インターハイ出場が決まり、期末テスト期間が迫った頃。森山の一言から、大変な事件に発展することになる。
「ちゃんって、黄瀬のこと、何とも思ってないのかな」
「え?どういうことっスか?」
「うーん………だって、女子と男子だよ?」
曖昧な笑みを浮かべて黄瀬は森山の話を聞いていた。
「あいつ、本人に聞いたりするんじゃないか?」
「まさか、そこまでアホじゃないだろ、なぁ笠松」
小堀の心配に、森山は軽く言うが、笠松は一抹の不安を抱えていた。
溝
その日、は委員会で遅くまで残っていた。帰る道が途中まで一緒ということで、はバスケ部の面々と帰ることになった。
その途中、黄瀬は突然に聞いた。
「さんって、俺のことどう思ってんスか?」
「へ?」
「聞いちゃったー………!」と、皆の心が一つになった。
は素っ頓狂な声を上げた。心の中では、じくりと何かが痛んだ。
「俺のこと恋愛感情とかで見てるっスか?」
黄瀬は周りの気まずい空気に気づかず、言葉を続けた。小堀は、黄瀬がこれ以上何も言わないように、止めようとした。しかし、黄瀬は気づかない。
は、どういうことだろうと頭をフル回転させ、考えた。良い方に考えても良かったが、の頭に警笛が鳴っていた。直感的に、黄瀬の言葉が牽制だと気づいた。
「いや、さんとは、良い友達だと思ってるっス…でも、さんが変に期待とか…」
はやはり、と思った。しかし予想したことでも、には衝撃だった。
少なからず期待したこともあった。だが、には牽制されるような願望があったわけではなかった。むしろ、友達ということに誇りさえ持っていた。それを踏みにじられた、そう感じた。
一瞬にして、の頭の中は沸騰した。
「ここで言う事じゃなかったよね」
声が震えた。本当は、頭の中にもっと黄瀬を罵倒する言葉が用意されていた。だが、それを吐き出せるほど、は本能に忠実になれなかった。
「え?」
黄瀬を押しのけ、は逃げるように走った。居たたまれない、とはこういうことだ、とは思った。だが、じりじりと焼けるように熱い胸に、戸惑うばかりで、逃げるしかなかった。
意外と平手打ちってできないものだ、とは焼け付く胸を押さえて思った。
「あちゃー…」
「あの…俺なんか…」
「ヤバいだろ、今の質問は…」
笠松は、言われたの気持ちを考え、溜息を吐いた。
「俺もそう思うぞ…」
「どういう意味っスか?」
小堀の言葉に、黄瀬は心底分からない、という顔をした。それに、三人は溜息を吐いた。
「………はぁ…」
そのとき、黄瀬の携帯電話が鳴った。黄瀬は携帯を開き、操作していく。ぴたりとその動きが止まった。皆は不審そうに黄瀬を見た。
「………………さんからです」
「………怒ってるか?つか、怒ってるだろ…」
笠松が聞くと、黄瀬は首を振った。ずいと、携帯画面を笠松に突き出した。
「………さっきはごめんって、」
「…………俺たちが読むのも、な…」
「そうだな」
笠松の言葉に森山も同意する。しかし、黄瀬は、突き出した携帯を引っ込めようとしない。
「…………さんの言葉は、よく分からないっス…」
「……………貸せ」
先ほどはすみません。
黄瀬君に恋愛感情を持てるかと聞かれたら、持てます。
でも、それは黄瀬君が男で、私が女だからです。
正直、もしも恋人になろうと言われたら、
こちらから願い下げです。
私は黄瀬君と友達でありたいと思ってます。
それは、たぶん、黄瀬君と同じ気持ちです。
でも、それを壊そうとしたのは、黄瀬君です。
それは、覚えておいてください。
明日もちゃんと学校行くし、大丈夫です。
それでは、おやすみなさい。
「つまり、さんは、俺のこと好きって事ですか?」
「さぁ、そこまではこの文脈じゃ分からないけど…」
**
は昨晩から、そわそわしていた。
逃げたら認めたみたいだ、と家に着いてから冷静になったときに気づいた。その後悔がずっとの中に蠢いて、決してを逃がしてくれない。
黄瀬にどう思われたかよりも、周りにいた先輩にどう思われたかということが、には気がかりだった。
そのことから、黄瀬に対してはあまり深い感情を持っていないことが伺えた。
だが、黄瀬に弁明をしようにも、今朝からずっと避けられていた。はどんどん自分が追いつめられていくことに気づいていた。胸の辺りが、じくじくと膿んだように重苦しい。
もう消えてしまいたい、穴があったら、さらに深く掘り進めて潜りたい、そんな気持ちだった。
「あれ?」
その声に、は顔を上げた。そこにいたのは森山だった。
「あ、こんにちは」
ぺこりと会釈すると、森山はにっこりとわらった。は余りにも自然に作られた笑顔に驚いた。
は、はやく誰でも良いから弁明したかった。そうでないと、地に足が着いていない状態のまま、段々状況が悪化していくように思えた。
だが、きっかけが掴めない。
「珍しいね」
「なんか、今日ぼーっとしちゃって、お弁当忘れたんです」
普段はお弁当を持参しており、友人と教室で昼を過ごすので、が食堂にいるのは珍しかった。
「ふぅん、ここいい?」
「あ、どうぞ」
の正面に、森山は教科書とノートを置いた。
森山のクラスは昼前の授業が移動教室だった。混む前に来るため、直接食堂に来ていた。森山はサイフだけを持って、昼ご飯を買いに行った。
しばらくすると、日替わり定食をトレイに乗せて戻ってきた。ご飯が大盛りで、は圧巻だと感じた。
の頼んだミニカレーは、ミニというだけあって、小さかった。足りるかと聞かれれば少し少ないと答えるが、普通を頼めば必ず残してしまう。
折衷案で、ミニカレーに野菜を頼んで、もりもりと食べていた。
「…………相談してもいいですか?」
「ん?良いよ」
当然、というように言われた言葉に、は感動した。森山に対して、「良い人」というすり込みがされた。
「黄瀬君に避けられてます…本気で逃げられたら、私が、…追いつけるはず無いですよね…」
「そうだね…」
黄瀬の運動能力は、森山も知っていた。それを普通の女子生徒が抜かせるわけがなかった。
「なにが腹立つって、多分黄瀬君は誤解してて、そして、その誤解によって私がとても可哀相な子になってる、ってことです」
「可哀相…」
森山は、の言葉の意味を量りかね、反復した。
「はい…多分、彼は、私が彼に好意を寄せていて、でも恋人にはなれないから、友達に甘んじてる、って思ってると思います。それが、癪です」
森山はの言葉に、納得した。黄瀬ならそう思いかねない、そう感じたからだ。はやっと吐き出せた、とほんの少し気が緩んだ。
「で、結局、ちゃんは、黄瀬のことどう思ってるの?」
「………友達ですよ」
は即答できなかった。全く邪念が無かったと言えば、嘘になるからだ。
「でも、恋愛対象として見れる」
「見れます」
森山の的を射た質問に、は即答した。
「だけど、恋人にはなりたくないあんな彼氏が居たらいやです」
は一息で言い切った。
「でも、好きなんだよね」
「………好き、っていうと、意味が違ってきますよ」
「どういうこと?」
森山は、が少なからず黄瀬が好きだ、と思っていた。だが、はそれをやんわりではあるが否定した。
「格好良い男の子がいたら、そういうこと考えちゃうのって悪いことですか?」
「うーん…」
森山は定食の唐揚げをぱくりと食べて、咀嚼しながら考えた。思い当たることがいくつかあった。惚れやすい自分の性格を森山は知っていた。
本気の一歩手前。恋愛感情を抱いても、実行に移すほどの情熱があるわけではないし、考えもしない、そんなことはいくらでもあった。
「あるね、俺もある」
「ですよね。私、自分がおかしいって思ってません。思春期の男女が本当に、そういう感情全く無しで付き合えるわけ無いと思ってます」
「確かに」
ほっとした様子で話を進めるに、森山はうんうんと納得した。
「しかも、あいつイケメンだし……というか、ある程度ブサイクでも多分そういう感情持っちゃいます…私なら…。……その程度なんですけど…」
「そうだね…俺もクラスの女の子には、そんな感じ」
「ですよね。でも、それを黄瀬君に説明するとなると、難しいです」
「うーん、確かに」
森山にはの気持ちが通じた。だが、黄瀬にこの説明で納得してもらえるとは、自身思っていなかった。二人は頭をひねった。
「友達です、でも、男と女です」
「うん」
「としか言えないんですけど…」
森山は考え込むように、うーんと下を向いた。は森山の様子を見ていた。食事をしている人を見るのが、は好きだった。
よく「欲しいの?」と聞かれることがある程度にはよく見ている。森山は綺麗に食器の上のものを消していく。それを、はぼんやりと見つめていた。
「でもさ、期待、はしてないんだよね」
「してません。むしろ、なんか嫌です。だって、彼ですよ。空気読めないし、………先輩も、私のこと可哀相な子みたいに思ってましたよね、あれ絶対黄瀬君の態度のせいだし…」
「うーん、否定できない」
にっこりと笑って、森山は最後の唐揚げを口に放り込んだ。のカレーはまだ器に残っていた。
喋りながらも食べていたが、咀嚼するのが遅いのか、後に食べ出した森山の方が早く食べ終えてしまった。
「ですよね。ものすごく私の自尊心は傷つけられてます。凄く。学校来るのが嫌になるくらい、いま、私は傷ついてます。しかも、その当人は私を避けるし。あれは私に何を求めてるんでしょう。私だって、女の子ですよ。男の人に、それなりの感情を持ってて、男の人に興味あるし、抱き寄せられたらどうしようきゃーくらいは思ってますって何言ってるんだすみません」
のぺらぺらと話す言葉を森山はじっと聞いていた。テンション高く話されるはずのものが、平坦な音のトーンで話されていく。それを森山は不思議な気持ちで聞いていた。
「………ううん、いいよ。そういうのは、俺らの方が顕著だろうし」
森山は、お茶を飲みながら、軽い調子で答えた。も頷いた。
「……………っていうか、あれがイケメンなのが悪いんですよ。確かに顔は好きだけど…本人はあれだし…」
「本人って、顔も本人でしょ」
はぴたりと動きを止めた。森山はそれを不思議そうに眺めた。
「…………あれ?今、なんかちょっと…………腑に落ち…た?」
持ち上げかけたスプーンをことんと下げた。
「………なるほど…」
「今、ストンって、あー、そういうことだったんですね…」
「うん、あるよね、そういうこと」
の少し明るくなった表情に応えるように森山はうんうんと頷いた。
「…………はぁ……なんかすっきりしました」
自分でも分かっていなかった感情を、名を付けられる程度に理解したは晴れ晴れとした気持ちでいた。しかし、森山の一言で全くの振り出しに戻る。
「でも、それって、あいつに説明できんのかな…」
は再び持ち上がった問題に、項垂れた。
「……………もう少し、あれが一般人だったなら…」
「………イケメンだしね…不本意ながら事実だし、そういう経験は無いかもね…イケメン滅べ」
森山は、いつもと変わらぬ表情で黄瀬を罵った。は、ぽつりと胸の中に浮かんだ言葉を、口にした。
「先輩もイケメンのカテゴリですよね」
「え、そう?」
森山は爛々とした目でを見た。は若干引きながら頷いた。
「イケメンですよ。私的には。当てにならないかもしれませんけど…わたし、お世辞とか苦手なんで」
「そっか」
そうかそうか、と満足げに森山は何度も頷いた。
「………私、ムカついたんです。私、友達だってこと、誇りに思ってます。彼だけじゃなくて、私の友達はみんな凄くて、だから、凄く幸せだって思うし、友達であることに、ほんとに誇りとか、マジで持ってます。それが、なんか…私の、その友達だって気持ち、踏みにじられたみたいで、蔑ろにされた、みたいで、」
「うん」
「あの人、本当に虫唾が走ります」
「本当にね」
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