駅はどこ?





「ヤバい」

は今の状況を認めた。

その日は黄瀬が買い物がしたいと駄々を捏ねるので、仕方なく買い物に付き合った。は黄瀬の後ろを着いて回り、時々求められる助言に応えていた。時折、レディース売り場に連れて行かれ、着せ替え人形にされた。

帰り道、小さなバスケットゴールを見つけた黄瀬は迷わずそこに突進していき、転がっていたボールを手に取ると、タメ無しで軽く放った。そのボールが吸い込まれるようにゴールをくぐった。

そこまでは良かったのだ。

どうなったかは、想像に難くないだろう。そう、女性に囲まれたのだ。確かに黄瀬は見目麗しい。だが、こんなにも女性を惹きつけるのはどういったことだろうか、と現実逃避しつつ離れたところにいた。しかし、日が沈んでいく様子を見ていると、帰りたいという気持ちがむくむくと大きくなる。

そのの気持ちが届いたのか、黄瀬がこちらを向き、申し訳なさそうな顔をして、先に帰って良いよと口が動いた、様に見えた。恐らく黄瀬の性格からすると、ほぼそういった類のことを言ったのだということは間違いない。

そうして、今、

「迷った…」

が神奈川県にやってきたのは中学2年生のこと。京都に居たときは東京も神奈川も変わりない所だと思っていたが、いざ住んでみると全く違う。県境を越えるとき、あまりにも違うことを実感させられる。

つまり、は土地勘が皆無だった。暗くなりかけの道は、昼間とは全く様相を変えており、にはそこが昼間通った道かどうかも怪しかった。どんどん人も少なくなる。不安を押しやるように、しゃかしゃかと足を動かす。

「黄瀬くんのばか、イケメン爆ぜろ、黄瀬くん嫌い、…………嘘。普通」

と呟く。は出そうになった涙をぐっと堪えた。ついに立ち止まってしまった。足が重い。脳が発する信号を無視して、足はいっこうに動かない。ぐぐぐ、と引きずるように足を動かそうとするが、やはり動かない。

は諦めて空を見上げた。星が見える。大きく鼻から空気を取り入れる。ゆっくりと口から息を吐く。夏の香り。

足に力を入れると、すっと動いた。一歩一歩確かめるように足を前に出す。鼻歌を歌い、ふんふん言いながら、まるで楽しい出来事があったかのように体を動かしながら歩く。暗い気分を吹き飛ばすように。

「あ、」

は声を上げた。小さな声だ。誰にも聞こえないかすかな吐息のようなもの。

目を凝らすと、見たことのある集団がずらずらと歩いていた。最後尾に視線を滑らせる。

「く、黒子さん!」

は声を張った。縋るような思いで、名を呼んだ。黄瀬が何度も何度も言っていた名だ。その集団の中、知っている名前はその一人だけだった。

ゆっくりとこちらを向く顔。は走った。

集団がどよめく。

「はい、……黒子は僕ですが……すみません、どこかでお会いしましたか?」
「あ、え、そ、」

言葉が上手く出てこない。何から言えばいいのか分からず、言葉が喉の辺りで絡まる。

「落ち着いてください」

抑揚のない声だが、優しげな声だ。は急に恥ずかしくなって、全身の血が顔に集まる感覚を覚えた。は黒子のことを知っているが、黒子とは面と向かって話をしたこと、話したことどころか、自身ですら正面から顔を見たのはこれが初めてだ。いつも上から試合を見るだけだったのだから。

「あの、道、わから、なくて、最寄りの駅ま、で、連れていってください」

たどたどしく出された言葉を黒子はうんうんと頷きながら聞いた。

「そうですか、駅……ここの最寄り駅で大丈夫なんですかね…」
「え、と……海常、海常に行く、駅……」
「大丈夫ですね、ここから近いですよ」

黒子はふわりと微笑み、の表情が明るくなる。

「ほんまですか!」
「ええ、」
「よか、よかったー…」

ほっと安堵して、胸をなで下ろした。

「あ、の!よろしくお願いします」

責任者であるリコが任せなさい、と言ったので、はちょこちょこと黒子の少し後ろを着いていく。

「よく黒子が分かったな」
「え、あー…はい、はい?」

吊り目の青年、髪色の薄い男がの隣に並んだ。降旗と名乗った。彼の言うことが分からず、が聞き返すと、降旗は不思議そうな顔をした。

「黒子って、影薄いからよく見失うんだ」

苦笑いで黒子の方を見てそう言った。黒子は困ったような笑みを見せた。

「そうなんですか?黄瀬くんがよく黒子っち黒子っち言ってるから……黒子さんだけは分かったっていうか……」

あはは、と笑う。黒子が目を丸くした。

「黄瀬くんのお友達ですか?」

黒子の意外そうな様子に、は少し納得した。入学当初の様子を見ていれば予想は付く。仲の良い友人など限られていたはずだ。

「はい。同じクラスで、……今日も一緒に来てたんですけど、女性に囲まれてしまって、命からがら私だけは逃げてきたんです」
「命……!?だ、大丈夫なのか!?」

ガタイの良い男、火神がぐるんと勢いよくの方に顔を向けた。本当に焦ったように、火神はを見た。

「え?あ、はい。マジレスされるとは思ってなかったです」

関西のノリが通じない。は少し恥ずかしかった。話題を変える。

「私この辺の地理全く分からなくて、焦りました」
「そうですか……それは…黄瀬くんは本当にそういうところダメですね」

ずばっと切り捨てた。はきょとんとした。見た目とはかけ離れた性格らしいと、脳内にインプットする。

「えっと、仕事、ですし…」
「はい、でも女性をこんな夜遅くに放ったらかししするなんて…」

と自分のことのように怒る黒子に、はふわりと心が温かくなるのを感じた。

「ありがとうございます」

と言うと、黒子は首を傾げた。

「いえ……あの、私のために、怒ってくれてるのかなって…」

恥ずかしいのを誤魔化すように、えへと笑うと、黒子も微笑んだ。

「良い方ですね」
「へ!?いや、えっと、そんなことは……ありがとうございます…」

黒子は再びにこっと笑うと、指を差した。

「あれが駅です。方向は……僕たちの逆のホームですね」
「はい!ありがとうございます!」

はほっとした。これで帰れる。
行きに降りた駅とは違うが、駅名に見覚えがあった。

「お気をつけて」
「はい。向こうの駅に着いたら、多分親が迎えに来てくれるので、大丈夫です」
「そうですか。では」

と、黒子が言ったところで、電話が鳴った。表示された名を見ずに電話に出る。すると、先ほどまで聞いていた声が聞こえる。

「あ、黄瀬くん。うん、うん、大丈夫だよ。うん、黒子さんに会ってね、駅まで案内して貰った。うん、」

心配と謝罪の言葉。焦ったように早口で捲し立てるように話す。泣きそうな声に、思わず先ほどまでの怒りを忘れて、同情したくなった。だが、余りにも何度も何度も謝ってくるので、もいい加減鬱陶しくなってきた。

「あーあーあー、もう大丈夫やって言ってんやん、もぉええって、あん?ええって………良い、もう良いってこと、うん、うー?うん、はいはい、じゃあ、今度なんか奢ってぇや、それでええから、ほう、おん、じゃあね、ほなまた」

まだ何かを言おうとしているのを遮って電話を切った。はっとして黒子を見ると、まん丸な目で黒子がじぃっと見ていた。

「す、すみません…」
「黄瀬くん、ですね。声聞こえました。さん、大阪の人なんですか?」
「え?いえ…京都です。あ、京都って言っても、市内じゃなくて、田舎の方なんですけどね」
「そうでしたか」
「時々黄瀬くんに聞き返されます。方言って使ってる本人は分からないんですよねぇ…」
「ふわふわしてて、なんか可愛いな」

隣で話を聞いていた火神がにかっと笑ってそう言った。一瞬何が可愛いのか分からず、体が熱くなった。すぐにイントネーションのことだと分かり、さらに顔が熱くなった。

「あ、は、はい。それ、森山先輩にも言われました。方言女子!って」
「森山って、…5番の人よね」

リコも会話に混ざる。

「あ、はい。色々お世話になってます。独特な雰囲気の人だけど、いい人です…」
「なんか、試合でしか見てないと、ライバルー、とか敵ーとかいう感じだけど、こうやって話聞くと、普通に高校生なんだよな」
「あー、なんか分かる。こう、一気にハードル下がるって言うか…」
「そう!」

小金井の話に、土井が同意する。他のメンバーもうんうんと頷いているが、にはその感覚が湧かなかった。

「そういうもんです?」
「そうですね。強敵、ってイメージがあるので、普通の高校生だと思うと、自分に存在が近くなります。……黄瀬くんも、雑誌を見ていると少し遠く感じませんか?でも、普段の彼を見ていると、ただの高校生でしょ?」
「あー、確かにそうですね」

ふむふむとは頷いた。

「黒子さんの説明分かりやすいですね!」
「こいつ、国語だけは成績良いんだよ」

福田がぽんぽんと黒子の頭を叩いた。黒子があまりにも無表情でそれを受け入れているので、は異様な光景だと思った。

「本とかも好きなんですか?」
「はい。よく読んでます」
「そうなんですね……あ、電車来た。本当にありがとうございました」
「いえ。ではまた」

また、という言葉には心がほわりとした。

「はい、また」

と言って、電車に飛び乗った。
ドアが閉まり、発車する電車、外を見ると黒子が手を振っていた。も手首だけを振って、控えめに応えた。

「……世間は狭いな…」

都会、大きなビル、たくさんの人。人が溢れるこの場所で、知り合いに会うなんて、とは今日の出会いに、何かしら運命的なものを感じた。



BACK NEXT