連日、の家から学校に行かなければならず、森山は寝不足だった。朝練に、いまいち身が入らない。あくびをしていると、同じく少し眠そうな笠松がやって来た。
「おはよう」
「はよ。………で、」
笠松は面倒くさそうに、森山に催促するように話題を切り出した。森山は笠松が意図することが分からず、首を傾げた。すると眉間の皺がさらに深くなった。
「……本の最後、どうなったんだよ」
「まだ読んでない。悪い。もしかして期待してた?」
「いや全然」
森山はにやりと笑って見せたが、笠松ははっきりと否定した。森山はなんだ、と落胆した。実際、笠松は本の内容などこれっぽっちも気になっていなかった。ただ森山の様子がおかしいことはすぐに分かったので、そのことを気にかけていた。
「じゃあご期待に応えるために、読もうかなー」
「いや、全然期待してないんだけど」
教室に入ると、すぐに森山は本を開いた。読み始めると早かった。主人公の健気さに、森山は少し胸が痛かった。一番悲しむべきは主人公だろうに、主人公は家族のことを常に考えていた。
「ふぅ…」
ぱたりと本を閉じた。元々短い短編小説だ。すぐに読み終わった。最後は題材の重さに反してこれでいいのかというほど、晴れやかな終わり方だった。主人公を犠牲にして家族は新たな一歩を踏み出した、ように感じた。
「あ…」
森山は再び感じた痛みに、悟ってしまった。
「あー…そっか…うん。そうだったんだ…」
その呟きは誰にも聞かれることなく、教室の雑音にかき消された。それはあまりにも突然で、あまりにも残酷に真実を森山に告げてしまった。
**
森山は平凡な家に育った。ただひとつ問題があった。両親の仲があまりにも良かったことだ。それは、森山が幼いながらに邪魔してはならないと思うほどに、だ。それに森山は聡明だった。我が儘を言わなかった。あまりにも良い子としてその家に馴染んでいた。
それ故に、誰も気付かなかった。森山が常に「誰か」を求め、その「誰か」に愛されることを望んでいるということに。いや、渇望していることに。
「じゃあ、俺こっちだから」
立ち止まって、小堀と笠松とは逆の道を指さす。すると小堀は目をまん丸にして、訪ねた。
「あれ?……森山方向そっちだっけ?」
小堀の穏やかな声が、森山の耳を擽る。
小堀はバスケをしているときは、流石に鋭い目をしているが、それ以外では基本的に優しい瞳をしていた。その瞳にじくりと胸が疼くのを、森山は感じた。その理由は彼自身が一番よく知っている。森山は目を伏せた。自分の浅ましい視線を小堀に注ぐわけにはいかない。
「ああ、…ちょっと、実家に戻ろうかと思って…」
「そっか、お前東京だっけ」
「うん、今は祖父母の家に世話になってる」
「へぇ…」
小堀がにっこりと笑うと、森山は心がほっと温かくなる気がした。森山が中学のときに付き合っていたどの友人とも違う雰囲気を小堀は持っていた。だが、妙にしっくりくる気がして、森山は小堀によくひっついているのだ。そんな気持ちを振り払うように森山は周りを見回した。
「あ、あの子可愛い」
森山の目が女の子の集団を見つめる。運動部だろうか、エナメルバッグを持っていた。
「お前そればっかだな…」
「お前は……不健全すぎると思うぞ…小堀くらいが丁度良いよ。なんだかんだで、目で追ったしな」
「俺は健全な男子高校生だからな」
笠松はげんなりした顔で視線を逸らした。その様子に小堀と笑うと、笠松は声を荒げた。ぎゃーぎゃーと言い合いながら、森山は遠くで「一番不健全なのは自分だ」と思った。
男、しかも人ではなく、恐ろしく長い年月を生きてきた男に恋慕の念を抱いている。森山は自分の存在が宙に浮くのを感じ、その浮遊感に顔をしかめた。
「森山?」
「ん?」
「いや、…なんでもないなら良いんだけど…」
小堀は察しが良い。だが、それを笑顔で誤魔化して森山はそっと感情を奥に仕舞った。
「じゃあ、また学校でな!」
元気よく手を振ると、笠松は素っ気なく「おう」と答え、小堀はにっこりと手を振った。
**
森山は気付けば見慣れたドアの前にいた。アポが無いのはいつものことだ。だが、昨日の今日では訝しがるかもしれない。そう思うと森山はインターホンを押せなかった。だが、そんな森山の葛藤も空しく、ドアが開かれた。
「由孝くん…どうかした?」
白のワイシャツに、短パンという訳の分からない格好で、は出てきた。恐らく学校から帰って、下だけ着替えたのだろう。
「…………あー…なんか会いたくなって。理由がないと来ちゃだめなのか」
「いや、ダメじゃないけど…遠いし……いや、まぁいいや、入って」
は森山が三日連続で家に来ることに、驚くよりも心配になった。森山がまだの生徒だったとき、森山は何かある度、の元に足を運んだ。そのことを思い出し、は何かあったのだろうかと気を回した。
「ご飯は食べた?」
「いや…うん…食べた…」
嘘だ。だが、食べる気にはなれなかった。はそれが嘘だと分かっていながら、何も言わなかった。は教師という立場上、放っておくことは憚られたが、森山はの生徒ではなく恋人なのだ。は心配を誤魔化すように笑みを見せた。
「そっか、私ももう食べちゃったんだ。片づけするから、ゆっくりしてて良いよ」
そう言って、がキッチンに入ろうとしたとき、くんと後ろに引かれた。誰が引いたのかは考えるまでもなかった。家には二人しかいないのだから。
「由孝く…」
名を呼ぶと同時に、口が塞がれた。はぱちくりと目を瞬かせた。
「先生…」
その声が妙に色めいていて、は顔を顰めた。普段なら喜ばしいことかも知れない。だが違和感の方が強く、は訝しんだ。けれど彼が望むのなら必要なことなのだと、は森山の誘いに乗った。
(あー…なんか、あんまり気分乗らないなぁ…)
は心の中でそう思いながらも、森山の体を貪った。そもそもには性欲というものがない。性欲の再現はできても、人のように渇望したりはしない。だからの場合の性行為とは、場の雰囲気と相手の欲に満ちた表情や仕草を楽しむといったものなのだ。今日の森山は快楽よりも焦燥の方が勝っているようで、はこっそり溜息を吐いた。
余韻を楽しむ余裕もない、というように、森山は吐き出してすぐに浴室に姿を消した。そして、森山はシャワーを終えるなり、のベッドに入り、寝てしまった。実際には目を閉じているだけだということは気配で分かった。
(なんだ…?)
は森山の行動が分からず、首を傾げた。
(聞くべき?ここは、相談とか…いや、だから違うんだって…!私はもう、カウンセリングする立場じゃないんだってば)
は首をぶんぶんと降って、浴室に向かった。風呂場に行き、体を女性のものに変えた。
は元々女性だ。気分的な問題だが、男の体で行動したりするならまだしも、男の体を洗うという行為は何となく違和感を感じるので、誰も見ていないときには女性に戻って風呂に入った。そうまでして男性として生きるのは、男性で居た方が生きやすいからだ。
「高校生で、悩みを性行為で晴らすって、思えば不健全だなぁ…いや、まぁ…最後まではしてないけどさ…はぁ……」
髪の毛を洗いながらはそう愚痴った。流されやすい性格はいい加減直した方が良い、と思った。
「もう…!悩むのは私の専売特許なのにさ……悩まれたら、慰めるしかないじゃんか…」
そうごちて、は髪の泡を流した。
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