同じ気持ちで
は思わず立ち上がった。
「黄瀬く…」
の声は歓声にかき消された。は無意識に振り返った。観客がどこか遠くに見えた。ぽつりと世界に一人きりにされた気になって、はコートの中の黄瀬の姿を探した。
黄瀬の拳が床に叩きつけられる。観客席からでも、黄瀬の悔しさが分かった。
ひゅ、との喉が鳴った。悲鳴を上げてしまいそうになる口を、手で塞いだ。
「悔しさ」などと簡単に言って良いものではない、はそう直感的に思った。
黄瀬はにとって、ただのクラスメイト、友達。
だが、は黄瀬を尊敬していた。特にバスケをしている黄瀬には、は計り知れない敬意の念を抱いていた。
バスケに対して、黄瀬が並々ならぬ想いを持っている、とは知っていた。
知っていたが、本人は知らないと言い張る。自分が知っているなどと言えるほど、簡単な想いではない。そのことも知っていたからである。
には、想像しかできない。それはが仲間ではなく、ライバルでもなく、友達だからだ。
目頭が熱くなる。だが、はそれをぐっと押さえた。
(私が泣いて、どうする…!)
は無性に黄瀬に会いたかった。だが、会いたくなかった。会っても、何を言っていいのか分からなかった。黄瀬だけでなく、笠松達にも。
三年生にとって、最後の夏だ。もうインターハイには出ることができない。
勝ち負けには、拘らない。だが、は無性に悔しかった。
**
「さん?」
「え?」
やっぱり会いたくなかった、とは思った。電車で帰るらしい、バスケ部一行に駅のホームで出会ってしまった。達の立つ場所の車両に乗ると、降りる駅の丁度階段の前に止まる。
笠松がいない、そのことに気づいたが、は尋ねることができない。何となく理由に見当が付いたからだ。
電車が来るまで、ぼんやりと立っていた。いつもならくだらない話をするところだが、はそこまで図太くなかった。無言でじっと並んで立っていた。黄瀬も口を開かない。気まずい空気が流れた。
お疲れ様、くらい言っておけば良かったとは後悔した。タイミングを逃し、結局何も言えないまま電車に乗り込んだ。
は、いつも定位置にいている場所に座った。すると、黄瀬は何の躊躇いもなくの隣に座った。
「………………お疲れ様…」
「ん…」
普段からは考えられない短い相槌に、はどうすることもできずに、体を縮こまらせた。
「俺、初めて、かもしんない」
突然ぽつりと呟かれた言葉に、は答えられなかった。
「中学では勝つのが当たり前で、高校でも、…誠凛とやるまで、バスケ嘗めてた…」
「うん……」
かろうじて、は相槌を打った。
「どうだったっスか?」
「え?」
「今日の試合」
(悔しかった………………!私も、悔しかった……………………!)
は心の中で叫んだ。脳が沸騰するような感覚を覚えていた。
「さんは、勝ち負けとか拘らないんスよね」
疑問符の付かない、確信的な言い方。黄瀬は俯いていて、表情は見えないが、きっと冷えた目をしているのだ、とは思った。
急に熱が冷えた。自分が以前言った言葉が恥ずかしかった。スポーツは、戦いだ。は自分の勝ち負けに拘らないという姿勢は気安すぎたと、悔いていた。
「私…」
「さんには、勝ち負けとか、そんなじゃないところ、見てて欲しい…」
ぽつりと呟かれた言葉に、は絶句した。すぐには今自分の言おうとしたことが、選択ミスだったことに気づいた。思わず口を塞いでしまおうと動いた手を空で握りしめた。
遮ってもらえて良かった、そう思った。自分の選択は黄瀬の望むものでなかった、とじりじりと焼けるような胸の痛みを感じた。
黄瀬は、に同じ視線に立って欲しいと思っているのではない。ならばそれに応えなければならない。は、漠然と使命感に駆られた。
「わくわくして、どきどきして、…今までで一番格好良かった」
「私も悔しかった」という気持ちを吐き出せぬまま、はそう言った。
「そっか、」
黄瀬はほっとした声で、そう呟いた。
はこれほどまでに、黄瀬を遠くに感じたことはなかった。
「っ…」
隣で嗚咽が聞こえた。は体をさらに縮こまらせた。
「これ、使ってないタオル…」
「っス…」
(黄瀬君はキラキラだなぁ…)
悔しくて泣くなんて経験、には無かった。それは、そこまで懸けるものが無いからだ。
「さん、」
「ん?」
「ありがと…!」
絞り出される様に出された声は、何に対しての礼だったのか、には分からなかった。
「…………うん…」
いつもは茶化してくれる先輩も、今日ばかりは無言だ。は、気まずい気持ちのまま、電車に揺られた。
**
「さん、」
黄瀬がを呼び止めた。はぴたりと止まり、振り向いた。
「ハンカチ、洗って返すっス」
「今返して」
黄瀬の提案を断り、は催促するように手を伸ばした。黄瀬はの手を見つめた。
「え、でも…」
「涙拭いただけだし」
「……そうっスか」
黄瀬は大人しく、タオルをの手に乗せた。はそれを乱暴に鞄に突っ込んだ。
沈黙。
は気まずかった。その沈黙を破ったのは黄瀬だ。
「さっき、言ってたの、ウソ」
ぽつりと呟かれた言葉。
さっき、とはいつのことだろう。は黄瀬を仰ぎ見た。
「勝ち負けじゃないところ見てて欲しいって言ったの、あれウソ」
はやはりどう言って良いのか分からなかった。どうして嘘を付いたのか、どうしてそれを今バラすのだろうか、色々な思いがの頭の仲でぐるぐると渦巻いていた。
「負けたら終わりで、やっぱり勝ち負けで、負けて、でも、俺、さんに、見て欲しくて、俺の、俺たちのバスケ、嫌いになって欲しくなくて、」
黄瀬は懸命に言葉を紡ぐ。黄瀬の中には、どうしようもなく黒子の言葉があった。
『ボクはあのころバスケが嫌いだった』
勝つことは大切で、そしてそれと同じくらい大切なことがあって。だが、今日この日、黄瀬は負けた。黄瀬は、負けた今、その勝ち負けではない「何か」でしか、に訴えるものがなかった。自分は果たして、その大切なものを示せたのか。
一方、は先ほど自分が感じた疎外感を恥じていた。黄瀬の心中はやはり分からないが、少なくともが感じた感情は不誠実だった、と。
相手の出方を伺って自分の意見を変えるのは至極当たり前な行動だ。だが、黄瀬は他人でなく、意見を言い合えるはずの友人。
「悔しい…」
梓の口をついて出た言葉。それが、試合に負けたことに対してなのか、友達としては不誠実な行動を取った自分の行動に対してなのか、分からないまま、は思いを吐き出した。
「って思った。勝ち負けとか、そんなん期待して見てたんじゃないけど、でも悔しかった」
「うん…」
は、ぐるぐると渦巻く気持ち悪い何かに戸惑いながら、言った。黄瀬は再び涙をこぼした。は先ほど突っ込んだタオルをふたたび黄瀬に突き出した。
「嫌いにならないよ、」
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