友達です
「お前、嬉しそうだな」
「うん、女の子にイケメンだって、言ってもらえた」
ふーんと、笠松は興味なさそうに着替えを再開させた。
「…………あ、黄瀬ー、ちゃん、お前のこと虫唾が走るって言ってたぞ」
黄瀬は、今は聞きたくない名を聞いて顔を顰めた。
「……………俺のせいじゃないです」
「いや、お前のせいだった。話したら、お前が全面的に悪かった」
「へぇ!?」
「お前、後で話しに行けよ」
森山は黄瀬に指を指して、何を考えているのか分からない顔で言った。
「もう、帰っちゃったでしょ、あの人帰宅部だし」
「さんだったら、写真部だろ、確か」
笠松の言葉に、黄瀬は目を見開いた。自分は知らない、と一瞬脳裏に浮かんだ感情に、黄瀬は頭を振った。
「そうなの?」
「おう、部長会にも出てるし」
森山の相槌に、笠松は応えた。黄瀬の居ないところで話が進んでいく。黄瀬は逃げる口実を失った。
**
黄瀬は写真部の部室の前にいた。ノックをするが、中から返事はない。
「もう帰っちゃったんスかね」
もう一度ノックするが、返事はない。黄瀬はほっとした。
黄瀬は、初めての感情に、戸惑っていた。イライラとそわそわ。
「………これ、何なんスかね…」
黄瀬はぽつりと呟いた。
帰ろうと踵を返したとき、扉が開いた。黄瀬は思わず飛び退いた。
「ごめんなさい、今現像中でした。なにかご用ですか?」
「あ」
「待って、外に出させて、中死ぬほど熱い。死ぬ。もう無理」
中に入ってこようとする黄瀬を制して、は外に出た。窓を開けて、そこから顔を出す。七月の風は生ぬるくて、あまり意味がなかった。首に巻いたタオルで汗をぬぐう。
はカッターシャツにハーフパンツという格好だ。
「えっと………」
黄瀬は口を開いたが、何を言えばいいのか分からず、口をまごつかせた。
「なに」
「話、してこいって言われて…」
は頷いた。
「練習大丈夫?」
「はい。大丈夫っス。今日は軽めの調整だけだったんで…」
再びは頷いた。
「黄瀬君は友達だよ。それは妥協とか、その関係に甘んじてるとかじゃない。私が、余計なこと言ったから、混乱しちゃったんだよね」
「……はいっス」
黄瀬はに会うまで、自分の中にあるぐちゃぐちゃの感情を消化し切れていなかった。だが、があまりにも普通に話し出すものだから、黄瀬は拍子抜けした。
そこで、妙に思考がクリアになるのを感じた。
黄瀬は、初めてが出てきた暗室に目を移した。水がじゃーじゃーと出しっぱなしになっている。
狭苦しい場所だ。自分ならあんな所に一人で十分も居られないと、黄瀬はぼんやりと思った。
「ん〜……言って分かるかどうか、微妙なんだけど、黄瀬君は、モデルでしょ」
意識をに戻し、黄瀬はこくりと頷く。
「そういう、芸能人とか、まぁ、たとえば、漫画のキャラとかでもいいんだけど、そういうの好きだなぁって思うことあるよね」
が黄瀬の表情を伺うように覗き見た。分かって聞いているかの確認だ。黄瀬は眉をひそめた。
は、黄瀬が分かっていないのだと判断し、それでも話を続けた。
「あるんだよ。それで、女に限らず、男でも女でも、少なからず、そういう恋愛感情一歩手前、みたいな感情をそういう物に注いだりするんだよ」
黄瀬はやはり分からなかった。クリアだった思考が再び霞んでいく。
も、黄瀬に対して過ごしてきた時間が違いすぎると感じていた。そして、これからも違う道を進んでいく。偶然、一瞬出会っただけの関係だ。
「で、分かったことは、多分その類。物言わぬ黄瀬君はやっぱ格好良いわ。写真とか見てたら、凄い格好良い。うん、イケメン。だから、キャラ萌え?なんだよ」
黄瀬の表情は相変わらず、呆然としたものだった。
は、こんなに説明しても理解してもらえないのに、どうして傍にいるのだろうと感じていた。
「うーん、まぁ、なんていうか、モデルの黄瀬君と、実際ここにいる黄瀬君と、私の中では、微妙に解離してて、だから、ここにいる黄瀬君自体に何にも感じてない」
そんなこともないが、は心の中でそう呟いた。
話をややこしくしないために、は本当のことを言いながらも、全てを話していなかった。自身もそれほど明確にモデルの黄瀬と、実際の黄瀬を区別しているわけではなかった。
「やっぱよく分かんないっス」
「そう言うと思った」
にとって、思った通りの返答だった。
「だって、どっちも俺っスよ?」
黄瀬はふて腐れた顔で、唇を突き出して言う。
「うん、本人にとってはそうでも、やっぱり私の中では違うなぁ」
は嘘は言っていない。少し、大袈裟に言っているだけだ。
「だって、写真の中の黄瀬君は何も言わないし、動かないし、格好良いとこだけ切り取った黄瀬君なんだよ。でも、黄瀬君は、勉強はいまいち、絵は私の方が巧いし、馬鹿だし字は汚いし、色々天然ボケだし、空気読めないし、馬鹿だし、」
「馬鹿って、二回言ったッス」
「ほら、全然違うでしょ…」
モデルの黄瀬はこんなことを言わない。モデルの彼は物言わぬ人形に過ぎないのだ。だから好きに妄想できる。
「こういうこと言うのって、どうなのかな………うーん、馬鹿に分かってもらうには…言うしかないのかなぁ…」
は最終手段に出ようとしていた。だが、自分の内面をさらけ出すことになる。それが、に躊躇させていた。
「なんか、もう黄瀬君の友達じゃなくてもいいや…面倒くさいし…別に黄瀬君のこと好きじゃないし、話合わないし、馬鹿だし」
「放り出さないで!しかもまた馬鹿って言った!」
黄瀬は今日一日避けていたことをすっかり忘れている様子だ。泣きそうな顔でに縋り付いた。心底鬱陶しそうに、は黄瀬を振り払った。
黄瀬は、どうして一瞬でもこの人は自分に恋愛感情を持てると思ったのか不思議に思った。
それほど、は黄瀬に好意を寄せている様には見えなかったのだ。
「だって…………黄瀬君ってイケメンだから睨まれると恐いし…」
「睨んだっスか?」
黄瀬は汗をだらだら流して、伺うようにを見た。
「うん、なんか、裏切り者〜みたいな顔してた。何て言うか…傷ついた。だって、こっちは、別に恋人になりたいとか、全然思って無くて、勝手に私が黄瀬君loveみたいにされて、私自身忘れてたけど、likeかどうか自体危ういし。ただでさえめっちゃ不本意なのに…はぁ…さらにそんなアレでしょ?」
「溜息吐かないで!」
の本気で面倒くさいと思っている声音での告白に、黄瀬は叫んだ。
黄瀬のその様子がまるで飼い主に見放されようとしている犬の様で、は絆された。
「…………わかった、言おう。じゃあ中入ろう」
「え?なんで…」
「余所様に聞かれたら、…………………………死ぬ」
のただならぬ様子に黄瀬はごくりと息を呑んだ。
そして、大人しく暑く狭い暗室に入った。は黄瀬を押し込み、丸椅子に座らせた。
黄瀬は慣れない薬品の匂いに顔を顰めた。
は後ろ手に暗室の鍵を閉め、セーフライトを普通の電灯に切り替えた。ムーディな雰囲気だった暗室は、ただの小汚い古ぼけた個室になった。
も椅子に座り、深呼吸をした。そして、口を開いた。
「黄瀬君はエロ本とか見んのん?」
「へ!?」
黄瀬は突然の思いも寄らぬ質問に、声を上げた。黄瀬の視線が泳ぐ。
は捲し立てる様に声を荒げた。
「見るの、見ないの!」
「……………見る、けど…」
「それ!その感覚!」
は指を指して、黄瀬に迫った。黄瀬は思わず後退る。安定の悪い丸椅子がぎしりと音を立てた。
「えー……さん、俺のことそんな目で見てたんスか……?不潔っス」
黄瀬は正気を戻し、から距離を置く。ないわーという顔をしてを見た。
「…………エロ本見てる奴に言われたかねぇわ」
「それとこれとは話が別っス!」
「別じゃないし!」
「なんか、気迫が恐い…」
黄瀬はさらに後退る。は、椅子が壊れないかそわそわしていた。
怪我をさせたら怒られるのはだ。笠松はきっとバスケのこととなると恐い。コートでの彼の気迫を思い出し、は身震いをした。
「エロ本見ても、別に、恋人になりたいとか思わんよな?」
「そう…だけど…」
相変わらず、黄瀬の視線はきょろきょろと泳いでいる。現像装置や、ぶら下がっている写真、液の入った容器、水が出しっぱなしの流し、様々なものが目に入る。
「そういう感覚なんよ!」
は、そんな黄瀬の様子に目もくれず、興奮した様子で言った。
黄瀬が納得してくれそうな感覚を掴み、気持ちが高ぶっていた。それは、数学の問題が解けていく感覚に近い。パズルの完成、と言い換えても良い。
「別に黄瀬君が特別ってわけじゃなくて、女子だって男子みたいに、ある程度、男子ほど顕著でなくても、興味あるんだって、男の子に。そう言う風にできてんの、じゃないと、子孫が繁栄しないでしょ」
「まぁ…理屈としては…」
生々しい表現に、黄瀬はげんなりした顔をした。だが、は気にせずに続けた。もう、どれだけ嫌われても構わないとさえ思っていた。
「で、だから、別に仲良くなったのが、笠松先輩だって、森山先輩だったとしても、同じだってことであって、」
「……………へぇ…」
「これで分からなかったら、もう私黄瀬君と絶交する」
曖昧な黄瀬の返答に、高ぶっていた気持ちが急激に萎えた。
「ちょっ…そんな簡単に…」
「あ?こちとら、今日は散々だったっての。弁当も忘れたし…」
「へ?」
予想外の展開に、黄瀬は狼狽えた。は指を黄瀬の鼻につくかつかないかの位置に突き立てた。完全に説教モードだ。
「…………っていうか、まじヘコんだんだから…私、黄瀬君の友達だって、結構自分の中で、自慢っていうか、誇りっていうか、でも、黄瀬君が、そんな私のそういう、友達だっていう気持ち踏みにじるから…ちゃんと、黄瀬君のこと、見てるって、思ってたのに、否定するし…おい、黄瀬聞いてんのか」
黄瀬はぼぅっとしていた。の言葉で、黄瀬も自分の感情がどういう類のものなのか、納得がいった。
「………俺、なんか、結局、さんも、他の子と同じなんじゃないかって思ってたっス。外見とか、ブランド?みたいに見てんのかなぁって…それで勝手にがっかりしてて…」
「同じじゃ駄目なの、そんなこと言われるとプレッシャーなんだけど…普通にイケメンは好きですがなにか」
その言葉に、黄瀬はにっこりと笑みを浮かべた。その場にそぐわない笑みに、は身構えた。
「大丈夫っス。さんは他の子と同じにはなれないっスよ。変態だし」
「変態じゃないし、」
「えー……」
「なんでそんな不本意そうな顔してんの、エロ本見てる人に言われたくないしな!」
「生理現象っス」
「こっちも生理現象ですぅ〜」
ぽんぽんと言葉のやりとりがされる。
その様子に、黄瀬はがちゃんと等身大の黄瀬涼太を見ていてくれることを実感していた。
「でも、傍にいた俺女の子にそんなこと思ったことないっス」
「もしかして………………黄瀬君って、イン…」
「違うっスからね」
間髪入れずに、黄瀬はにツッコミを入れた。
「………不感症とかじゃなくて?」
「さんって、結構そういう系の話苦手だと思ってたっス………………まぁ、男の友達ができたと思えば…」
「何で…!」
「エー…女の子としては見れないっスよ」
「失礼すぎる!」
なぜか取っ組み合いになった。換気扇はあるが、湿気が籠もりやすい狭い暗室で取っ組み合いをすれば、結果は見えている。体力の無いが先にギブアップした。
「とりあえず、外に出よう……ぜぇ…ぜぇ…」
「そうっスね………はぁ…はぁ…」
外に出ると、幾分か爽快な気持ちになった。
「…………なんで、二人ともそんな汗だくなの?」
そこには森山が居た。少し離れたところに笠松も立っていた。黄瀬が心配でやってきたようだ。
「もしかして……セ…」
「言わせねぇよ」
笠松が森山の言葉を遮った。はその笠松の心遣いを台無しにした。
「違います。この人インポなんで、そういう心配はないです」
その場が凍った。
「……だから、違うって言ってんのに!違うんスよ!この人が勝手に言ってるだけですから!俺はいたって健全ですからね!」
「痛い痛いいたたたたたたたたたたたた」
黄瀬は笠松達に弁解しながら、の頭をギリギリと両手で圧迫する。は反撃しようと腕を伸ばす。しかし全く届かない。クロールのように、腕をばたばたさせるが、やはり届かない。
「くー!届かん!」
「腕短いっスね」
「くっそ、この手長足長め…妖怪か!」
わーきゃーと二人は取っ組み合いを再開した。それを森山は微笑ましく、見守っていた。ぶっちゃけると、傍観していた。笠松は頭を抱えている。
「仲直りしたんだね」
「っていうか、溝が広がったっス」
「広げたんはアンタやろ!死ねや!ハゲェ!」
「禿げてない!」
の動きがぴたりと止んだ。不思議そうに黄瀬はを伺い見る。
「………将来禿げそうだなって…」
「ちょ…恐いこと言うな!」
黄瀬は自分の頭に手を当て、に反論する。
「………サラサラの人ってヤバいらしいよ…」
「ちょ…マジっスか…」
「マジ、です」
が真剣な顔で言うので、黄瀬は冷や汗を掻いた。
禿げても友達だからね、とは縁起でもないことを言い、黄瀬を本格的に困らせていた。
「一件落着、なのか?」
「なんか、男女の友達ってか、男友達みたい」
「…………」
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