朝、爽やかな空気なのだが。
「アンタねちこい。淡白そうなのに!」
「あんだけ気持ち良さそうにしておいて文句言うなよ。成人男性の一日の回数限界知ってる?」
「だからもう出ないって言ったのにアンタが!」
「でも出たじゃん」
「はぁ?あ、ひ、ぅ、ちょ、お前!いい加減に!」
腰を撫でてやれば、昨晩の名残なのか、大袈裟に体が跳ねた。もう少しからかってやりたかったのだが。
「…今日も朝早いな…」
シュヴァーンからぱっと離れ、手早く隊服に着替える。
「あんたの耳って、どうなってんの」
「ん?」
「この部屋って、防音…」
耳をすませば、普通の人にだって外の音はちゃんと聞こえる。この世界の人の身体能力の基準は現代日本とは比べ物にならないのだし。
防音室なので中の音は漏れないが。しかし私の反応するのは、もう一つ向こうの執務室のノック音。
「ああ、防音だね。こうやって、連れ込めるようにかねぇ…」
シュヴァーンは目を細めた。
水回りなどは改装したが、この部屋自体は元々あったものだ。部屋の防音もその人が作ったものであって、決して私の意向ではない。
そんな話をしていると、部屋のドアが叩かれた。
「おはよう、アレクセイ」
「お早うございます。すみません、急ぎの書類が…これだけ…」
と、親指と中指をめいいっぱい広げて見せた。
「何の書類だよ…そんな、最近は溜め込んでないのに…」
「自覚がおありで」
「…そりゃ自分の仕事量くらい把握してるよ。終わったら君の部屋に持っていく。君も仕事があるだろう」
「分かりました」
上に行けば行くほど事務仕事が増える。
私は部屋に戻り、判子を取り出した。
「盗られて困るものあるんじゃん…」
シュヴァーンはポツリと呟いた。
「私しかこの引き出し開けられないから問題ないよ」
彼は首を傾げた。鍵穴もなく、仕掛けもない引き出しだ。
「君、……ああ、そうか夜勤の前に来るんだな…」
注意をしようと思って、しかし何度もこの台詞を繰り返していることに気づいた。
「二度寝しても良いよ」
「有難うございます…」
「そこの棚、本棚だから自由に読んでもらって構わない」
シュヴァーンは私の指差した棚を見た。扉つきの本棚だ。一見しては分からない。
「そっちの棚は筋トレの道具とか入ってる。私のではないけどね。全部綺麗に拭いてあるから自由に使って良いよ。別に持っていってもらっても構わない」
「売っても良いんで?」
暫く考えて、私は頷いた。絶対に使わないものだし、持ち主は既に死んでいる筈だ。代々の隊長が使っている部屋だし。
「別に良いよ。寧ろ処分してくれるなら嬉しい、かも。なんか捨て辛くて…」
「ふぅん…」
「君って掃除上手そうだね。何となくのイメージなんだけど」
「まぁ、ごちゃついてるの好きじゃないですね」
「ぽいわぁ」
決断力がありそうだ。取捨選択が上手いというか。
「今度部屋の片づけ手伝ってくれないかな。処分品は売却しても良いし、その分は君の取り分で構わないからさ」
そう言い残して、私は部屋を出た。
執務室の椅子に座る。丁度良いクッションで、椅子自体は気に入っている。
改めて部屋全体を見回してみる。
あまり装飾が無く、他の隊長の部屋と比べれば趣味は良いように思う。質素といえば聞こえは良い。
ただ、私の座るこの席は余り好きではない。
狙撃されそうな場所、はて誰が言ったのだったか。後ろには大きな窓がある。とはいえ狙撃できるような武器も、この部屋が視界にはいるような大きい建物も無いため、そんな心配は無用なのだが、どうも落ち着かない。
机の上にはアレクセイが置いていった書類の束。山にはなっていないが、それなりの存在感だ。
書類を読んで判子を押して。単調な作業。を繰り返していく。
「ちゃん、仕事しすぎじゃない?」
「私もそう思う」
ジンは唐突に現れた。最近出没率が高いのは気のせいだろうか。
「代わってあげようか?」
「…………いや、いい…」
完璧にされても悔しいし、「ずさん」にされるのも困る。
「君が頑張った分だけ、彼らが助かるのだとしたら、きっとそれは良いことだよ。だって君がいなかったら死ぬ命だもの。それでも死ぬのなら、結局何をしたって死ぬのさ」
そうなのだろう。嘆くことはない。私のせいではない。ただ関わってしまったから悲しいだけだ。近しい者が死んだら悲しくて苦しくて胸を刺す。それだけのことだ。無力さを嘆くことはない。こうすれば良かった、ああすれば良かったは、単に私が人間として生きている証拠なのだ。
「考えるのは良いことだけど、考えすぎは良くないよ」
「ジンは親だね」
「そうだよ?」
「ありがとう」
「いえいえ、」
ピンチにならないと現れてくれないと思っていたが。もしかして私は結構いっぱいいっぱいなのだろうか。自分で気が付いていないだけで。
張り詰めているから?実は今私は薄氷の上を歩いているのだろうか。それとも細い糸の上?
そうかもしれない。
だからアレクセイは急に私に甘くなったのか。私の執務室に置いていた彼のデスクも撤収してある。監視してもしなくても、言っても言わなくても、最終仕事は期日に出来上がるのだとも気付いたのだろう。私が実は人の気配があるとしっかりと休息できないのだということは、シュヴァーンが告げ口したのだろうし。
「たかだか20年そこそこ生きただけの男共に見破られてるとか…」
情けない。
仕事が終わりそうになった頃、ノック音がした。
「どうぞ」
「はっ、お早うございます!」
「おはよう。数は揃った?」
「はい、全て…」
フェイ小隊長だ。切れ長の目、黒い髪。虹彩の色こそアジア圏でいうと珍しい色をしているが、概ね中国人風の風体だ。
最初のうちは、ノック、返事、敬礼、名乗り、挨拶と色々としてくれていたが、今は返事と挨拶だけ。顔を見れば誰か分かることだ。時間の無駄だと、私が廃止した。
「…隊長が、直々になさるので…?」
フェイは俯いた。
「勿論そのつもりだよ」
「はい…」
「時間を取らせるが、すまないね」
「いえ、必要なことですので」
そう言って、彼は部屋を後にした。
酷く心配させてしまった。皆私のことを気遣ってくれる。
私が真剣に寄り添っただけ、真摯に取り組んだだけ、彼らも私に向き合ってくれる。それが重くもあり、しかし大事なことだ。とはいえ、あれだけ自分のことのように落ち込まれては、何だか申し訳ない。
持ってきてもらったのは、便箋と封筒、そして麻袋。遠征に行く者に配るのだ。遺書用と遺族に渡す遺品入れだ。
はっとした。直ぐにドアに駈け寄り、開いた。
「すまないな、今日は騒がしかったか」
ドアを開けると、シュヴァーンが隊服を着て立っていた。
「いえ、…読める本がなかったので。それに最近よく眠れますから二度寝というのも、」
「そう」
普段ならぬ落ち着いた様子だ。いや、本来彼はこういう人間なのかもしれない。どれが本当の彼なのかは分からない。もしかしたら本人ですらも。
演じていればいつかは本当になる。はじめは演じていたそれら全ては、結局彼の一部なのだ。
「…あれは?」
「あとで説明がある」
「遺書ですか」
狼狽した。彼は時折こういうときがある。本質を言い当てる。
彼には私の本性も見えているのだろうか。見透かされているような心持になる。居心地が悪いわけではないのだが、ぎょっとする。
「…そうだよ」
隠す必要はないだろう。
「鏡、見た方が良いですよ」
「え、」
「酷い顔をしてる」
思わず顔を手で覆った。
「死んでも、アンタのせいだなんて言う人はいないです」
だから苦しいんじゃないのか。慕って着いてきてくれた人を、裏切るような気がして。
「こういう人の生き死にに関わる現場は、貴方には不向きですね」
「知ってる」
「アンタを此処に連れてきた人は、きっと酷い奴です」
「そうかもね」
皇帝陛下の優しい笑顔が浮かんだ。
優しいって時に残酷だ。
「シュヴァーン」
「なんでしょう」
「………君からの甘いキスが欲しいな、なんて」
「俺の、甘いんですか」
「年の割に優しくて甘い。どんな人生を送ってきたんだろう」
「知ってて言ってますか?」
「いや、想像」
私は彼に背を向け執務室の椅子にどかりと座り込んだ。今日これからの仕事を思うと、心が重い。
「誰も来ないんですか」
「人に見せつける趣味はないよ」
羞恥心は人並みだ。特に私は日本人なのだし。
「だから直ぐに部屋にあれを置いたんだ。まぁ、姿が見えなくても気配でバレてるとは思うけどね」
シュヴァーンはゆったりとした歩調でやってきた。肘掛けに手を置いて、顔がゆっくりと近付く。
「目、閉じてもらえます?」
「君の目が好きなんだよね」
私が余りにも熱心に見つめたからか、視線を反らした。
ため息一つ。彼は手で私の目を覆って、口付けた。主導権をくれてやると、ねっとりと舌が絡まる。優しく撫で上げ、ちゅうと吸う。
されるのとするのとは違う。
吐息が近い。匂いが、熱が交わる。微かに離れては近づき、そして混じって熔けていく。
手持ち無沙汰。肘掛けに置かれた手を指でなぞる。手を合わせて擽ると、指が絡められた。剣だこの出来た手のひら。意外と武骨なのだ。
はぁ、と息継ぎに口が離れる。追いかけるように舌を出せば、歯でなぶられ、唇で優しく食まれた。
どれほどくっついていたのか。どちらからともなく体ごと離れる。繋いだ手が最後に離れると、少し名残惜しい。
「えっろいの、」
と言うのはシュヴァーンだ。平坦な声音だが、興奮の色が見える。
「君に言われたきゃないんだけど」
私は背もたれに体重をかけて脱力した。若人のくせにエロいキスしやがって。どんなけ遊んでいたのだか!
私のは数千年の賜物!
「まぁ、一日頑張るかという気にはなった。有り難う」
「そりゃどうも」
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