬が歯切れ悪く声を出した。梓は振り返る。
「これって、」
黄瀬が指を指した先、それは黒くなって、僅かに分かる程度の………
「ぎゃ
!!」
「ひぁ!?」
は思いきり叫んだ。それに黄瀬が驚き、声を上げた。は咄嗟に黄瀬に抱きついた。
「違うの!違わないけど!なんか絵になるなって思ったら勝手に手が…いや、巧くいってるか分かんなくて巧くできたら報告しようと思って、でも盗撮です」
捲し立てるように言った。
「……………………………………………ごめんなさい…」
「いや、別に良いスけど…」
絶対に引かれた、そう思った。ぐりぐりと黄瀬の胸に頭をこすりつけた。
に盗撮の自覚はあった、あったが、写真はにとって芸術の域。つまり、別に黄瀬が撮りたいと思って撮ったのではなく、芸術的に良いショットが撮れるから撮った。それは本能に近かった。青い空を見上げ、ああ、この綺麗な空を何かに残したい、そう思ってシャッターを切ったのと同じこと。
「別に黄瀬くんを撮ろうと思った訳じゃない…」
「ツンデレ?」
「……………うぅ…なんか、芸術的な、何か?話しかけたら絶対に違う、一瞬を撮りたい、残したいという願望が、っていうか、そういうあれでありまして、」
「残したいと思ったの?」
ぱっと体を離した。
「え!?………うー…いや、うん、美人だしね…」
「格好良いって言ってよ」
黄瀬が写真に手を伸ばした。はその手を掴んだ。
「え」
「薄いもんだし、そんなに有害ではないと思うけど、全く有害でないといえばそうでもないから」
黄瀬は首をかしげた。
「これ、薬品入ってるから…あんまり体に良い物じゃない、です」
そういって、竹ピンで水に浸けた印画紙をつまみ、水を張ったバットに入れた。
「そっか…ねぇ、これ、俺がドア開けちゃったからこうなったんスよね?」
「あ、うん…別に良いよ。鍵かけなかったのが悪いんだし」
「じゃなくて、これ、ちゃんと現像して俺にください」
からかいの声ではなく、真剣な声だった。そのことには安堵した。茶化されたり責められたりしたら居たたまれない。
「別にそれは構わないけど…写真だったらプロに撮って貰った方が綺麗だよ?カラーだし」
「なんか、さんが残したいって、思ってくれたの…分かるかも…多分、俺、こんな顔しろって言われても出来ないス…俺、こんな顔してるんスね」
いつもと違い、静かで穏やかな声だ。元々の彼はこんな風なのかもしれない、と思わせるほど違和感はなかった。
「………うん、いいよ。ちょっと待ってて」
失敗した印画紙をセットし、ライトをあてた。フォーカススコープでピントを確かめる。引き延ばしタイマーを切り替えたのを確認し、一度照射してみる。大丈夫だ。ライトが消えた。印画紙を取り出し、ピント合わせに置いていた紙をどけてセットする。位置を合わせ、たんっ、とスイッチを叩く。1,2,3、タイマーは高性能だ。時間ぴったりに光が消える。時計を確かめ、現像液に浸ける。竹ピンでゆるゆると動かす。カチ、カチと秒針が動く、カチ、竹ピンで停止液に浸ける。1分、次は定着液に浸けた。ほっと椅子に座った。
「終わり?」
「うん、5分くらい待って、水で水洗したら終わり。明日には渡せるよ」
はそう言って、竹ピンで印画紙をゆらゆらと液の中で泳がす。
「ふぅん…これ、ずっとしてるの?」
「うん、休み休みだけど」
「寂しくない?」
はそんなこと、考えたこともなかった。作業は一人の方がはかどる。
「別に…一人の方が好きにできるから…」
「そっか…」
そろそろ4分経つ。もうドアを開けても良いだろう。そのとき、黄瀬があまりにも静かなことに気づいた。は沈黙がそれほど嫌ではないので、沈黙を破るのはいつも黄瀬だった。
「そういえば何から逃げてたの?」
「分からない」
「ふぅん…」
茶化すべきか、否か、は後者を取った。
「誰にも見られない所に行きたかったんスよ」
「私も見てるけど」
「そうなんだけど……キャーキャー言われるの、嬉しいけど、疲れる時、あって…」
「なんで」
「え、いや…」
黄瀬は言いよどんだ。はすぐに突っ込んで欲しくなかった所かと気づいた。
「…………社交辞令だよ。別に知りたいわけじゃないし」
「そ、うスよね…」
また沈黙。水音だけがその部屋の音だった。
黄瀬は馬鹿なことは言うが、滅多に弱音を吐かない。だから、は想像するしかなかった。
は黄瀬は気を張っているのだろうと思っていた。ファンの子に応えるために、モデルの自分を作り出しているように見えた。
彼は時折、無表情になって、何もかもがつまらなさそうにしている。それが彼の本質とするのなら、さぞかし疲れることだろうと。
全て想像だ。
「私の知ってる黄瀬君は、バカだ」
「うん」
「でも優しいと、思う」
「そこでデレんの?」
「デレてないし。むしろツンが私には無い!」
「どや顔ウザ!……つーか、アンタ大体ツンスよ」
そのとき、どんどんとドアが叩かれた。
「わっ」
は驚いた風もなく、声を上げた。
「先輩だ」
「抜けてきたんか!!冷静に言うな!」
は叫んだ。
「まだ、開けちゃダメなんスよね?」
黄瀬は立ち上がり、ドアに背中をぴったりとつけた。それは、まるで開けないでと、砦のように立っているかのように見えた。
座っているは普段よりも余計顔を上げなければならなかった。は黄瀬の顔は見ずに、ブレザーの第一ボタンを眺めた。だから、どんな顔をしているのかは分からない。
「もう大丈夫だと思うけど…」
そう言っては定着液から水洗するために、水を流しているバットへ印画紙を移した。
「他のは撮ってないの?現像してよ、そしたら開けなくて良いんスよね?」
名案、とでも風に黄瀬は高らかに言った。
はどんな写真があったか、と頭をひねった。
「撮ってるよ…………目のアップとか」
「目!?」
黄瀬は大袈裟にリアクションを取った。
「私、黄瀬君の目、好きなの。綺麗だから」
ゆらゆらと揺れる水面をぼんやりと見つめながら答えた。
「て、照れる!」
「なんで?色素、薄くて綺麗だと思うんだけど…」
そこで、は初めて黄瀬の顔を見た。
「きゃー………」
が何でもないように言うと黄瀬は顔を手で隠して、穏やかにきゃーと悲鳴を上げた。
「さんは俺の何処が好き?目、以外で」
黄瀬はこてんと首をかしげた。顔を覆った手の隙間から目を覗かせて、黄瀬は尋ねる。は間髪入れずに答えた。
「別に好きじゃないけど」
「そう言うと思った……ね、…もう少し匿って…」
「やだよ、」
可愛い子ぶんな、と思いながら、はドアを開けた。
「すみません、お待たせしました。なんか、黄瀬君具合、悪いらしいですよ」
「保健室行けよ…」
笠松は溜息を吐いた。
「………………………………………………まったくですね…」
BACK ◎ NEXT