大丈夫、と気を落ち着かせ、周りを再び見回す。
エステルが意気消沈している。立ち上がる気力もないように見えた。当り前だ。ああ、頬が腫れている。思いっきり殴ってしまった。私は彼女に駆け寄った。
「ごめんね。動揺して、思いっきり殴っちゃったね」
「言いつけ、破って…ごめんなさい…!!」
涙でぐちゃぐちゃだ。息も出来ないくらいに、しゃくりあげる。
そんな彼女を抱きしめた。光が彼女の体を包む。
「どうして…」
続く言葉は、こんな私を治癒するのか、だろうか。
「エステル。立ち止まるなら、それでも良い。フレンのとこに連れて行ってあげる。すぐに答えを出しなさい」
エステルは目を見開いた。涙は止まったようだが、最後の一粒がほたりと流れた。
「私は、この旅を続けても良いですか。迷惑を、これからも掛けてしまうのに…」
「良いよ」
もう一度、良いよと言うと、エステルは涙を乱暴に肩で拭った。
「進みます」
「よし」
私は立ち上がって、声を張った。
「ユーリ、恐らくすぐに騎士団が来る!私が道を開く。ついでに殿もしてやる」
「…ああ!」
私の話とユーリの答えに、皆彼に集まる。
「立てる?」
「手を、貸して頂けますか」
「勿論」
エステルの手を持って引き上げる。ぐらりと倒れそうになる。しかし、エステルは咄嗟に出た右足を床にダンッと打ち付けた。二度、三度、さらに踏ん張るようにヒールを打ち鳴らす。そして震える太ももを殴りつけた。
「一人で、歩けます」
と高らかに言った。
「ええ、」
頷いた。
その健気さに、誇りの高さに、私の方が泣きそうになった。これだけの強さが私にあったなら。言っても無為だ。私には無い物だ。
「来やがった!」
騎士団がなだれ込んでくる。
一団に向けて魔術をぶっ放した。衝撃でバタバタと倒れ行く。起き上がる者はいない。しかし死んだ者もいない。この絶妙な調整が難しいのだ。
「行け!」
私の声に、各々返事をして走り出す。
後に続こう。と、その前に。
「ナッツ、私は行くね。ごめん。今捕まるわけにはいかないの」
「ええ、分かっています…あ…、…」
言葉に詰まり、彼は頭を下げた。
「当然よ…友達だもん…」
ナッツの肩をとんとんと叩いた。「ありがとう」を言えるだけの心の整理はできていないようだ。悔しそうに震えている。
外に出ると、そこは騎士団に占拠されていた。仕事の早いことだ。片っ端から魔術で吹き飛ばす。
思いのほか、長い間戦っていたようだ。陽が落ちかけている。
「道を開け!」
一筋の風がまっすぐに進み、そして豪風となって左右に分かれていく。ユーリたちの道を作るように騎士団員たちは右に左に追いやられる。
「なにこの魔術。どういう組み方してるわけ?」
「リタ、あとにしろ!蒼破!」
「分かってるわ!ファイヤーボール!」
私が取りこぼした者はそれぞれが処理している。
数名無言なのが怖い。エステルを見ると、レイヴンの助力を受けながらも、自らの手で剣を振るい、道を開いていた。そのフォローに気付いている者はいないのかもしれない。全く「有能な」男だ。
後ろから騎士団が追いかけてくる。次から次に湧いてくるが、どうなっているのだろう。こうも押し寄せてくると、もはや人に見えてこない。
危険思想だ。ちゃんと一人一人を認識しなければ、あれは人間、あれは人間。ゲームの感覚で力を振るえば死んでしまう。
杖を回転させ、周りの敵を屠りつつ、術式を組み上げていく。
「ちょっと…!どこまで積むのよ!?」
「え?え?何?」
カロルが律義に返事をする。というよりは、リタの剣幕に驚いただけかもしれない。
「あいつが言ってたでしょ。魔術の要素は大きく3つ。そこにどれだけ細かい指示を付与するかで難易度は変わるわ!威力操作、形状、どんな動きをするのか、…それをあんなに入れ込んで…発動するわけ…」
「リタ!解説は有り難いが、口よりも手を動かしてくれ…!」
ユーリの指摘にリタは唇を噛む。レイヴンはその間、集中力切れ切れのリタを陰ながら援護していたようだ。子守りも大変だなと、他人事のように思った。そういえば騎士団時代、ヨーデルとエステルを陛下に任されたとき、何だかんだ懐かれていたっけ。
「威力は弱めてあるわ。ごめんなさいね」
そう言って、完成した術式を展開する。
「…な!」
「リ・タ!」
「ごめん…でも…」
再三集中を切らすリタにユーリは注意する。怒ってはいないようだ。お兄さん頑張れと心の中でエールを送っておいた。息子の成長は嬉しいものだ。
渦を巻いた複数の風が騎士団たちを巻き上げて遠くへ運んでいく。大丈夫。回転数を下げてあるから、精々吐くくらいだ。
着地点の設定も、砂漠までぶっ飛ばすようなことはしていない。カドスの喉笛をもう一度通らなくてはならない程度。
これでも、かなりの時間稼ぎになるだろう。恐らく普通に歩けるようになるまで時間が掛かるだろうから…すまん…でも死なないから。絶妙絶妙。
よし、と自分の仕事に自画自賛して、褒めてと言わんばかりに振り返ると、ユーリはフレンと言い争いになっている。
悠長なことをしている場合ではない。この二人の喧嘩はどちらかが倒れるか、ぼこぼこになって双方倒れるかでしか決しない。
あとは周りがなぁなぁにするかだ。最近は互いに折れることもあるが、あの剣幕ではそうもいくまい。
レイヴンは傍観を決め込むだろうか。いや。この先起こることを、彼は予測している筈だ。私が騎士団を飛ばしてしまったから、戦士の殿堂の準備も早く整ってしまうだろう。
二人の話が堂々巡りに入った。これ以上話をさせても、無意味だ。誰かの行動を待っている場合ではない。
私は懐から煙玉を出し、炸裂させた。
「走れ!」
の掛け声で、皆が一斉に走り出す。突然のことに、フレンの取り巻きは動けないでいる。当のフレンは追いかける気が無いのか、立ち止まったままだ。
こっちのフォローもしておかないと。
「フレン」
「母さん…」
フレンは項垂れている。
「私は、ユーリが正しいから傍にいるんじゃないよ。私はフレンの意見に大賛成なの」
「はい…」
俯いて項垂れる。私も同じ渦の中に居たから分かる。あの時と違うのは、フレンは真っ直ぐ過ぎるということだ。そして私にとってのアレクセイや小隊長たち、シュヴァーンを始め意見を述べ合う相手がいないこと。
「…大きな組織の中、自分の意見を通すことの難しさは私も知ってる。命令違反なんかしたら、自分の部下にまで迷惑が掛かるしね。時には自分の信念をも、曲げなきゃならない。それでも、君は良くやってる。ちゃんと、誰かを助けたいって、思いながらそこにいる」
「はい」
まだ頼りない返答だ。
「腐るなよ。あと、短気起こしちゃだめよ」
「はい」
幾分か硬さの取れた声で、安心した。
「ああ、そうだ…昇進おめでと。じゃあ行くわ」
港から飛び降りる。海面に着地し、そのまま忍者よろしく海の上を走る。もうすっかり陽が落ちてしまった。私の姿はこの暗い海原では見えまい。忘れているかもしれないが、私のマントは真っ黒だ。
目を凝らすまでもなく、船の姿を捉える。少し飛ばせば、追いつけそうだ。余程離れていれば、エルピスを呼んだのだが。
始祖の隷長の姿を見せて、皆を刺激することもない。少々人離れした方法だが、はて、何と言い訳をしようか。
暫く走っていると、船が近付いてきた。ぐっと踏み込んで、甲板に乗る。体操選手のように両手を上げ、足をそろえて着地。
「もう突っ込まないわよ」
と、リタは半目で私を見た。
「どうやって来たの?」
代わりにカロルが突っ込む。
「え?海を走って…わ!」
海が乱れる。砲撃だ。寸でのところで転ぶのを回避する。
「ぴぎゃ」
「もう追手かよ」
しかも容赦なくぶっ放して来る。問答無用である。
それにしても見事にカロルが転がっていった。思わず場違いに笑い転げる所だった。
「フレンの奴…」
「多分フレンではないよ」
「何で、ふん!、よ!と、分かるのじゃ?」
パティは見事な舵捌きで砲撃を避ける。「あの」大航海時代でもやっていけそうだ。
「旗が見える。貴族は自己顕示欲が強いのよね。帝国騎士団の旗のほかに自分たちの隊のエンブレムだかカラーの旗を付けてるの」
「見えるの?」
「概ね、ひゃっ」
「ぐぅ」
などと、悠長に話していると、急に船が加速する。その勢いで体が後ろに倒れる。強烈な光、轟音、揺れる船体。皆の悲鳴。尚も船は加速を続ける。カロルは一足先に甲板に頭を打ち付けたらしい。
私もこのままいくと後頭部を強打するだろう。別に痛くないのだが、恰好を付けていた手前、恥ずかしい。
「っと、」
「おわ」
たまたまユーリが近くにいたようだ。いつの間にか立派になった胸板に支えられる。この前まで私の腰くらいまでしかなかったのに。
どどどど、と未だに揺れる船。ユーリは私を背後から抱きしめる。
「ごめん、ありがとう」
「…どういたしまし」
ユーリが不貞腐れた顔で言い終わる前に、破壊音。ガラスを割ったような、そして黒板を引っ掻くような音の後、爆発音。急停止。船の尻が持ち上がったようにも思う。一際大きく上下に船体が揺れ、水面に居るため中々揺れが止まない。私が人間だったら間違いなくグロッキーだ。
「ひえ」
「今度は何!?」
「ちょ!バカ!何してんのよ!」
追撃。私も思わず情けない声を上げてしまった。カロルがいつものように逸早く声を上げ、リタが続く。
「ジュディ…」
ぽつりとユーリは私を抱きしめながら言った。
ジュディスは皆の引き留める声を振り切って飛び去ってしまった。
「あ!バカドラ!」
私が杖に収納していたベリウスの聖核が、ヘルメス式魔導器に反応してしまったのだ。申し訳ないことをした。
ベリウスに会う前から少し様子がおかしいとは思っていたが、ここまで追い詰められていたとは…。船の動力をこんな海のど真ん中で壊すなんて。
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