残量僅かだったインクを買いに市民街へ。今回は寄り道せず、目的のものだけ買って、直ぐに戻った。
要らぬ心配を掛けさせる訳にもいかない。アレクセイは今過保護モードなのだ。

昨日今日とゆっくりと湯浴みを出来なかったので、夕方変な時間だが、ゆっくり風呂に浸っていたときだった。
どん、だん、どどど、と勢いよく扉が開き閉まった。そして浴室の扉に手が掛かる。
まずい!私はすぐさま姿を変えた。いまだに男性器を洗うのに抵抗があって、女性の姿で湯浴みする。
間に合ったようだ。扉が開ききる前に姿を変えられた。
湯船に浸かっていたので、見上げる形になる。入ってきたのはシュヴァーン。確認するまでもない。

「あ」
「来ても良いとは言ったけど…いや、緊急事態だったようだ…」

臭う。思わず鼻を押さえた。ざぱ、と音を立てて立ち上がる。

「君、失敗したな。何で排泄孔の方に居るんだ…」

内蔵処理のときに、吹き出したのだろう。災難なことだ。
ペチコン、とシュヴァーンは私の肩を叩いた。可愛いものだ。アレクセイに比べれば。
顔を上げた彼は涙目だった。

「石鹸じゃとれない…」
「だろうね」
「失礼は承知で…」
「髪洗ってあげるから、体の方洗いなさい…あ、ちょっと待ってて、」
「…?はい」

手早く拭いて浴室を出た。目当てのものを持って戻る。

「…何ですか?それ」
「緑茶石鹸。カテキンには殺菌効果があるんだよ。それと、ブラシね。口には入ってないよね?」
「はい、大丈夫です…」
「後でボディクリーム塗ってあげるから、念入りにごしごし洗って」
「すみません……」

しょぼんと項垂れ、私から諸々を受け取ると無言で体を洗いだした。


有りとあらゆるを尽くした気がする。ごしごしと洗い、緑茶風呂を作り浸からせ、ボディクリームを塗り、香を焚く。

「臭い、取れました?」
「嗅いで良いの?」
「……………………………お願いします…」

人にニオイを嗅いでくれとは、確かにハードルが高い。肌に鼻を近付けクンクンと嗅ぐ。何のプレイだ。物怖じしないシュヴァーンも、体が仰け反っているし、手は握り締められているし、何より心音がヤバい。すまん事だ。

「うん、普通の人には分からない程度にはなったな」
「あんたにはまだ臭うんですね…」

と、肩を落とした。

「私にはというか、普通こんなに近付いて体臭嗅がないでしょうに…」
「そうですね…」

げんなりとした顔をした。周りも臭いが本人が一番臭いのだ。魔物は雑食だから。
コンコンとノック音。アレクセイだ。音からするに、急ぎではない。ゆっくりとドアに近づく。

「はいはい」
「すみません、入浴中でしたか」

シュヴァーンに掛かりきりで、自分の髪を乾かすのを忘れていた。服もおざなりに羽織っただけ。
既に前回の失敗を生かしてパーティションを立ててある。が、今日は日が悪かった。これだけ香を焚いていれば、事態を飲み込めてしまっただろう。

「……まぁね」
「解体した肉は食堂の保冷場に置かせて貰っています」
「有り難う。今日はご馳走だ」
様が調理するのですか?」
「そうね」

アレクセイは少しそわそわしている。
以前はたまにデザートを場所を借りて作ったりしていた。本当に時間があるときだ。最近は忙殺されて出来ていなかったが。
それがお気に召したようで、私は料理が上手いということになっているらしい。魔物の肉はゲテモノ扱いだが、私が御馳走だというのを、信用したのだろう。要はジビエだ。調理法によっては化ける。

「彼は大丈夫でしたか」

聞いちゃうんだ。聞いちゃうんだよな、この子は。
パーティションの向こう側で動揺したのが分かった。

「まぁ、大丈夫なんじゃない?」
「そうでしたか。災難でした」
「ん?」
「連携がうまく取れなかったようで」
「ああ、そういう…」

どうやら彼のミスではなかったようだ。魔物は熊や鹿と違って体が大きい個体が多い。形も一様ではないので、一人での解体は不可能に近い。

「訓練しといて良かったなぁ…これが実地だったら、彼はずっと臭いまま任務を続けなければならない…」
「想像したくないですね」

本人が一番ゾッとしているだろう。後ろにある気配で何となく分かった。

***

大満足だ。練習用にかなり沢山解体したらしかった。他の隊には文句を言われたが、調理したものを分けてやったら黙り込んだ。
陛下と騎士団長にも許可をもらったのだと言えば、更に何も言えなくなったようだ。
本当なら、もう少しちゃんと寝かせる時間を取るのだが、その辺りは私の力を使わせてもらった。
今日の訓練に出なかった者も食事をして、これならばやってやろうという気持ちになってくれたらしい。初日の子らには可哀想なことをした。
と、私は自室のベッドに寝転がる初日の被害者を見た。

「イエガーが寂しがっていたよ」
「……今日は同じ時間帯でしたので、大丈夫です。あいつが夜勤明けのときは帰ってます」

一応その辺りは考えているのか。全く人に興味がないわけでもないようだ。
ベッドでうつらうつらしている。
よくこんなに無防備でいられるものだ。襲うぞと言っている相手の部屋で。
そんな甲斐性無いだろうとなめられているのか…。

「苦労した甲斐がありました」
「ん?」
「肉」

確かに肉なのだが、言い様はないのか。魔物といえども、命だ。

「自分で解体すると、命を食べてるんだなと、実感しますね。案外魔物の方がそういうのは詳しいのかもしれませんね」

などと難しいことを言う。知っているか、そういう哲学的なことを言うのは、生活に余裕のある者だけなのだよ。
とは言ってやらないが。ネタが分かれば、彼の違和感にどんどん気が付いてしまう。
貴族の子息。何がどうなったのかは想像の域を出ないが。一族の死亡届。不審死。勿論全くの別人という可能性もなくはない。けれども、やはり平民にしては異質なのだ。
その日生きるだけで精一杯の人間には思い付かないことを言う。特にこのシュヴァーンという男の出身地らしい地区は貧困に喘ぐ地区なのだが、それを彼は知っているのだろうか。

「美味しかった?」
「はい、」
「まぁ、遠征中はああいう食べ方はできないだろうけど、」
「持っていける物は限られていますから、贅沢は言えません」

ほらまた。そうやって未来を語る。
もうやめよう。考えても詮なきことだ。決して伝えるつもりもないのだから。
髪を下ろしているのはカモフラージュだろうか。薄ぼんやりとした記憶だが、彼は短髪だった気がするのだ。そんなことで隠せるような希薄な関係しか持っていなかったのか、同郷が居ないからなのか。

私のシャンプーを使ったので、いつもよりしっとりとしている。それがベッドで広がっているのだから堪らない。耳を擽り、髪先を弄る。

「君はもう少し警戒した方が良いと思うよ」

つつつと、鎖骨に向かって首筋に指を沿わせる。はぁ、と彼の口から悩ましげな吐息が溢れる。

「…俺は何も知らない無垢な子供ではないですよ」

それはそうなんだろうけど。

「まぁ、今日は糞臭いんで、安心はしてますけどね」

そういうところだぞ。首筋に鼻を寄せる。

「君の匂いもちゃんとしてる」
「だから良いんですって。拒まないって、」

投げ出された肢体は、私に差し出していたものらしい。どうぞと。

「…最後まではしない」
「なんで」
「君が帰ってこなかったら泣いちゃう?から」

ヘソより下。女なら子宮のある場所をつぃと押す。

「ふ、」
「多分私は上手いよ」
「でしょうね…」
「だから期待して帰ってきてね、ん、」

シュヴァーンは起き上がって、私の口を塞いだ。
年の割に甘いキスをするものだ。もう少しがっついて来れば可愛げもある。
口を開けてやれば、舌を絡められた。手慣れている。女の子ならきっと落ちるのだろう。
暫く彼の匂いと体温を堪能しよう。糞の臭いはひとまずシャットアウトしておこう。

「君慣れてんね」

離れていった唇を指でなぞる。

「息も上げずによく言う…」

しまった。次からはそうしてやろう。

「あんたの噂って、多分思ってるのと逆だと思いますよ」
「アレクセイくんに食われてるって?貴族の男性なら美味しく頂かれて、女性なら可愛がられてるって?」
「知ってたんですか」
「そりゃあね。で、納得したの?」
「……あんた結構抜けてるから…」
「から?」
「…可愛い」

頭をがしがし掻いて不本意ながらという態度だ。
いくつになっても可愛いと言われるのは嬉しいものだ。女なら。私だってそうだ。今は下も付いている男だが、心はいつまでも女だ。

「そりゃどうも。あ、君は可愛くないところが可愛いよ」
「俺は嬉しくないですから」
「そうなの?」

顔は赤いのに。
この男の物言いからすると、私を抱こうとしていたようには見えない。可愛いから抱くわけではないけれど、男に好かれるタイプではないのは分かる。そういう目で見られるのだと、安心したのだろうか。
それなら、

「頑張らないとね」
「なに…」
「君がどうしたって帰ってこなければと思えるように、続きが欲しくなるように」

にっこりと笑って見せると、シュヴァーンは呆れ顔になった。

「お手柔らかに…」



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