保健室で眠ることが、森山の日課になっていた。お世辞にも寝心地が良いとは言えないベッドだが、それでも家で寝るよりは良く眠れた。森山は、ごろんとベッドの上に大の字になった。

「最近、色々と駄目な気がする…受験勉強もうまくいってない気がするし…志望校受かんのかなぁ…あー…」

森山は軽い調子で言った。だが、心中穏やかではなかった。森山はどうしようと焦る気持ちを、こうやって何でもないような口ぶりでしか吐き出せないのだ。

「落ちても死ぬわけじゃないしね。もっと気楽にすれば?森山くんの成績ならそれなりの所行けるでしょ?」

は森山が寝転がるベッドの隣のベッドに腰掛けてそう言った。

「それは、そうなんだけど……けど、親も良いとこ行って欲しいだろうし…」
「……………森山くんってさ、すごく優しいよね」
「俺が?優しい?」

意外そうな声を上げた。

「うん。誰かが望む自分でいようって、思ってるんじゃない?それって、すごく大変なことなんだよ」

森山は視線を逸らした。期待に応えたいと思う気持ちを言い当てられ、森山は複雑な心境になった。
言葉で表してしまうと、急に自分のしていることが薄っぺらに聞こえた。それに押しつけがましいような気がした。誰かのために頑張っているというスタンスが気恥ずかしく、森山は好きでなかった。まるで自分は頑張ってますと主張しているようだ。それが妙に悔しかった。

「君はね、まだ中学生だ。誰かに頼って良いよ。そんなに、一生懸命になる必要なんて、ないんだよ。月並みな言い方だけどね、…君は君のままで良い。君が、自分で自分が分からなくなったら、そのときは私が教えてあげるよ。森山くんは、すごく頑張ってる人なんだって」

森山はぐっと涙を堪えた。どうせマニュアル通りなんだろ、そう森山は思った。お前に何が分かるんだ、そう反抗する気持ちが素直にの言葉を受け入れるのを邪魔する。

「………っ…」

鼻がツンとする。森山は必死に堪えた。は森山の手に自分の手を重ねた。自分のしていることを認められているような気になった。頑張ってるね、なんて言われたくない、でも褒めて欲しい。森山は相反する気持ちが入り交じって、混乱した。

「森山くん、泣くことは悪いことじゃない」
「っふ…ぅ…」

森山は涙をこぼした。進路のこと、先の見えない不安に押し潰されそうになっている。彼は、漫画の世界の住民ではない。生意気で、弱くて、ただの中学生だ。悩むし、挫折もする。は、そんな彼を愛しいと思った。もう気持ちを誤魔化すことは出来ない。涙が、ほろほろとこぼれる様は、あまりにも幼気で健気だった。



**



「忘れろ」

森山がはっきりとそう言った。先ほどのしおらしい様子は全くない。

「何が?」

はあえてとぼけた。

「……………泣いたこと…」

森山はぽつりと呟いた。は言いふらすつもりは無い。そのことは森山も分かっているはずだ。だから、自身が覚えていることが森山にとって重要なことなのだと理解した。

「泣くのは悪くないし、恥ずかしくないよ。まぁ、忘れて欲しいのなら忘れる努力はしよう」

もっとも、がどんなに努力したところで、彼の中に「忘れる」という機能はない。

「なんかムカつく…余裕ぶって」
「生きてる時間が違うよ。森山くんが私くらいの年齢になったら、もっと気の利いたこと言えるようになってるよ」

それが普通だと言わんばかりに、あっけらかんとは言い切った。森山は、の偉ぶらない様子に反抗心を殺がれた。

「そういうもん?」
「そうそう」
「ふぅん…」

森山妙にすっきりした気分になり、狐に摘まれたような気になった。

「……俺、寝るから」

(やっぱ、この人が居るとよく眠れるんだよなぁ…)

ぼんやりとした意識の中、森山はそう思った。森山はすっかり保健室の常連になっていた。不思議な夢も、といれば見ることはない。
寝ているときにそっと撫でられる頭が心地良い。傍にいると安らいだ。しんしんと降る雪のように静かな声は、荒れた心を癒した。 その気持ちはなんだか恋をしているようだった。それが、驚くほどしっくりとしてしまい、森山はそっと目を閉じた。

(最悪だ)

森山は自分が惚れやすい質だと知っていた。そして、これがいつものような発作的な物でないことも分かっていた。ドキドキとワクワクじゃない。そんな甘酸っぱい物じゃない。じわじわと心を侵される。浸食されて、骨の髄まで絡め取られる。

「ふっ…」

体が熱い。どくりどくりと血が沸く。脳がとろけて訳が分からなくなる感覚。

「森山くん?」

はそんな森山を不審に思い、顔を覗き込んだ。

「……………なんでも、…ない…」
「そう?」

は森山の頭をそっと撫でた。のその冷静な態度とは裏腹に、森山の心臓は大きく高鳴った。

(う、わ…)

に触れられた部分から、甘く痺れる。ぞくぞくと体が粟立つ。


だめだ、


森山はそう直感的に思った。自覚と同時に、全身がを好きだと叫び出した。


だめだ、



**



「あー…だめだだめだだめだだめだ…」

は机に項垂れた。森山の様子を思い出した。恋する顔だ。甘い顔だ。涙で濡れた頬、赤くなった目、半開きの口、扇情的で、中学生の持つ色気ではない。

(私は中学生に欲情してないしてないしてないしてないしてない…………!してないぞ………!決して断じて全然全く!)

と、心の中で叫んだ。
何が、森山にヒットしたのか。森山との距離は付かず離れず、教師と生徒よりもほんの少し離れたところにあったはずだ。それが何故、はぐるぐると思考の波にとらわれた。
前世の記憶があるのだろうか。彼はよく初めて会った気がしないと言った。

      割と好きだった…

かの世界での彼の声が聞こえた気がした。まさか、とは頭を振った。






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