6
「うはぁ…遅くなっちゃったなぁ…」
もう空は真っ暗だ。この時間は、普段なら当直でない限りベッドの中にいる。他の隊は暇そうにしているのだが、そのしわ寄せが私たちの隊に来ている。ヘラヘラとしている連中を見る度に、ぶち殺してやりたいような気にもなるが、そこはぐっと堪える。残業という概念は無い。特別に手当てが貰えるでもない。何を糧に皆は仕事をしているのだろう。などと部下のことを思うと、胸が痛い。やはりちょっと痛い目に合わせてやりたい。
なんて思っていると私の意思とは関係なく、誰かを呪ってしまいそうだ。というか、実際私に行き過ぎた嫌がらせをしてきた奴らに不幸が起こった事案があったのだ。私が自ら積極的に何かをしたわけではない。本当に偶然だったのだ。しかし=ルーベンスやその部下に手を出したら、酷い目に合う、という噂があっという間に広まった。そのおかげで平和な日々を過ごせている。ちくちくと小さな嫌味やイジメはあれど。
こんな規格外の残業をしてまで、真面目に取り組まなければならない理由が、今日はあった。新人の実地演習の現場の下見をしてきたのだ。新人研修の域を超えた、死んで来てくれという意思が透けて見えるどころかはっきり見える現場だった。過酷な場所を割り当てられてしまった。それでも死人を出す訳にはいかないので、今日は何の旨味もない残業をこなしてきたわけである。せめて深夜手当は欲しいところだ。
もしかしたら、あの皇帝なら頼み込めば折れてくれるかもしれない。何を思ったのか、どういう経緯かは分からないが、気に入られているようなのだ。それが「いびり」に拍車を掛けているのだというと、それまでなのだが。
ああ、今日もマリアに会えなかった。最近はとんとご無沙汰だ。顔を忘れられているかもしれない。本人はともかく、ユーリには忘れられていそうだ。せめてマリアに会えぬなら、シュヴァーンに会いたい。一応生前の推しなので。
そういえば、どうやら彼は本当にシュヴァーンというらしい。私の人間時代の乏しい記憶によると、戦後作られた人物だったはずなのだが。しかも平民なのだ。
提出された履歴書(厳密には志願書、と言う名の死んでも文句言いませんという誓約書)には、出身地と名前が記入されている。それによれば、確かに平民でシュヴァーン=オルトレインというのだ。実は二人いたりして、なんてすべての新人の資料をひっくり返したが、やはりダミュロンの名は見つけられなかった。
平民、それも出身地の地区はかなり貧民街、の出身であれば、私の隊以外では不当な扱いを受けているだろう。どうにかして引っ張ってきたいのだ。とはいえ、仕事をしたくないが故に、平民を手放したがらない者もいる。案外そういう捌け口があることによって団結するという側面もある。どうしたものか。それに他の問題もある。私の下につけば酷い扱いは受けないが、それこそ本当に死への一本道だ。今日の現場を見ると、やはり私の隊にいるよりは、多少不当な扱いの方が良いのかもしれない。
今度アレクセイにでも相談してみるか、とやはり彼任せな思考に自分自身呆れながらも、彼が優秀なのが悪いと結論付けた。
今日も私の分の仕事を押し付けてしまったし、いつもの私のサボりの尻拭いも彼に任せっぱなし。なにか気の利いたものでも持って行ってやろう。
私もいつも完全にサボっているわけでもないのだが。そういうことにしておいた方が、寧ろ私の体面を保てるようなこともしているので、正直には申告できない。そんなこんなでサボり癖の強い上司のレッテルを受け入れているのである。
「ん?」
もう就寝時間は過ぎている。 当直の騎士以外は外出も認められていないはずだ。一応は。一応は、だ。
助けるか、否か。イジメを見逃すのは、後々私の良心をチクチクと刺すので、却下だ。
「もしもーし、一応はこの時間は外出厳禁なもんで、注意しとかなきゃだめなわけ。所属は?…まぁ、顔見れば分かるけど」
数名は私の隊かな。
隊内でこんなことがあれば直ぐに気付いたのだが、被害者が他隊の者だったので見逃してしまったのだろう。反省だ。
チンピラ風の5人合計10個の目が一斉に私を見た。思わず飛び上がりそうになるが、そこは平常心だ。男たちは口々に私を罵倒してくる。正直、割と怖い。殴られても痛くないし、死なない体だから大丈夫、と言い聞かせるが、そういう問題ではない。
「その面は何だ!馬鹿にしているのか!」
そこで私ははっとした。
少しチンピラに突っ込むのが怖かったので、面をしてきたのだった。余りにも突っ込まれないものだから、つけた本人も忘れていた。月がきれいだったので、セーラー〇ーンの面だ。懐かしい。少女時代を思い出す。一枚隔てられているというだけで、少し冷静になれる。それに正義の味方だ。なお一層頑張れる気がする。
いや待て…仮面を被っているから、私だと気付かないのだろうか。普段はそれなりに大人しくまじめに働いていたと思っていたのだが、私が怖かっただけだろうか。それならこの面を取れば解決するのか。男たちを観察する。「聞いているのか!」と口々に言うが、ちょっと待ってくれ。
私干されないか?と心配になってきた。というか、私一人の被害なら兎も角、報復が私の部下に行ったらどうしよう。流石に陛下に進言する。絶対に陛下に言いつける。陛下に助けてもらう!
と心の中で叫ぶ。確かこの男、結構良い所の坊ちゃんだ。リーダー格の男は私の隊の者ではない。あまり良い噂のない隊の者。助けないという選択肢は無かったが、変な正義感は出さなければ良かった。そのまま怪我人だけを連れて逃げていれば良かったのだ。私の馬鹿!
後ろの数名は私と気付き始めているのか、及び腰だ。私とリーダーの男、天秤に掛けているのかもしれない。
「う〜ん、ほら、あんまり大きい声出すと人来ちゃうし、君たちも問題でしょ?」
困ったように笑って、場を和ませようとする。…面を被っているので見えないのだった。目の前の彼ら(私の隊でない者)は下卑た表情をさらに深めて笑った。
「ははっ…誰もコイツを助ける奴なんていないんだよ」
そういう問題じゃないんだよ!引こうよ!どうしてそんなに頑なにイジメるの!暇なの!?こっちが残業代も出ないのにあくせく働いてんのに!!馬鹿か!
と、ひとしきり心の中で罵倒するが、我ながらボキャブラリーの乏しい言葉たちに呆れて口の中に留めた。
「じゃあ私がやる」
もう怒った。激おこぷんぷん丸だから。睡眠いらない体だけど、絶対睡眠不足だし、疲労溜まってるし、怒っても良いと思う!もう早く寝たいし!いざとなったら、マジで陛下に頭下げる土下座する!
「あれだ、あれ。月に代わってお仕置きよ」
一瞬だ。
男の腰に提げている剣を引き抜き、風を切る。剣先は、男の喉下にひたりとくっつくか、くっつかないかの絶妙なところで止めた。男の喉が鳴る。
「お兄さん、私だって人殺すのとかしたくないんだけどそれって君ら次第だと思うんですよね君たちがどれくらいの権力を持ってるか知らないけどそれって命より重いのかなたとえば私が君の首を落とす力と君の家の力。今この時どっちが強い?」
可笑しな面をつけた可笑しな人だが、他隊の取り巻きも私が只者でないという事が分かったのか、引いていく。まさか本気だとは思っていないだろう。私の隊の一人が崩れ落ちたリーダー格の腕を引っ張る。確かカルロ=アンジェリーネと言ったか。男は私を見た。怯え、困惑。まぁ、新人なら私の剣の腕がどうとか知らなかったのかもしれない。普段が普段なだけに。
「ひぃ…あ…ぁ…ぁ…助け…」
「だから、君次第だって。この件で、騒ぎ立てたら、…」
最期まで言い切る前に「うわぁぁ、」と下品な声を上げた一人の男とその他は去っていく。貴族の権力だけで騎士団に入った輩は剣の扱いを知らない。知らないままに剣を引っ提げて、人を傷付けることを厭わない。これは人を殺す道具だというのに、覚悟が無い。怖すぎる。
私は切られるのが嫌だから極力切りたくない。死にはしないけれども。
「君、…大丈夫?酷い怪我だけど…」
途中から倒れているのが、ダミュ…シュヴァーンだということは分かっていた。しかし少々、いやかなり視線が痛かった。何を助けているんだ、というような。一筋縄ではいかない性格らしい。気が強いのか、スレているのか。
「はい、大丈夫です。助けていただき、有難うございます」
「あ、じっとしてて。本当に怪我酷いから、痛むでしょ?」
にっこり、とは口の端の怪我でできないようだったが、明らかに愛想笑いをした。
心の距離に、心臓が痛む。
起き上がろうとする彼の肩を押し、寝かせる。不安そうな目で見上げてくる彼の心臓の位置に手を置き、怪我を治していく。柔らかな緑の風がシュヴァーンを包み込み、切り傷を治す。
仮面を付けているので、凝視しても分からないだろう。目の動きだけで、無遠慮に上から下まで見ていく。ゲーム内のシュヴァーンの姿が一番似ている。勿論肌は年相応だし、陰気そうでもないのだが。髪はぱさぱさとしたストレートヘア、ショートだが、男にしては長い。片目は隠れている。
そうこうしているうちに、怪我が少しずつ治っていく。
「ありがとう…ございます…く、ぅ…」
「まって、打撲の方が酷いから。今治したの切り傷ね!」
立ち上がって、行ってしまおうとするシュヴァーンを制止し、彼の頬に触れる。今度はオレンジの仄かな光が彼の全身の打撲根痕を消していく。
「抵抗くらいしたら?」
「余計酷い目に遭いますよ」
「…まぁ、それもそうか…」
それにしても無抵抗は、見ていて痛々しい。
「馬鹿を相手にするのは疲れるんです」
ずばっと吐き捨てるように言った。尤もな意見なのだが、何とも言葉が鋭い。
「他にもやられてる奴はいる。どいつも、あんな奴らより強いのに…ヘラルドは槍では新人の中で右に出る者はいない。クインシーは魔術にも、剣術にも優れてるしセバスティアンの魔術は強力で、詠唱も素早く、勝てた試しがない…けど、」
そんなことは此処では何にもならない、そう悔し気に言った。
「…すみません、生意気な口を利きました」
「私が気にするように見える?」
「いえ、…」
どうしようか。そんな力を持ちながら、発揮する場もなく、もしかしたらただ日々鬱憤を晴らすための道具であり続けるのだとしたら。それは不幸なことではないのか。
「もう痛くないと思うけど、」
「…こんな治療…始めて見た…。その…おれ、いや私…礼が」
今更ながらに敬語で話し始めたのが少し可笑しい。
「いや、ほら、別にそういうつもりで助けたわけじゃないし…あ、じゃぁさ」
シュヴァーンの頬にキスをする。痛い、面着けたままだった。
「これで良いや」
いや、良くない。できればもう一回生身で若い肌を感じたい。とは言えないか!
「君の目はまるで本翡翠のようでとても綺麗だね…片方隠してるのが勿体ないくらい」
見開いた眼が満月の光を受けて、きらきらと綺麗だった。
「あ、えっと、じゃあね!」
と手を振ってから、私はそそくさとその場を後にした。
後ろで「はあぁぁ!?」と文句のような声が上がったのを、無視をすることにした。すこし傷ついたのは、秘密だ。
***
アレクセイの部屋の方に耳を澄ますと、まだ起きているような音がしたので今から訪ねようと思う。誰でも良いから人に会いたい。
コツコツと石畳を踏みしめながら歩いていると、何時の間にか私はアレクセイの自室前に来ていた。見知ったドアの装飾が目に入る。意識的にも無意識的にも、私はアレクセイという安全圏を求めていたようだ。
コンコンとドアをノックし、アレクセイの返事がある前にドアを開けた。
「アレクセイー。 じゃーん! 君のお気に入りの紅茶の葉…と更にブレンドの紅茶です!」
無言。
可哀相なものをみるような目で見ないで。そんな貴方も素敵ですけど。
「…どう、か…した?かな?怒った?夜遅いし?返事待たなかったし?」
一向に話し出さないアレクセイに痺れをきらしたのは私の方。複雑そうなな顔のまま固まった目の前の彼。
「こんな夜中に部屋を訪ねてくるのも色々と思うところはありますが…あの、そのお面なんですか?」
「え?ああ、忘れてた。なんか視界が狭いと思ったんだ…そっか。そっか。お面だったのか」
目頭を押さえるように手をお面に沿える。堅く冷たい凹凸のある感触が手に伝わる。思ったより緊張していたらしい。そりゃチンピラ止めに入るって、結構な勇気。それに、
「様」
「私、子供じゃないんだけどな…」
そっと撫でられた頭。ぬくもりがじんわりと心に染みていく。
「でも、こうされるの好きだって前言ってました」
「そうだっけ?」
「はい。貴方の言った事は全部覚えてます」
ふわりと笑う彼の顔はとてもやさしくて、涙が零れそうになる。
「まるで、愛の告白だ」
思わず口に出してしまった。
「何馬鹿なこと言っているんですか」
「だはは」
そよそよと頭を撫でるアレクセイの手は暖かかった。私のほうが背が高いから少し撫でにくそうだ。何故こんな優しい人があんな事しちゃうんだろう。きっと、とてつもなく追い詰められたに違いない。追い詰めた人間が居たに違いない。
じっと見つめると、アレクセイは不思議そうな顔をした。
この瞳が濁ることのないように、私は努めなければならない。
彼は目をぱちくりと瞬かせて、はにかんだ。その笑顔を守りたい、なんてどこの騎士気取りだとも思ったが、私紛うことなく騎士だった。だからこれで良いのだ。
ここには安寧と正義がある。直ぐに現状変わらない。でも動き続けて、藻掻き続けて、次の世代に繋げなくては。
***
まだ朝日が昇って間もない。ほとんど徹夜だ。まだ人間的な感覚が抜けきらない私にとって、やはりせめて四半日は寝たいところである。実はこのカラダに睡眠はいらないらしいのだが。
「シュヴァーン・オルトレインですか」
「そうそう、彼のこと欲しいんだよね。私」
アレクセイに彼の名を告げると、すぐに分かったらしい。剣術に優れている、という評価が既にあるようだ。
私の印象としては、あの人魔戦争の経験があっての強さ、だと思っていたのだが、そうでもなかったのか。そもそも平民なのだとしたら、既にそういった覚悟の上剣を振るっている、とか?
「…はぁ…分かりました。手続きをしましょう…」
何を考えてのその間なのか気になったが、詮索はしないでおこう。それよりも今はこの机に置いてあるケーキだ。このために私は日々頑張っているといっても過言ではない。
ケーキの周りに付いているシートを綺麗に取り去り、フォークを突き刺す。文化的に何時代かわからない設定である。最初シートが張り付いているのを見て驚いたものだ。プラスティック加工技術があるのか、と。
本日はチーズケーキタルト。アレクセイが買ってきたり、私が買ってきたり。今日は彼が買ってきたので、間違いないだろう。
このカラダになって何が嬉しいって、どれだけ食べても太らないことだ。美味しいもの食べ放題!これぞ乙女の幸せ!
「…あとさ、彼と同室の青年たちもついでに欲しいんだけど」
困惑した表情を見せた。
「…2人の異動ですね」
人数が増えれば、それだけ異動の手続きも増える。理由も必要だ。眉間に皺をよせて、アレクセイは念を押した。
「4人なんだよねー。こっちの馬鹿な貴族様をさ、5人ほどやるから、くれって言ってきてよ。一人多くあげるからさ。ね」
「そういう問題ではないんですよ」
真っ当な意見だ。正しくそうなので、何も言わない。
「様、」
厳しい視線を向けられる。
「私は傲慢だろうか」
「質問の意味が分かりません」
きっぱりと言い切る。彼は私を甘やかしてはくれない。
「…平民の不審死を、見るたびに、自分の不甲斐なさを痛感する」
「ええ」
「…昨日は、イジメの現場を見つけてね」
今日と言う日を迎えても、お咎めが無いので、あのチンピラ風貴族はそれなりの分別があったのだろう。…私の噂に怯えているだけかもしれない。私に手を出すと悲惨な末路をたどる、と実しやかに語られている。らしい。殆ど濡れ衣だが。使えるものは使っておこう。
「怖かったけど、立ち向かえて良かったよ」
「怖いとかないでしょう…あんなに強くて…」
「権力には敗けるよ。私一人の命でもないしさ」
アレクセイは黙り込んだ。
私には部下たちがいる。私の行動一つで、どうなるか分からない。昨日の私は寝不足で頭が働いていなかった。
権力が怖いというのもそうだが、普通にチンピラは怖いよ。言わないけど。絶対に否定されるから、口には出さないけど。
「虐められて死ぬのと、うちの隊で死ぬのと、どちらがどれだけ彼らにとってマシなことだろうか、と」
「それは…」
私がそれ以上語ろうとしないのを察して、アレクセイはため息を吐いた。
「………で、そのこちらの引き渡す5人とは…」
先ほどまとめた書類をアレクセイに渡すと、彼はその場で書類を一通り目を通した。一瞬目を見開いたが何も言わずに書類をいつものようにバインダーに挟む。彼の驚く理由は大体分かっていたが、私はあえて何も言わなかった。
「貴族が5人いたってこちらにはあまり意味がない。どうせ厳しい遠征には何かと理由を付けて行かないのだから。居ても居なくても変わらない。力のある平民を欲しがるのは、うちにとっては十分な理由だろう。それで通しておいて」
「…はい…」
「じゃぁ、頼んだ。あ、飴ちゃんいる?」
「…頂きます」
アレクセイはかなり甘党だ。意外と言えば意外だが、ケーキを美味しそうに食べている姿を見ると、可愛いから良いか、という気分になった。
「では、失礼します」
「はい、お願いします」
彼はなにやら納得できないといった風だったが、仕事はきちんとこなす。何も言わずに部屋を後にした。
彼の背を見送り、私は煩い奴が消えたとばかりにだらしなく身体を伸ばした。貴族様の模範たる姿勢など、私には無縁だ。肩がこる。心は常に平民というか、一般庶民なのだ。
暫くはそうしていたが、いつまでもぼーっとはしていられない。迎え入れるにも準備が居るのだ。
執務室を出て、ドアに付けてあるプレートを外出中にかけ替え、いつもピカピカな廊下を靴底を鳴らしながらコツコツと歩いた。
昼間は何だかこの廊下を歩いていると気分が上がる。夜中なんかは、気味が悪くて仕方がないが。
少し歩くと、目当ての人物を見つけ、私は静かに近づいた。
「イエガー!」
「わ…!!」
後ろからがっちりとホールドすると、イエガーは本気で驚いたらしく、だらんと体重が腕にかかったことを不思議に思っていると、小さな声で、「腰が抜けました…」と言った。
「いやぁ…ごめんねぇ」
ここまで驚くとは思っておらず、申し訳ない気分になったた。私は頭を掻きながら謝った。
「お詫びに飴ちゃんあげるね」
「あ、ありがとうございます。……あの、それで何か」
彼は素直に差し出した飴を受け取り、ポケットに入れた。彼も甘いものが好きらしく、よく美味しいケーキ屋やらなんやらを教えてくれる。
冷静になると力も入るようになったのか、立ち上がった。
「うん…まだ未定なんだけど、4人ほど他の隊から入れようと思って。君、前から部屋が広くて使いにくいって言ってたよね」
彼が騎士団に入って3週間ほど経った時のことだったように思う。貴族待遇で部屋は広い個室が与えられるのだが、夜勤などで部屋に帰って誰もいない部屋に「ただいま」を言うのは正直気が滅入るのだと。私もそうだから、よく分かる。
「何人か、言ってますよ。貴族待遇とか本当に迷惑なんですよね。でも今更荷物の移動も大変で…」
「私も部屋広いから寂しくてさ。誰か入ってきてくれないかなぁと思ってるんだけど」
「いや、貴方は無理でしょ…」
控えめに、しかしばっさりと切られてしまった。
イエガーは呆れたようにそう言ったが、小隊長くらいなら入れても良いのでは、と少し思った。だが、そんなことをすればきっとまたアレクセイに小言を言われることになるだろうと思い直した。
「やっぱり?でさ、どうかな。その何人かとちょっと相談して部屋決めといてよ。4人だから」
「分かりました」
そう言って、彼は訓練所の方に向かっていった。熱心なのはいいことだ。「それが分かっているのなら貴方も熱心に仕事をしてください」とアレクセイの小言が聞こえた気がした。結構あくせく働いているぞ、と言い訳を心の中でする。
「はぁ…」
市民街でゆっくり買い物がしたい。遊びたい。ぶらぶらしたい。寝たい。下町の皆と会いたい…というかユーリに会いたいマリアに会いたい、その想いが日に日に大きくなる。しかしそうも言ってられない。
昨日行った実地演習、遠征の現場の下見。
結構手ごわい魔物が居て、周りは見渡す限り草原。隠れるところも拠点となるテントを張る岩陰なんてものも無く、だだっ広い場所だった。そこは谷になっていて、魔物はその限られた場所で生き抜くために強くなるしかなかったのか、もしくは強いものしか生き残れなかったか、その両方かもしれないが、新人が手に負えるものではないように思えた。恐らく面倒なところを割り当てられたのだ。急に貴族になって、幅を利かせている(つもりはないのだが)私のことが大層気に入らないらしい。しかし問題が起これば真っ先に私を頼ってくるのだから、何とも言えない気持ちになる。
何はともあれ遠征の日まで半年。出来る限りのことはしなければ。
BACK ◎ NEXT