呆然としているのも束の間。リタが私を睨み付ける。思わずきょろきょろしてしまう。間違いなく私を見ている。
そしてどうやら私に話があるのは彼女だけではないようだ。
私の背後に居るユーリ、睨み付けるリタ、そしてエステル。さらにレイヴンも何か言いたげだ。とはいえ私は一人しかいない。優先順位。
「えー、と。とりあえず、エステルから…」
無言が怖い。
「えっと、リタは魔導器見なきゃでしょ。ユーリは大人だから待てるよねぇ?レイヴンは、」
「おっさんは後でも良いわよ。どうせ着かないと、何もできないしね」
払うように手を振って、レイヴンは順番を譲った。
「だそうなので、…」
と言うと、ユーリは私の体を離してくれた。
様子を窺うようにユーリを覗き込む。
「それで良い」
「ん、」
短く返事をして、エステルの方へ向かう。
「大丈夫?」
「はい…」
エステルは不自然にぴしっと立っている。足が震えている。船が揺れているときは屋形にしがみ付いていたのだろうが。気合だけで立っているようだ。
「中入って話そうか」
エステルは無言だ。トンと彼女の肩を押すと、簡単に崩れ落ちた。
「あ…」
か細い声が漏れる。屋形のドアを開け、エステルを軽々抱き上げる。
「ユーリもおいで」
「あ?」
ユーリは周りを見回す。追手はもう来ていないが、海を漂っている状態だ。朝になればまた来るかもしれないし、魔物だっている。
「レイヴンに任せる」
「…りょーかい」
ユーリは何か言いたげだ。
「カロルもいるでしょ」
「そうだな」
彼の名を追加すると、ユーリは納得したように私に続いて部屋に入った。
「おっさんだけじゃ頼りにならないって?」
「今そういうの良いから」
「しゅん…」
リタの苛立った声にレイヴンは口で落胆を示す。
ああああ、抱きしめてやりたいよ!
「元気を出すのじゃ」
「パティちゃぁん」
レイヴンの相手はパティに任せておこう。
エステルを椅子に座らせる。ぐっと足に力を籠めた。ぶるぶると震えていて、もう立ち上がれそうにない。
私は彼女の向かいの席に腰を下ろした。
「また立ち上がる時には手を貸してあげるわ。手を貸すだけよ。あとは自分でどうにかしなさい。また必要になったら、そのときは言いなさい」
エステルは首を振った。口を引き結んで、机の上に置かれた手は震えるほど強く握りしめられている。その手に私はそっと自分の手を重ねた。
「エステル、目を閉じて、」
エステルは視線を彷徨わせた。
「捕って食いやしねぇよ」
ユーリの言葉にエステルは迷いながらも、目を閉じた。
「間の前には誰がいる?」
「クロがいます」
「他には?」
「ユーリ?」
「そう、他には?」
触れた手が微かにびくりと震えた。
「……………ラピードが、…リタが、カロルが、パティが、…………ジュディスが、います…レイヴンだって、」
「そうよ」
私の手は振り払われた。珍しくそれに構う様子もなく、エステルは声を張り上げた。
「でも、でも私の存在が!みんなを苦しめるなら…私はみんなに手を貸してとは言えません!」
エステルは握りしめた手をぎゅうぅ、と机に押し付ける。
「私の罪を!誰にも押し付けたくないんです!」
「私の罪、ねぇ…本当にそうなのかしら…」
「え?」
顔を上げた。
「ああなるなんて、貴女は予測できたのかしら」
「それは…でもクロは、私は世界の毒なのだと、始祖の隷長にこの力をつかってはいけないと、教えてくれた。それを私が」
慰めの言葉に安堵する表情をしながら、しかしそれを受け入れてはいけないと、言葉を紡ぐ。自分は許されてはいけないと、必死に自分を律しているようだ。
「実感を伴わない知識は、ただ存在するだけよ。何の抑止力にもならない。私はあなたにちゃんと伝えるべきだった」
でも、とエステルはか細く反論する。
「伝えるべきだったのに、私はそうしなかった。………できなかった」
私の言葉は私自身の心象を、余りにも如実に表した。思ったよりも寂しくぽつりと吐き出されてしまった。
「だって、エステルの力はこれまで誰かを助けるために使われてきた。貴女もそのつもりだった。その力が、…誰かの命を奪うものだと、私は貴女に明言できなかった」
なるべく悲痛にならないように平坦に語ろうとした。しかし余計に物悲しさを強くしてしまう。
「だから、今回のことは私の弱さのせいでもあるし、貴女に伝えようとしなかった始祖の隷長にも、責任がある。あなた一人に、この事態の責任を押し付けるわけにはいかないの」
エステルの目から、ほたりと涙がこぼれた。そして、エステルは私に手を伸ばした。私はその手を握りしめた。
彼女は声を上げて泣いた。子供のように。
エルシフルに言われた言葉が脳裏をよぎる。エステルとかつての自分の姿が重なる。力なんてものは、必ず破壊に使われるものだ。それなのに。
『貴女の力を、誰かを傷つけるために使ってほしくないんです。私が、そう思うんです』
それで誰を守れたというのか。
なのに、この子にはそれを願ってしまう。
***
エステルは漸く涙が止まったようだ。
私はぱちん、と両手を叩き合わせた。
「はい、終わり。次」
「軽い」
腕組みしたユーリがぶすっとした顔で言った。
「重くしたら、エステル圧死しちゃうわ」
「…ふふ、クロは面白いですね」
少しは気が晴れたようで良かった。
「えへ、そう?」
「褒めてねぇんだよな」
私はユーリと向き合った。彼は壁にもたれていた体をすっと立たせる。
「母さんはなんで…」
バターン、とドアが開いた。
「だぁああぁ!もう!集中できないわ!」
「今話し中だ」
「先譲って」
「…しゃあねぇな。あれ直んなきゃずっとこのままだからな」
ユーリは親指で魔導器を指さした。再び壁に凭れ掛かった。
「あんた知ってたんでしょ!なんで言わないのよ!」
以前と変わらず噛みついてくる。こちらを指している人差し指から衝撃破でも出てそうだ。思わず剣幕に仰け反ってしまう。
しかしそれ以降はこちらの意見を聞こうと、口を閉じた。
エステルは座ったまま私とリタを交互に見上げている。この話題は恐らく皆が知りたい共通の質問なのだ。カロルとパティも開いたドアから覗き込んでいる。
リタはもっとずっと多くのことを問いただしたいのをじっと堪えているようだ。そんな態度を取られると、ちゃんと向き合わざるを得ない。
「んー…と…ね、リタに聞かれたときはまだ知らんかった。これは本当。そうかもしれない、くらいの内容で仲違いさせるわけにはいかないでしょ。砂漠越えもあるし」
「それ以降は」
「そうね、うん、言おうと思えば言えた。のかも」
伝えるべきでないな、とは思った。それを何故かと言われると私自身もよく分からない。私が考える素振りを見せると、リタはそれを待っていてくれる。それを成長だと思うのは失礼だろうか。
ジュディスにも言ったように、私は最初から話す気がなかった。あのときは告げ口をするのが「気持ち的に嫌だ」と解釈していた。しかしよくよく考えるとそうではない。ジュディスが折角人を信じようとしているのに、「告げ口のようなことをして水を差したくない」というのが、どうやら私の気持ちのようだ。
「ベリウスから、こんな子がいる、ってくらいは聞いてたけど、それがジュディスだと分かって、…あの子は一人でずっと戦ってたのね。でも聞いてた話と違った。なんだか楽しそうだなって、思った」
「楽しそう?」
「うん。あの子も変わろうとしているように思えた。もしかしたら、そのうち自分から打ち明けるんじゃないかって。ずっと信じられなかった他人を、信じられるように、なってるんじゃないかって。それに、私と一緒にいる間にも、壊す対象の魔導器はあったの。でもあの子は壊さなかった。だから、私の口からバラすことではない、そう思った」
リタが私を睨んでいる。目で訴えることにしたようだ。叫ぶと私に躱す機会を与えてしまうから。頭が良いってこういうことなんだな、と思った。
「自分の行動の理由を、改めて考察するとそうね。そういうことだったのね。別にリタとジュディスを天秤に掛けたわけじゃないわ」
「それで納得してあげるわ」
「そりゃどうも」
ふん、と不遜だ。
「あいつの目的は聞いたわ。なんであいつがそれをやってんのよ。なんでジュディスが、やらなきゃいけなかったの」
「…それは、私の口から聞いても良いの?」
リタは押し黙った。
「本人に吐かせるわ」
「うん、そうしてあげて」
「作業に戻る」
そう言って、リタは出て行った。
魔導器を直すよりも、私に話を聞きに来た。それはとてつもない変化に見えた。
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